行き止まりの世界に生まれてのレビュー・感想・評価
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仲間内ビデオを深掘りしたら劇場版ドキュメンタリーになってただす。的な。
最終的に相当深い話しになってしまい。無軌道に生きる享楽的な若者の姿かと思いきや。親子愛、DV、人種差別、現代アメリカを生きる黒人の哲学、などなどに、まさに土足でズンズン踏み込んで行きます。
カメラが入って行く事て、被写体自身が自己演出する事を排除する事は不可能。だから、ドキュメンタリーは難しい。仲間内だからこその、フルオープンで赤裸々で自然な振る舞いと発言。
これは貴重だす。編集に、どれだけの時間を費やしたかは不明ですが、本当に彼らの生活の中に入って行った気分になりました。
地に足を付けて。
生きる若者達の姿にエール、です。
良かった。とっても。
体当たりする体格のいい女性警官
このエンドロール時の一瞬の映像が心に残る。立体駐車場を華麗に滑り下りていく、危険ではあるが楽しそうな彼ら。通りにも車が少なそうだったし、やはり寂れた町という印象が強かった。あと、自分のスケボーを踏んづけて壊すシーンとか・・・
貧困やDVなどアメリカの問題点をも鋭く描いたドキュメンタリーでもあり、キアー、ザック、ビンの3人の青春ストーリーでもある。閉塞感をも感じさせるラストベルトの町イリノイ州ロックフォードに生きながら、スケボーで憂さ晴らしをする中で生き生きとした姿を見せられました。みんな明るい表情なので、仕事についての説明がなかったら平和な町なんだろうな~とも感じた。
気になるのはせっかく子供が産まれたというのに小さな諍いが積み重なって離婚することになったザック。夫婦喧嘩の様子なんて、親友だからといっても、よく撮らせてくれたもんだ。これがビン・リューの大監督への足掛かりとなることを願って・・・
希望から隔離されてはいない姿があった
時折、彼等の心中に去来する思いが、私事の様に胸に響いた。ディレクターが半生を真摯に捉え、紡ぎ出す世界。それは彼等の未来への道標となる。別世界の物語では無い、華やかな謳い文句が溢れ浮ついた世相の片隅では、置き去りにされた土地で自らの生きる道が灰色に霞んで見える様な境遇が、ここ日本にも存在するからだ。彼等がスケートボードを乗り回す時、街は開放区の様に光を射し、だからこそ彼等のライディングには「真の自由」を感じ、魅了される。過去の拭いきれない深い悲しみと喪失感、それでも、現在と向き合い続けた日々があり、分断された世界から、飛び出せる勇気は自らが生み出した。彼等の幸せを願いたい。
凄い❗
スケボーの青春ものみたいな気持ちで見たから なにこれ!?‥‥ドキュメンタリー?
役者めちゃくちゃ上手いとか思ってたら‥‥
そりゃリアル❗ でも 彼のカメラの前では皆正直にそして的確に自分を話す❗
あー今見終わって整理がつかないm(._.)m
落ち着いたら またはもう一回みて 書きます
2回目 こんどは落ち着いてゆっくり観れました。スケボーシーンを堪能 スゲーうまい スケボーやらないけど‥‥f(^^;
やっぱり みんなに見てほしいから余り書きません でもリアルな人生に一歩踏み出そうという力を与えてくれる映画
これは合わなかった
スケボー絡みでmid90sと似たような感じもするが、あっちは期間が短くてこっちは長い。
ドキュメンタリーだろうからアメリカの現実と言えばそうだが、作品としてはだるくて自分には合わなかった。
彼らの幸福を祈ります
3人とも厳しい状況に置かれていて家庭は崩壊。全然先に希望が見えない彼らをアジア系の若者がハンディカムで撮りためた映像を元に彼自身が監督になって長編記録映画にしたというのに驚きました。
アメリカ流の新自由主義的な考え方や「自己責任論」の矛盾を考えさせられる映画でした。映画に登場した彼らの幸福を祈るばかりです。
大切な現実逃避
貧困や家庭内暴力に苦しんだ幼少期を過ごした3人の12年間を記録したドキュメンタリー作品。
