行き止まりの世界に生まれてのレビュー・感想・評価
全56件中、41~56件目を表示
俺が撮った、俺達の物語
自身が10代の最初から、自分たちのスケボーを撮り続けてきた監督による、自分たちの映画。まさにドキュメンタリー。こういう映画が可能な時代なんだなあ、と感心。生まれた頃からの自分の動画があるのが当たり前だけでなく、自分が撮った自分たちの動画がある時代なんだ。
ただ、この映画は、その素材を生かした上で、自分たちの "最近" を、丁寧にインタビューというか、ライブ映像を撮り、ロックフォードという小さな貧乏な街と、そこに暮らす自分たちを、見事に描いてくれている。
いろいろある毎日の暮らし、基本的には面白くない暮らしの中で、いかにスケボーが彼らを支えているか、彼らにとってのスケボーの輝きは、めちゃくちゃ伝わってくる。それは、一番に監督の撮り方が上手いことに尽きる。そのスピード感、爽快さ、開放感は、スケボーをやっている者だからこそ撮れる映像じゃないかな。転んで痛そうなシーンですら、彼らの心が伝わってきたかのように「うまくいかなかったか、チクショ!」って気持ちになるよ。
黒人のキアー、白人のザック、東洋系のビン。メインに伝わってくるのは、3人の貧しく、暴力的な家庭環境の悲劇感ではなかった。そんな環境でも自分は抜け出そうともがく3人の姿が描かれ続けるので、とても気持ちのいい映画だと思う。
撮る側も、撮られる側もセラピー
12年をかけて友人たちを通して、自分を見つめるドキュメンタリー映画。
子どもの視点で、大人の事情を考え始めた子どもたちが、自分たちも親になり、大人になり、自立し。
同じ境遇、環境で育ったから素直に本音が吐けたのだと感じた。
DV、虐待、人種、子育てなど、いろんな社会問題を抱えるこの地域だからこそなのか。
苦しい状況を分かち合える仲間がいるから、助けられたり仲間から巣立っていったり。
撮る側にも目的があり、撮られたことで知る真実があって、でも、答えはみんな、自分のなかに持っていたように見えた
微かな希望が見える気がした
映画としては観ているのがつらい作品だ。登場人物の多くが、自分では望まなかった状況に落ち込んでいく。全部が全部本人のせいという訳ではなく、全部が全部環境のせいという訳でもない。何が悪かったのだろうか。
子供に「無限の可能性」などないことは大人なら誰でもわかっている。生まれ育った環境で既に将来は限定的になっているのだ。大都会の裕福で円満な家庭に生まれた子供と、紛争地域の貧乏で子沢山のあばら家に生まれた子供とでは、おのずから将来が異なる。
本作品の主人公たちは、いずれも問題のある貧しい家庭に生まれ育った。その時点で既に将来は限られている。高等教育を受けられないから、自分なりの価値観を形成することができないまま大人になる。そうすると世間の価値観をそのまま受け入れることになる。ちゃんと働き、金を稼いで親孝行する、子供には高等教育を受けさせていい人生を歩ませるといった価値観だ。
しかしそんな価値観は人生にとって本質的ではないことに次第に気づいていく。白人のザックは大人になって漸く気付きはじめるが、気付いたときには既に人生を台無しにしてしまっていた。
中村元さんが訳した「ブッダのことば:スッタニパータ」によると「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執著するもとのものは喜びである。執著するもとのもののない人は実に喜ぶことがない」という悪魔パーピマンの問いに対して、ゴータマは「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著するもとのものである。執著するもとのもののない人は、憂うることがない」と答えている。
避妊技術が発達して避妊具が行き渡っている先進国では、子供を作るかどうかはある程度計画的なテーマである。しかしそうでない地域もある。たとえば小競り合いのような戦闘がずっと続いているアフガニスタンでは、タリバンが支配した1996年には人口が1840万人だったのに現在では3000万人を超えている。治安が悪い地域、貧しい地域ほど子沢山の傾向があるのだ。
本作品の舞台であるロックフォードもアフガニスタンほどではないにしろ、おそらく治安が悪くて貧しい地域なのだろう。主人公たちはそのあたりも自覚していて、この場所には未来がないと思っている。しかしどこに行けば未来があるのだ。他所の街では収入の当てはないし、仕事の当てすらない。とはいってもロックフォードにしがみついているだけでは何の発展もないだろう。
