Our Friend アワー・フレンドのレビュー・感想・評価
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好き
末期がんの妻をメインにした涙腺爆発系のお涙頂戴映画ではなく、3人が同等に映画の中で描かれていたと感じました。
ワンカット(的な)が多くワンシーンワンシーンで人物を人物として見ることができ入り込めました。
所々、ここはもう泣けるだろっていうシーンでも特別長回しはなかったです。
あるレビューで、グシャグシャしててもっと余韻がほしかった、みたいものを目にしましたが、
これはこれで意図なのかと僕は思います。
「唯一つにフォーカスしない」、みたいな、そして僕はそのスタンスが映画で一貫していて好きでした。
冒頭で3人と言いましたが、ラストのシャーロットもかなり胸にきました。
当事者とその周りの人物がイコールで最後まで描けていたのではないかと思います。
話を戻せば、泣けるシーンを長く取るとそこはそれだけでパンチ力ありますから、やはり誰かに偏らず話を展開するには適当な表現だったのではないかと思います。
閉じた扉が開くとき
何故こんなことを
するのだろう。
自分の職と恋人をすててまで
友達のために何年も費やす…
どんな背景があったら
そんな気持ちになるのだろう。
中盤まで、
そのことがひっかかって
話についていけない。
中盤になって
なるほど…
そういうことか。と。
こころが
本当に折れてしまった時
一言の言葉や
なにげない出来事に
救われた過去の感謝が
あるのではないでしょうか。
そんな思いもあって、
ぐっとくるシーン。
「また会いたいよー」
気のおけない仲間と
顔を見て話す。
そんな当たり前の日常が
明日の自分のために
必要なんだよ。と。
すくなくとも
自分のモノサシで
受けたと思う恩の重さを
はかることを
忘れてはいけないと
思いました。
返せるかどうかは
すぐわからなくても。
悲しいけどいい映画や!
妻と夫、そして二人の親友の3人の関係が素晴らしい。
互いの信頼関係と距離感がすごくいい。
ともすると親しくなり過ぎて相手の気持ちに甘え切ったり土足で踏み込んだりしがちだけれど、バランスを上手く取りながら関係を続けていく様が、この映画のすべてです。
ケイシー・アフレック好きじゃないけど、こういう普通の人を演じさせたらやっぱ巧いわ。アカデミー賞主演男優賞取った時はやり過ぎだと思ったけど、巧いのは巧いですわ。
昨今ポリコレが変な風に作用しておかしな基準で賞が選ばれたりしてるけど、地味だけどこういう良作こそ、作品賞や脚本賞を取るべきだと思う。
泣くと確信
173本目。
始まりで、泣きそうになる。
絶対に泣いてしまう、多分そう言う話だろうとは思っていたけど。
最初、デインは親友と言うか、都合のいい人にしか思えなかったけれど、見進めていくうちに、そうじゃないんどなと。
でもいる、こんないい人、よく出来てるよと思ったら、実話なんだね。
デインも結婚出来た様だけど、相手はキャットなのか?
正直、有り得ないが、
惚れた彼女の為ならば理解出来るが、
親友家族の為に、
自分の仕事や、恋人を放り出してしまう心情が分からなかった。
これはファンタジーか?
でも、そこに存在価値を求めるすしかないまでの孤立した人達がいる。
そっちに涙した。
とても感動した。ドキュメントを観ている様だった。 人が死ぬという事...
