コリーニ事件のレビュー・感想・評価
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悪法もまた法なり
「終戦の日」が近づくと話題になる「戦犯」。
日本では処刑された戦犯まで靖国神社で「英霊」(=神)として祀られていて、問題視されているが、
ドイツでも似たような問題があるんだな。
何というか、「身内を裁く」ことの難しさを痛感させられる。
併せて、「正義とは?」
「法から見放された者はどうすれば?」を静かに問いかける作品。
あとは、ドイツの法廷って日米とも全然違うんだな。
ガラス張りの被告席とか、証人が判事を向いてたり…
ドレーア法の欺瞞
ドイツの暗部ドレーア法の欺瞞を暴くシーラッハの法廷ミステリー小説を映画化。
ホテルで年配の実業家ハンスが殺される、犯人コリーニは完全黙秘、弁護人は法廷経験のない新米ライネン、しかも被害者のハンスはライネンの大の恩人という普通なら不適格な胡散臭い設定。
死体の惨状から相当の恨みを持つ者の犯行と誰でも察しはつくだろう、ドイツだからおそらくナチス絡みだと予想は着くが犯人がユダヤ人でなくイタリア人なのでそう単純ではなさそう、仕事絡みの怨恨かとも思えるし・・、ハンスの孫のヨハナとのラブシーンなど挟まり一向に調査は進まないので前半は耐えるのみ。そういえば冒頭のボクシングシーンは何だったのだろう、不屈の闘士と言う面を見せたかったのか・・。
イタリア人迫害は意外だったが早々にイタリアが降伏してしまいナチスとしては不甲斐なく見下していたのだろう、ナチスの戦争犯罪の免責時効を狙ったドレーア法は本作で初めて知りました。
ナチスが軍資金や技術資料をもって敗戦前に国外逃亡、実業家として成功していた例はよく聞いたので温厚で面倒見の良い好好爺が元ナチスという設定もあながちフィクションともいえないのだろう、映画だからドラマ仕立ては分かるが骨太のテーマだけに色恋沙汰や親子の確執などのサイドストーリーは要らなかった気がしました。特にヨハナはロンドンに夫が居るようだし「祖父が支援しなかったらあんたなんかケバブ店の店員がいいところ」とライネンを明らかに見下したセリフを吐いていただけにしおらしいところを見せても白けます。見方を替えればライネンは恩を仇で返したようにも思えます、著者のシーラッハさんの祖父も元ナチスだったそうですから複雑な思いをライネンに込めたのかも知れませんね・・。
戦争は悲劇しか生まない
動き出すまでがちょっと長く感じたが、ピザ屋のお姉ちゃんあたりから(笑)は一気に引き込まれた。
よその子を育てるくらい「良い人」が何を?
仕事で悪どいことやってた?
コリーニは元従業員とか?