八方塞がりのような彼らだが、思い切って一歩踏み出すことでそれなりに道は開ける。世間の価値観で自分を判断して落ち込むようなことは無駄なことだ。ブッダの悟りにまでは永遠に至ることはないだろうが、暴力を振るった親たちの価値観を超えることはできる。そのあたりに微かな希望が見える気がした。
"滑る"
スケートボードで繋がった絆かと思えば、薄情なほど三人の関係性は希薄に、中盤以降の展開はそれぞれの個人的な問題に。
そんな三人の事柄は許容範囲内というか、誰にでも起き得る問題でもあるようで、個人的には三者三様、多少なりとも近い経験は、、、、あんなに楽しんでスケートが出来る環境には無かったが。
親に問題があったり、それを許せる気持ちが出来たり、自分の人生を前向きに捉えながら、落ち目の人生をギリギリに破滅から逃れるための選択、そこまで酷い過去がある訳でも先の未来に暗雲立ち込めている訳でもない、平凡な人生を退屈にしない為の"Skateboarding"がある生き方だけで良い、と思う。
貧困、暴力、そしてスケボー
監督が少年時代から撮影してきたスケボー仲間を追ったドキュメンタリー。
個人的には「ミッド90s」を観たばかりだから流れで観ようと思ったことは確か。当初は予定に入れていなかったけど、いやーなかなかよかったな。
スケボーに乗って滑走する映像がなかなかカッコいい。監督が一緒に滑りながら撮影してるから疾走感もある。
でも、本作はそんな映像がメインではなかった。貧困、虐待、DV、アメリカ社会にはびこる問題を監督個人の問題と絡めて描いていく。暴力をふるう側、暴力を受けながらも離れない側の言い分が聞けるのだが、どちらも精神病理を感じさせる内容。いや、ここまで一般的なものになっているのだからもう社会病理と言える。やはり貧困が1番の要因なのか。
それでも撮影しているのは監督の友人たち。最後語られる近況はそれなりに希望が持てるもので少し安心した。スケボー題材の映画でいいのが続いた。
良かったぁ☺️
期待せずに鑑賞しましたが、良かったぁ
監督自身の心のリハビリだったのかも
しれません。
厳しい現実が映し出されたいて、重いテーマ
でもあるはずが、家族や友人を思う暖かさを
感じます。
また一人、凄い才能を持った監督が現れたと
思います。
現代アメリカの一部分を切り取った物語
今の米国を切り取ったヒューマンドキュメンタリー、と一言で説明できてしまう作品ではあったけれど、仲間内で長年撮りためている映像がふんだんに使用されていて尚かつカメラの目線が常に深いところに入り込んでいて、かなり見応えがあった。編集や音使いも格好良くて、観賞しやすかった印象。
悲しいまでの因果、きっと監督もそれを強く感じたが故の作品、そういったことが感傷的に画面ににじみ出ていて、何気に感情に響いてくる。
内容はあくまで淡々としていて、主義主張とか社会的意義といったものはあまり感じられないかもしれないので、人によってはかなり平坦な印象を受けるかもしれない。
ここにあるのは、あくまで一つ一つのヒューマンドラマ。そしてそれをどう感じるか─ただそれのみ。
何に囚われているのか
ラストベルトで生まれ育った3人の若者。スケボーでつながり、育まれた友情。
青春はやがて終わり、それぞれが現実と向き合う。
ある者は父親になり、ある者は亡き父親に思いを馳せ、ある者は母と向き合う。
原題のMinding the Gapには、さまざまな意味が込められているそうだ。地面のGapに意識を尖らせ、互いのGapに戸惑い、家族とのGapに目を向けざるをえなくなる。
気安い友人が向けるカメラの前だからこそ、彼らは本音を語る。
ずっと住み続けてきた街、ずっと一緒だった家族が与えてくれるものは、安らぎだけとは限らない。
自分は何に囚われているのか。いつまでも顔を背けてはいられない。
真剣な表情にグッときた
アメリカの閉塞感のある街の3人の若者のドキュメンタリー。
カメラを構えるのは3人のなかの1人、mid90s でも仲間の中の1人がいつでもカメラを構えていたが、同じ様に10年も撮り続けた彼らの心の変化の物語。
先の事を考えないのは、そこに楽しさとか希望がないからで、環境が大きく関わってる様に見える。
それじゃ仲間との楽しさに逃げるよねって思う。でも確実に迫ってくる未来にどう対応するのか?
