「PATERNOSTRE」TENET テネット かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
PATERNOSTRE
公開1週目にしてすでに考察サイトが何本もアップロードされ、今現在も謎が謎を呼ぶ超難解映画に成長しつつある映画、それが『TENET』なのです。最新物理理論を駆使した前々作『インターステラー』は、グレッグ・イーガンを思わせるハードSF的世界観が自分のような文系人間が見ると特にわかりにくく、目の前の映像が何を意味しているのかさっぱりという場面も。そしてこの『TENET』、その『インターステラー』と同じ物理学者キップ・ソーン氏が科学的考証を担当。簡単にいうと、エントロピーを減少させることにより過去に逆行できるようになった人たちが、来るべき第3次世界大戦から世界を救うべく戦うストーリー。時間の順行シーンと逆行シーンが目まぐるしく入れ替わる上に、同一シーンの中に混在するそれらのシーンがシナリオ上の伏線もかねているため頭を休める暇がない、といっても過言ではないでしょう。さらに物語全体が入れ子構造にもなっていて、(自分は1回しか見るつもりないけれど)映画を1回見ただけは完全理解はまず不可能。そんなテクニカル要素に加え、元来ノーランの苦手分野だったはずの(おそらくライバルのヴィルヌーブもうなるであろう)文系的映画演出がふんだんに盛り込まれ、本作を見た後ではしばらく他の映画を見たくなくなるほどの満腹感を得られる作品になっています。
順行と逆行を厳しく精査しあのシーンはああだこうだと騒ぎ立てるのは前のめりな若い君たちにまかせておくとして、ここでは老眼世代にふさわしいもっとマクロな視点にたってこの映画を自分なりに俯瞰してみたいと思うのです。
1. SATOR式回文
ポンペイ遺跡で発掘された回文が本作品のキーワードになっていることが、映画公開以前からマニアの間で噂されていたといいます。映画の中で各々の単語が登場人物や会社、組織の名前等で使われていて、それだけでも結構意味深なのですが、さらにこの回文には二重三重の深い意味が隠されている気がします。
SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS
いまだに完全解読されていない謎の回文、同様のものが世界各国のローマ遺跡からも発見されているらしいのです。直訳では「農夫のアレポ氏は馬鋤きを曳いて仕事をする」(Wikipediaより)ですが、現在ではラテン語の主の祈り冒頭2語「PATERNOSTRE(我らが父)」を隠したパリンドロームとする説の方が有力。ローマ帝国時代世界各国に散らばったキリスト教徒が迫害をおそれずに自分たちの居場所を告げた、ある意味“自由意志”の表明だったとか。それは同時に、ゴヤ作「我が子を食らうサトゥルヌス」をケネス・ブラナー演じるSATORに読み替え、狂気にとりつかれた父親像を重ねた以上の狙いがこの映画にはあることを意味しています。要するに、コロナ禍により現在は一時的に悪者扱いされている“グローバリズム”を旗印にした、キリスト教世界の連帯を意図した映画だったのではないでしょうか。なおこの「PATERNOSTRE」には、映画に出てくる“回転扉”を連想させる“循環式マルチカーエレベーター”という意味もあるらしく、興味のつきないところです。皆さんのご指摘通りスタルスク12における挟撃作戦のメタファーでもあることは、ここで語るまでもないでしょう。
2.ホイットマンの詩
主人公の名無しCIAエージェント(デンゼル・ワシントンの息子)の秘密組織TENET入会テスト時に、仲間確認のために交わされる合言葉が、アメリカを代表する詩人ホイットマンのこの詩の一説なのです。
「黄昏に生きる(We Live in a Twilight World)」
「宵に友なし(There Are No Friends at Dusk)」
南北戦争期一時的に北軍を鼓舞するような詩を書いていたウォルト・ホイットマンは、戦争の惨状に心を痛め、やがて叙事詩人へと変遷を遂げます。おそらくノーランは、一時の圧倒的な国力を失い移民排斥的な動きをする現在のトランプ政権下にあるアメリカを、奴隷解放をめぐって泥沼の内戦を繰り広げた時期のアメリカと重ねているのでしょう。黄昏に生きているアメリカから同盟国が次々と離れていく現状を、ホイットマンのこの詩の一説に仮託しているのかもしてません。そんな時現れた、英国人ロバート・パティンソン演じるNeil。映画ではちらっとしか映っていないKatの息子MaxことMaximilienの回文にもなっているNeilは、みなさんのご推察どおりMaxの未来の姿。第二次大戦時のプロパガンダ作品『カサブランカ』からの引用と思われる「(英国と米国の)美しい友情の終わりだな」という台詞をNeilに言わせ、「いや始まりだ」と答える名無しの主人公。英国と米国のスパイ同士が固い友情で結ばれる本作が何をかいわんや、推してしるべしといったところでしょう。
3.時間の逆行と順行
一見複雑な逆行と順行シーンの見分け方、いまや世界の必需品として化しているマスクを着けているかどうか見れば一目瞭然。本作が撮影されていた時は、まだコロナ流行前だったため、だれでも簡単に見分けられるそうです(なんつって)。では未来人がたくらむアルゴリズムの起動=時間の逆行によってなぜ旧人類が滅びるのでしょうか。(第二次大戦前夜と同様に)世界全体が時代に逆行する動き=保護主義に傾けばいずれ第3次世界大戦が起こり旧人類は滅亡する。そのような危機感をノーランが抱いてるからではないでしょうか。オスロ空港における主人公vs.主人公のバトルや、順行車と逆行車のアルゴリズム争奪カーチェイス、(敵の姿がまったく現れないため)順行軍と逆行軍の内戦(≒南北戦争)のようにもみえるスタルスク12最終決戦。そのすべての戦闘シークエンスが、今現在世界で起きているグローバリズム(順行)vs.保守反動主義(逆行)のメタファーといえるのではないでしょうか。
事故にみせかけジャンボジェッドを空港倉庫に追突させるシーンは9.11を、プルトニウムだと思っていたトランクの中身が結局アルゴリズムだったというオチは、イラク大量破壊兵器ガセネタ事件(当時のCIA長官の名前もTENET!!!)を彷彿とさせるのです。いずれもアメリカ衰退のきっかけともいえるエポック的な事件であり、結果=目的(対テロ戦争、フセイン逮捕)が先にあり、後になって原因を見つけようとした因果律逆転現象が特徴という共通点があるのです。ノーラン監督がそこに気づいてこの映画を作ったかどうかは定かではないのですが、コロナ禍でさらに拍車のかかった感のある保守反動(逆行)一辺倒の英国とアメリカもしくは世界の動きを、けっして好ましく思っていないのは確かなようです。
これだけの内容に興行成績が伴えば、クリストファー・ノーランのオスカー受賞がいよいよ現実化しそうですよね。