とても感動した。ドキュメントを観ている様だった。
人が死ぬという事、介護し死を見送る人も見送られる人もそれぞれ辛い。最後の方に助けを求めてホスピスの人を呼ぶ。そしてホスピスの人にかけられた言葉、存在に救われ、その時を迎える。1人では迎えることができなかった別れ瞬間。いろんな人に助けを求め、助けてもらい迎えられた最愛の人と穏やかで優しい別れ。
演じた俳優が全員素晴らしかった。特にマシューを演じたケイシーアフレックが好きだなぁ〜
つらい
二人の子どもを残して妻に先立たれる話で、もしそうなったら苦しすぎると想像されてつらい。オレにはあんなふうに親身になってくれる友達はいない。
時系列が激しく前後に入り乱れる。子どもの大きさが一定なせいもあって、いつなのかよく分からない。
デインが放浪した後に車で留守電を聴いた際の、無邪気なマット一家が暖かくて涙が出る。オレはしないけど、お互いちょっとくらいの浮気はいいじゃないかとも思う。
ガンになって治る見込みが薄いときは即、緩和ケアを頼りたいのだ。
支え合う友達
実話系作品。
人は誰も一人では生きていけないし、過ちを犯すこともある。
家族や友人が一人で立ち上がることすらできずに打ちのめされていたら、手を差し伸べる。
自然にそれができる関係性が「家族」や「友達」なのだと表す作品でありました。
妻の病状が進行するとともに、時系列が組み替えられ、関連する過去へ何度も戻る。
この時間の行ったり来たりが、終盤に大きな意味をもつ。
失意の時に支え、支えてもらった恩を相手が失意の時に返す。
人はその繰り返しなんだと。
「愛」って言葉に収まりきらない「優しさ」。
恩を恩で返す。
日本語でいえば「情けは人の為ならず」。
そんなことを伝えたかったように感じました。
ギリギリで宗教的なところに陥らずに、人の心の話に収束していったのも好感触。
名は体を表す
病に冒され亡くなる人(とその家族)の物語はとても悲しくなる。でも泣けないことが多い。チームで何かに取り組んでいる人たちの物語はいとも簡単に泣いてしまうのに。好みの問題でもあるが、自分にとって病死はあまり悲しいことだと思っていないのかもしれない。
本作はエッセイを映画化した作品。妻がガンで余命わずかであることを子どもたちに伝えようとする夫婦のシーンから始まる。そこから2人の友人であるデインとの出会いや3人の関係性を、医師にガンだと告知された時期を起点に行ったり来たりしながら描いていく。実はこのやり方が若干わかりづらかった。感動的なシーンもあまり泣かせようとしていない印象だ。
その理由は最後にわかった。この話はマットと亡くなったニコルの夫婦の感動物語ではなく、マットの視点から描いた夫婦の友人・デインの物語だからだ。タイトルからしてそうじゃないか。
やはり泣けなかったが、それで評価が下がるわけではない。いい話だった。
蛇足だが、「最後の決闘裁判」と続けて観たのだが、どちらも事実を元にしていて、リドリー・スコットが絡んだ作品だった。雰囲気が全く違ってて興味深い。
【動き出した時間(1)】
この物語は、一義的には友情のストーリーなのだと思う。
特に、なんか取り柄がないデインの見返りを求めない友情。
ただ、僕は、エンディングでデインがマットの家族に別れを告げ地元に旅立つ姿と、そして、皆の今を記したエンドロールを見て、時間がまた動き始めたのだと思って、実は、そこで目頭が熱くなった。
僕の知り合いの女性が乳がんになった。
彼女は、小学生の息子と娘に隠さずにハッキリ打ち明けていた。
息子は、もうお母さんのおっぱい触るの止めるから大丈夫だよと言っていたらしい。
彼女は抗がん剤治療を乗り越え、今この息子は高校生になった。あんなトークをしていたことを覚えてるのだろうか。
ある時、食事を約束していた友人の女性から電話があった。
健康診断で肺に癌が見つかったと。それで、食事には行けなくなったと。
早期発見だったが、彼女はしばらく入院した。
ちょうど僕が精神的に辛い時期で、ちょいちょい連絡してくる僕を入院先からよく励ましてくれた。
その後、彼女は退院したが、再発した。
それでも、彼女は僕をいろいろ励ましてくれた。
あまり先のことは考えず、目の前のことに集中しなさいと。
実は、彼女自身が、そうしていたのだ。
それから、彼女は逝った。なんで彼女がと思った。
早く死んじゃえば良いようなやつが、他にいっぱいいるだろうとも思った。