カメラの前で語り自分と向き合う事で、微かに変化する日常はとても前向きで良い。
同じ日に観たmid90s もそうだったが、仲間との関係が付かず離れずで、素っ気なくも仲間を想う感じが伝わってきた。
スケートボードで堂々と道路を駆け抜けて行く彼らの姿は強く印象に残り、繋がりと解放がそこにあるのは確信できる。
問題ギュゥ詰め
主人公の3人のみならずその親、恋人までもの生い立ちの紹介を絡め、日常を描写していく。
大勢の人生を同時に見ることが出来お得なドキュメンタリー。誰に肩入れして観て行くのかと言えば、私の場合はキアーだった。同時進行で大勢を見るので把握が大変な時もある。
日本で言うマイルドヤンキーにちょっと近い?私は、この映画の彼らがそれほど酷い暮らしをしてるようには思えなかった。ちゃんと友達が作れる社会にいるし…それでも閉塞感があるのならもう自分の問題じゃないよね。どう解決しようがあるのかな。て、それがテーマなのか…
MINDING THE GAP
記録映像(=ドキュメンタリー)の割りには妙にスタイリッシュで個々人の葛藤の描かれ方が浅く、賛否両論、好き嫌いが別れる作品に感じました。
繁栄に見放された“ラストベルト”を舞台に、親子、男女、貧困、人種などの分断を描いたドキュメンタリーという事で、もっとエッジの効いた内容を期待しましたが見事に裏切られ残念です。
もともと「行き止まりの世界に生まれて」という邦題自体が大袈裟すぎて誇大表現ですね。
カット割りの早過ぎるカメラワークも目が疲れるだけで緊張感が削がれ逆効果かと…
★はザックとニーナの赤ちゃんがとても可愛かったので、健やかな成長を願ってひとつおまけしました。
自分的にはゴッサムシティに生まれたジョーカーの方がずっと身につまされ、心打たれましたね。
キアー、ザック、ビン
3人の青春、成長のドキュメンタリー。
mid90sと立て続けに観ました。
何らかの問題を抱えている子たちにとって、集まってボードにのる時間がいかに楽しくて支えになっていることか。
結局は問題の根底は差別や偏見や格差のある環境なのだと思うと、
改めて、特に格差も無く差別や偏見という感覚を持たずに生きれる日本はなんて生きやすい国なんだろう、と。
黒人の方が抱える差別問題は到底わたしたちには理解できることではなく、
黒人ってだけで警察官に銃を向けられたり、仕事も選べる程ではなかったり。
キアーが父親に言われたという「白人の友達がいても自分が黒人だってことを忘れるな」という言葉に
ブラインドスポッティングを思い出しました。
ザックが「落ちるとこまで落ちる」という迷言を残してる中でも、キアーは真面目に働き、車を買い、
休みだ!!ととても嬉しそうにボードにのる姿がとても印象に残っています。
疎遠になりつつも、暴力の疑惑がかかるザックに対し「あいつはそんなやつじゃない。」と言い切るキアーに、
支え合ってきた3人の仲の深さを感じました。
今ではザックもちゃんと責任を果たす努力をしているみたいだし、
キアーは街をでて、スポンサーが二社ついているとか、
ビンはこんなに立派なドキュメンタリー映画を作り…
とてもとても感慨深い作品でした。
《暴力》のある家庭に生まれて。そうした生い立ち、家庭環境がいかに影...
