「野心作ではあるが、肝心な部分を欠いた失敗作」TENET テネット 宇宙地球さんの映画レビュー(感想・評価)
野心作ではあるが、肝心な部分を欠いた失敗作
これが本当にメメント、インセプション、インターステラーを撮った監督の作品なのか?
そんな疑問が噴出するような出来で、手放しでは褒められない作品となっていることに愕然とした。
インセプションでは一見、複雑そうな夢のルールを描写しながらも(暴走した)亡き妻の存在と決別しようとする主人公の苦悩を描いて見せ、インターステラーでは一見、小難しそうな特殊相対性理論などの専門用語を散りばめながらも、娘を想う父親の姿を描いて見せた。監督の名を世に知らしめたメメントでも特異な体質により、まるで時間が遡るかのような不思議な映像体験を演出しながらも、その実は妻殺しの犯人探しにのめり込む主人公の姿を悲しくも哀れに描いていた。
特異な世界観を演出しながらも、そこに等身大の人間ドラマを挿入することで、観る者の感情を揺さぶってきたクリストファー・ノーラン監督が最新作のテネットで描こうとしたドラマは一体、何だったのだろうか?
はっきり言って、肝心の“人間ドラマ”の部分がまったく伝わってこなかったことが、この作品が抱える根本的な失敗の原因だったと断言できる。
本作の主人公は善人ではあるが、何を考えているのかほとんどわからない。だから、感情移入がしにくい。それは劇中に登場する敵役やヒロインの存在についても同様だ。主人公の相棒となるニールの存在が無ければ、本作はかなり歪な出来になったのではないだろうか?
また、映画の世界観のルールについても、エントロピー云々と謳われてはいるが、単に物体の動く矢印が反対方向になる程度の意味合いしか無いため、そこに注力させるのは無意味と言えよう。むしろ、逆行中はすべての物体の動きや作用が反対になるというルールだけが重要で、順行中の状況下でわざわざ逆行する銃弾の説明を入れたのは混乱を招くだけではなかったかとさえ思える(もちろん、ニールのキャラクターにフォーカスさせるという意味では必要だったことは否めないが……)。
インセプションでは、新入りのアリアドネに夢のルールを説明するくだりが、映画の世界観を説明するチュートリアルとして上手く機能していたが、今回はチュートリアルの時点で説明に失敗している(むしろ、説明を放棄しているような「考えないで、感じろ」という台詞さえある)ため、余計に観る者を混乱に陥れることになってしまっている。順行状態と逆行状態を色分けしたり、音楽を逆再生させるよりも、この映画は導入部分が不親切な作りとなっているため、鑑賞者が乗れない状態のまま、気が付いたらエンディングを迎えることになってしまっているのだ。
本作はお金も掛かっており、映像面などは確かに見応えがあるが、技巧に凝り過ぎてしまった結果、肝心要となる部分を欠いてしまい、響いてくるものが何も無いため、手放しでは褒められない作品となっているのである。
コロナ禍で劇場公開に踏み切ったことは称賛に値するが、インターステラーの境地に達したノーラン監督の会心の作としては、残念な出来になってしまったと感じずにはいられない。