そんなこと言っても彼女は喜ばないのは知ってるけれど、そう思いたかった。
でも、本当は、何もしてあげられないどころか、励ましてあげることも出来なかった自分に失望していたのだ。
同じがんでも、人によって、して欲しいこと、してあげたいこと、出来ることが違うと思う。
でも、その境目がきっと難しいのだ。
だから、やりながらでも考えられれば良いと思う。
病気は待ってくれないことも多い。でも、気持ちを持ち続けることは大切なように思う。
そして、区切りがついたら、動き始めることが大切だと思う。
逝ってしまった人のことは忘れられない。
ただ、動き出しなさいと、きっと言っているように、時間はかかったが思えるようになる時が来るように思う。
心温まるストーリーですが微妙
愛する妻が末期癌で看病を親友に助けてもらい家族の絆を描く感動作品です。
親友の犠牲が多過ぎて感情移入出来ず。
俳優さん達は皆さん熱演
亡くなる奥さんは美人でした。
悪くない感動作品でしたがお涙頂戴作品としてはありきたりかも
感動作を見たい方は是非
普通の時系列で観たかった
ガンと診断されて余命を告知される映画では、ジョニー・デップが主演した「The Professor」(邦題「グッバイ、リチャード!」)が群を抜いてよかった。文学教授のリチャードが余命を宣告されたあと、どのように生きるのかをリアルに描いている。ジョニー・デップの振り切った演技が本当にケッサクなので未鑑賞の方がいたら、ぜひ観て欲しい。
本作品はガンで余命宣告をされたニコル・ティーグ、その夫のマシュー(マット)、二人の共通の友人でありデインの3人のそれぞれの微妙な気持ちの変化を、時を行き来しながら描き出していく。ただ行き来が目まぐるし過ぎて、どの段階でデインがキレたのか、マシューが美女から誘われたのが何年のことなのかなどがこんがらがってしまった。
頭の中で場面を並べ直しながら鑑賞することになって、そっちの方に頭を使う分、感情が追いついていかなかった。時を遡ったシーンはよく使われる手法ではあるが、本作品のように使いすぎてしまうと観客は混乱してしまう。もっと普通に時系列に沿って物語を進めたほうがよかった気がする。
役者陣は総じて好演。特にケイシー・アフレックは変わっていく妻と反抗的な長女を相手という微妙な演技が要求されるマシューを見事に演じきった。主演映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のときの演技に匹敵する熱演である。
一方、ジェイソン・シーゲルの演じたデインは、自分の時間の殆どをティーグ夫妻のために費やし、私生活をかえりみない。私生活の方面から非難されるが、ティーグ夫妻に自分が不可欠であることを知っている。しかし尽くしすぎて自分の精神が危うくなる。こちらも難役を上手にこなしたと思う。特にニコルの症状が進んで暴れたり暴言を吐いたりする場面では、仁王立ちになってニコルのすべてを受け止める演技が印象に残る。
ダコタ・ジョンソンが演じたニコルのシーンでは、デインに恋人が出来ないのは、デインが現実に身をさらす覚悟が出来ていないからだと看破する。この賢さがニコルの特質のひとつだ。ニコルが指摘する通りならば、デインがティーグ夫妻を手助けするのは、現実の自分に戻りたくないからなのかもしれない。しかし夫妻の喜怒哀楽や修羅場を経験して、現実を受け入れる準備ができたようだ。
日本では年間で140万人が死んでいる。1日に3,835人だ。自殺者は1日100人。統計的な数字にはあまり感慨がないが、身近な人間の死は、それなりの衝撃がある。それは3,835人の中の1人ではない。
ニコルはひとりしかいない妻、ひとりしかいない母だ。心の交流が多いほど、喪失感は大きい。マシューやデインや娘たちの悲しみは伝わってくるのだが、あまり心に響かない。やっぱり普通の時系列で観たかった。
「愛」という一言では片付けられない
元々、予告で観て「この3人の映画なら絶対観たい」と他の方の評価も気にしていませんでしたが、とても私好みな映画でありました。
軒下で夫婦の娘たちと談笑する友人デイン(ジェイソン)、部屋ではマット(ケイシー)と彼の妻であるニコル(ダコタ)がニコルの余命を娘たちに伝えることを決断する場面から始まります。
そこから、時系列を行ったり来たりしながら、夫婦と友人3人の愛と友情の物語が語られます。
