パヴァロッティ 太陽のテノールのレビュー・感想・評価
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「人生は短過ぎる」
ルチアーノ・パヴァロッティ
プラシド・ドミンゴ
ホセ・カレーラス
のあのコンサートがもう昔って
「人生は短過ぎる」ねぇ。
「誰も寝てはならぬ」♥
生で聞いた事は無いし、オペラを演じている姿も通して見たことが無い。騒がれて僕でも知れる様になったのは、90年代に入ってからだね。つまり、リサイタルをテレビ放送で見る事くらいだね。
でも、やっぱり、オペラは役を演じている姿を通して見たいね。
ドニゼッティの「人知れぬ涙」《愛の妙薬》はまだ見た事は無し。
タブロイド版なお話は余り好まない。
追記
オッフェンバックのホフマンの舟唄をテノールで聞きたいものだ。
追追記
三大テノールって言っても、僕には区別が突かなかった。HI-Cって言われてもね。
僕的にはヒゲ面が嫌だった。
まさに太陽のようなテノール
最盛期を過ぎたパヴァロッティについて批判的な感想を言うファンに対し、U 2のボノが言った「やつらは何もわかっちゃいない。歌はハッタリじゃない。声には、その人の生きてきた全てが現れるんだ。その人の人生が詰まってる。成功した事も、犯した過ちも、希望や欲望、全てを歌にぶつけるんだ。」という話が強く印象に残った。
パヴァロッティは、希代の大天才だったのだなぁと改めて感じた。圧倒的な美声と歌唱は言うに及ばず、立派な体躯と、舞台映えする派手なお顔、そして太陽のように明るい表情、オーラ。あそこまで魅力的かつ超有名な大スターでも、本番前には緊張していたのは驚き。
オペラを演ずるために生まれたような声
ただ美しいだけではなく情感の表現力が豊かで、オペラを演ずるために生まれた声だったと感じました。ただ、どうしても側にお世話をしてくれる女の人が欲しくなっちゃって、女性側もそれを分かってて、本人も女性たちもそれを自己弁護しているのがなんだか気持ち悪くて苦手でした。
パヴロッテイ氏 才能+強運の持ち主
歌の上手いパン職人の父親と一緒に教会で歌っていた。大人になって教師になって結婚して子供もできたが、パヴロッテイの人生と才能はそこから開花してどんどん高みに登って行く。人並み外れた素晴らしい歌声と強運を持ち合わせたパヴロッテイ。才能+強運!人生の極み!いっぱい歌って、いっぱい人々の賞賛を受けて、いっぱい稼いで、いっぱい食べて、いっぱい太って、恋愛もいっぱいして、傷つけたであろう家族にも愛されて、孫と同じ年頃の子供も授かって、友人のダイアナ妃とハグして、なんて幸せなお方と思うけど‥好きな事を仕事にして成功するのも大変。毎回結果出さなきゃなんないし、人の目に晒されて、いろいろ言われたり、好きなことが好きじゃなくなりかけたり、好きだからこそ完璧を求めて自分の歌に満足できなかったり‥辛い時もおありだったとは思うけど、人生を味わい尽くし謳歌されたのは間違い無いと勝手に思ってしまいました❣️
【多くの人を愛したテノール歌手の大男は、多くの人の心を魅了し、太陽のような笑顔と共に記憶に残る男になった・・。ロン・ハワード監督が、優しき視点で彼の人生を描き出した素晴らしきドキュメンタリー映画。】
■印象的なシーン
・パヴァロッティがパン屋でテノール歌手だった父の影響でオペラ歌手を目指す決意を後押ししたのが、彼の母親であった事。
ー母親の慧眼に驚くと共に、彼の女性に対する優しさの由来はここから来ているのではないか・・-
・パヴァロッティが史上最高のテノールと言われていたディ・ステファノの代役でステージに立ち、高音域Hi-Cを炸裂させ、大成功を収めるシーン。その後も彼は「連隊の娘」でHi-Cを9回披露し、確固たる地位を築いていくシーン。
ー若き頃の破竹の勢いと、持ち前の高音域の強さをフルに発揮した歌唱シーンに震える。又、彼はこの後も”代役”がきっかけで、別領域の音楽世界へも進出していくのだ・・。-
・最初の妻と三人娘たちとの関係性。特に娘さんのジュリアーノが病に侵された時、周囲からの非難もものともせず、公演を全キャンセルし、傍についてあげる姿。
ー後年の娘たちとの確執も、幼き時の父親のふるまいを見ていれば、時間はかかるが、氷塊するよなあ・・。良き父親であった数々のシーン。-
