わたしはダフネのレビュー・感想・評価
全18件を表示
【母を突然亡くした蒙古症(ダウン症)の女性が、ふさぎ込む父を叱咤激励しながら亡き母の故郷を目指すロード・ムービー。二人の周囲の人や、旅で出会った人々の温かさが沁みます。】
ー 当時の資料を読むと、今作の監督・脚本を手掛けたフェデリコ・ボンディは数年前に偶然見かけたバスの停留所で立ち尽くすダウン症の女性と父親2人のイメージから、今作を着想したそうである。
だが、今作では、妻を突然失いふさぎ込むルイジ(アントニオ・ピオバネッリ)に対し、娘のダフネ(カロリーナ・ラスパンティ)は愛情の裏返しの様に、父に掛ける言葉はシニカルで厳しい。
けれども、二人の仲はとても良さそうだ・・。-
■カロリーナ・ラスパンティさんは、劇中のダフネと同じように地元のスーパーで働きながら、自伝本を2冊上梓する程、活発な女性だそうである。
ダウン症の映画俳優と言えば、近年ではザック・ゴッサーゲンの活躍が目に付くが、この女性にも、光が当たって欲しいと思った程の自由奔放な演技であった。
◆感想
・突然、妻を失い呆然とするルイジに対し、気丈にキビシイ言葉を掛けるダフネの姿が印象的である。
・そして、ある日ダフネは父に”お母さんの故郷を歩いて尋ねよう!”と提案する。
- 実際には、列車に乗ったり、親切な若い兵隊さんに車に乗せて貰ったりするが、ダフネは誰に対しても、ユニークさを忘れずに接する。-
・氷室を除いたり、漁師宿に泊まったりしながら、二人は母の故郷コルニオーレを目指す。
<父にキビシイ言葉を掛けつつ、ダフネは父の健康(喫煙)を気遣い、”頼りにしてね・・”等と言いつつ、一緒に山道を歩き、何気ない会話を交わす二人。
二人の仲間達の温かさや、旅の途中で出会った人々のさり気ない優しさ。
そして、二人は亡き母の故郷の家で、新しい生活を始めるのだろうな・・、と思った作品である。>
■ダウン症を蔑称で蒙古症と呼んでいた事を今作で初めて知った。
ダフネが可愛かった。
またまたダウン症の方のロードムービー
ダウン症の方の中には演技やダンスの上手い人も見かける。独立心の強い...
歩くと頭がスッキリする。
母が突然他界、残された父と娘(ダウン症)のリスタート。
ダウン症は色々症状や程度があり、軽度の人は社会に出て働いてるケースもある。そんな子が小学校のころクラスにも1人居た。感受性が高い子だったがそれ以外は普通だった。正直僕はどう接して良いか分からず少し距離を置いていた。
少しネットで調べてみた、21トリソミーと言うらしい。あと18(エドワーズ症候群)と13(パトゥ症候群)も知った。男女の遺伝子が結合する時のために自分の遺伝子が半分に別れるわけだが、その剥離がうまくいかない時に起こるらしい。この事を知っただけで自分としては、この映画の価値はあった。
でもそれが監督のやりたかった事では無いだろう。
ダウン症の啓蒙映画ではない。
妻を亡くし主にダメージを負ったのは父だった訳だが、、無垢な娘に助けられる、、という一種のファンタジーだと思う。
しかし、たぶんもっと現実は厳しい。
描こうとすればいくらでも出来たはずだが、あえてそこは描いて無い。
欧米だと役者の仕事をしている方もいる。
一番自分の記憶に残っているのはラース フォン トリアの「キングダム」重要な役だった。
日本はそのレベルに追いついていないのが現状だ。
こちらアジアでは「孝行娘」って言う類の話。
母親の急死にパニックになりながらも、友人や周囲の人々の愛に救われて立ち直り、父親の魂を救う女性の話。ちょっとだけ変化球なのは、彼女がダウン症だって事。って、コレがでかいんだけど。
偏見を捨てよと、私達に訴えている様でもあり。娘の父を思う気持ちで、家族愛の普遍性を説いている様でもあり。小さな助けさえ有れば人は生き方を変えられる、と伝えている様でもあり。
前向きで社交的で饒舌な、まるで「大阪のおばちゃん」みたいなダフネの様な人に、ワタシはなりたい。イヤ、無理。
Daphne/Dafneと言えば、アポロンの求愛を拒み続け、最後には月桂樹→月桂冠になった女性。正直言って名前負け感はある。そんなトコロも狙っての命名なんでしょうか。
映画としては、色々と手作り感のある小品でしたが、室内の照明の使い方と画の作りが好き。特に、亡母の実家の古民家の中とか、あざといくらいのコントラストがキレイだったのが印象的でした。
お母さんになった娘さん
大事な家族を亡くした知り合いが以前、「今でも水の底に沈んでいるような感じだ」と話していたのを思い出した。母親の急逝を受け止められずにいた冒頭の、ダフネ主観の車内のカットで。映像は普通なのだが、深海の水圧を感じる音響だった。
しかしダフネ、立ち直りが早かった。メソメソしていられなかった理由は、父をケアしなければならないから。ダフネには職場というもう一つの社会・居場所があることもとても重要だった。
すでに彼女は母親をコピーしたかのようないろんな知恵や言葉や処世術を身につけていた。そして中盤以降、完全に母親が彼女に憑依したかのようだった。年老いた父親は文字通り「タジタジ」。親子というより長年寄り添ったカップルみたいだった。
「この子を残して死ぬのが心配」と思う親心を聡明な「障害児??(どこが?って感じだけど)」は無意識のうちに察する能力があったのかな。
全編、観光地じゃないイタリアののんびりした景色、ダフネのキレのいい生意気な名言を楽しんだ。
父と娘の旅
ダフネが父親を支える物語
ダウン症だからくっきりする大人なこども、だけど、みんな同じ部分あるよね
ダウン症だからとかでなく、未完成の人間が出来事や触れ合い、本音の交わし合いなどで新しい形になっていくドラマ。
大人だけど子どもという素性はダウン症だからくっきりするけど、誰にでもあるもの。
そんな誰にでもある素性を映画にしているから心に染み渡っていきました。
随所に出てくるダフネの言い回しがグッときます。
みんな人間は未熟、大人でも同じ、みんな同じだよねと見ながら感じました。
ダフネには帰る場所があってルイジにはなかったんだよね。
だからこその物語。
帰る場所がある、帰る場所がない。
それが物語の始まりであり、終点なのかな。
帰る場所があることは大切、それが家という固体とは限らない。
皆さんには心の家はありますか。
お前の言うことは理屈っぽくてうんざりだよ
じわりじわりと
ダフネ、そしてダフネを描く。
神を飼う司祭
心温まるヒューマンドラマ
全18件を表示