いろいろ想像してたが、戦争の陰がここにも…そういうことだったのか、と。
法によって裁かれず逃れたナチスとその家族。
子孫まで広がれば相当な数だろうな。
自分の祖先が当時どんなことをしたか、考えたくもないだろう。
命令に従っただけだと思いたい気持ちもわかるが、そういう時代だったからという言い訳は許しがたい。
21世紀の独裁者が戦争を始めたが、派手な爆撃の映像はテレビでも観られるが、表には出ない場所で何が行われているか、現状わからない。
わからないが、奪還した地域の惨状を見れば一目瞭然である。
民間人殺害、暴行、略奪。明らかに戦争犯罪が行われている。
命令に従っただけなのか、自らそうしたのか。
逃れることなく裁かれることを願う。
どちらにとっても悲劇しか生まないのが戦争だと、独裁者はなぜわからないのだろうか。
哀しみしか産まない不毛さ
人間は一面的な生き物じゃなく、多くにおいて善良な人であっても驚くほど残虐な一面も持っている。そして戦争はそんな人を虐殺者にしてしまう。また死者は復讐を望まないと分かっているのに止められない被告人の中にも苦しい残虐性があって、それを分かっているからこそ黙秘を貫こうとした哀しみが辛い映画だった。戦争は本当に無くなってほしい。
法廷ものを超えた法廷もの。
いわゆる法廷もの。そして、ある意味戦争もの。
戦争という言葉を書けば、もうネタバレになってしまいますね。
法廷ものは、いろんなパターンがありますが、
これは、犯罪者の刑を軽くするために奔走する
弁護士が主人公。犯罪者がなぜ人を殺したのかを
掘り下げていくというストーリーです。
こういう展開は、冤罪を匂わすミステリータッチのものと
比べると、地味になりがちだと思うのですが、
飽きることなく、特に後半はグイグイと引き込まれていました。
恩人の仇が被告人、原告側には恩師、
という人間関係もおもしろい。驚きの殺人動機、ラスト近くの衝撃。
法廷ものを越えた、社会派ムービーの傑作だと思いました。
戦争が落とす影…
コリーニが殺人を犯したことは許されないが。。ドレーアー法、確かに戦時下において絶対命令服従の下、処刑をした兵士の罪はと言われたら、線引は難しいかもしれない。しかし、平気で人を処刑し、その後、悠々自適に暮らしてる当時の高官が全く罪に問われないのは悪法だ。自分の育ての親を殺した殺人犯を弁護し、その孫ともかつては恋人同士という複雑さも絡み合い、見応えあった。コリーニは子供の頃から父の死の復讐だけを生きがいに姉とともに生きてきた、何とも悲しい。結局、戦争は負の連鎖しか生まない。弁護士を演じたエリヤス・エンバレクがとても精悍だった。
殺人事件の容疑者の弁護をすることになったライアン。被害者はお世話...
殺人事件の容疑者の弁護をすることになったライアン。被害者はお世話になった恩人。何も話そうとしない容疑者の弁護をどうするのか。ライアンは容疑者コリーニの子供の頃のある出来事を突き止める。それはかつての恩人の過去を晒すことになる。
その出来事があまりにも重ーい内容で、一気に面白さが増す。1968年、ドイツ連邦議会で可決されたドレーアー法。この法律により無数の戦争犯罪者が刑罰を免れた。被害者もその1人。多くの罪のない村民を射殺したのに無罪となり、その時にコリーニの父親も犠牲になっていた。
その無念を公にしてくれたことでコリーニは満足だったのか、判決の前日に極中で自殺してしまう。どんな判決が下される予定だったのか、知りたかったな。
ドイツで隠された真実と言えば
ドイツで過去の暗部といえば、ナチスドイツだから、殺された実業家が元ナチだということは想像がつく。この物語が白日の元に晒そうとしているのは、戦争犯罪だけではない。戦後、ドイツが復興していく過程で、戦争犯罪の時効を短縮する法律がこっそり成立していたのである。この法律のおかげで、主人公の恩人も訴追を逃れていたのである。
難しい問題だよね。敗戦国の非道行為は、犯罪で、戦勝国の同様な行為は合法になってしまっている現実があるから、ドイツ政府が元ナチの人間を事実上の恩赦してしまうことも苦しいながらも理解できる。
