「現代へ生きる自分たちへ」三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 はいじさんの映画レビュー(感想・評価)
現代へ生きる自分たちへ
全共闘の話は何度か聞いたが、正直、学生たちの暴走のような感じでしか思ってなかった。
連合赤軍、あさま山荘、みどり号ハイジャックと物騒で殺伐とした、今では考えられない、混沌とした時代、そういう認識でした。
この映画の初めの印象は、一触即発の暴動寸前の激論があるのか?と期待していましたが、それは開始早々いい意味で裏切られました。
三島由紀夫という人物が、自らを侮り、皮肉っていた学生たちに理解を示すコメントから始まりました。そこで一気に、三島由紀夫という人物に引き付けられたのを感じました。
現代は何かとネットの匿名性に乗っかり、相手を言い負かすこと、揚げ足を取ることで優越感に浸りがちな自己中心的な議論を多く見かけますが、ここで交わされる所謂「右翼」と「左翼」という立場で相いれないのではなく、もっと根源的な、なぜ今そのような活動をしているのか?元を言えば、なぜ戦うのか?戦いとは何か?観念とは?既存権力とは?などなど、哲学や文学など、まるで大学の(まぁ学生も三島も東大生なので当たり前ですが)ハイレベルの講義を受けているような高度な応酬が交わされます。マイケル・サンデル教授の白熱授業みたいです。正直、自分には頭が追付かなくて途中で眠くなりました。
しかし、最後は右翼も左翼もなく、共に国を憂うという点で折り合えた、そんな感じで議論は終わりを迎えます。実際、東大全共闘の主催者の木村氏は明らかに三島に魅了されていたと感じました。(本人は立場上、作中では認めないが)
そして映画は討論会後の三島へとスポットを当てる。
自分もTVなどで何度か見たことがあるので知っているが、彼はこの討論会の1年半後、市谷駐屯地の自衛隊員へ決起を促し、自殺するのだ。
この後は自分の個人的な感想であるが、結局東大全共闘のメンバーは生き残り、三島だけが死ぬことなるが、彼だけが最初から最後まで本気だったのだ。
映像の中で彼は「失敗したら自殺する」と述べているが、真剣に国を憂い、本気で若い人たちと向き合い、何かを伝えようとしていた。それがこのドキュメンタリーの根幹であるのだと思う。
彼自身、盾の会という右翼団体をつくり、右翼思想の学生と同じ釜の飯を食い、厳しい軍事訓練を行っていたし、多くの学生たちとデスカッションを繰り返していたという。
ノーベル文学賞候補を川端康成らと争っていた時代の寵児、多くのメディアで持て囃され、文壇で押しも押されぬ確固たる地位を築いていた三島由紀夫、そのまま平凡に暮らしても歴史になお残しただろう彼は、それらに全く眼中になく潔く自害するのである。
映画の中で彼は「あらゆる既成概念や権力と戦う、(中略)その熱量において君らを理解する」と述べている。つまり彼は誰よりも純粋に大真面目に革命を興そうと思っていたのだ。
そしてその背景には、20代で学徒出陣が適わず、おめおめと生き延びた負い目と、敗戦によるGHQ支配と押し付けられた憲法、資本主義へと、物欲主義、享楽主義へをひた走る社会。それらすべてへのアンチテーゼを彼は体現したかったのかもしれない。
そしてこれは、この映画から50年を経た現代の自分たちへと問いかけるものでもある。
これほど国を真剣に憂い、生きた人たちがいたということ、そしてそれに恥じない生き方を自分がしているのか?ということ。
改めてこの映画は、若い人にこそ見て欲しい、そう思える。