「家庭環境が先か、社会構造が先か」行き止まりの世界に生まれて グリーンさんの映画レビュー(感想・評価)
家庭環境が先か、社会構造が先か
私は日本で、地方の所謂中間層と呼称される家庭に生まれ育った。
そんな純日本人の自分にすら、この映画の光景は余りに近しく、様々な思いをもたらした。
人は、出自の環境を選べない。
そして、その環境で育った社会が世界の全てだと疑わず、抗いもしない。
そんな幼少〜思春期を経て
地方では大半の人間が、自分の人生に対する問いを持つこともない、既定路線の人生行程。
学生時代が人生のピークだなんて、良くある話だ。
やがて成人となり、子孫を残し、そのまた子孫に繋ぐバトンリレーを繰り返し、行き止まりの世界はそこに在り続ける。
その世界が傾いた時に、そこの住民も堕ちていくのか?
或いは、その世界が全てではないと知っても、遅過ぎた気付きや無力を言い訳に抗うこともせず、言いようのない絶望を迎えて自ら堕ちていくのだろうか?
そして、それを無力な者への攻撃で、なんとか尊厳を維持しながら、そういう集団が歪んだ世界を作っていくのだろうか?
どちらにせよ、被害者はいつも弱者で、その連鎖が止まない皮肉。
どこかで読んだ一文がふと蘇った。
「人は、なりたくないと思った者に、いつかなるのよ。」
とても深くて、それが真実。
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