例えば、満州の日本人にレイプ、強奪、殺人など暴虐の限りを尽くしたソ連軍の犯罪が問われたなんて聞いたことない。こういった矛盾は永遠に解決することはない。
一方で、何の罪もない父親を殺されたコリーニの側にたてば、当然、銃殺を命令した将校を刑務所送りにできないのであれば、個人的に報復することは仕方のないことだと思う。自分の中でもブレブレでどう感情を処理してよいかわからない。
想像とは全く異なるラストには驚いたが、物語として結論づけることを作者がためらったのだと思う。
重苦しい話ながらも、ピザ屋のロックなお姉さんのかっこよさが印象に残った。
これを正義と呼ぶことに、心が抗っている。
「死者は報復を望んでいない」
戦争犯罪を個人に問う事の是非については、法の支配に基づく社会で、正当な裁判が可能である環境下でのみ、それをすべきである。って思います。
◆フリードリヒ・エンゲル
法廷ドラマは、おそらく、2002年のフリードリヒ・エンゲルのケースを参考にしていると思われます。93歳のフリードリヒ・エンゲル被告は、イタリア・ジェノバでナチス親衛隊地区責任者を務めていた1944年、同市内でドイツ兵5人が殺害された事件の報復として、刑務所に収容中のイタリア人捕虜59人の殺害を命じたとして有罪判決を受け、懲役7年の実刑判決を受けました。
◆悪用されたドレーアー法
1968年当時のドイツは保革連立政権でした。法務大臣は革新政党SPDのグスタフ・ハイネマン。ハイネマンの狙いは、反体制の学生運動で逮捕された学生たちの救済であったとされています。1969年の政権交代のドタバタの中、連邦議会で、その中身が十分に吟味される事なく成立したのが「秩序違反法施行法」であり、それはナチス政権下で検事を務めた法律家、エドゥアルト・ ドレーアーが中心的な役割を果たして制定されたものです。以降、「上からの命令に従って」ナチ犯罪に加担した軍人・法律家(奇しくもドレーアーを含む)などが行った犯罪についての時効は、15年に短縮されたものとして「法」に拠り処理されることになります。
◆1人に対して150人。1人に対して50人。
1941年、フランスはナントでドイツ軍司令官カール・ホッツが、フランス共産党員2名により殺害される事件が起きます。激怒したヒトラーは、150名のフランス人人質・政治犯の処刑を命じます。パリのドイツ軍司令部オットー・フォン・シュテュルプナーゲル歩兵大将は内心でこれを拒絶したものと思われます。彼は「人質50人を銃殺刑に処する」、また、「指定期日までに犯人が逮捕されなかった場合にはさらに50人の人質を銃殺刑に処する」との通達を出します。1941年10月22日、三か所で合計48人の人質が銃殺されましたが、うち最年少であった17歳のギィ・モケが、処刑指名から処刑までのわずか1時間の間に書き残した手紙は有名で、映画「シャトーブリアンからの手紙」のひな形となっています。
1944年3月のイタリア。ローマ市内でナチス親衛隊を標的とした爆破事件が発生し、33名の親衛隊員が命を落とします。激怒したヒトラーは、「犠牲者一人に付き50人の人質を処刑せよ」との厳命を下します。イタリア占領軍司令官ケッセルリンクもまた、シュテュルプナーゲルと同じ行動をとりました。ベルリンに処刑者の数を10倍にするよう申し入れます。政治犯、反ナチファシスト、ユダヤ人を中心に処刑者リストを作成し、335人をローマ市南部のアルデアティーネの洞窟に集め処刑します。
この銃殺部隊の隊長であったエーリヒ・プリーブケは、ドイツ敗戦後に裁判で有罪を判決を受け終身刑になりますが脱走しアルゼンチンへ逃亡。1994年にアルゼンチン政府によって逮捕されイタリアへ身柄が引き渡されます。1998年に再び終身刑を受けますが、高齢を理由に収監されることなく、2013年に100歳で息を引き取ります。
