行き止まりの世界に生まれてのレビュー・感想・評価
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【”苦しくても、”隙間”に落ちるな!” 市井の若者達を撮った個人的映像が、現在の米国社会に充満する閉塞感を象徴的に浮かび上がらせた作品。】
ー米国五大湖周辺の「ラスト・ベルト:錆びついた工業地帯」と呼ばれる地域にある、イリノイ州ロックフォードで、ビン・リュー監督が自分と友人達の12年間を追ったドキュメンタリー映画ー
・イリノイ州ロックフォード、且つて重工業が盛んだった街は衰退し、活気を失っている。犯罪発生率は年々高くなり、25%は家庭内暴力である・・、と劇中明かされる。
■今作で描かれる、貧しく家庭不和の環境で育った、キアー、ザックそしてビンの若者3人が直面する、親子、男女、人種と言うあらゆる分断、齟齬に直面し、苦しみ、悩み、足掻き、涙を流す姿は、観ていて辛い部分も多い。
が、彼らが10代初めから、スケートボードを楽しそうに乗りこなす姿や、この3人がそれから10年近くも、ビンの撮影に付き合って来たという深い繋がりに、微かな希望を願いつつ、鑑賞を続ける・・。
・キアーは黒人。ザックは貧困層の白人。ビンはアジア系(お母さんはミャオ族だろうか・・)である。夫々、親と問題を抱えている・・。(多くは、暴力である・・。)
そして、高校もキチンと卒業していないようだ・・。
・彼らにとって、スケートボードはそんな現実から逃れられる居場所だった・・。
■そんな彼らが、大人になって行く姿をビンのハンディカメラが、克明に映し出している。
・若くして父親になったザックが、妻ニナと度々言い合う姿。エリオット君は、未だおむつが取れない。
懸命に働こうとするザックだが、仕事はそんなにない・・。
そして、ニナも仕事に出る・・。
- 父親になったザックが抱く希望と、厳しい現実に直面し、葛藤し、鬱屈する姿が観ていてかなりつらい・・。-
・キアーも皿洗いをして、日銭を稼ぐ。そして、その合間にスケートボードの練習をする。
ー 二人にカメラを向けていたビンも、母にインタビューすることを決意し、過去に有った義理の父親にされた事を話すシーン・・。
そして、キアーに”何故、カメラを回すことにしたのか・・”をカメラ越しに話すシーン。
哀しき思いが心を過る・・。 -
■今作の救いは、エンドロールでも語られている通り、彼ら3人が足掻きながらも、新しい人生を見つけ、踏み出した事が分かる事だ。
”彼らは、”隙間”に落ちそうになっていたが、踏ん張ったのだ!”
- グッと来てしまったよ・・。 -
<市井の若者達を撮った個人的映像が、現在の米国社会に充満する閉塞感を象徴的に浮かび上がらせた作品。
重くて、深い”命題”を観る側に突き付けてくる、哀しくも、素晴らしきドキュメンタリー作品でもある。>
<2020年11月29日 刈谷日劇にて鑑賞>
仲間内ビデオを深掘りしたら劇場版ドキュメンタリーになってただす。的な。
体当たりする体格のいい女性警官
このエンドロール時の一瞬の映像が心に残る。立体駐車場を華麗に滑り下りていく、危険ではあるが楽しそうな彼ら。通りにも車が少なそうだったし、やはり寂れた町という印象が強かった。あと、自分のスケボーを踏んづけて壊すシーンとか・・・
貧困やDVなどアメリカの問題点をも鋭く描いたドキュメンタリーでもあり、キアー、ザック、ビンの3人の青春ストーリーでもある。閉塞感をも感じさせるラストベルトの町イリノイ州ロックフォードに生きながら、スケボーで憂さ晴らしをする中で生き生きとした姿を見せられました。みんな明るい表情なので、仕事についての説明がなかったら平和な町なんだろうな~とも感じた。
