劇場公開日 2021年12月17日

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「熱い映画だった。」ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男 Garuさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0熱い映画だった。

2021年12月24日
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鑑賞方法:映画館

 主人公の弁護士がショッキングな事実を目にし、使命感に駆り立てられていく過程が、ゆっくりとだがとても丁寧かつ自然に描かれている。 観ているうちにどんどん熱くなっていった。

 なぜこの弁護士は、無謀ともいえる仕事に取り組む決意をしたのか。 それほどの強い義憤を持ったのか。 その理由を、この弁護士の妻が彼の上司に語るシーンがある。 私は、その理由こそが、この映画のテーマの核心に触れるところだと思う。

 人は、自分一人の力では手に入れることのできない物を得ようとしたときに、他の人と協力関係を作り、共に行動を始める。ここに、「集団」が発生する。 人間一人ひとりの欲求が集合化することによって生まれるのが、人間の集団だ。

しかし、集団によって得られる累乗の成果は、そこに所属する人間の欲求を『過分な欲望』へと変質させる。欲望は欲望を煽り、肥大化する。そして、欲望の企業体は生命を宿し、脈動を始める。ここまで来ると、もはや人間の手には負えない。巨大化した企業体は、人間社会の中心部に深く根を下ろし、人間たちを見下ろし、操る存在となるのだ。

 つまり、大企業とは、我々の過分な欲望が生み出してしまった、実態のない化け物という事だだ。 肉体という実態はなくとも、化け物は生きている。 そして、我々を支配し、動かし、強力な生命力で止めどなく成長を続けようとする。

 化け物の成長に供していれば、豊かな生活に安住していられる。 個人が本来負うべき責任を負うことも無い。何に配慮することも躊躇することもない。働きアリとしての運命を受け入れ、盲目的に、ただ与えられた仕事をしていればいいだけだ。

しかし、それはもはや心ある人間の営みではない。 無機質な化け物の増殖活動の一端を担っているにすぎない。

 大企業が掲げる「人々の幸福のため」といった美しい企業理念は、実は生身の人間が発する言葉ではなく、人間の欲望が産み出した”化け物”が吐き出す「巧言」だということを、我々は忘れてはならない。

主人公の上司が喝破したように、大企業は、往々にして人の道を外れ、「やり過ぎてしまう」のだ。

 結局、物でも人間関係でも、有り余るほど恵まれていればいいわけではない、ということだろう。 主人公の弁護士から伝わってくるのは、豊かな人生に必要なのは、欲望ではなく、「渇望」だということだ。

 これはヒーローを描いた映画ではない。人としてごく当たり前の感覚を持った弁護士が、今現在も大企業を相手に戦っているということを伝えようとしている、我々全員に向けた強烈なメッセージなのである。

 最初は、アメリカの裁判映画―というぐらいの感覚で観ていたが、 途中で印象が変わった。  「人類の99パーセントがこの化学物質に汚染されている」 という最後のテロップは重く、なんとも言えない余韻が残る。 心を熱くさせられる、実に良質な映画だった。

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Garu