特に告知後の状況は、私自身、以前2年半ほど母の看護及び介護を経験していたこともあり、物語が単なるお涙頂戴ではなく、あくまでリアリティを感じることにこそ泣けてしょうがない感じでした。
いつ終わるかわからない、でも終わるということの意味。心身の疲労と感情のぶつかり合い。そして、次第に難しくなる意思の疎通など、本当に過酷だし、亡くなる瞬間や亡くなった後のことなど、とてもよく描けていました。
ジェイソン・シーゲル、素晴らしかったです。
なお、入場時に頂いた小冊子は原作となったマットのエッセイの一部を抜粋したものでしたが、帰宅後にそれを読んでまた染み入りました。
※このレビューの件名は、小冊子のマットのエッセイの題名の引用です。
居場所が気になったら連絡してね・・・・
デインやフェイスのような余裕のある人間になりたいと思いました。
居場所が気になったら連絡してね・・・・
安定した収入があっても、時間やノルマの束縛がきついと親の介護もままなりません。
マットは仕事ばかりで、家事も余り得意では無さそうでしたが、なんか責められない雰囲気を醸し出しておりました。
デインはアウトドアショップやバーでのアルバイトで暮らしている、スタンダップコメディアンを目指している劇団の大道具さん。
劇団の女優のニコルとはニューオーリンズの大学の同級生。
原作の案内を兼ねたB5版の小冊子を入場口でいただきました。
ニコルは34歳で卵巣癌を発症。クリーク族の血をひく、笑顔の素敵なチャーミングな女性。余命半年と言われてから2年余りの日々をアラバマ州の自宅で旦那とデインと過ごしました。
幼い娘に癌であることを話し、薬の副作用で精神的におかしくなった姿を子供に見せないようにするなど、3人の2年にわたる闘病生活はとても過酷だったと思います。
しかし、人生を潤いのある豊かなものに出来て、この二人の友情はうんと輝いていました。
余裕が欲しい❗
癌の闘病と友情
ダコタ・ジョンソン目当てで鑑賞。
儚い演技が良い。
子役もすばらしい演技だった。
癌の闘病のリアルを知らなかった。
淡々と描かれる病状の悪化、男二人の奮闘、そこに至る物語、娘の葛藤。
この俳優陣だから最後まで感情を移入して見ることができた。
【”また、会いたいよ・・”と友は言った。共に支え合い生きる一組の夫婦とその親友の、生きる喜び、哀しみ、苦しみを各々の視点で描き出した作品。単なるお涙頂戴映画ではない作品でもある。】
ー ジャーナリストのマット(ケイシー・アフレック:個人的に哀しみを湛えた演技をさせたら、No1俳優だと思っている。あの少し掠れた声と共に・・。)と、舞台俳優のニコル(ダコタ・ジョンソン)夫婦と、デイン(ジェイソン・シーゲル)の出会いから、”二つの別れ:一つは永遠の、一つは自立のための・・。”まで経緯を、ニコルへの癌”告知“年を行き来しつつ、3人の生き様を、各々の視点で描き出した作品。>
◆感想
・序盤は、時系列を行き来する描き方と、
”何故にデインは仕事や恋人を失ってまでも、マット&ニコル夫婦に尽くすのか・・”
を完全に理解し切れず、観賞していた。
だが、私は、途中で気が付いた。
”この作品は、不治の病を抱える妻と夫を友情で支える男を描いた、お涙頂戴映画ではないのだ。”
・それを代表するシーンが、デインが生きる意味を見失い、ザックを担ぎ荒涼とした土地を旅するシーンだと思う。
途中で出会った女性が、デインに声を掛け、最初は断ったデインと共に旅をし、暫く経った夜、彼のテントを訪れ、夕食を差し入れしつつ、言った言葉。
”貴方の事は、3日前から見ていたのよ・・。少し心配だったから・・。”
ハッとした表情のデイン。
そして、町にもどるデインの携帯に留守電で入っていたマット&ニコル夫婦と二人の娘からの言葉。ふざけた子供たちの明るい声と、ニコルの声の後に入っていたマットの声。
”会いたいよ、またな・・”
デインは涙を流しながら、2度、その留守電を聞くのである。
ー そう、彼も又、イロイロ苦しみながら生きていたのだ。そして、親友の言葉に涙を流し、再び街に戻ったのだ。彼も、マットとニコルの存在が有ってこそ、生きていたのだ・・。ー
・海外戦争ジャーナリスト故に不在がちのマット。それに不満を抱くニコル。
・ニコルの浮気。
・長女のマットへの不満。
ー 夫婦、家庭の危機。
それでも、彼ら夫婦と子供たちに助けられたデインは、懸命に彼らに尽くし、元の状況に戻そうと努力するのである。ー