映画では「10倍」の人々を処刑しました。現実のナチス、ヒトラーの報復指示は、150倍、50倍と言う、想像を絶するおぞましいものであり、地域の責任者ですら服従を拒むものであったと言う事実があります。
◇復讐の味は苦い
これは1945年11月、ジョージ・オーウェルが書き残した著聞のタイトル。
ユダヤ人ホロコーストの復讐を行ったサロモン・モレルはポーランドで叙勲された秘密警察の大佐。彼は、ドイツ民族主義者・政治犯を収容するズゴダ強制収容所の所長であった時代に、意図して飢餓を引き起こし、伝染病の蔓延を放置し、女子供を含む1500人の収容者を「復讐殺害」したとして告発されました。告発を受けたモレルはイスラエルで市民権を得、2007年にテルアビブで死去。イスラエル政府は、ポーランド(国法により戦争犯罪に対する時効が存在しない)からの度重なる身柄引き渡し要求を完全に無視しました。
「ナカム」(ヘブライ語で"復讐者"の意味)と名乗る50名ほどのユダヤの若者のグループは、大戦後、600万人のドイツ人を、ナチスのホロコーストの復讐ために殺害する計画を立てていました。計画は仲間割れにより実行されず頓挫しますが、「ドイツへの復讐を考えなかったものはいなかった」との証言が残されています。
ポツダム協定では、「ドイツ人住民の秩序ある移送」が合意されました。その内容は以下。 「アメリカ、イギリス、ソヴィエト連邦の政府は、諸般の情勢に鑑み、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーに残留するドイツ人住民やその社会集団のドイツへの移送が行われねばならないことを認識する。これら政府は、全ての移送措置が秩序ある人道的な方法で行われるべきことに合意する。」 実際に、戦後開始された「ドイツ人追放」に」より、強制移送中に命を落としたドイツ民族は105万人とも210万人とも言われています。単発的な戦闘行為による死者やユダヤ人によって処刑されたドイツ兵は、その数に含まれていないとされています。
◆法が正義ならば
その法を、自らの都合の良いものにしてしまえば良い、と言う根源的な不正義。エドゥアルト・ ドレーアーは、不正義をたくらんだのか。それとも。充分過ぎるほどに復讐を受けた同胞への更なる復讐を止めようとしたのか。
「お前に何が判る」
理解はしますが、支持なんか出来ないです。
だから判りたかぁ無いです。
判ることはただ一つ。
「どこにも正義は無かった」
それだけです。
ナチスを題材にした作品として見た場合、親代わりであった恩人の過去の人道への罪に向き合う事の意味、ってのが見どころだったと思いますが、そこが意外にもアッサリと「弁護への使命感」で片づけられてるのが物足りなかったです。
ピザ屋の姉ちゃんがカッコいい!
予備知識なしで観たため、展開が予想できなかった。要は黙秘を続ける殺人犯であるファブリツィオ・コリーニ(フランコ・ネロ)の動機を解いていく物語であるが、犯行の残忍な状況から怨恨だとわかるものの意外な史実が浮かび上がってくるというもの。
犯行に使われた拳銃がワルサーP38というキーワードも序盤に登場し、新米弁護士カスパー・ライネンが記憶の片隅に残っていたものと符合するという点で深みにはまっていく。カスパーの恩師でもあるマッティンガー教授がそのまま検察側となり、ここでは検事も弁護士と同じように民間なんだというドイツの制度にも驚いてしまいました。
この教授がまるで司法取引のように減刑する話をカスパーに持ちかけるところや、被害者の孫ヨハナがカスパーの元恋人だったところ、さらには捨てられたという確執から不仲となっているカスパーに対してコリーニが「仲良くしとけよ」などと呟くところと、注目すべき点が多い。
そんな興味の湧く題材の中で、ちょっと難しいのが“謀殺”と“故殺”という法律用語。日本の今の刑法には区別がないが、言ってみれば計画的殺人か否かという違いだ。もちろん謀殺の方が罪が重くて最大で終身刑(ドイツには死刑がない)。教授にしてみれば、コリーニが黙秘を続けて裁判を長引かせることを避けたいがために、「自白すれば故殺に持ち込んで刑を軽くしてやる」とカスパーに語ったのだった。