キアー、ザック、ビンの3人が主人公。彼らはスケボーで繋がっており、すべっている時だけ悩みを忘れられる。
義父の暴力に苦しんでいた自分を、同じく親子関係に悩んでいた親友キアーに重ねていたビン。
しかし皮肉にも、もう一人の親友ザックが重なってしまった人物は・・・。
その他、良くないと知りつつ、どうにも夫と離れることのできないニナとビンの母親。。
人間の弱さと逞しさ、貧困のスパイラルが生む諸問題の実態がよく描かれていた作品だった。
因みに私、映画は沢山観るけど、ドキュメンタリー作品を観るのはこれが人生2度目。
通常のドラマ作品にしても良さそうな内容だったけど、ドキュメンタリー手法が新鮮な自分には、また違った側面から見つめることができ、なかなか面白かった。
また、重い内容と、夕日に染まるスケボーシーンのコントラストが美しい。
mid90sでもそうでしたが、鬱屈とした生活の中、スケボーをしているときだけ笑顔を見せる若者達。
スケボーは、彼らのような若者が強く生きていくために必要なツールとなっているんですね。
生き辛さ
ちょうど最近公開された「mid90s」の背景を探ってゆくようなドキュメント。
スケボー仲間たちの生き辛さの過去にある「男らしさ」を求める規範や、それを強要しようとするマチズモ、その被害者である子供たち本人自身だけでなく、母や妻である女性たちとも、仲間同士であっても人種が違うためにもたらされる分断を、丁寧に炙り出してゆく。
日本とは違う、アメリカの生き辛さのリアルを見た。
あ、どうしてあんなにスケボーが大事なのか理解できていなかったけど、この映画の映像を見て分かった気がする。
あれは、本当に自由な、ただただ自由な、板なんだな…
本当は、描きたかったこと。
アメリカでも3番目に貧しい地域“イリノイ州ロックフォード” の若者が、スケボー仲間を自ら撮影した12年間のドキュメンタリー映画です。
mid 90s’と同様に、スケートボードに熱中する若者たちが主人公になりますが、この映画の伝えようとしている内容は、若いうちから生きづらさを感じながらスケートボードに逃避していて、その生きづらさの要因は育てられた環境に帰結しているところです。
ロックフォードは産業衰退で職種が少ない地域だそうです
「最低賃金15ドルで働いている、可哀想な子たちなんだ」というナレーションが入ります。しかし日本はもっと「低いし」と思ったりしました。
この子たちが、うまく生きることができない理由は経済的な問題ではなく、家庭の問題なんだということに気づいていきます。
「虐待」です。
幼い頃から父親に殴られるので、スケートボードに逃避します。
そうすると原題のMinding The Gap(段差に気を付けろ)の意味も理解できます。スケートボードでは常に地面を見ながら段差につまづかないように集中するので、嫌なことを忘れることができます。
人種の違う3人がロックフォードで出会い、その共通のつまづきが、各々の家庭内「男(父)」。最近の映画では、WAVES、はちどりなども同様のテーマで描かれていました。
スケボーがなければ
主人公女子の叔母夫婦のように子どもをハグしキスし可愛がる家庭に育てば、主人公たちは自己肯定感高く育っていたはずだ。
残念ながらそういう家庭に恵まれなかった主人公たちにとって、共感し合える仲間に出会う場がスケボーであり、それは親から理解されないからこそ心理的安全性を確保できるのだ。
スケボーがなければギャング的人生に転落してもおかしくない環境だと思う。
それにしても、中学卒で不安定な稼ぎでも、一軒家を借りられて、自動車も持てるなんて、米国はまだまだ物質的には豊かなのだと思った。世界中から搾取してるからね。彼らが経済的底辺なのであれば、格差の頂点にいる連中はどれほどのものなのか。
映画作品としてはすごいという感想はなかったなー。
スケボーが特に好きではないが、とりあえず共通点である2人の個々青年と、監督自身の比較観察映画
画面外では家族全員が思い切り働いているのだろうか?