気になるのはせっかく子供が産まれたというのに小さな諍いが積み重なって離婚することになったザック。夫婦喧嘩の様子なんて、親友だからといっても、よく撮らせてくれたもんだ。これがビン・リューの大監督への足掛かりとなることを願って・・・
希望から隔離されてはいない姿があった
凄い❗
彼らの幸福を祈ります
大切な現実逃避
貧困や家庭内暴力に苦しんだ幼少期を過ごした3人の12年間を記録したドキュメンタリー作品。
キアー、ザック、ビンの3人が主人公。彼らはスケボーで繋がっており、すべっている時だけ悩みを忘れられる。
義父の暴力に苦しんでいた自分を、同じく親子関係に悩んでいた親友キアーに重ねていたビン。
しかし皮肉にも、もう一人の親友ザックが重なってしまった人物は・・・。
その他、良くないと知りつつ、どうにも夫と離れることのできないニナとビンの母親。。
人間の弱さと逞しさ、貧困のスパイラルが生む諸問題の実態がよく描かれていた作品だった。
因みに私、映画は沢山観るけど、ドキュメンタリー作品を観るのはこれが人生2度目。
通常のドラマ作品にしても良さそうな内容だったけど、ドキュメンタリー手法が新鮮な自分には、また違った側面から見つめることができ、なかなか面白かった。
また、重い内容と、夕日に染まるスケボーシーンのコントラストが美しい。
mid90sでもそうでしたが、鬱屈とした生活の中、スケボーをしているときだけ笑顔を見せる若者達。
スケボーは、彼らのような若者が強く生きていくために必要なツールとなっているんですね。
生き辛さ
本当は、描きたかったこと。
アメリカでも3番目に貧しい地域“イリノイ州ロックフォード” の若者が、スケボー仲間を自ら撮影した12年間のドキュメンタリー映画です。
mid 90s’と同様に、スケートボードに熱中する若者たちが主人公になりますが、この映画の伝えようとしている内容は、若いうちから生きづらさを感じながらスケートボードに逃避していて、その生きづらさの要因は育てられた環境に帰結しているところです。
ロックフォードは産業衰退で職種が少ない地域だそうです
「最低賃金15ドルで働いている、可哀想な子たちなんだ」というナレーションが入ります。しかし日本はもっと「低いし」と思ったりしました。
この子たちが、うまく生きることができない理由は経済的な問題ではなく、家庭の問題なんだということに気づいていきます。
「虐待」です。
幼い頃から父親に殴られるので、スケートボードに逃避します。
そうすると原題のMinding The Gap(段差に気を付けろ)の意味も理解できます。スケートボードでは常に地面を見ながら段差につまづかないように集中するので、嫌なことを忘れることができます。
人種の違う3人がロックフォードで出会い、その共通のつまづきが、各々の家庭内「男(父)」。最近の映画では、WAVES、はちどりなども同様のテーマで描かれていました。
スケボーがなければ
主人公女子の叔母夫婦のように子どもをハグしキスし可愛がる家庭に育てば、主人公たちは自己肯定感高く育っていたはずだ。
残念ながらそういう家庭に恵まれなかった主人公たちにとって、共感し合える仲間に出会う場がスケボーであり、それは親から理解されないからこそ心理的安全性を確保できるのだ。
スケボーがなければギャング的人生に転落してもおかしくない環境だと思う。
それにしても、中学卒で不安定な稼ぎでも、一軒家を借りられて、自動車も持てるなんて、米国はまだまだ物質的には豊かなのだと思った。世界中から搾取してるからね。彼らが経済的底辺なのであれば、格差の頂点にいる連中はどれほどのものなのか。
映画作品としてはすごいという感想はなかったなー。
スケボーが特に好きではないが、とりあえず共通点である2人の個々青年と、監督自身の比較観察映画
画面外では家族全員が思い切り働いているのだろうか?
