娘は戦場で生まれたのレビュー・感想・評価
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タイトルなし
2月の公開初日に鑑賞。 上映後に、監督でありサマちゃんの母でもあるワアド・アルカティーブさんがスカイプで生出演してくださいました。 「シリア内戦」と書かれることが多いが 「内戦」では無く 「シリア紛争」であると訴えてらしゃいました。そして、各国の政治的判断の出来る方に会ってお話しをしていくとも仰ってました。 2012年から2016年の、シリアの都市アレッポの出来事の完全ドキュメンタリーを編集した作品。 当事者である彼女達も 「私たちも(なぜそのような行動を取ったのか)わからない」 「今もあの行動が信じられない」と言っていましたが、確かにあの決断を理 解することは非常に難しい。 けれどあの場所を生きた人々の決断をとやかく言うことは出来ない。 作品中盤でこれまでに見たことのない光景を目の当たりにし固唾をのみました。 同じ映像を繰り返し流すところがあり、作品として世に出すのであれば、もう少し上手く編集してもよいのかなぁと個人的に感じるところもありました。 勿論、それによって彼女が訴えたかったことがぶれる訳ではありません。 シリアの紛争は、難民を産み、難民問題を抱える欧州の極右勢力の台頭を許す一因にもなっています。 全国各地で上映を再開しこれから上映する映画館もあるようです。
まさかここまでとは…、と改めてシリア危機の実情を実感する100分間。
本作はシリアの大都市、アレッポで生まれ育ったジャーナリストと医師、そして彼らの娘の視点で捉えたシリア紛争の記録です。 冒頭わずか数分、橋の周辺でのある出来事から、いきなり信じられないような状況に突き落とされます。その後も目を覆いたくなるような映像の数々。最後まで見通せなかった観客が多くても不思議はないです。これが演出された映像作品であれば、途中から感覚が追いつくこともあるでしょうが、本作で写し取られた映像は紛れもなく現実に起きたことです。そのため決して心理的な衝撃が軽減されることはなく、その意味では非常に辛い100分間を過ごしました。 しかしカメラは、残酷な現実だけではなく、奇跡としか思えないような場面もまた克明に写しています。ちょうど映画中盤のある緊迫した状況では、その思いも寄らぬ帰結に思わずため息をついたのですが、周りの観客も同じく反応を示していて、こうして感覚を共有できる人々に囲まれているありがたみを実感しました。 シリア紛争(内戦)は、今世紀最大の人道危機と言われてるにも関わらず、その実情は本作を含めた映像作品や報道を除けば非常に乏しい情報しか伝わっていないのが実情ということです。まだ未見なのですが、本作と同様にアレッポの状況を捉えたドキュメンタリー映画として『アレッポ 最後の男たち』(2017)などの作品群があります。これらも観なければ、と強く感じました。
夫婦は娘を戦場に連れ戻した。
ごめんなさいね。あえて、イヤらしく、こんな言い方をしてみました。
内容は「活動家女性の母としての記録」でした。
アラブの春は遠い遠い昔の話。外国の過激的勢力に乗っ取られた代理戦争は、内戦なんて簡単なもんではなく。近年はSNSによる情報戦が繰り広げられており、アサド政権を支援するロシア・イラン、反体制派を支援するサウジ・トルコ・カタール、難民・民間人犠牲者・ロシアによる空爆をセンセーショナルに報道する西側メディア、と有史上最も複雑な内戦、と言っても過言じゃないくらいに酷い。
内戦の残虐性を生々しく伝えてくれるこのドキュメンタリーに、ただ一つ疑問を投げかけるとしたら、「なぜ娘をアレッポに連れ戻したのか?」。まぁ、トルコだって安全ってわけじゃないですけどね。
ちなみに、米国がこの1月にバグダッドで殺害したイラン革命防衛隊のソレイマニー司令官は、この内戦におけるイラン軍の関与に指示を与えていたとされる人物。米軍はシリアから撤退していますが、関与は継続している。
声を上げてくれ。頼むから泣いてくれ。泣き声を上げろ。泣け。泣け。泣いてくれ。
妊娠9カ月の妊婦と胎児。逆さにされた胎児の瞳に光が宿り、鳴き声を上げた時の嬉しさは生涯忘れられない。ここだけは感動した。
