Our Friend アワー・フレンドのレビュー・感想・評価
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正直、有り得ないが、
惚れた彼女の為ならば理解出来るが、
親友家族の為に、
自分の仕事や、恋人を放り出してしまう心情が分からなかった。
これはファンタジーか?
でも、そこに存在価値を求めるすしかないまでの孤立した人達がいる。
そっちに涙した。
支え合う友達
実話系作品。
人は誰も一人では生きていけないし、過ちを犯すこともある。
家族や友人が一人で立ち上がることすらできずに打ちのめされていたら、手を差し伸べる。
自然にそれができる関係性が「家族」や「友達」なのだと表す作品でありました。
妻の病状が進行するとともに、時系列が組み替えられ、関連する過去へ何度も戻る。
この時間の行ったり来たりが、終盤に大きな意味をもつ。
失意の時に支え、支えてもらった恩を相手が失意の時に返す。
人はその繰り返しなんだと。
「愛」って言葉に収まりきらない「優しさ」。
恩を恩で返す。
日本語でいえば「情けは人の為ならず」。
そんなことを伝えたかったように感じました。
ギリギリで宗教的なところに陥らずに、人の心の話に収束していったのも好感触。
名は体を表す
病に冒され亡くなる人(とその家族)の物語はとても悲しくなる。でも泣けないことが多い。チームで何かに取り組んでいる人たちの物語はいとも簡単に泣いてしまうのに。好みの問題でもあるが、自分にとって病死はあまり悲しいことだと思っていないのかもしれない。
本作はエッセイを映画化した作品。妻がガンで余命わずかであることを子どもたちに伝えようとする夫婦のシーンから始まる。そこから2人の友人であるデインとの出会いや3人の関係性を、医師にガンだと告知された時期を起点に行ったり来たりしながら描いていく。実はこのやり方が若干わかりづらかった。感動的なシーンもあまり泣かせようとしていない印象だ。
その理由は最後にわかった。この話はマットと亡くなったニコルの夫婦の感動物語ではなく、マットの視点から描いた夫婦の友人・デインの物語だからだ。タイトルからしてそうじゃないか。
やはり泣けなかったが、それで評価が下がるわけではない。いい話だった。
蛇足だが、「最後の決闘裁判」と続けて観たのだが、どちらも事実を元にしていて、リドリー・スコットが絡んだ作品だった。雰囲気が全く違ってて興味深い。
【動き出した時間(1)】
この物語は、一義的には友情のストーリーなのだと思う。
特に、なんか取り柄がないデインの見返りを求めない友情。
ただ、僕は、エンディングでデインがマットの家族に別れを告げ地元に旅立つ姿と、そして、皆の今を記したエンドロールを見て、時間がまた動き始めたのだと思って、実は、そこで目頭が熱くなった。
僕の知り合いの女性が乳がんになった。
彼女は、小学生の息子と娘に隠さずにハッキリ打ち明けていた。
息子は、もうお母さんのおっぱい触るの止めるから大丈夫だよと言っていたらしい。
彼女は抗がん剤治療を乗り越え、今この息子は高校生になった。あんなトークをしていたことを覚えてるのだろうか。
ある時、食事を約束していた友人の女性から電話があった。
健康診断で肺に癌が見つかったと。それで、食事には行けなくなったと。
早期発見だったが、彼女はしばらく入院した。
ちょうど僕が精神的に辛い時期で、ちょいちょい連絡してくる僕を入院先からよく励ましてくれた。
その後、彼女は退院したが、再発した。
それでも、彼女は僕をいろいろ励ましてくれた。
あまり先のことは考えず、目の前のことに集中しなさいと。
実は、彼女自身が、そうしていたのだ。
それから、彼女は逝った。なんで彼女がと思った。
早く死んじゃえば良いようなやつが、他にいっぱいいるだろうとも思った。
そんなこと言っても彼女は喜ばないのは知ってるけれど、そう思いたかった。
でも、本当は、何もしてあげられないどころか、励ましてあげることも出来なかった自分に失望していたのだ。
同じがんでも、人によって、して欲しいこと、してあげたいこと、出来ることが違うと思う。
でも、その境目がきっと難しいのだ。
