娘は戦場で生まれたのレビュー・感想・評価
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何もできない 何もわからない
世の中のこと何もわからない。 なんで見知らぬ人を殺してまで争うのだろう。 苦しんでいる人から助けてと言われて何ができるのだろう。 何が正しいのだろう。 考えれば考えるほどわからなくなる。 プーチンとゼレンスキーが1日でも入れ替わって物事が見られたら、イスラエルの人たちとパレスチナの人たちが同じように1日でも入れ替われたら。他の人の目で世の中が見られたら争いが減るのだろうか。
どうすればいいの?
これが戦争のリアルか。弟が死んでしまった兄弟たち、爆撃に遭わないよう家に入れと言ったらその家が爆撃されてしまった。下のお兄ちゃんは最初から泣いてたのに対して、上のお兄ちゃんは状況を説明してて冷静だなと思ったけど、弟が死んだと分かったらボロ泣き、こちらまでボロ泣き。その後にさらに取り乱したお母さん。なんでこんなことにならなきゃいけないの?怪我した子どもと病院に入ってきた別のお母さん、カメラに気づいてものすごい剣幕。撮るなと言うのかと思ったら撮ってくれ、そして世界に知らせてくれだって。そもそもシリアの政権争いになんでロシアが首突っ込んでくるのよ、こんなのロシアが悪いじゃんと思ってたら、ナレーションで「私の動画は何万人にも見られているのに誰も政権を止めない」と言われてハッ!と同時に、え!私?私もシリアに口出しするの?まあ私じゃないにしても他の何者かが入ってきたら泥沼だよね。もうこれどうしたら解消されるの?こんがらがった紐は切るしかないのか?何をどうしたらいいのか全くわからないけど、少なくとも全世界の人がこの映画を観てほしいと思った、そうすれば多少何かが変わるのではと。
❇️目を背け映画を観るのを辞める。心が整ったら鑑賞の繰り返し
娘は戦場で生まれた 2011〜2016年🇸🇾シリアのアレッポ 無鉄砲で頑固な女性が主人公。ジャーナリストを目指していた。 生まれてばかりの子供を抱えながら、空爆の被害で亡くなる人々や怪我を助ける仲間たちとシリアの自由を求めて戦う。 活動家か?家族の元に帰るのか? 次々と死んでいく仲間達。 活動家として現地に残る者の決断 ありのままの生活や救出の映像をカメラに納める衝撃映像ドキュメンタリー。 ◉採点不能点。B ❇️目を背け、映画を観るのを辞める。そして心が整ったら、また鑑賞の繰り返し。 ★彡こんな酷い映像二度と観たくない‼︎ 何故人間どうしてこんな事になるんだ‼︎ 怒りが込み上げてくる💢 ☑️何故シリアの内戦になってるのか‼︎ 2010年独裁政権を不満に思ったチュニジアの青年が焼身自殺で訴える。イスラム教は自殺を禁じている為、重罪とされた事をきっかけに、暴動が起き20年続いた独裁政権が崩壊。「ジャスミン革命」 こうした民主化運動が活発なって、アラブ諸国に暴動が起きていた。「アラブの春」 この内戦の最中のドキュメンタリー 1️⃣観なけれはいけない残酷な映像。 ★彡この映画を観ていない人に伝えないといけないと思う使命感も湧くが、何にもできない。 2️⃣本当に奇跡も見れる‼️ ★彡ネタバレできませんが凄い奇跡を観た! 本当の映像なのでちょっと引くくらいの奇跡でした。 3️⃣親の思い。行動は正解か不正解か? ★彡子供たちの事を考えれば正解は明らかなのでは?と思ってしまう。でも正解はわからない… (備考)2023年2月6日 トルコシリア地震 ★彡映画とは関係ないがこの舞台の街に震度7.7の大地震発生。
シリアの事情がよく分かるドキュメント!、映画館でウクライナ問題の前に見ました。
世界情勢にうとい旦那の勉強のため、「よし、今度はドキュメントだ!」と考える、ちょうどいいものを選んで見たところ、内戦というものがわたし自身よく分かりました。 ジャーナリストの奥さんと医師の旦那さん夫婦が、撮影を数年にわたって続けました。 旦那さん、最初別の人と結婚していたのですが、いつのまにかジャーナリストの奥さんと結婚していたという、目立たないロマンスも入っています。最後の逃げるところは、大丈夫なのかとハラハラして、見ていられなかったです。 内戦をしていない国に住んでいることは、それだけでも素晴らしいことなんだと実感しました。日本ってなかなか、良い国ですよ。 ですが、シリアにもいいところはあります。 大学の医学部が無料では入れたり(すごいうらやましい!)