マッティンガー教授にも恩があるし、なにしろ被害者マイヤー氏は彼を育ててくれた恩人なので、被告人は憎むべき相手。さっさとこの公判を片づけたい気持ちもあったが、初めての弁護を疎かにするわけにはいかないと、弁護士としての矜持が許さなかったのだ。おかげで審理を中断させ、4日間のうちにイタリアへ飛び、大嫌いな父にも翻訳を頼むことになるのだ。
マイヤー氏がナチスのSS将校だった事実、さらにコリーニが一度はマイヤー氏を訴えたことがあるという事実、却下された理由などなど、二転三転する証拠対決が緻密であり、とても素晴らしい。もう涙なしでは見ていられない!ナチスの行った10倍返しの報復はなぜ認められたのだ?などと、国際法的にも興味がわくほど法の矛盾といったことまで踏み込んでいく重厚なストーリーでした。
強力な証人となった通訳の息子さん。ナチスの協力者として死刑になったという事実も本当に悲しい事実。なぜ何もしない通訳が死刑となり、虐殺実行者がお咎めなしなのか?という世の矛盾も伝わってきます。来ないかと思っていたのに証言台に立ち、コリーニとの関係も浮かび上がって、ついには喋る気になってくる・・・
ただし、動機が明らかになったから良しではなく、どう考えても“謀殺”にしかならない。減刑という弁護をするどころか逆に重たくしてしまったのだ。しかし、ナチスの罪を暴き、「ドレーアー法」という悪法を糾弾する上では国家をも断罪した形となるのです。教授がその草案に関わっていたことは敢えて問題にせず、「本当に法治国家なのか?」という答えを引き出したに過ぎない。戦争も知らない若造が!こしゃくな・・・といった心も見え隠れする。
未だにドイツ国民はナチスの行った罪を恥じ、反省さえしている。挙手するときに人差し指を突き出す形になっている小学生の姿も思い出される。この作品もまたナチスの罪、さらにその後の残党が大臣になった事実をも糾弾しているのです。そして無念を晴らしたものの悲しい結末。コリーニの気持ちが手に取るようにわかる最後でした。
ラストのテロップには多くの戦争犯罪者が許されてしまった事実が書かれていて、これはもうドイツだけの問題じゃないというメッセージも伝わってきます。日本でもA級戦犯のはずなのにアメリカとの取引によって逃れ、総理大臣にまでなった人がいますもんね・・・
すべての法が正義に叶うわけではない
もし、この映画の主人公の弁護士が感情に支配される人だったなら、この事件の弁護士に就くことを断っただろう。自分自身の恩人を殺害した被告を弁護しなけばならないのだから。
だけど彼は弁護する決断をした。
断れば断ったで、弁護士として負け犬の汚名をきせられるかもしれないし、弁護士として一度仕事を受けた以上は責任を果たさなければいけないという職業的な倫理感や、なぜあの恩人がこんな目に遭わなければいけなかったのかを知りたかったからというのもあると思う。
トルコ移民で母子家庭で育ち、差別や偏見と闘いながら人一倍苦労して弁護士になった以上、安易に感情に流されて逃げたくなかったし立ち向かった。
もし、彼がトルコ移民ではなく、ドイツ生まれのドイツ人だったら、過去にドイツが背負った負の歴史に真正面から向き合うという別の問題がクローズアップされてしまうことになったかもしれない。知りたくも見たくもない自らの国の暗部を根掘り葉掘り調べていくのはドイツに生まれ育った人間なら、それは苦痛以外の何ものでもないだろう。ただ、そうした苦痛を受け入れて戦後生まれの世代が両親たちの世代が生んだナチス時代の過去を批判追及して正してきた国なので、散々見聞きした、過去にどう向き合うかという抽象的で大きな話に流れが向かって散漫になってしまったと思う。
散漫にならなかったのは、主人公が個人的な感情的苦痛や不都合な真実に立ち向かうというスタイルを貫いたおかげだと思う。主人公は、被告人を弁護すること、つまり法に努めようと頑張った。恩人やその家族、検察側に就いた尊敬する教授も敵に回す覚悟で自らの精神を崩壊させるかもしれない出来事に立ち向かった結果、逆説的に、法が守れなかった正義が炙り出されることになった。
