パピチャ 未来へのランウェイのレビュー・感想・評価
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国を思う…
大学を抜け出し、ナイトクラブに向かう女性たち。イスラム国家なのにこんな自由で奔放?なのって思ったけど、一瞬で凍りついた検問シーン。遊びに行くにも命懸け。考えたら、何でそもそも服装や振る舞いまで自由でないのか。宗教は自由だけど、人々に強制するものではない。ましてや暴力を振るうのは本末転倒。ネジュマの姉も凶弾に倒れ、恋人からも国を捨て、フランスに出ようと誘われる。普通ならさっさと国を出たいが、苦労はあるが、国が嫌いではないという。ここに監督の国に対する思いが詰まっていると感じた。結局夢に見たファッションショーを実施するが銃撃されてしまう。そうまでしてやりたかったこと、伝えたかったこと、女性はこうあるべき、男性もだが、もはや押しつけは通用しない、国を思うからこそ、是正したい、犠牲になった人々のためにも。そんな願い、訴えを感じた。
単なる女子大生の青春群像劇ではない。
90年代の内戦中のアルジェリアで、イスラム原理主義と戦いながらファッションショーを開催しようとする女子大生の話。
男性だけではなく、女性の中にも原理主義に賛同し、ヒジャブを必須としたり、女性は表に出てはいけないということを主張するなかで、ネジュマは大学生を謳歌し、大学の寮でファッションショーをしようと計画する。その中で姉がジャーナリストということで殺されたりしながらも、仲間に支えられて準備していく。
ファッションショーの最中に原理主義の襲撃に遭い、強制終了となり、大学を去ったネジュマがこの国で生きていこうと決意するところで終わる。
アルジェリアの当時の暗黒時代があちこちにちりばめられている。
・原理主義がはびこり、男尊女卑が強い
・学食の中に入れられている物質に副作用がある
・ヒジャブをしないといけないというのを女性でも主張する
アルジェリアでは放映禁止になったということは、このような主張を見せてはいけないというあらわれでもある。今はそんなことはないと思うが、言いたいことが言えない世の中というのは怖い。
それでも祖国は捨てない
同じ大学生でも日本の学生とは随分違うんだな、と先ずは主人公がデッサンするノートの紙質で感じた。やっぱり日本は何でも手に入るし豊かだな。
でもそんなものじゃない、着たい服を着て、行きたい所に行って、心のままに生きる背中には常に銃口が向けられているのだ。
限られた状況下で青春を謳歌しようとするどこにでもいる若者の雰囲気を楽しむ間もなく猥雑な街の描写や男達の執拗な視線がそこかしこにあり、ここはイスラムの国なんだ、と思わせる。
しかしながら、主人公の生き方に嫌悪感を抱くのは男性だけではない。
イスラム教の戒律を忠実に守って生きることに幸せを求めている女性達も少なからず存在する訳で、互いに寛容でないこともより複雑にしていると感じた。
男性の力を借りてこの国を脱出し自由を手に入れるチャンスもあったのだが、やはりそれも違うのだろう。
主人公達にとって命がけでファッションショーをするために作ったドレスなのだから、邪魔されても引き裂かれても意思を貫くためにドレスを再生させることは、この映画にとって最も重要な要素であったのだから、その場面にもっと時間を割いて映像にして欲しかったかな。
実話を元にしているのでハッピーな結末とはならず何とも無惨な形で終わってしまうのは…ただただ胸が痛かった。
自分の生き方
この映画は『目を開けて最初にみえたものÀ peine j'ouvre les yeux/As I Open My Eyes(2015年製作の映画)』のチュジニアが舞台の映画と似ているので驚いた。
チュニジアの映画の発端は2010年の12月17日だった。でも、アルジェルアのこの映画の方は1990年だというので比べると二十年も前の話になる。チュニジアの映画は『アラブの春』の発端地で、政府は思想を規制統制をし始めているところだった。大学生ファラーFarahはバンドのボーカルでJoujma - 'Ala Hallet 'Aini (As I Open My Eyes/A peine j'ouvre les yeux) - Studio Version (これをコピペして聞いてください)を歌う。それは、『My Country』『自分の国は国を閉じている、この混乱のなか、私は目を閉じる。。。国に問題がある時は、人々も人間の心を失う。。。』と自分の国を愛しているから自由を失い始めている国に警告をといったらいいか?素直な気持ちを歌にしている。
