「女性の意思を縛り付ける拘束衣」パピチャ 未来へのランウェイ レントさんの映画レビュー(感想・評価)
女性の意思を縛り付ける拘束衣
ファッションは人にとって自己主張そのもの。どんな服を着て、どんな髪形をして。それを自分の思うままにできることが当たり前ではない世界がある。
それを黒い布で覆い隠そうとするヒジャブはまさに女性の自己主張を封じ込めようとする拘束衣に他ならない。
古代から人間社会は男性優位社会。人類最古の差別は女性差別であり、それは今も続いている。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは女性は男性に劣るものと公言していた。そしてそのような考えは世界宗教の誕生でその教義を曲解することでより強固なものとなっていった。
イスラム教には女性はきれいな部分を隠すようにとの教えがある。なんとでも解釈できる文言だ。心がきれいであれば普段はそれをひけらかさずに内心にとどめていなさいとも解釈できる。
しかし、この教えを男社会は自分たちの都合のいいように解釈し、女性を都合よく支配したいがために女性は髪や肌をむやみに露出してはならないとしてヒジャブの着用が古くから風習として残った。ただ、このような風習はほとんどの世俗化したイスラム教圏の国では任意であり強制されることはない。
そもそも何を着てどのような髪形をするかは自己決定権として保障されるべき人権の最たるものだ。これを制限するようなしきたりなどあってはならない。
この作品が公開された後、イランではヒジャブの着用をめぐって逮捕された女性が亡くなるという事件が起き、国内は反政府デモで揺れ動いた。
イラン革命後イラン政府は西側諸国の影響を断ち切るためにより堅固なイスラム社会建設を目指し、イスラム教の戒律を厳格に守らせるため取り締まりを強化していた。
ちなみに取り締まる道徳警察の言い分には苦笑してしまう。我々は女性が肌を露出することで男性から襲われるのを防いでいる。女性を守るために取り締まりをしているというのだ。しかし、拘束された女性のレイプ被害は後を絶たないという。それに男性が女性を襲うのは肌を露出しているせいだというのはお得意のすり替えでしかない。日本でも女性DJがファンに触られる被害があったが巷では同じような言動であふれていた。
当たり前のことだが悪いのは襲った方だ。ただ、イスラムの国ではいまだにレイプされた女性の方が加害男性より厳しく罰せられる悪しき慣習が残っている。
多くのイスラム教圏の国々では西洋化はもはや止めることはできない。それは自由平等を意味するものだし、人々は一度味わった自由平等を手放すことはできないだろう。
今でもアメリカを敵視するイラン政府はヒジャブ着用を間接的に強制する新たな法律を制定しているがイランの女性たちはそんなイラン政府のジェンダーアパルトヘイトに対して今も命がけで戦っている。
本作の舞台アルジェリアもイスラム教の国ではあるが、過去には女性の人権に理解ある統治者によって西洋化が進められてきた。しかしフランスから独立後、内戦ぼっ発で過激なイスラム原理主義者たちによって混沌とした時代に突入する。
テロによる市民やジャーナリストへの無差別殺戮が絶えないそんな時代、デザイナーを志す主人公ネジュマはジャーナリストだった愛する姉の命を奪われる。そんな悲しみの中、彼女は学内でのファッションショー開催を計画する。
彼女の住む街は徐々に過激派の手が伸びてきてヒジャブ着用を強制するポスターが次々と貼られて、ついには学内にまでそれは侵蝕してくる。
街中の壁面には戒律を破って罰せられた女性が書かされたであろう「生きててごめんなさい」の文字が。
洋服に使う装飾品店はいつの間にかヒジャブ専門店に様変わり、学食のジュースには性衝動を抑える臭化カリウムが混入される始末。
まるで世界が宇宙人に侵略されるSF映画を見ているよう。まさに彼女の住む町は監獄のような様相を呈するようになる。
そして同じ学生の男子たちも過激派たちと同じような偏見で女性を見ていた。ファッションショー開催はそんなこの国の現状に対する彼女なりの必死の抵抗だった。
そして仲間たちの協力でファッションショーは無事開催されるが、その時衝撃的な事態が起きる。
この物語自体はあくまでフィクション。でも実際にこのような無差別テロで多くの市民が犠牲になった。本作の監督は安全のために家族とともにフランスに移住したが何か後ろ髪を引かれる思いがあったんだろう。ネジュマは移住のチャンスがありながら母国に残り戦うことを誓う。それはまさに監督が自分の思いを主人公に託したんだろう。
彼女の挑戦は悲劇的な結末を迎え、救いのないラストかと思ったが、生き延びた友人のおなかの子供は無事だった。新しい命の誕生を思わせる場面で本作は幕を閉じる。この生まれてくる子供のためにもこの国の未来のために戦っていこうという監督の思いが伝わってきた。とても見ごたえのあるいい作品だった。
ところで日本の女性差別はここまでひどくないにしても、やはりジェンダーギャップ指数は世界で125位。アルジェリアは144位だという。
最近母子家庭の家の子供は三食食べれないという募金の広告を目にする。父子家庭ではあまり聞かない。これは明らかに女性に対する職業差別を続けてきたことの結果だろう。女性への差別の結果、国の未来を担うであろう子供たちが貧困に苦しめられている。女性差別が国の未来を危うくしているのだ。
過去のアルジェリアでは女性の労働力も国を支える貴重なものとして女性の社会進出を推進していた時期があった。その点ではアルジェリアは日本より進んだ国といえるだろう。