生産性のない生活だが、アメリカ郊外でも標準以上の良い家に住めているのが不思議だ。
朽ちて、人口が減りゆく町では、サブプライムローン時に建てられ、償却が終わった家の家賃は超格安なのだろう。
そして白黒2名の家庭は貧困ではないが、家庭は確実に崩壊している。
朽ちて”希望のない社会”で、男は不満を家庭内暴力に、女は次々と男に走る。
監督の家庭は白黒2名の被写体よりかは少しだけ生活に余裕はある位置。
しかしそれはこの映画の論点ではない。
映画に登場する3人は白黒黄色、素晴らしくバランスのとれたキャスティングだが
この映画は3人の仲間達でもなければ、数人のグループを映しだしたものでもない。
あくまで、監督が「社会を映し出した」映画を作りたくて、監督自身が選んだ別々な個人を撮影時のみ数回集めて作った即席チームだ。
映画鑑賞者のほとんど全員が「3人グループのドキュメント」映画だと錯覚を起こし、そう思うだろう。
これは非凡なる監督の編集・構想テクニックの素晴らしさだ!
彼らは同時に映画に映るが、3人の微妙な距離感が友人どうしではなく、集合時以外は別々に過ごす他人である事がわかる。
だから監督はインタビューはするが、話し合いもしなければ、相談もなく、アドバイスもない傍観者だ。
映画製作最初は数人を同時に撮影していたであろうが、数回の撮影の中でその中から2名に絞っていくのと同時に
白黒2名と監督自身との共通点に気が付き、
映画の中に自分自身をも味付け役として映画に加えていく事により、この映画のドキュメンタリズムが磨かれた。
そして、映画は無造作に撮りだめた大量のフィルムをつなげているのではなく、映画として必要なリアルだけを撮影して繋げたものである。
白黒2名の現状を映してはいるが、貧困?・家庭内暴力・母親の育児放棄・黒人問題といった事は語られてはいるがこの映画の主要テーマには成っておらず
取材を通して、彼らの現状を報告し、個々の変化や喜怒哀楽は判るが、12年間継続した葛藤にはなっていないのは
1つの困難に対して、月日を超えて、同じ質問を繰り返さなかった為だ。
次から次へとでてくる難問に焦点を追われていては、本当の問題から置いて行かれるのは必然。
彼らをとおして、社会のどの問題に焦点を当てれば良いか、最後まで、定まらない観察動画に終わる。
しかし12年間という長期間リアルに追い続けられた事は評価できる。
カメラも最初から非常に高額で良いものを使用し、ジンバルスタビライザーも使用していると思われる。
撮影・録音はしっかりとして、劇場映画として、安心して鑑賞できる。
全体を通した切り口をスケボーにして、映画のマトマリをつけようとしている中で、
前半は家庭内暴力、後半になって、黒人問題の話は出るが
1本の心棒に成るようなものがなく、監督は自分自身の母へのインタビューを入れるが、内容は予想される範囲を出ていない。
それは自分自身へのインタビューと問いかけが無いからであり、せっかくのエッセンスを無駄にしたようだ。
監督の今後はこの辺の自覚が必要だ。
主要3人のみならず、彼らを取り囲むそれぞれの家族全員も世代を超えて、同じように崩壊しており、それぞれが好き勝手に生きている。
監督以外の全員がバージョン違いの同一人物の様だ。
全員が「誰かの為に」という発想はなく、自分だけだ。 核家族というより各のみ
部屋はリアルに汚なく、好きな? スケボー板にイライラをぶつけては、何度も板を潰して壊すし。。。
麻薬が蔓延している国なのに、薬に関わらないのは偉い。
スケートボードを軸にしたかったのだろうが、
スケボーをする事で、彼らが活かされた訳ではなく、スケボーはあくまで現実を忘れる為のツールでしかなく、
時代が違えば、違ったツールになっていたに違いない。 僕の時代はそれがバイクだった。
スケボーは本気でないので、みな12年間経っても上達はしない。
映画の最後に黒人君が移住先で、スポンサーが2つ? ついたと言う報告はあるが、プロでもないので
お世辞的に誇張した程度だろう。
感想としては、ここまで壊れた貧困社会・家族はもう修正不可能であり、全員がそれぞれ最初からやり直す事が1番早い。
それでも監督以外の2名は親と同じ運命を辿り、彼らの子供も同じ貉になり、不満のハケ口はきっと”スマホ”になるのだろう。
但し、監督は「きちんとした子供への教育は 自分自信がきちんとしていなくてもできる」といった幾つかの街の”宗教標語”を撮影し、映画にカットインしていることから
彼なら、今の社会環境から抜け出せると僕は信じる。
「6才のボクが、大人になるまで。」とまったく同じ手法でできた映画だが、6歳~18歳の12年間を同じようなつくりをした映画なので、比べてみるのも良いと思う。