結果的に被告はああした最後を遂げたが、被告にとっての正義は法的には達成できなかった。戦争犯罪者を裁く時効を設けた戦後の法律の制定によって、法に彼は裏切られた。悪法は不条理な結果を生んだ。その不条理に法は何をすることもできなかった。法が正義を保障しないという事実があったときに、それでもその法は守られるべきかどうか。守られるべきでない法もあるということを主人公は法廷で示した。法の前にまず正しさとは何かという話があるということについて考えさせられた。
そして良いことをしたとして彼は世間や恩人の娘からも理解を得られた。彼に敬意を表した。彼は自己保身的な個人的な感情に流されずに正しいことをしたから。その精神こそが法にとってふさわしいものだと思えた。
許されぬ罪
圧巻でした。
恩人であり、被害者であるハンスの決して忘れてはならない、そして許されてはならない過去であるナチ時代。
ハンスは根っからの排外主義者でも、悪者でもないはずです。しかし報復として行ったイタリアでの虐殺の指示、そして幼いコリーニの目の前で父親を殺すというのは本当に、本当に残酷であり、許されることではありません。
この描写が明るみにする事実は、戦争で人は狂うということ。
非人道的なことをしておきながらコリーニの父を殺した銃をずっと処分できずに残しておいたわけですから、罪悪感に苛まれた戦後であったことは確かです。家族にも言わず、1人で記憶していたハンスの行為は残虐そのものでした。
いくら上からの命令の報復作戦だったとしても劇中で述べられた通り、ハンスは戦争犯罪者として裁かれるべきでした。
そしてその裁きはハンスに、そしてその家族にとっても必要だったはずです。
ハンスを無罪にしてしまうことは誰のことも救いませんでした。
コリーニに銃を頭に突きつけられ、「強くなる練習だ」と言われたハンスは一瞬にして過去に戻り、甘んじて殺されることを受け入れます。それしか彼にも選択肢はなかったはずです。
映画の構成に関しても、ただただ素晴らしいとしか言えません。
映画ですから、多少さっさとは進みますが、違和感を覚えるほどでもありませんし、何よりリアリティをもって観ることができました。
コリーニ、ハンス、ハンスの家族、法改正に飲まれた弁護士、全ての人々の葛藤と苦悩が伝わってきました。
過去に背を向けることは未来に盲目になること。ヴァイツゼッカーの有名な言葉です。
未来を明るくするためには、過去と対峙することが必要不可欠なのです。他国もやったから、自国も被害にあったから、と言って自国の罪から目を背けてはいけない。
日本はいつこの事実に気付けるのでしょうか。
序盤の暗く、重い映像から、徐々に明るさをもっていくのが印象的でした。コリーニの青い目が暗闇でも光り、そしてその目が最後に空を、上を見つめていることにも感動しました。
自死を選んだ彼ですが、判決をあえて出さなかったことには意味があると思います。
どのような判決になることが最善なのでしょうか?
無罪?減刑?終身刑?
自分は減刑だと思いましたが。
コリーニ自身も言っていたように、死者は報復を望まないでしょうから、ハンスを殺した事はやはりどうあがいても完全に正当化することは不可能です。
この事件は法改正を行ったこと、それを許したことに問題があるのですから。
現代で真の正義が机上の空論にならないことを祈るばかりです。
色々と考えさせられた作品
決してハンスマイヤーやマッティンガーの過去の行為を肯定をするわけではないですが、若い頃のハンスマイヤーがあの時代の全体主義の流れに逆らえたかというと確実にそうとは言えなかったでしょうし、若いマッティンガーもその流れに巻き込まれた中でドレーアー法への賛成という立場であったのではないかと感じています。
