「老人と若者の交流を描いた映画ではない」ぶあいそうな手紙 しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
老人と若者の交流を描いた映画ではない
本作は主人公が住むアパートメントに、内覧客が訪れているシーンから始まり、主人公が新たな家に住み始めるシーンで終わる。
そうだったのか!
そう、本作は「老人と若者の心温まる交流を描いた映画」ではない。
この映画の主人公はウルグアイ出身の78歳の独居老人エルネスト。
彼はふとしたきっかけで23歳の若い娘ビアと出会う。
エルネストにある日、故郷ウルグアイから手紙が届く。それは夫を失った、かつて実らなかった恋の相手からだった。ところがエルネストは視力を失いつつあり、その手紙を読むことすら出来ない。
手紙の代読、そして代筆をビアが引き受けることから2人の交流が始まる。
確かに、ストーリーはエルネストとビアとのやりとりを主軸に進んでいく。
だが、交流の背景にあるのは、ずっと手紙だ。
姿を見せることもない、そのウルグアイに住む女性が、ストーリーを通じて、通奏低音のようにずっと存在し続けている。
エルネストとビアとの関係の深まりとともに、手紙の相手との関係も深まっていくのだ。
ラスト近く、エルネストの家の前に1台のタクシーが停まっている。スーツケースを抱えて降りてきたビアとエルネスト。
しかし、タクシーに乗り込んだのはエルネストのほう。
やられた!と思った瞬間だ。
なぜエルネストは見ず知らずのビアに頼んでまで、手紙を読みたかったのか。
そう、本作は故国に残してきた若き日の淡い恋の想い出が徐々に明らかになる、50年越しの遠い遠いラヴストーリーなのだ。
なんと、スイートでキュートな映画なのか!
観終わって、この緻密に練られた脚本に唸った。
演出も素晴らしい。
セリフなしで登場人物たちの行動で、彼らの感情や思考を示すシークエンス(主人公が彼女に「罠」を仕掛けるシーンなど)。
目の不自由な主人公の視界を表すピンボケのシークエンス。
家、カギ、お金、写真、本、詩、音楽、食事、そして手紙や新聞など小道具の使い方も無駄がなく、効果的。
映画という表現手段がとてもよく活かされていて、実に映画らしい映画だ。
エルネストも、ビアも孤独だ。
また、隣に住む友人ハビエルも、そして手紙の相手のウルグアイの女性も。
だが、彼らは孤独を必要以上に自己を憐れんだり、嘆いたりはしないのがいい。いや、むしろ生きている中でのユーモアを忘れていない。
そして登場人物たちは、みな優しい。
その優しさに打たれる。
少し噛み合わないところはあるかも知れないが、お互いがお互いのことを心配して、優しさを差し出しあうのがほんとうに素敵だ。
大袈裟なことじゃなくても、人は少しずつ誰かに何かを与えることが出来て、それが少しずつ誰かを救うんだ。
そんな暖かなメッセージが本作には溢れている。
傑作である。
今晩は
素敵なレビューですね。
私がこの映画を観て感じた想いを、細やかな部分まで表現されていて凄いな・・、と思いました。
”姿を見せることもない、そのウルグアイに住む女性が、ストーリーを通じて、通奏低音のようにずっと存在し続けている・・”
特に、この文章は凄いと思いました。
これからも、素敵なレビューを拝読したく。宜しくお願いいたします。
では、又。