<ラスト、ニコルが年配のホスピスの介護助力の中、静かに息を引き取った後、マットに何も言わずにマットの家を去ろうとするデイン。
が、その姿に気付き、彼を抱きしめ”有難う・・、ではすまないな・・。”と言い、静かに妻のいない家に戻るマットの姿。
真の親友とは、マット、ニコル、デインの様な関係性を言うのであろうな・・、と思った静謐な作品である。>
◆追記
・劇場入場時に、マットが記したESQUIRE誌に掲載された小さなEssay誌が配られます。
素晴らしき文章なので、一読することをお勧めします。
良い作品なのですが、確かに理解は難しい…。
今年142本目(合計206本目)。
実話に基づくとのことなので(エンディング時に出ます)、あることないことは書けない状況です。
そのため、ある程度の脚色はあるのでしょうが(お話の趣旨的に、「私は出さないで欲しい」などというのは個人が遠慮するのはありうる)、ほぼほぼ、普通は実話ベースで進んでいくものだと思います。また、エンディングロール時に出る通り、この実話をベースにした小説が先に出て、その小説を映画にしたのかな…とも思えます。
そのため、とにかく他の方も書かれている通り、時間軸の入れ替えがとにかく異様に多いため理解に非常に苦労します(足したり引いたり、いつの話をしているのかわからなくなるときがある…)。ただ、小説の記述ベースならそうせざるを得ないのでしょうね。
また、Our friends 「私たちの友人」であるのに、1回しか出ない人が結構いて(物語中盤で出るテレサさんが代表例です。
序盤で登場するシャルロットさん(シャーロットさん?)も、序盤に出るのでキーパーソンかなと思いきや、出たりでなかったりが激しくて、結局、このタイトルの割に、最後までずっと出るのは、「その舞台となる家族のメンバー」だけじゃないかな…というくらいです(シャルロットさんとか、もう少し出ても良いと思うのですが…)。
もう1つ、これ、結構気になったのですが、上記の「時間軸の入れ替え」については、とはいって、「●●から2年前」というように明示的に出ますので、突如時間軸が代わり大混乱するもの(この類型で混乱させたのが「樹海村」だった)ではないのですが、問題は「告知から●●年前/後」というところが diagnosis 「診断」なのですよね…。この語は「(検査結果などを)知らせる」という意味であり、この映画のテーマになっているある病気に対する「告知」とは微妙に違うんです(ただ、おそらく、医師から診断があったその日か、翌日かに本人には伝えているはず。明確に描かれてましたっけ?)。
これ自体は大きな問題ではないのですが(今では、インフォームドコンセントが当たり前なので、パートナー・子供のためといえども、家族内で、その方に関する病気の診断を本人に隠すというのは、やや問題になってしまう)、日本ではご存じの通り、一昔前は隠すことが当たり前に行われていたのもこれまた事実であり、この辺は正直、どちらが正しいのだろう…(まぁ、今回は結果的にどう解しても問題にならない)というところです。
ということで採点です。
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(減点0.5) 上記に書いてあるのが全てで「時間の巻き戻し処理が異様に多い」「数回しか登場しない友人 friend(s) も結構いるのに Our friends でいいの?」という点は気になりました(「診断」と「告知」の違いは、気にし始めると絶対に終わらなくなる)。
ただ、上述の通り、原作がある以上、それをあれこれ入れ替えるとまた問題になるので、原作の作者(一応、伏せておきます)の意向をくんでああ作ったのだろうとは思いますし、積極的に「混乱させる」までとは思えないので、この程度としました。
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重たいテーマ
今日はこの映画をみないとという気持ちから見た。
自分には身の回りで悲しい別れはないが、いつか誰もが経験すること。
自分はちゃんと対応できるだろうか?
また、妻の浮気をまた許せるだろうか?
またデインのような素晴らしい友達を僕も欲しいと思ったし、自分もそういう友達になりたいと思った。
会社ではそんな友だちはできやしない。
学生時代の友達に会いたくなった。
人生で死と友というテーマを考えさせてくれた
全52件中、21~40件目を表示