生産性のない生活だが、アメリカ郊外でも標準以上の良い家に住めているのが不思議だ。
朽ちて、人口が減りゆく町では、サブプライムローン時に建てられ、償却が終わった家の家賃は超格安なのだろう。
そして白黒2名の家庭は貧困ではないが、家庭は確実に崩壊している。
朽ちて”希望のない社会”で、男は不満を家庭内暴力に、女は次々と男に走る。
監督の家庭は白黒2名の被写体よりかは少しだけ生活に余裕はある位置。
しかしそれはこの映画の論点ではない。
映画に登場する3人は白黒黄色、素晴らしくバランスのとれたキャスティングだが
この映画は3人の仲間達でもなければ、数人のグループを映しだしたものでもない。
あくまで、監督が「社会を映し出した」映画を作りたくて、監督自身が選んだ別々な個人を撮影時のみ数回集めて作った即席チームだ。
映画鑑賞者のほとんど全員が「3人グループのドキュメント」映画だと錯覚を起こし、そう思うだろう。
これは非凡なる監督の編集・構想テクニックの素晴らしさだ!
彼らは同時に映画に映るが、3人の微妙な距離感が友人どうしではなく、集合時以外は別々に過ごす他人である事がわかる。
だから監督はインタビューはするが、話し合いもしなければ、相談もなく、アドバイスもない傍観者だ。
映画製作最初は数人を同時に撮影していたであろうが、数回の撮影の中でその中から2名に絞っていくのと同時に
白黒2名と監督自身との共通点に気が付き、
映画の中に自分自身をも味付け役として映画に加えていく事により、この映画のドキュメンタリズムが磨かれた。
そして、映画は無造作に撮りだめた大量のフィルムをつなげているのではなく、映画として必要なリアルだけを撮影して繋げたものである。
白黒2名の現状を映してはいるが、貧困?・家庭内暴力・母親の育児放棄・黒人問題といった事は語られてはいるがこの映画の主要テーマには成っておらず
取材を通して、彼らの現状を報告し、個々の変化や喜怒哀楽は判るが、12年間継続した葛藤にはなっていないのは
1つの困難に対して、月日を超えて、同じ質問を繰り返さなかった為だ。
次から次へとでてくる難問に焦点を追われていては、本当の問題から置いて行かれるのは必然。
彼らをとおして、社会のどの問題に焦点を当てれば良いか、最後まで、定まらない観察動画に終わる。
しかし12年間という長期間リアルに追い続けられた事は評価できる。
カメラも最初から非常に高額で良いものを使用し、ジンバルスタビライザーも使用していると思われる。
撮影・録音はしっかりとして、劇場映画として、安心して鑑賞できる。
全体を通した切り口をスケボーにして、映画のマトマリをつけようとしている中で、
前半は家庭内暴力、後半になって、黒人問題の話は出るが
1本の心棒に成るようなものがなく、監督は自分自身の母へのインタビューを入れるが、内容は予想される範囲を出ていない。
それは自分自身へのインタビューと問いかけが無いからであり、せっかくのエッセンスを無駄にしたようだ。
監督の今後はこの辺の自覚が必要だ。
主要3人のみならず、彼らを取り囲むそれぞれの家族全員も世代を超えて、同じように崩壊しており、それぞれが好き勝手に生きている。
監督以外の全員がバージョン違いの同一人物の様だ。
全員が「誰かの為に」という発想はなく、自分だけだ。 核家族というより各のみ
部屋はリアルに汚なく、好きな? スケボー板にイライラをぶつけては、何度も板を潰して壊すし。。。
麻薬が蔓延している国なのに、薬に関わらないのは偉い。
スケートボードを軸にしたかったのだろうが、
スケボーをする事で、彼らが活かされた訳ではなく、スケボーはあくまで現実を忘れる為のツールでしかなく、
時代が違えば、違ったツールになっていたに違いない。 僕の時代はそれがバイクだった。
スケボーは本気でないので、みな12年間経っても上達はしない。
映画の最後に黒人君が移住先で、スポンサーが2つ? ついたと言う報告はあるが、プロでもないので
お世辞的に誇張した程度だろう。