《暴力》のある家庭に生まれて。そうした生い立ち、家庭環境がいかに影響を与え、暗い影を落とすかについて。誰だって泣く。白人←アジア系→黒人。どうにもこうにもならない最悪な人生、どうしようもない葛藤、山積みな問題。そんな時でもいつだってスケートボードと仲間はそばにいた、スケートボードさえできればよかった、それをしているときだけは。継親への恐怖の記憶、親への複雑な気持ち。貧困層と暴力が多い街、ここから出ていけないのか。事実は小説より奇なりと言うけど、本当にすごくうまく切り取り纏められていて、また当人たちの葛藤しながらもしっかりと考えられた末の言葉選びと魂の叫びに激しく揺り動かされた。10年に渡る嘘偽りのない真実の物語、歳月が積み上げる感動、エモーショナルなカタルシス。合間合間のビルボードの使い方が効果的、音楽も良い。破壊と創造、長年にわたる苦しみと微かな希望。最後は全身から鳥肌が立つ思いだった。本当に素晴らしく感動。人種差別や子育て、親になるということ、今のアメリカをよく映し出している傑作ドキュメンタリー。彼らの人生はまだまだ(これから本当の意味で)続いていくけど、カット。
勝手に関連作『ロード・オブ・ドッグタウン』『ブラインドスポッティング』
今年映画館鑑賞48本目たぶん
Bing Liu監督のおそるべき才能
本ドキュメンタリーの主役3人のひとりである、Bing Liu監督の驚愕のデビュー作。
出だしの印象は、「ニイちゃんたちがスケボで騒ぐ&はしゃぐだけのポップなプライベート記録映画かなあ」と思ったが、とんだ間違いだった。
恐るべくクオリティの高さ、構成の素晴らしさ。日本の「プロ」を自認するドキュメンタリー監督の方々にもぜひ観てもらいたい。
この作品にはいくつかの交差するテーマが内在する。
ひとつは日常の閉塞感から解放され、3人を結びつけるスケートボードの存在。
原題の「Minding the Gap」は「段差に気をつける」という意味。
ヒトは10代の息苦しさから逃れるための「drug」を求めるもの。彼らにとってはそれがスケートボードだったということ。
ふたつめは米国が抱える閉塞感と分断の社会のありのままの姿。イリノイ州のロックフォードは、中西部の15万人程度の小都市。主要産業は自動車関連で、ご多分に漏れず衰退する工業都市のひとつで公共サービスも治安も劣悪。その影響はロックフォードに住む多くの市民の生活に大きく影響を及ぼす。NYやSFのような華やかな都市ではなく、等身大の米国の都市とその生活を生々しく描いている。ニュースメディアのようにフォーカスする対象を勤労者層に求めるのではなく、「無産」の若年層の視点で描いているのが斬新かつ新鮮。
三つめは、深刻な家庭内暴力(DV)だ。
ロックフォードは米国の危険な都市ランキングで8位と都市犯罪も多いが、本作では父親からのDV、夫からのDVがを貫したテーマにおいている。親世代の低所得収入や失業が家庭内暴力に何らかのかたちで影響を及ぼしているといえるし、若者が今の生活に将来性を感じられず、かといって今の生活から容易に抜け出せない閉塞感を感じている。そのDVを受けてきた若者世代が自分たちの家庭でDVを繰り返してしまう負の連鎖。
仲間との生活をカメラを通して、内なる自分と「対話」し、ディストピアな世界から目を逸らさず、悲観的になり過ぎることなく、閉塞した世界から抜け出すきっかけのヒント(感じるヒントは人それぞれ)を淡々と描いている。
全56件中、41~56件目を表示