シリアのドキュメンタリーとしては衝撃的ですが、扇動的でもあり。いや、最後に「Justice」の言葉さえ見なければ、違う思いを抱いてたんでしょうけどね。あそこに、正義なんて存在しないでしょ。子供の命を守る事は正義ですけどね。アサドを倒すために国際的な介入を求めると言うような内容のコメントもありました。ロシアの無差別な空爆を非難するのは判ります。しかし反体制で最も残虐なISILの掃討が開始されている時点で、アレッポに留まるのは、さすがに無理なのではないかと言う気もする訳で。
なんか、やっぱり、ちょっと気分複雑かも。
母としてジャーナリストとして伝える、世界に届かぬシリア民の悲痛な叫び
開始冒頭、幼き我が子を映す母親。でもその途端、凄まじい爆音が響き、周囲から白煙が噴き出てくる。 この世に生を受けたばかりなのに、いきなり死の危険に晒されてしまう現実。 その後もカメラは、周囲で次々と起こる死と、その現実から逃れるかのように幼き娘の笑顔を交互に映す。 それでいて、爆撃によって死んだ親子を映しながら、「子どもを埋葬する前に死んだから」という理由で、死んだ母親に嫉妬する。観客の心も揺さぶれば、彼女自身の心も揺らいでいる。 それでも彼女は、ジャーナリストとしてカメラを回し続ける。 娘の名に、アラビア語で「空」を意味する「サマ」と付けた彼女が望む空には、爆撃機は飛ばない。
かなり偏った立場の人が撮った作品。批判する気はないけど・・・
アラブの春と呼ばれる政治運動当初から活動していた方の作品で、かなり偏った立場の人が撮った作品。 シリアは少数派の政権が多数派の民衆を支配する国家体制だけど、さかのぼれば植民地支配の方法として宗主国(フランス)がもたらした国家体制。 支配される側が政権を不満に思うのは当然なんだけど、歴史的な背景には踏み込んでない。 また、スクリーンでは主人公側には武器がほとんどないように描かれてないが(一瞬だけ画面に映る)、戦闘員と民間人が混在するなかで戦闘員も負傷しているはずなのに、不自然に省かれてる。 というか、一旦国外に出たのに生まれたばかりの赤子連れて包囲されてる都市に戻るのは普通の人間ではありえない。それだけ反政府活動に思い入れがあるのだろうけど、だからこそ偏った立場の人が撮った作品と言える。 安全な立場にいる人間が気安く作品を批判する気はないけど、少し割り引いてみた方が良いのではと感じた。 ついでにいえば、最後のドローンによる空撮は完全に蛇足。後から撮影したことが丸わかりで映像全体が嘘っぽく見える。
【”アレッポの悲劇”を風化させない意義ある作品。アサド政権とロシア空軍が行った、人道上卑劣極まりない事を世に明らかにした作品でもある。】
シリア革命(のちに内戦という言葉になってしまう・・)を描いた映画は幾つかあるが、この作品ほど彼の地で実際に何が起こっていたのかを雄弁に語る映画を知らない。 反体制派が、一枚岩になれずイスラム過激派のような組織の介入を招いてしまった事も事実だ。 そして、一部の反体制派の非道な行いがアサド政権を強硬姿勢に向かわせたことも事実である。 だが、アレッポの一般市民は、彼らの思惑以上に拡大、激烈化していく内戦の完全な被害者になっていく。 今作をスマートフォンで撮影し、監督したワアド・アルカティーブと、後に彼女の夫となる医者ハムザが私たちに訴えかけてくる事は重い。 サマ(空という意味だそうである・・)を宿し、喜ぶ二人の姿、サマが生まれた時の幸せそうな二人の姿。 が、状況はどんどん悪化し、”サマを産んで良かったのか?”というところまで追い詰められていく二人。 どんな時でも笑顔を絶やさなかったハムザの表情から笑顔が消えていく・・。 その傍らで、子供たちが、爆撃により亡くなっていく様が次々に映し出される。必死で救おうとするハムザ達僅かな医師達。観ていて辛い・・。 又、アレッポから脱出せず、空爆により負傷した市民を救うために奮闘する医者の姿に頭を垂れる。(劇中、サマを取り上げた医者の死が告げられる・・。) 今作で、最も怒り心頭に達したのが、アサド政権とロシア空軍が”病院”を次々に空爆していく場面が映し出されるシーンである。 ー 病院を空爆するなどという事は、人道上、到底許されない。ー 徐々に包囲されていく、アレッポの市民達。そこには、ワアドとハムザとサマも含まれている。 そして、2016年12月22日 アレッポは陥落する。