日本を含め、アジア・中華圏では12年間は1周りとして、とても重要な年数だが、他国でもそうなのであろう。
友を見つめる優しい眼差し
全米で最もみじめな町と言われるイリノイ州ロックフォードで、スケボーをする少年キアーとザックが大人になっていく様子を2人の友達のビンが撮影。
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まさにこれは現実版『mid90s』、なんならこっちのがもっと面白い。現実はフィクションよりも奇なり。『mid90s』で見えなかった側面がこの映画でわかってくる。
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キアーは黒人で父親にたまに暴力を振るわれてたけど最後喧嘩別れしてそのままお父さんが亡くなってしまって、それでもお父さんのことが好きで複雑な心を抱えた優しい真面目な少年。
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その反面、ザックは白人でいつもラリって酔っ払って、若くして彼女との間に子供ができるんだけど彼女にDVをしちゃうかなり問題児。
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『mid90s』だったらファックシットがザックで(ファックシットは全く虐待とかいう描写はない)、レイがキアー、フォースグレードがビンみたいなとこかな。でもビン本人も、母親の再婚相手からかなりの虐待を受けていた過去があって、暴力を振るうザックと暴力を受けた側のキアーを複雑な気持ちで見つめてる。
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でも画面越しにザック含め出てくる人全てに大して憎んでいるような眼差しは全くなくて、ただそれぞれの痛みに寄り添った優しい映像だった。友達を思うビンの気持ちが痛いほど伝わってくる良い映画。
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芝居じゃないセリフが強かった。
冒頭、スケボーの臨場感を疑似体験できるだけでも感謝。やっぱりこう言うスポーツ(あ、彼らはスケボーに所謂スポーツという意識はないね。生活の一部、疑似家族とシェアする大切な営みなのだから)は会場に設えられた装置ではなく、ストリートで、こそが醍醐味だ。当たり前か。
早々に、「世の中はスケボーの幸福感を知る人と一生知らずにいる人に二分されるのだな」と素朴に思う。結果的には全編、分断された世界(の行き止まりの方)を描くことがテーマだったな、と納得。家族の愛を受け止めて育った人と暴力の中で育った人、順調な学歴・職歴を重ねる人と底辺から抜け出せない人、もちろん白人と黒人、家に居続ける人と出て行く人、、、、、、。
高校中退組の彼らの言葉は重い。ドキュメンタリーにはかなわない。脚本家が書いたセリフを役作りに徹した役者の口から出るセリフよりもはるかに刺さるのだ。自分の生い立ち、自分の自堕落さに対して彼らはとても自覚的であり、自分を客観視できる人間だ。あんなにすごいスケボーの技をマスターする子達なのだし、絶対に机上の秀才と同じかそれ以上の身体能力(もちろん頭脳を含む)の持ち主なのだ。
主人公の一人である監督の今後の作品が楽しみだ。
荒んだ街での負のスパイラル
良いドキュメンタリーでした
スケートボード
90年代半ばだけに限らず今もなお
mid90sのドキュメンタリー版?と想定し鑑賞。
すみません。
「スケボーがあって仲間ができる」
点だけでした。共通点。
長い期間の撮影のドキュメンタリーなので、時間の流れで
登場人物たちの変遷が非常に興味深い。
こんなに人生のスタートから苦労を課せられる方々多いの?アメリカ?
って不安になる。
不幸の多様化みたいな感じ。
そりゃぁ「行き止まり感じちゃうよな」って。
流れちゃうよな、そっちに。って。
けど、人間はしなやかで強い。
でもひとりっきりじゃ強くなれないんだろな・・・と、
その点が良く描かれています。
mid90sが人生の瞬間の切り取りだと僕は思ってます。
その切り取った人生のそのさきを描きているのが本作かなぁ?と
希望も落胆も悲しさも嬉しさも無力感も無敵感も、何もかもが
等身大の人間を描いていると思いました。
編集、とても良くできていると思います。
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