しかし原理主義の煽りにアーチストの表現の自由の思想が奪わて思想弾圧警察に捉えられる。
アルジェリアの『パピチャ』はアルジェリア内戦の始まりで、原理主義の統制が入り始めている時代に生きる大学生たち。ファッションデザイナーという表現の自由を夢みる大学生のネジャマはこの原理主義の餌食になり、自由に表現したり生きることに危険を伴い、ファッションーは修羅場になってしまう。
両方の映画は、大学生の女性が主人公で、計り知れない困難にあっても、自国を離れて、以前の植民地として抑圧したフランスに亡命しようとはしない。両方の大学生は青春である大学時代を奪われてしまう。そこで、ファラーFarahのほうはボーイフレンドが裏切り、友達もさり、その中から、最終的に、支えてくれるのは母親だけで、その愛があるからやり直していけるように思えた。
イラン、アルジェルア、チュニジアなどイスラム原理主義の台頭時代。でも、ユダヤ教でも、キリスト教でも原理主義とは言わないが、経典の『タナハ』『聖書』を文字通り信じていて、正統的な宗派がある。でも、正統的な宗派は現代社会において、生きにくくなってしまって孤立化していると思う。でも、イスラム原理主義はどうなっていくんだろう。
この映画は『死を覚悟で自由に生きることを勝ち取る』自由とは戦い抜いて自分のやりたいことができること?そこには、大声で批判しあっても、戻れる親友ワシラやサミラなどがいる。友のこころの中を理解してあげることのできる親友、そして、理解してくれる親友。そして、自由の精神の母親と姉リンダ。ジャーナリストの姉を失ったネジャマの家族に新しい家族ができる(妊娠したら家族から殺されたり、おいだされたりするからネジャマのところにきた)て、新しい生命が芽生える。私には想像できないこれからの苦難の中でも、自分を失わないだろうと思える姿に明るい将来が見えた。私も!
蛇足:
私の知り合いはイランからである。イランではシャーを倒し、イスラム原理主義のホメイニが党首のたっと時期がある。この端境期に私の知り合いはイランで生きてきて、夫婦共々米国に亡命した。この時代は、イランの映画でよく取り入れられている。
どうすれば彼女たちを救えると思いますか?
アルジェリアの1990年代は「暗黒の10年」と呼ばれています。武装したイスラム原理主義グループによるテロや大量殺戮事件が相次ぎ、内戦へ発展。2002年に政府勝利で終結するものの、イスラム主義武装勢力側の兵士には大赦が与えられています。
「暗黒の10年」が始まる前夜の女子大の寮が物語の舞台。ムスリム社会における抑圧と、イスラム原理主義者からの「生命の危機」に曝される中、自分らしく生きようとした女学生達の姿。
皮肉なことに、アルジェリア国内では、イスラム原理主義へのシンパシーは、衰退とは逆の道を辿っており、2013年には日本人の記憶にも新しい、天然ガス精製プラントのテロなども発生しています。
女性解放のためには、原理主義の狂信的な預言者を排除して行かなければならない。「テロとの戦い」と言う言葉に表される「戦争」は、イスラム武装集団の弱体化させることに他なりません。切り離せないんですけどね、これって。
宗教の戒律は時代と共に弛んで行くもの。キリスト教もしかり。イスラム原理主義も過激なファトワーを出す預言者を排除すれば、異教徒へのテロも根絶でき、ムスリム社会の女性への弾圧も弛緩して行く。
大学寮を襲ったテロから生き延びた「パピチャ」達は、父親のいない子を育てながら、自分たちだけで生活して行く事を誓い合い、映画は終わります。どんな時代にあっても、どんな境遇に置かれようとも、命をはぐくんで行くのは女性たちであると言う、動かしようの無い事実。ゆえに、彼女たちを守って行かなければならないんだと、男は思うんですよ。
これが、今の日本のフェミ視点じゃ、しゃべつになるってのがw
やな世の中になったもんだよ。
映画の方は、良かったです。とっても。
主役のリナ・クードリはSpecialsの心理療養師役の女の子ですよね。今、思い出しました!