彼らが決死の思いでトルコへ脱出する場面の緊迫感は凄い。(ハムザは顔が割れてしまっている・・) <彼らはアサド政権に負けたのではない。サマのため、そして新たに産まれてくる幼子が、安心して空を見上げる事が出来る場所に活動の拠点を移しただけだ。 そして、彼らはこの作品を世に送り出した。そこには、アサド政権とロシア空軍が行った卑劣極まりない事が確かに記録されているのだ。 最後に勝利したのは、どちらなのかは火を見るより明らかである。 彼ら”4人家族”が笑顔で映っている映像に心底、良かった・・と思った。他の多くの脱出された方々も元気で暮らしている事を心から願いたい。>
人類とウィルスとの闘いは永遠に続くだろうが、戦争という人類の愚かさも止まることはないのだろうか?
①空爆を受けて重傷をおった9ヶ月の妊婦から帝王切開で取り出した赤ちゃんが、医師の必死の処置で泣き声を上げたところは心底感動した。しかし、その後は正視出来ないほど悲惨な光景が続く。
相変わらず、。
民間人を殺しているのは政府軍だけではない。 反政府軍も無関係の民間人を大勢殺している。 この女性は本当にジャーナリストなのだろうか? あまりにも一方的で偏った作品に思え、中立性が感じられない。 そのせいで、映像をそのまま鵜呑みにし、政府やロシアが一方的に悪いなんて言う人が現れる始末、、。 結局は人の死を利用した、反政府側のプロパガンダに感じてしまった。
残虐で無残
病院をも攻撃してくるロシア軍 もう言葉がでない 母 「爆撃音で普通の子供みたいに泣かない娘を見てると辛くなる」 目の前で我が子を亡くした母 「撮影してるの!?ならこの酷さを世界に知らせてよ(泣)!!」 母 「子供の死を見なくて済む死んだ母親に嫉妬する」 って…… 本当にシリアの内戦の酷さが伝わってきました
戦火のアレッポを撮り続けた女性がいた
1年以上のブランクが空いたが「ラッカは静かに虐殺されている」「ラジオ・コバニ」「バハールの涙」に続く自主企画『シリア発見』の第4弾。 2011年から始まったシリアの内戦は泥沼と化し、数十万人の命が失われた今も収束の兆しはない。 今作は2012年から2016年にかけてシリア最大の都市アレッポの姿をそこに住む一人の女性が捉えたドキュメンタリー。 アレッポ大学に通う女子学生ワアドは反独裁政権のデモへの参加をきっかけに映像を撮り始めた。しかしデモの高揚感も束の間、ロシア軍の後押しを受けた政府軍の攻撃が激化した。 結婚、出産、医師の夫と病院で過ごす日々。爆撃により廃墟と化していく街。おびただしい数の死傷者。SNSで世界に映像を発信したが救いはなかった。政府軍に包囲されて半年、国連を通じての最後通告によりアレッポを後にした。 ワアドは生まれた娘に『サマ』と名づけた。『空』を意味する名前だった。平和への願いをこめた。 生き延びたことが奇跡。この作品が在ることが奇跡だ。
極絶リアルドキュメンタリー
一方的な意見も含まれているので、この映像が全てでアサド政権が全面的に悪いなんて思わないけど、爆撃や病院に運び込まれる負傷者の様子はすざまじい。
撮影器材もハンディカムや携帯電話で素人が撮っているので手ぶれが酷いし、爆撃の音がしてビクっとしてそちらにカメラをターンするという超絶にリアル、臨場感が半端無いです。
アレッポの街が包囲され、物資が入ってこなくなり、どんどん住人が街を出ていく。直ぐ近くまで爆撃が迫っているのに、それでも陽気に日々を暮らす人達。最後に1つ残っていた柿をもらったと喜ぶおばちゃん。何故か肌の色艶がいい。
柿を食べたいから戦争を止めて欲しいと願う(((^_^;)
日々攻撃が酷くなり、病院まで標的にされ、人道的見地からも憤りを感じる。
『プライベート・ウォー』で観た景色と同じ…人が住める状態ではない。水道も止まって水が出ない。病院の床は清掃も出来なくて、そこに怪我人が運び込まれるので、まさに血で血を洗う有り様だ。
最も印象的な場面は、ついにアレッポを出ることになり、柿のおばちゃんともお別れ…あんなに明るかった人だが、やはり別れは辛い。ピカピカの肌に涙が一筋。それを幼い娘が小さな手で拭う。どんどん綺麗な肌が汚れていく。何故なら娘さんは手を洗ってないから。
爆撃の音にも動じず寝ていた娘サマ…無事に成長して、この映像を観ることが出来るのだろうか?果たして何を思うだろう?