だから、やりながらでも考えられれば良いと思う。
病気は待ってくれないことも多い。でも、気持ちを持ち続けることは大切なように思う。
そして、区切りがついたら、動き始めることが大切だと思う。
逝ってしまった人のことは忘れられない。
ただ、動き出しなさいと、きっと言っているように、時間はかかったが思えるようになる時が来るように思う。
心温まるストーリーですが微妙
愛する妻が末期癌で看病を親友に助けてもらい家族の絆を描く感動作品です。
親友の犠牲が多過ぎて感情移入出来ず。
俳優さん達は皆さん熱演
亡くなる奥さんは美人でした。
悪くない感動作品でしたがお涙頂戴作品としてはありきたりかも
感動作を見たい方は是非
普通の時系列で観たかった
ガンと診断されて余命を告知される映画では、ジョニー・デップが主演した「The Professor」(邦題「グッバイ、リチャード!」)が群を抜いてよかった。文学教授のリチャードが余命を宣告されたあと、どのように生きるのかをリアルに描いている。ジョニー・デップの振り切った演技が本当にケッサクなので未鑑賞の方がいたら、ぜひ観て欲しい。
本作品はガンで余命宣告をされたニコル・ティーグ、その夫のマシュー(マット)、二人の共通の友人でありデインの3人のそれぞれの微妙な気持ちの変化を、時を行き来しながら描き出していく。ただ行き来が目まぐるし過ぎて、どの段階でデインがキレたのか、マシューが美女から誘われたのが何年のことなのかなどがこんがらがってしまった。
頭の中で場面を並べ直しながら鑑賞することになって、そっちの方に頭を使う分、感情が追いついていかなかった。時を遡ったシーンはよく使われる手法ではあるが、本作品のように使いすぎてしまうと観客は混乱してしまう。もっと普通に時系列に沿って物語を進めたほうがよかった気がする。
役者陣は総じて好演。特にケイシー・アフレックは変わっていく妻と反抗的な長女を相手という微妙な演技が要求されるマシューを見事に演じきった。主演映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のときの演技に匹敵する熱演である。
一方、ジェイソン・シーゲルの演じたデインは、自分の時間の殆どをティーグ夫妻のために費やし、私生活をかえりみない。私生活の方面から非難されるが、ティーグ夫妻に自分が不可欠であることを知っている。しかし尽くしすぎて自分の精神が危うくなる。こちらも難役を上手にこなしたと思う。特にニコルの症状が進んで暴れたり暴言を吐いたりする場面では、仁王立ちになってニコルのすべてを受け止める演技が印象に残る。
ダコタ・ジョンソンが演じたニコルのシーンでは、デインに恋人が出来ないのは、デインが現実に身をさらす覚悟が出来ていないからだと看破する。この賢さがニコルの特質のひとつだ。ニコルが指摘する通りならば、デインがティーグ夫妻を手助けするのは、現実の自分に戻りたくないからなのかもしれない。しかし夫妻の喜怒哀楽や修羅場を経験して、現実を受け入れる準備ができたようだ。
日本では年間で140万人が死んでいる。1日に3,835人だ。自殺者は1日100人。統計的な数字にはあまり感慨がないが、身近な人間の死は、それなりの衝撃がある。それは3,835人の中の1人ではない。
ニコルはひとりしかいない妻、ひとりしかいない母だ。心の交流が多いほど、喪失感は大きい。マシューやデインや娘たちの悲しみは伝わってくるのだが、あまり心に響かない。やっぱり普通の時系列で観たかった。
「愛」という一言では片付けられない
元々、予告で観て「この3人の映画なら絶対観たい」と他の方の評価も気にしていませんでしたが、とても私好みな映画でありました。
軒下で夫婦の娘たちと談笑する友人デイン(ジェイソン)、部屋ではマット(ケイシー)と彼の妻であるニコル(ダコタ)がニコルの余命を娘たちに伝えることを決断する場面から始まります。
そこから、時系列を行ったり来たりしながら、夫婦と友人3人の愛と友情の物語が語られます。
特に告知後の状況は、私自身、以前2年半ほど母の看護及び介護を経験していたこともあり、物語が単なるお涙頂戴ではなく、あくまでリアリティを感じることにこそ泣けてしょうがない感じでした。
