「「ホームレスにしかできない肉体表現」などあるのだろうか?」ダンシングホームレス Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
「ホームレスにしかできない肉体表現」などあるのだろうか?
本作は、主として3~4人のホームレスあるいはホームレス経験者の人々と、主宰者のアオキ氏に密着し、大阪遠征を含むダンス活動を取材する。
なぜ、どういういきさつでホームレスになったのかなども、じっくり聞き取っていく。
メンバーは50歳前後が多いが、30代から70代まで、幅広い年齢層のグループである。
ロケ地は南新宿や西新宿が中心だが、錦糸町・渋谷・吉祥寺なども見られる。
ドキュメンタリー作品としては、面白かった。ただ、ダンス映画としては微妙だ。
ダンスという文化・身体活動において、“ホームレスならでは”というものが表現されているとは思えなかったからだ。
ホームレスという人生の処し方は、希望ではないとしても特異なものだ。しかし、人間みな同じであろう。
ホームレスだけが感じられる喜びや悲しみがあるとは思えないし、ホームレスだって恥を捨てられるわけではない。ホームレスとて、人それぞれなのだ。
ましてや、ホームレスの経験が、身体表現に直結するとは考えられない。
結局、「彼らにしかできない肉体表現」などは見られず、身体の硬い中年男が心と体の赴くまま踊ればそうなった、というダンスにすぎないように自分には思えた。
そういう違和感が顕著に表れたのが、釜ヶ崎で「早くやめろ」コールを受けたシーンだ。(映画では映されてはいないが、アオキ氏の証言がある。)
釜ヶ崎の人たちは、単純に楽しみたいのであり、ダンスという高踏的なものには興味が無いのかもしれない。
しかし、それだけではないはずだと思う。
ダンスに“ホームレスならでは”、というものがあれば、共感したのではないか?
共感するものがあれば、釜ヶ崎の人たちも、自ら踊り出したのではないか?
映画のラストでは、「日々荒行」という舞踊作品が紹介される。
雨に濡れながら踊るホームレスの境遇とは対極にある、都庁の豪華でエラそうな建物を背景に映し出す。
アオキ氏の作品は、あくまで芸術家肌だ。何か無謀な企てをしているように、自分には思える。
そういう「新人Hソケリッサ!」の様々な活動だけでなく、人間の生き様まですべて含めて取材した、引き締まった良質なドキュメンタリーであった。