期待の新人ですね。
女の子が戦う理由。
パピチャ(PAPICHA)とは、アルジェリアのスラングで、「愉快で魅力的で常識にとらわれない自由な女性」という意味をもつそうです。映画HPより。
90年代にアルジェリアで内戦があったことは、知りませんでした。
アルジェリアと言えば、フランスの元植民地で、その後独立して、アフリカの北のほうの国だから、多分イスラム圏で、地中海に面しているんじゃなかったけ?くらいのしょぼい知識しかありません。
それでも十分わかります。力作だと思います。
90年代のある時点で、大学生である女の子たちが、寮内でのファッションショーをやろうとするけれども、原理主義者が女の正しい服装をしろとのプロパガンダをうってくるし、もともと女性の地位は低いし、女子の寮生はなんか差別されてるっぽいし、前途多難…というお話です。
女の子があつまってきゃっきゃうふふと楽しむ描写がたくさんあって楽しくて軽やか、なんですが、突然人が殺されたり、原理主義グループによる検問とかもあってスリリングです。
主人公のネジュマは、父親がいなくて母親がやさしいので、割と自由に育った様子です。
洋服を作るのが好きで、その年の子らしく楽しいことが好き。
寮を抜け出して、クラブへ行ってトイレで自作のドレスを売ってます。
お姉さんのリンダはジャーナリストなのですが、なんか思惑ありげな表情をしてると思ったら、お亡くなりフラグだったようで、ネジュマとともに訪れた実家にて、突然リンダを訪ねてきた女に銃殺されます。
お姉さんが殺されて落ち込むネジュマですが、お姉さんが最後にキレイと言っていた布でファッションショーをやろう!と決めます。
大学のお友達と協力して、準備を始めますが、今まで協力的だった門衛さんはいきなり体で払えやと脅してきたり、壁の穴がふさがれて外出できなくなったり、友達の一人が妊娠(相手は恋人)しますが、兄に別の男と結婚させられる予定で、どうしていいかわからない。
また、ネジュマは別の友達とグループ交際を始めますが、友達の彼氏が男尊女卑野郎で、女は「正しい」服装をして家にいればいいとかゆうので、友達の彼氏とけんかになります。
ネジュマの彼氏のほうは、原理主義がはびこるこの国にはいられないということで、国外へ出ていくのでネジュマについてこいと言います(かなり上から偉そうに)。
ネジュマは彼氏の誘いには乗らず、怒って帰宅しますが、寮の部屋が荒らされて準備してきたドレスがめちゃくちゃ…
学内でもこの状態なので、ファッションショーはやらせられないと寮母さんに言われますが、何とか開催をもぎ取る。
で、何とかファッションショーは実施されたのですが、原理主義者たちに踏み込まれ銃撃され・・・
多分生き残った学生は、退学させられたか退学したかで大学を後にします。
ネジュマは母の住む実家へ帰りますが、妊娠した友達が兄に殴られて、家を追い出されてネジュマの家に来ます。
じゃ、一緒にくらそっかという感じになり、中庭できゃっきゃうふふと楽しんで、多分映画は終わったと思います。
全部事実ってわけではないのでしょうが、90年代のアルジェリアの女の子の現実とは、押しなべてこのような感じだったのだと思います。
ネジュマをはじめとする女の子たちが悪い点はひとつもありません。
楽しんで、恋して、夢を見て、勉強して、、、、、、、人権として保障されるべきことをやっていただけ。
なんだけど、それが許されなかったんですね。
そんななかでも女たちの連帯があり、なんとか希望は残ったという印象です。
イスラム原理主義による弾圧は、ちょっと横へ置いておいて、出てきた男性たちを見ていて思ったことがあります。
それは、原理主義者がいう「正しい」女性像を、周囲の女たちに強いることで、自分の鬱憤を晴らしているように見えたということです。門衛さんとかね。
彼らは「正しい」女性像なんて別に信じてないし、自由に商売もできないし、うれしくないけど、きな臭い世界で自分がうけるとばっちりを女をいじめて発散しようとする男、に思えました。
現代にもいるぞ、と思いました。わたしも知っている情景だと思いました。加害者は男に限りません、女だってやっています。
のびのびできない苦しい社会・生活の中では、人をいじめる気持ちよさが選び取られてしまう。ということなんだと思います。
知ることからはじめたい
90年代のアルジェリアを舞台に、女子大に通う女性たちが、命懸けでファッションショーを開くまでの物語。
冒頭にクレジットが入るように、実話をもとに作られた作品のようです。
真夜中に寮を抜け出しクラブに向かうところからはじまり、
タクシーの中でワンピースに着替え、化粧をして、ノリノリの音楽をかけて、煙草を吸う主人公と友人。
その楽しそうな様子にこっちまで笑顔になりますが、
タクシーが検問所を通るときに、一気に雰囲気が変わります。
銃を持った覆面の男たちが車を止め、運転手やトランクを徹底的に調べ、少女達にも「どこへ行く、女は家にいろ」と威圧する。
その時、青春を謳歌する少女たちの物語であると同時に、90年代アルジェリアの実情、空気、息苦しさが伝わってきました。