現実に戦争は続いているのだと言うことを、同じ時代を生きる者として改めて実感させられた…この映画が存在する意味は大きいと思う。
誰も助けない
シリアの現状は世界中に知られているにもかかわらず、誰も助けない。私も映画を見るだけで、心を痛めても具体的には何もしない。日本の近い将来も同じような状況になるかもしれない。世界中で有り余っている武器を消費する場所が必要なのだ。利用価値がなくなった後の日本が、その場所に指定されるかもしれない。その時、世界は日本を助けない。誰も助けない。武器商人と投資家たちが「もういいだろう」と納得するまで、破壊し尽くされる。金と命が交換された後、辛うじて生き残った人たちは果たして幸運なのだろうか…
死がすぐ目の前なのに
リアルな戦争、爆撃され包囲されている中での撮影は、まさに緊迫感がハンパない。 歴史的な背景や、国際的な立場とか政治とかわからなくても響くものがある。 ジャーナリストとして伝えたかったものとか、政権への反発とか。けれども、そこに巻き込まれるこども達とか、親だからこその葛藤とか。 それにしても。 人間は愚かだ。 造っては壊し、生み出しては殺し。 そのくせ自然の力には無力なのに、自分たちで種を守らない。 争うことが使命かのように、今もどこかで殺し合っているのだろう。
身に迫る
普通の街の学生運動が地獄の戦場へ、更には大虐殺の現場へと変わり果ててゆく記録。 何故誰もこれを止められないのか、何故なにも知らない子供たちが犠牲にならなくてはならないのか、問いかけ続けるほかないが、答えは与えられない… ただ、子供たちだけが未来への希望であるのもまた確か。 ごく個人的な範囲を記録しているのもより身に迫ってきて良い。
瓦礫のなかの笑顔
戦場にあっても笑顔を絶やさぬよう努める人々が、そこには確かにいた。 大人のおどけた行動に声を上げて笑う幼児。 柿をもらって笑顔で喜ぶ大人。 顔に落書きをし合って喜ぶ医師ら。 背中におぶさっていた子供が、爆弾の音に驚いてお漏らしをして、背中にあったかいものが広がったと笑って皆に話す大人。 大怪我をした妊婦から帝王切開で取り出された息もせず心臓も動いてなかった赤子が、医師達の必死の蘇生で泣き声を上げたのを見て、おもわず手を叩いてしまった。 そこには確実に人の生きようとする力があった。 だが、つくづく地獄は人間が作り出すものだと思う。 天や神が地獄を作ったのではない。 人間が作り出すのだ。 シリア内戦は、アラブの春に呼応して始まったスンニ派の人々のアサド政権に対する民主化運動に端を発したものだ。 アサド政権は、これに強硬に反発。 アサド政権打倒を目指すアメリカやフランスは反政府勢力を後押しするが、反政府勢力の内部分裂や、イスラム国の侵攻、クルド人組織の関与、周辺のトルコやサウジアラビアなどは国境線の防衛のために軍を派遣したり、内戦は一層複雑化していった。 そして、アサド政権側はイランの支援を受けるイスラム過激派のヒズボラのみならず、ロシアの支援も受け、反政府勢力の拠点、アレッポへの攻撃を強化していく。 こんな中、アメリカではトランプが大統領となり、シリアへの関与は薄まり、イスラム国のとの対決は継続したものの、イスラム国の掃討をもって、シリアからは手を引き、シリア民主化はより一層遠退くことになった。 アレッポの街は、まるで映画のセットで誇張されたゾンビの住む廃墟のような感じだ。 とても、現実とは思えないよう瓦礫の世界だ。 犠牲者は既に38万人を上回り、国内外の避難民は合計で1200万人にのぼると言われている。 ロシア軍の空爆には憤りを禁じ得ない。 