・1987年、若き天才テノールと謳われていたホセ・カレーラスが白血病に侵され彼を見舞うパヴァロッティ。そして、彼の復活を祝って行われたローマ・カラカラ浴場でのプラシド・ドミンゴを誘っての3人の感動的な競演シーン。
ー普通は、”俺が、俺が”となるところを(もともと仲が良かった三人であるそうな)舞台上で”三人で話し合い、君が、君が・・”と譲り合って歌うパートを決めるシーン。
そして、最後の揺れるような万雷の拍手とスタンディング・オベーション。
素直に感動する。-
・1991年、イギリスを未曽有の暴風雨が襲い、チャリティコンサートを開催した際に激しい雨の中、自ら傘を閉じた(そして、徐々に民衆も傘を閉じていく・・)ダイアナ妃を見つめてパヴァロッティが歌った(と見えた・・)「見たこともない美人」
ー故、ダイアナ妃はパヴァロッティからユーモア、人を心から愛する気持ちを貰い(そういった時期だった・・)パヴァロッティはダイアナ妃からチャリティの大切さを学んだのだな・・。
二人が楽しそうに話をする写真の数々。-
・1992年、METでコンサート予定のブルース・スプリングスティーンがキャンセルした後釜を必死で探したプロモーター、ハーヴェイ・ゴールドスミスが必死になって見つけた”代役”とは・・。
ー成程、ここからロック界との交流が始まったのか・・。全く覚えていないぞ・・。-
そして、パヴァロッティは「パヴァロッティ&フレンズ」として、スティングたち、ロック界の大物と同じステージに立つ。だが、オペラ界からは良く思われず・・。
◆観客たちの言葉
”彼の”あの声”を聴きに来たんだけれど、そこまでではなかったね・・”
ーこういったオペラ界の反応に対しての、U2のボノの言葉が素晴しい・・。
”歌の事が分かってないね。彼の今の声は様々な経験を重ねてきたから出る声なんだ・・”
つまりは、パヴァロッティの若き頃のテノール声は横隔膜をフルに活用した、Hi-Cを武器にしていたが、老年期に入れば歌い方も変わるし、観客もいつまでも昔のパヴァロッティを追うな!という事が言いたかったのではないかな・・。-
・又、パヴァロッティがボノにシツコイマデニ歌を書けよ!と迫るシーンもユーモアが漂い、微笑ましい。それにしても、凄い押しである。
”今、ダブリンにいるんだよ・・By ボノ”
”うん、今、僕もダブリンに着いたところ・・By パヴァロッティ”
笑ってしまったよ。でも、あの笑顔で攻められると、断れないし、憎めないんだよなあ。
■そして、ラスト
パヴァロッティの「誰も寝てはならぬ」の心に染み渡る歌声で映画は終わる・・。
<3人の女性と子供たち、ダイアナ妃、ロック歌手たち、そして何よりもオペラを愛し、人間を愛したパヴァロッティのユーモア溢れる姿、ちょっと我儘な姿も含めて優しき視点でロン・ハワード監督が一人の大男の人生を描き出した素晴らしきドキュメンタリー映画である。>
新鮮味はない
物凄くテノールに詳しいわけではないが、いわゆる無知な自分でもパヴァロッティの存在は知っている。それほど有名で偉大な人物。
この作中で描かれている人物像に関しては特段新鮮味がなかった印象。以前スカパーかなんかで彼の特集を何度か見てしまった事もありその時描かれていた事とあまり変わらなかったかなといった感じの印象を受けてしまった。
もちろん彼の歌うシーンは鳥肌が立つ。ただそこに興奮するのならこの作品ではなくまた別のものを目にする方がもっともっと彼の魅力に引き付けられる。
個人的にはこの作品はパヴァロッティへの追悼の意を込め表したファンのためそして、死後テノールに興味を持ち彼の生前を知らないテノールファンのための作品かなと思った。
彼の存在を一つの作品として残す意味は強く感じた。
自由人として・・・
ピンと張り詰めたピアノ線のような硬質な声にもかかわらず、なぜか温もりがあるパヴァロッテイの歌声。三大テノールの一人として、頂点を極めたにもかかわらず、オペラの世界から、ロック歌手やポップ歌手達と共演する、枠に収まりきらない生き方は、多くの女性を魅了し、私生活においても自由人そのままであった。天才ゆえの孤独感を抱きながらも天真爛漫に生きる彼の人生は、男性にとって羨ましく映る。晩年、病魔に襲われても、自由人として人生を全うした一人の男がここにいる。
彼の歌い終わった後の表情が彼の人生のすべてを物語っている。
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