やはり、戦争は傷つくものや壊れるものに代替不可能なものが多く、往々にして社会的に弱い立場の者からその被害を受けるため、結局のところ最終的に出来ることは、社会としての機能や流れが「こういう場合はこうなる恐れがある」という共通認識を作り、それが再度起こらないようにする事なのだろうと改めて強く思いました。
また、これらに加えて、犯した過ちに対する責任はどこまで精算しなければならないのかといったテーマも含まれていたので、そのような点も作品としては非常に興味深い点であったのではないかと思います。
そして、これら比較的重いテーマを扱う中で、登場人物が、トルコ系移民の新米弁護士の主人公、その主人公が生活をする上で幼い頃にお世話になっていた人、そのお世話になっていた人の娘で元恋人、法律を学んでいた際にお世話になった人…といったように複雑な関係となっていた点に、作者なりのメッセージが詰まっているのではないかなんて事を楽しく想像させて頂きました。
テーマの設定自体が重かったり、決して皆がハッピーエンドな映画なんて事は言えませんが、改めて戦争の一面を考える映画としては良い作品なのではないかと思います。
過去と向き合っているドイツ。一方・・
ドイツ映画。
非常に骨太なクライム・サスペンス。
扱っているのが、一番最後に出てくる1969年に施行された「ドレーアー法」。
この法律により、過去のナチスの犯罪の多くは裁かれなくなった(厳密には、謀殺から故殺扱いになり減刑された。故殺という法概念は現在の日本にはない)。
話の切り札としてこの法律をもってくる辺り、大変上手い演出だと思う。
そして、最後コリーニの取った行動。
こんな結末しかなかったのか。。しかし、満足感を得て死を迎えたのは良かったと言えるのかも。。
ドイツでは、こういうナチスの過去の犯罪をちゃんと現ドイツ人に埋め込むための映画が定期的に作られている気がする。民族浄化はたしかに酷い戦争犯罪だ。しかし、過去にイギリスやアメリカが犯した戦争犯罪は特に裁かれることはない。戦勝国なので。おそらく、敗戦国であるドイツは今後もこういった作品を作っていくのだろう。そして、ナチス時代を過ごした老人世代と、その子供、孫との世代をつないで、記憶が風化しないような装置を作り続けるのだろう。
さて、一方、同じ敗戦国である我々日本は・・。
なんか、比較するのも嫌になるが、現存している戦争体験者の子供、孫世代で、日本が日中戦争、大東亜戦争で何をしたか、過去と向き合っている人がどれだけいるのだろう?
ほぼ皆無と断言できる。
アメリカと戦争したことを知らない大学生もいるくらいだからな。。。
それでは、今からいきなり始められるか。
まず無理だろう。こういう営みは、ちゃんと世代間で引き継がないと成立しない。戦争体験者は戦後何も語らなくなり、その子供世代は思考停止の反戦を掲げることくらいしか行っていない。戦争を真正面から扱ったのはサブカルであるアニメくらいだし。
その結果、世代間が断絶した。
共同体が崩壊して、世代間で会話をしなくなったことも後押しした。今から構築するのは不可能だ。体験・記憶している人がいないのだから。つまり、日本は今後先の大戦を反省する機会を永遠に失ったんだと思う。そして、それは同じアジアの一員である中国や韓国と本当の意味での先の大戦の反省・総括をして、ともに前に進む道を失った、ということだ。
そこがドイツと違うところ。
(まぁ、ネオナチなど変なムーブメントはあるが。。)
この映画でも問われているのは「法治国家」の形だ。
現政権の森友問題や黒川問題、コロナ対応を見るにつけ、また人質司法や検察の公訴権の独占などの司法問題を見るにつけ、日本は「法治国家」の体を成していない。そして、今後はもっと酷くなるだろう。ドイツのメルケル政権と日本の現政権で、コロナ禍の対策を比較してみると違いは一目瞭然。戦後70年でここまで差が付いたんだな・・。
映画を観終わったあと、素晴らしい映画だったな、という感動とともに、日本人の体たらくを考えてかなり落ち込んでしまった。。。
しかし、映画自体は本当に良い。
コリーニ役の俳優フランコ・ネロ氏の演技も素晴らしい。めっちゃ渋くて良い役者。
