劇場公開日 2020年9月4日

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「スケボーが特に好きではないが、とりあえず共通点である2人の個々青年と、監督自身の比較観察映画」行き止まりの世界に生まれて YAS!さんの映画レビュー(感想・評価)

2.5スケボーが特に好きではないが、とりあえず共通点である2人の個々青年と、監督自身の比較観察映画

2020年9月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

画面外では家族全員が思い切り働いているのだろうか?
生産性のない生活だが、アメリカ郊外でも標準以上の良い家に住めているのが不思議だ。
朽ちて、人口が減りゆく町では、サブプライムローン時に建てられ、償却が終わった家の家賃は超格安なのだろう。
そして白黒2名の家庭は貧困ではないが、家庭は確実に崩壊している。
朽ちて”希望のない社会”で、男は不満を家庭内暴力に、女は次々と男に走る。
監督の家庭は白黒2名の被写体よりかは少しだけ生活に余裕はある位置。
しかしそれはこの映画の論点ではない。

映画に登場する3人は白黒黄色、素晴らしくバランスのとれたキャスティングだが
この映画は3人の仲間達でもなければ、数人のグループを映しだしたものでもない。
あくまで、監督が「社会を映し出した」映画を作りたくて、監督自身が選んだ別々な個人を撮影時のみ数回集めて作った即席チームだ。
映画鑑賞者のほとんど全員が「3人グループのドキュメント」映画だと錯覚を起こし、そう思うだろう。
これは非凡なる監督の編集・構想テクニックの素晴らしさだ!
彼らは同時に映画に映るが、3人の微妙な距離感が友人どうしではなく、集合時以外は別々に過ごす他人である事がわかる。
だから監督はインタビューはするが、話し合いもしなければ、相談もなく、アドバイスもない傍観者だ。

映画製作最初は数人を同時に撮影していたであろうが、数回の撮影の中でその中から2名に絞っていくのと同時に
白黒2名と監督自身との共通点に気が付き、
映画の中に自分自身をも味付け役として映画に加えていく事により、この映画のドキュメンタリズムが磨かれた。
そして、映画は無造作に撮りだめた大量のフィルムをつなげているのではなく、映画として必要なリアルだけを撮影して繋げたものである。

白黒2名の現状を映してはいるが、貧困?・家庭内暴力・母親の育児放棄・黒人問題といった事は語られてはいるがこの映画の主要テーマには成っておらず
取材を通して、彼らの現状を報告し、個々の変化や喜怒哀楽は判るが、12年間継続した葛藤にはなっていないのは
1つの困難に対して、月日を超えて、同じ質問を繰り返さなかった為だ。
次から次へとでてくる難問に焦点を追われていては、本当の問題から置いて行かれるのは必然。
彼らをとおして、社会のどの問題に焦点を当てれば良いか、最後まで、定まらない観察動画に終わる。
しかし12年間という長期間リアルに追い続けられた事は評価できる。
カメラも最初から非常に高額で良いものを使用し、ジンバルスタビライザーも使用していると思われる。
撮影・録音はしっかりとして、劇場映画として、安心して鑑賞できる。

全体を通した切り口をスケボーにして、映画のマトマリをつけようとしている中で、
前半は家庭内暴力、後半になって、黒人問題の話は出るが
1本の心棒に成るようなものがなく、監督は自分自身の母へのインタビューを入れるが、内容は予想される範囲を出ていない。
それは自分自身へのインタビューと問いかけが無いからであり、せっかくのエッセンスを無駄にしたようだ。
監督の今後はこの辺の自覚が必要だ。

主要3人のみならず、彼らを取り囲むそれぞれの家族全員も世代を超えて、同じように崩壊しており、それぞれが好き勝手に生きている。
監督以外の全員がバージョン違いの同一人物の様だ。
全員が「誰かの為に」という発想はなく、自分だけだ。 核家族というより各のみ
部屋はリアルに汚なく、好きな? スケボー板にイライラをぶつけては、何度も板を潰して壊すし。。。
麻薬が蔓延している国なのに、薬に関わらないのは偉い。

スケートボードを軸にしたかったのだろうが、
スケボーをする事で、彼らが活かされた訳ではなく、スケボーはあくまで現実を忘れる為のツールでしかなく、
時代が違えば、違ったツールになっていたに違いない。 僕の時代はそれがバイクだった。
スケボーは本気でないので、みな12年間経っても上達はしない。
映画の最後に黒人君が移住先で、スポンサーが2つ? ついたと言う報告はあるが、プロでもないので
お世辞的に誇張した程度だろう。

感想としては、ここまで壊れた貧困社会・家族はもう修正不可能であり、全員がそれぞれ最初からやり直す事が1番早い。
それでも監督以外の2名は親と同じ運命を辿り、彼らの子供も同じ貉になり、不満のハケ口はきっと”スマホ”になるのだろう。
但し、監督は「きちんとした子供への教育は 自分自信がきちんとしていなくてもできる」といった幾つかの街の”宗教標語”を撮影し、映画にカットインしていることから
彼なら、今の社会環境から抜け出せると僕は信じる。

「6才のボクが、大人になるまで。」とまったく同じ手法でできた映画だが、6歳~18歳の12年間を同じようなつくりをした映画なので、比べてみるのも良いと思う。
日本を含め、アジア・中華圏では12年間は1周りとして、とても重要な年数だが、他国でもそうなのであろう。

YAS!