いつ終わるかわからない、でも終わるということの意味。心身の疲労と感情のぶつかり合い。そして、次第に難しくなる意思の疎通など、本当に過酷だし、亡くなる瞬間や亡くなった後のことなど、とてもよく描けていました。
ジェイソン・シーゲル、素晴らしかったです。
なお、入場時に頂いた小冊子は原作となったマットのエッセイの一部を抜粋したものでしたが、帰宅後にそれを読んでまた染み入りました。
※このレビューの件名は、小冊子のマットのエッセイの題名の引用です。
居場所が気になったら連絡してね・・・・
デインやフェイスのような余裕のある人間になりたいと思いました。
居場所が気になったら連絡してね・・・・
安定した収入があっても、時間やノルマの束縛がきついと親の介護もままなりません。
マットは仕事ばかりで、家事も余り得意では無さそうでしたが、なんか責められない雰囲気を醸し出しておりました。
デインはアウトドアショップやバーでのアルバイトで暮らしている、スタンダップコメディアンを目指している劇団の大道具さん。
劇団の女優のニコルとはニューオーリンズの大学の同級生。
原作の案内を兼ねたB5版の小冊子を入場口でいただきました。
ニコルは34歳で卵巣癌を発症。クリーク族の血をひく、笑顔の素敵なチャーミングな女性。余命半年と言われてから2年余りの日々をアラバマ州の自宅で旦那とデインと過ごしました。
幼い娘に癌であることを話し、薬の副作用で精神的におかしくなった姿を子供に見せないようにするなど、3人の2年にわたる闘病生活はとても過酷だったと思います。
しかし、人生を潤いのある豊かなものに出来て、この二人の友情はうんと輝いていました。
余裕が欲しい❗
癌の闘病と友情
ダコタ・ジョンソン目当てで鑑賞。
儚い演技が良い。
子役もすばらしい演技だった。
癌の闘病のリアルを知らなかった。
淡々と描かれる病状の悪化、男二人の奮闘、そこに至る物語、娘の葛藤。
この俳優陣だから最後まで感情を移入して見ることができた。
良い作品なのですが、確かに理解は難しい…。
今年142本目(合計206本目)。
実話に基づくとのことなので(エンディング時に出ます)、あることないことは書けない状況です。
そのため、ある程度の脚色はあるのでしょうが(お話の趣旨的に、「私は出さないで欲しい」などというのは個人が遠慮するのはありうる)、ほぼほぼ、普通は実話ベースで進んでいくものだと思います。また、エンディングロール時に出る通り、この実話をベースにした小説が先に出て、その小説を映画にしたのかな…とも思えます。
そのため、とにかく他の方も書かれている通り、時間軸の入れ替えがとにかく異様に多いため理解に非常に苦労します(足したり引いたり、いつの話をしているのかわからなくなるときがある…)。ただ、小説の記述ベースならそうせざるを得ないのでしょうね。
また、Our friends 「私たちの友人」であるのに、1回しか出ない人が結構いて(物語中盤で出るテレサさんが代表例です。
序盤で登場するシャルロットさん(シャーロットさん?)も、序盤に出るのでキーパーソンかなと思いきや、出たりでなかったりが激しくて、結局、このタイトルの割に、最後までずっと出るのは、「その舞台となる家族のメンバー」だけじゃないかな…というくらいです(シャルロットさんとか、もう少し出ても良いと思うのですが…)。
もう1つ、これ、結構気になったのですが、上記の「時間軸の入れ替え」については、とはいって、「●●から2年前」というように明示的に出ますので、突如時間軸が代わり大混乱するもの(この類型で混乱させたのが「樹海村」だった)ではないのですが、問題は「告知から●●年前/後」というところが diagnosis 「診断」なのですよね…。この語は「(検査結果などを)知らせる」という意味であり、この映画のテーマになっているある病気に対する「告知」とは微妙に違うんです(ただ、おそらく、医師から診断があったその日か、翌日かに本人には伝えているはず。明確に描かれてましたっけ?)。