サスペンス系が好きな人なら一見の価値があります。
実話だと思ってた
勝手に実話だと思って見てたので、そりゃこんなドラマチックな話知ったら映画にしたいよね、でもあまりにもテンポ悪いよね、あと感傷的すぎるラストシーン嫌いだななんて思いながら見てましたが、わざわざ作り話をこんな下手に撮る必要ある?と事実を知って後からムカムカしてきました。
主題はいいのだけれど、人間関係がいまひとつ興ざめ
世紀が改まった頃のドイツ。
ホテル最上階の一室で経済界の大物ハンス・マイヤーが銃で殺害される。
犯人(フランコ・ネロ)は直ちに捕らえられ黙秘を続けている。
トルコ人で新米弁護士のカスパー・ライネン(エリアス・ムバレク)は予審に立ち会い、犯人の弁護を引き受ける。
資料には本名で記載されていたので気づかなかったが、殺害されたハンスはカスパーの大恩人。
さらに、ハンスの唯一残された遺族の孫娘ヨハナ(アレクサンドラ・マリア・ララ)とは恋仲だったことがあった・・・
といったところからはじまる映画で、主要人物の関係だけを取り出すと、やや興ざめな人物配置の感がありますが、黙秘を続ける犯人の動機を調べると・・・と、俄然、面白くなってきます。
犯人ファブリツィオ・コリーニはイタリア出身。
殺害されたハンスも高齢で、年齢から逆算すると、第二次世界大戦が絡んでいることは、映画中盤で察しがつく。
とすると、サスペンスを盛り上げ、引っ張る要素は、コリーニがハンスを殺害した動機が「下劣な動機」かどうか(これにより罪の重い謀殺となるか、軽い故殺となるかに分かれる)となるのだけれども、映画の決着はそこのところにない。
ナチスドイツが第二次大戦中行った非道行為を糾弾するのではなく、戦後、復興中のさ中の60年代に、旧ナチスの戦争犯罪人たちにお目こぼしをするような悪法をつくっていた、いわゆる「臭い物に蓋をする」以上のことをしていたことを白日に晒すところにあった。
この大戦中のみならず、戦後の歴史上の誤りを正そうとする主題には共感できるのだけれど、サスペンス描写や法廷シーンなどは、やはりぬるく感じてしまいました。
やはり、主要人物の相関が、興ざめなのかもしれません。
カスパーとヨハナの関係がサスペンス醸成に寄与していないような・・・・
カスパーすてき。
主人公カスパーがすてき。ヨハナとのいちゃいちゃがなんだかほほえましい。若い頃も、現在も(不倫やろけど)。
ミステリーとしてはひねりがあまりなく、ミステリーに疲れやすいわたしには向いてる。
ドイツの戦争責任への向き合いかたは、真摯だと改めて思う。もちろん全員残らずではないだろうけど、関心を持ち続ける姿勢がある。
コリーニがしたことを責める気にならない。
また、ハンスのように、まがいものの権力を振りかざして人を殺すことは、誰にでもありうると思った。彼の立場にいて、暴力への欲望を振り払うことは難しいだろうとも思った。人はまことに愚かだから。
飽きさせない!社会派映画の傑作
国選弁護を引き受けた依頼人が殺したのは、自分の父親代わりに慕っていた人物だった。
2001年という時代設定に意味はあるのかと思っていたら、戦争犯罪に関係する話だったんだね。そんな雰囲気を全然出さないまま急にナチの問題が浮上してくる脚本に唸ってしまった(いい意味で!)。全体的に脚本がいいんだよな。真面目で固いテーマなのに全然飽きないし、テンポがいいし、本筋から脱線しない。それなのに主要人物の関係性も丁寧に描いてる。
これは個人的な傑作の部類。
それにしてもこういう映画でさえ感じるのは、ドイツの戦争犯罪に対する真摯な態度。殺された被害者がナチだったってわかったときの法廷の雰囲気、被害者の戦争犯罪が問われるべきか聞かれた教授の最終的な答え、どれも戦争責任に対するドイツの雰囲気を感じとれるシーンだった。日本の映画でここまで真摯に向き合うことができるだろうか。そんなことも考えてしまう映画だった。
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