主人公のネジュマは服を作ることが好きで、将来はファッションデザイナーになることを夢見る、芯の強い女性。
作中、お洒落を楽しみ、友人との時間を楽しみ、恋をして、夢を見て、ファッションショー開催を目指してドレスを作る描写と、
「女は家で家事をしていろ」「ヒジャブを身につけなければならない」「肌を露出するな、正しい格好をしろ」「外国語を勉強するな」「煙草を吸うな」「外国の歌を歌うな」などを強制させられ、従わない者はただそれだけで殺されるという、息苦しい以上の、神の代弁だと力を振りかざされる残酷な様子が描かれる。
どんな場面でも恐怖が付き纏う。命が簡単に奪われる。それが恐ろしかった。
そんな状況でも、主人公は負けず、恐れずに立ち向かっていきます。
この作品はすごくアップや寄りのカットが多く、多過ぎるくらいで途中からちょっと疲れてしまうのですが…
でも、その撮り方だからこそ彼女たちの情熱や強さが、表情から指先から視線から伝わってくるような気もしました。
様々なことがありながらも寮内で開かれたファッションショーは、本当に美しくて、素晴らしくて、キャストの表情も胸にくるものがあって、涙が出ました。
好きな服を着る、ただそれだけで命を奪われるなんてことがあってはならない、許されてはならない、その歴史があったことを忘れてはならない。
不公平で残酷な現実と立ち向かい、夢を叶えた女性たちの姿は、本当に本当に素敵でした。
だからこそ、その後の展開は、何となく悪い予感がしていたものの、涙が止まらなかった。
一方的な悲しみ。
何でこんなことが起こるんだ、許されるんだ、何の権限があって彼女たちの人生を、夢を奪うのか。
辛くて辛くて仕方がなかった。
恥ずかしながら私は、アルジェリア内戦の歴史や、女性が受けていた差別や、宗教についてを全く知らなかったです。
20年ほど前にこんなことが起きていたのかと、衝撃を受けたし、怒りが湧いた。
昨今、フェミニズムがブームとなり、定着しつつあります。一部の人はフェミニストを馬鹿にしたり、やり過ぎだと毛嫌いしたりしますが、そんなの知るか!と思いました。
確かに、男性を落として女性を上げる的な、間違った論を叫んでしまう人もいますが、元々は女性の立場や権利を男性と同等にするべきというもの。
この映画で見たような、女性というだけで様々なルールを課せられ命を奪われた歴史があるということ、それは今後絶対に無くさなければならないこと、そういう一つの背景もあっての今のフェミニズムという形があると思うので、
やはりこれはしっかりと全女性、全男性が改めて考えるべきだと思った。
映画としての出来栄えとかストーリーだとか云々は一旦置いて、こんなにも心動かされ、映画を観て自分の思いが溢れたのは久々でした。
それだけで私にとっては素晴らしい映画だと思っています。
タイトルにも書きましたが、まずは歴史や出来事を知ることからはじめたいです。
どんなことも、人が知ることから議論され、問題視され、変わっていくはず。
変わるためには、変えるためには、知らなければならないと思った。
死と背中合わせの青春
自由を謳歌したい、自己主張したいお年頃なのに、死と背中わせ。
同じ教徒であっても、思想が違えば異教徒扱いなのね。
性欲を抑えさせる為に臭化カリウムを混入した給食を出すとは…
思ってたンとは…
ずっと楽しみにしていたんだけど、思ってたンとは違った…
もちろん、女性が、特にイスラム文化圏ではどれほどに抑圧されているのか、自己実現を妨げられ多くのことを諦めさせられているのか、はよく分かる。
だからこそ、だからこそ、終盤の展開はさ…
しかし、女性が自ら自由を差し出し、他人にも差し出すことを強要するのは何故なのか…
それが宗教というものなのか…
そこをもっと追えなかったのかな、とは思った…
勉強にはなった
アルジェリア国内の情勢については殆ど知識はない。
この作品を通して初めて知る事も多くとても勉強にはなった。
今現在どこまでアルジェリア国内の情勢、風情、文化に
変化があるのかは恥ずかしながら分からないが、あくまでこの作品内で描かれているアルジェリア国内を見る限り日本と比較すると非常に自由に制限があるように感じた。
もちろん背景には異なる歴史や宗教などもある。その為豊富な知識がない上で一概にどちらが良い悪いは分からないが、特に女性にとっては日本に限らずよその国と比べたら自由に制限があるのは事実だろう。
主人公のネジュマはもっと広い自由を求め抗うわけだが、この抗う描写が僕個人としてはあまり心打たれる事がなくいくつか疑問を抱いてしまう鑑賞となった。
ネジュマが求める自由はなにも間違っていない。ただその行動に強い責任や意思があまり感じる事はできなかった。暴力には暴力をという姿に見え時折不快感を覚える。まぁこの辺の表現は文化の違いが大きく出てるのかもしれないが荒々しい場面が多く見ていて疲れる。
メッセージ性は伝わり、決してアルジェリアの縛りある文化に強く共感する事はないが戦い方が好ましくない。映画作品としてはあまり興奮や魅力を感じる事はなかった。
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