これ自体は大きな問題ではないのですが(今では、インフォームドコンセントが当たり前なので、パートナー・子供のためといえども、家族内で、その方に関する病気の診断を本人に隠すというのは、やや問題になってしまう)、日本ではご存じの通り、一昔前は隠すことが当たり前に行われていたのもこれまた事実であり、この辺は正直、どちらが正しいのだろう…(まぁ、今回は結果的にどう解しても問題にならない)というところです。
ということで採点です。
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(減点0.5) 上記に書いてあるのが全てで「時間の巻き戻し処理が異様に多い」「数回しか登場しない友人 friend(s) も結構いるのに Our friends でいいの?」という点は気になりました(「診断」と「告知」の違いは、気にし始めると絶対に終わらなくなる)。
ただ、上述の通り、原作がある以上、それをあれこれ入れ替えるとまた問題になるので、原作の作者(一応、伏せておきます)の意向をくんでああ作ったのだろうとは思いますし、積極的に「混乱させる」までとは思えないので、この程度としました。
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重たいテーマ
今日はこの映画をみないとという気持ちから見た。
自分には身の回りで悲しい別れはないが、いつか誰もが経験すること。
自分はちゃんと対応できるだろうか?
また、妻の浮気をまた許せるだろうか?
またデインのような素晴らしい友達を僕も欲しいと思ったし、自分もそういう友達になりたいと思った。
会社ではそんな友だちはできやしない。
学生時代の友達に会いたくなった。
人生で死と友というテーマを考えさせてくれた
母は強し友は尊し
のっけからシリアスなシーンで、その後のストーリー展開もわからない内からウルっときてしまいました。
他の方のレビューにもあるように、時の経過が行き来するので考える時間が必要ですが、時系列に並べてしまうと物語が押し付けがましくなってしまいそうで、これはこれでアリかなと。
医療制度・労働環境が異なる我が国で同様の関係性を築くのは難しいとは思いますが、それぞれが心折れ、立てなくなった時に手を差し伸べられるのは素晴らしいです。
心が洗われた一作でした!
そして、私の中で寂しい顔させたらこの人!ランキングのツートップがライアン・ゴズリングとケイシー・アフレック。ケイシー、期待通りのいい味出してました♪
ただのお涙頂戴映画ではない!
泣かせる為の過剰な演出はなく、素直にいい映画だなと思える作品。
監督の泣かせるセンスが良い演出が観ていて嫌味なくスッと入ってくる。
善人ばかりがズラッと出るのではなくかと言って悪役を作る訳でもなく等身大の人間を描いているのが良い。
カット割りも素晴らしい。始まりの長回しで少しずつ引いていくカットなど物語に引き込まれる。ラストカットが何より凄い。ロングショットでの長回しで主人公の顔をあまり見せずに想像される演出がこの映画にはあっている。
足りない。足りる訳がない。
末期ガンの妻と寄り添う夫と、彼等を助ける親友の実話をもとにした話。
2013年、末期ガンを患い自宅で療養中のニコルの病状を娘達にもうそろそろ伝えようと決意する夫婦から話が始まって、13年前、ニューオリンズで記者をするマットと舞台女優のニコル夫妻、そして親友になるデインとの関係をみせたと思ったら、2012年の出来事へ。
物語としては確かに世話になっていた頃もあったし仲良しなんだろうけど、ちょっと自分勝手な様相の濃いマットに対して良くそんなに優しくなれるなと思う程、本当に良いヤツ過ぎてデインのことが心配になるし、時既になところはあったけれど、娘に冷たく当たられながらも変化したマットも、そしてモリーもイーヴィーも、そしてそして勿論ニコルも、大変良くできました。と言ってあげたい感じでとても面白かった。
しかしながら…都度いつの話しか字幕が出るから迷子になることはないけれど、余りにも時系列が行ったり来たりと飛びまくり。
何なら泣かせにくる様な展開でも、浸る間もなくシーン移行。
とても良い話しだし胸熱なんだけど、ちょっと慌ただしいしガチャガチャし過ぎじゃありませんか?