感想としては、ここまで壊れた貧困社会・家族はもう修正不可能であり、全員がそれぞれ最初からやり直す事が1番早い。
それでも監督以外の2名は親と同じ運命を辿り、彼らの子供も同じ貉になり、不満のハケ口はきっと”スマホ”になるのだろう。
但し、監督は「きちんとした子供への教育は 自分自信がきちんとしていなくてもできる」といった幾つかの街の”宗教標語”を撮影し、映画にカットインしていることから
彼なら、今の社会環境から抜け出せると僕は信じる。
「6才のボクが、大人になるまで。」とまったく同じ手法でできた映画だが、6歳~18歳の12年間を同じようなつくりをした映画なので、比べてみるのも良いと思う。
日本を含め、アジア・中華圏では12年間は1周りとして、とても重要な年数だが、他国でもそうなのであろう。
友を見つめる優しい眼差し
全米で最もみじめな町と言われるイリノイ州ロックフォードで、スケボーをする少年キアーとザックが大人になっていく様子を2人の友達のビンが撮影。
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まさにこれは現実版『mid90s』、なんならこっちのがもっと面白い。現実はフィクションよりも奇なり。『mid90s』で見えなかった側面がこの映画でわかってくる。
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キアーは黒人で父親にたまに暴力を振るわれてたけど最後喧嘩別れしてそのままお父さんが亡くなってしまって、それでもお父さんのことが好きで複雑な心を抱えた優しい真面目な少年。
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その反面、ザックは白人でいつもラリって酔っ払って、若くして彼女との間に子供ができるんだけど彼女にDVをしちゃうかなり問題児。
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『mid90s』だったらファックシットがザックで(ファックシットは全く虐待とかいう描写はない)、レイがキアー、フォースグレードがビンみたいなとこかな。でもビン本人も、母親の再婚相手からかなりの虐待を受けていた過去があって、暴力を振るうザックと暴力を受けた側のキアーを複雑な気持ちで見つめてる。
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でも画面越しにザック含め出てくる人全てに大して憎んでいるような眼差しは全くなくて、ただそれぞれの痛みに寄り添った優しい映像だった。友達を思うビンの気持ちが痛いほど伝わってくる良い映画。
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芝居じゃないセリフが強かった。
冒頭、スケボーの臨場感を疑似体験できるだけでも感謝。やっぱりこう言うスポーツ(あ、彼らはスケボーに所謂スポーツという意識はないね。生活の一部、疑似家族とシェアする大切な営みなのだから)は会場に設えられた装置ではなく、ストリートで、こそが醍醐味だ。当たり前か。
早々に、「世の中はスケボーの幸福感を知る人と一生知らずにいる人に二分されるのだな」と素朴に思う。結果的には全編、分断された世界(の行き止まりの方)を描くことがテーマだったな、と納得。家族の愛を受け止めて育った人と暴力の中で育った人、順調な学歴・職歴を重ねる人と底辺から抜け出せない人、もちろん白人と黒人、家に居続ける人と出て行く人、、、、、、。
高校中退組の彼らの言葉は重い。ドキュメンタリーにはかなわない。脚本家が書いたセリフを役作りに徹した役者の口から出るセリフよりもはるかに刺さるのだ。自分の生い立ち、自分の自堕落さに対して彼らはとても自覚的であり、自分を客観視できる人間だ。あんなにすごいスケボーの技をマスターする子達なのだし、絶対に机上の秀才と同じかそれ以上の身体能力(もちろん頭脳を含む)の持ち主なのだ。
主人公の一人である監督の今後の作品が楽しみだ。