アサドは第二次世界大戦後で最も多くの人を死に追いやった人物とも言われている。 こんな酷いことをなぜ同じ人間が出来るのか。 やはり、地獄とは人間が作り出すものなのだとつくづく感じる。 だが、伏線がある。 第一次大戦後のオスマン帝国の崩壊を機に引かれた国境線や支配者は主に欧米戦勝国の思惑などを孕んで生まれたもので、民族や宗派など十分に考慮されたものではなかったこと、のちにイスラエルの建国で中東の緊張が一気に高まったのだ。 中東の地政学だといって先進国が傍観していられるようなものではないのだ。 また、こうした政府、反政府勢力への武器供与は欧米やロシアなどからも行われており、シリア難民の受け入れを積極的に行わない先進国武器輸出国は単なる責任逃れをしているに過ぎないとの非難は、ローマ教皇の弁だ。 やはり、地獄は人間が作り出すのだ。 僕達が幼い頃から聞かされた地獄と違うところがあるとすると、この地獄は、亡者が蠢くのではなく、人の信念や生への渇望があるところだ。 この作品を観て、「彼らは生きていた」や「1917」で感じたことも吹き飛ぶようなインパクトを覚える。 人間の残酷さや非道。 逆に、人の信念や生への渇望。 そこにはエンターテインメントとは真逆だが、圧倒的なリアリティとメッセージがあった。 出来る限り多くの劇場で長く公開されることを祈ります。 特に若者に観て感じて欲しいと。 ところで、日本は僅か50人程度のシリア難民の受け入れも拒否している。 また、日本がロシアにシリア民衆に対する空爆を止めるように強く抗議したと聞いたこともない。 ロシアを慮って、経済協力ばかり進めても、北方領土の返還ばかりか、返還交渉のテーブルにも着けてないではないか。 外国人労働者の受け入れが急務になる今、せめて難民の受け入れ程度は実施して欲しいと心から思う。
評価するのが難しい
作品というよりも、記録としての価値が凄すぎて、評価するのが難しい。しかし、明らかに私的ドキュメンタリーのような作品に仕立てているので、映画観賞による個人的立場でしようとは思うけれど、やっぱ難しい… 正直、面白いものではなかった。当然といえばそうなのだが、後追いのように語られているシナリオとか、廃墟と化したアレッポの洗練されすぎたドローン映像のためか、何となくリアリティを持てなかった。 とはいえ、映し出される内容は凄まじい。 あまりの悲しさや過酷なものを目にしたとき、一瞬リアルに見えないという出来事を知っているのであれば、まさにこの作品がそれ。 大量の死体や、数々の子供の死と涙など、目の前の映像が本当だと分かっていても、それを受け入れることができないという思いが働くのか、別世界の虚構のように見えてしまう。これほどまでの境遇に生き尚かつ執拗に記録し続けたこの志には、ただただ頭が下がるのみ。 ただ、リアルに見えない分、自分の子供を利用しているようにもとられかねない危険性も感じてしまった。 いずれにせよ、価値ある作品であり、多くの人が目にするべき映画だと思った、この悲惨な出来事をもはや忘れてしまっているだけに…というより真剣に目を向けていなかったという方が正しいのかも─。
見なくてはならない
たとえ残酷でも、恐ろしくても、同じ時代に生きている者として目を背けてはいけない、見なくてはならない映画。 医療機関すら政府の攻撃の対象になるような世界。決して別の惑星でも、地球の裏側でもない、すぐ近くで起きている事。そしてシリアから逃げてきた難民は、日本にも暮らしている。私たちもまた、多くの"サマ"のためにできることをしなくてはいけない。
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