結構蛇足的なシーンも多かったし、もうちょいハブいて、上手くまとめて欲しかった。
大号泣。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」で高評価だった
ケイシー・アフレックですけども、
個人的には「トリプル9 裏切りのコード」のほうが
好きだなぁ。ってことで本日公開「アワー・フレンド」
観てきました。
オレの大好物、スライス・オブ・ライフの類
なんだけども、各キャストの存在感が抜群で、
あんまり感情移入はしないと決めてる私ですけども
今年一番の号泣ってゆー。
うまい表現か分からないけど、
大切なものと宝物は違うってゆーか。
なんかすいません。
自分の大号泣に動揺しております。
もう一度見たくなる映画
時系列が前後して描かれます。
癌の告知日を始点として「告知から13年前」「告知から1年後」「告知の4年前」など。
ランダムに描かれるエピソードはミステリ仕立てのようで、徐々に空白だったピースが埋められていき…
前半と後半で、それぞれの関係性の見え方が全く変わってくる映画でした。
「親友」の定義を考えるとき、いつも思い出すコメントがあります。
有名人たちに「親友とは?」とインタビューした映像を繋いだテレビ番組で、安部譲ニが「そいつの為に命をかけられる相手」と答えていました。
その時はいかにも仁義の世界に身を置いていた人の言葉だなぁ。と感じましたが、
他の人たちが軒並み「困った時に助けてくれる」「秘密を相談できる」など、自分に対する相手について語っているのに対して、安部譲ニは相手に対する自分を語っていることに気づきました。
この映画は、仕事や恋人より友情を優先させた男の物語だと思っていたので、安部譲ニがよぎったのでしょうね。
自己犠牲で相手を助ける、尊い友情の物語なんだと思っていたので。
ところが!埋まっていくピースのなかで、それだけではなかったことが描かれます。
ネタバレになるので詳しくは書けませんが、自己犠牲ではなく、恩返し。
お互いがお互いの救いになっている、一方通行ではない関係が描かれていました。
ジェイソン・シーゲル演じるデインは、その年代ごとに精神状態が異なることがわかり、全く別人のよう。
ニコルがとにかくキュート。
交友関係が広く、みんなを惹きつける魅力があって、相手を認めて受け入れてることのできる女性。
悲劇のヒロインを支える二人の男…と思っていましたが、ここにも決して平坦では無い夫婦関係があって、やはり友の存在が救いとなる。
一貫してお互いがお互いの救いになる事を描いている映画でした。
小さい妹と姉との、受け止め方の違いも丁寧に描かれていました。
ちょうど思春期に差し掛かっている姉は父親に対する当たりが強く…てっきり父親に対する反抗期だと見えていた態度は、実はそれだけでは無かったことが途中でわかったり
ヤングケアラー問題も。
後半でデインが子供達の世話を通して見ていた景色を、父親であるマットがなぞるシーンがあるのですが
手が離れた子供ほど目をかけなくてはならない。
子供のちょっとした変化を見る余裕が感じられる、素敵なシーンでした。
終末医療についてもいろいろと考えさせられました。
末期癌の緩和ケアについて、訪問看護や看取り士さんなど、家族以外の介入に救われることも多い。
トップシーンの浜辺が、まさかこんなシーンだったとは。
最初から見直したくなる映画でした。
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