荒んだ街での負のスパイラル
ラストベルトと言われるロックフォードの街に生まれた育った三人の少年を12年も追った良質なドキュメンタリー。三人が人種が違うのもまたいい。しかし貧困にDVはつきものなのか?この閉塞感はまさに行き止まりの世界。普通なら悲壮感漂う物語になるがスケートボードがいい緩衝材になっている。
監督はこの三人の一人のアジア人だが映像も編集も素晴らしい。絶望感なくエンディングにもっていっるのも匠の技だ。
オバマ前大統領が絶賛したようだが、オバマに失望したラストベルトの人々が一か八かでトランプ支持に流れてしまったのが事実なのに。
良いドキュメンタリーでした
今後も映画監督であり続けて欲しい。そんな若者の素晴らしい1本。エンターテイメントもいけそうだから、幅広く頑張って欲しいな、なんて思いました。
苦しい環境って良いことでは無い、とは思うのだけれども、感覚や距離感を研くには適していたりもして、人間社会(生活)って中々に悩ましいなと感じざるを得ませんでした。
全ての抱えてる人達の何かになれる、かもしれない1本として胸を張ってオススメできる作品です。
スケートボード
スケボーの映像がすごく良い。不思議なグルーヴを感じる。初めてスケボーの魅力を感じた。
自分、他者を通して知る自分に向き合った、ドキュメンタリーだ。
こんな作品、初めて観た。
監督の友人、家族である登場人物達も、この映画に参加する事で何か人生のコアに触れたような気がする。
もう一度映画館で観た。2020年11月22日
繊細な表情をカメラが捉えているのが、よくわかる。私たちは知ろうとすれば、表情や佇まいからこんなに人の感情がわかるのか、不思議な気がした。カメラを通してだから?
たぶん今年一番の感動作だ。
90年代半ばだけに限らず今もなお
mid90sのドキュメンタリー版?と想定し鑑賞。
すみません。
「スケボーがあって仲間ができる」
点だけでした。共通点。
長い期間の撮影のドキュメンタリーなので、時間の流れで
登場人物たちの変遷が非常に興味深い。
こんなに人生のスタートから苦労を課せられる方々多いの?アメリカ?
って不安になる。
不幸の多様化みたいな感じ。
そりゃぁ「行き止まり感じちゃうよな」って。
流れちゃうよな、そっちに。って。
けど、人間はしなやかで強い。
でもひとりっきりじゃ強くなれないんだろな・・・と、
その点が良く描かれています。
mid90sが人生の瞬間の切り取りだと僕は思ってます。
その切り取った人生のそのさきを描きているのが本作かなぁ?と
希望も落胆も悲しさも嬉しさも無力感も無敵感も、何もかもが
等身大の人間を描いていると思いました。
編集、とても良くできていると思います。
家庭環境が先か、社会構造が先か
私は日本で、地方の所謂中間層と呼称される家庭に生まれ育った。
そんな純日本人の自分にすら、この映画の光景は余りに近しく、様々な思いをもたらした。
人は、出自の環境を選べない。
そして、その環境で育った社会が世界の全てだと疑わず、抗いもしない。
そんな幼少〜思春期を経て
地方では大半の人間が、自分の人生に対する問いを持つこともない、既定路線の人生行程。
学生時代が人生のピークだなんて、良くある話だ。
やがて成人となり、子孫を残し、そのまた子孫に繋ぐバトンリレーを繰り返し、行き止まりの世界はそこに在り続ける。
その世界が傾いた時に、そこの住民も堕ちていくのか?
或いは、その世界が全てではないと知っても、遅過ぎた気付きや無力を言い訳に抗うこともせず、言いようのない絶望を迎えて自ら堕ちていくのだろうか?
そして、それを無力な者への攻撃で、なんとか尊厳を維持しながら、そういう集団が歪んだ世界を作っていくのだろうか?
どちらにせよ、被害者はいつも弱者で、その連鎖が止まない皮肉。
どこかで読んだ一文がふと蘇った。
「人は、なりたくないと思った者に、いつかなるのよ。」
とても深くて、それが真実。
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