「ノーランの凝り性が変な方向へ」TENET テネット superMIKIsoさんの映画レビュー(感想・評価)
ノーランの凝り性が変な方向へ
見終わっての最初の感想は「わけ分からん」でした。どうしてそんな感想になったのか考えると、製作側が意図的に話を難しく作ろうとしているように思えるのです。
鑑賞後ネットで公開されている考察や解説の動画を見たりしたのですが、そういうのを見ないと内容が理解出来ないような映画ってどうなのでしょうか? 本来は映画の中で観客に分かるように脚本を作るのが普通だと思えるのですが・・・・・・。
聞くところにはノーラン監督は非常にIQの高い人だと聞きます。「自分が分かるから観客にも理解出来る」と考えているのか、「凡人は分かるまで何回でも見ろ」、と思っているのか、どちらにしても観客を置き去りにしています。
映画館で観る映画は一歩通行のメディアで、「良く分からないのでそこを戻してもう一回」という訳にはいきません。あくまでも上映時間中はじっと鑑賞しているしか方法がありません。そのことを踏まえて作品を製作をするのは映画人として当たり前のことだと思ます。
さらに分かり難くしてるのは、必要性の無い場面や登場人物が多いということです。それも重要な場面にされているので、益々意味不明になっています。例えばオープニングのオペラハウスの銃撃戦っているのでしょうか? その後に続く拷問シーンも必要ですか? ジェット機の激突シーンは迫力ある場面を入れたいが為に無理矢理作ったとしか思えません。
またあのヒロインって必要なのでしょうか? あれだけ登場シーンが多いのですから、本来は重要な存在の筈ですが、彼女抜きでも物語的には問題ないと思います。考察を見ると彼女の幼い子供が、主人公の未来の相棒らしいのです。そういう設定なら物語の中できっちりと説明をすべきです。そうすれば彼女の存在感も増します。全く説明が無いので、どうして彼女が必要なのか分からないのです。
物語の核となるアルゴリズムという物も、最後に出て来た物体を見て「何これ?」って思うようなふざけた物です。IQ高いんだから、もっと真面な物を考えられなかったんでしょうか? 大体アルゴリズムと言えば普通の人はプログラムを思い浮かべるのに、どうしてあんな物質になるんでしょうか? 物質の中にプログラムが閉じ込められているとか、もうちょっとマシな設定が出来たと思うのですが・・・・・・。本作はそんな首を傾げる場面ばかりです。
ノーラン監督はデビュー作から時間と云う物に囚われて、それを物語の中に取り入れることに使命感を持っているようです。前作ダンケルクでは陸・海・空で経過時間を変えてしまったことで、観客の頭を混乱させてしまいました。本作はその時間軸変更の集大成になっていて、遂には訳の分からない代物になってしまいました。
彼は凝った作品を作らなければならないのではないか、という強迫観念に囚われているような気がします。このままではM・ナイト・シャマラン監督のように、同じ様な内容の作品しか作れない映画作家になってしまうような気がしてなりません。ノーラン監督は演出家としては一級の物を持っている方ですので、余り気負わず作品を作ってもらいたいと思います。