、 一日8時間働かないことが普通だったり。 難民として日本へ来たシリア人は、シリアと比較して、日本の労働は大変だと感じることもあるそうです(NPOの会報誌に書いてありました)。8~14時までで仕事終了、とか普通みたいです。 ドキュメントの内戦のひどい映像に、非常にショックを受けたため、翌月から毎月NPOの難民支援団体に寄付しています。日本は島国のため、難民に対して理解がなく、収容所へ入れられてしまいます、子供も含めて。会報誌にはいろいろなことが書いてあるので、日本の良いところも良くないところも見えてきます。 難民だとウソをついて、入国する人も多いから仕方ないのかもしれないですが、難しい問題だと思います。難民が日本に増えることも、良いことなのか、わるいことなのか、分かりません。ですが、命を守るために逃げてきた人を受け入れる必要はあると思います。 ウクライナの人は普通の難民の人と比較すると、日本では特別待遇となっています。これも、なかなか難しい問題だな~と思います。日本では難民を申請しても通りませんので、ウクライナ以外の難民の人たちは、即収容所へ入れられます。日本にも収容所があることを会報誌で初めてしりました。 難民を受け入れることが、日本にとって良いことなのか、わるいことなのかは、私には判断ができませんが、命が大切なことは分かります。それだけは真実ですよね。 そんなわけで、毎月クレジットカード引き落としで、ほそぼそと寄付を続けて数年になります。 今の私にできることは、それくらい。なんとも、しょぼい現実です。 ドキュメントの内容としては爆発音とかすごいです。夫婦が住んでいた家がボロボロになったのを見たとき、何とも言えない気持ちになりました。毎日あると、当たり前になりがちですが、平和な生活って本当に大事なことですね。 現在は亡命先のイギリスに住んでいます。 夫婦と子供でイギリスへ亡命できたのは、医師とジャーナリストという立場があったからなのでしょうか?。そこは1つ疑問なところです。イギリスだと難民申請がとおりそうなので、日本へまちがって来てしまうよりはいいですよね、優遇されたのでしょうか。 良い内容なので、内戦がどのようなものなのか、勉強したい人におすすめです。 すこし、いや、かなり、残酷な映像もあります。
この映画のジャーナリストのイデオロギーを絶賛する
正解はやはり逃げる事だと思う。ただ、それだけだと思う。白旗を掲げ、逃げる。それまでの犠牲を考えては駄目だ。『自分達の子供に、自分達と違う人生を歩んでもらいたい。それでアレッポを出た』この言葉だと思う。
しかし、ロシア軍が背後にいるいないは兎も角、内線はたしかな事。つまり、同じ国の中で戦争をやっているって事。
かつての日本でたとえるならば、沖縄でやった地上戦みたいなもの。ほとんど同調圧力で『お国の為に』と言わされながら、アメリカ軍ではなく、自決したり、自決を強要されて拒んで、日本軍に殺される。つまり、少なくとも日本軍は沖縄県民を守ってはくれなかった。勿論、東京大空襲も2つの原爆も早く白旗をあげないから落とされたとも言える。平和を望むなら、早く白旗を揚げる事も一つの手段だと思う。僕なら最初に逃げるが、この映画のジャーナリストのイデオロギーは絶賛する。一点の曇もなく、共感できる。傑作だと思う。
何をどうすれば良いが?どうすることも出来ないのだから、少なくとも、自分達の生活を守れる様に活動なり、運動をしていくべきだと思う。差し迫った話では反原発運動とか。(ザポリージャを考えるなら急務) まだまだ
いくらでもやることはある。要は自分で考える事が大事だという事だ。
戦争は終わっていない。私は平和ボケしている。
地響きがするほどの爆撃音。 さっきまで笑顔で話していた身近な人が一瞬で死んでゆく。 死と隣合わせの毎日。 それでもユーモアを忘れずに笑って話す人たちを見て、自分がいかに他国の戦争に無関心で無知だったかと思い知らされ恥じた。 今まさにウクライナの人たちはこんな状況なんだろう。 彼女が途中、自分はこうやって現状をネットで世界に配信しているが、誰も助けてくれない、と言っていた。私はいったい何をどうすればいいのだろう。 どうすれば戦争を終わらせられるのか。誰か教えてほしい。
誕生のドキュメンタリー
何が生まれるのかは作品を観ればわかる。私たちが見ているようだが、これはこのドキュメンタリーに観られているのである。戦場を知らない人が安易に自分も同じ境遇とは言えない世界である。
戦禍の家族
ドッカンドッカンいう中で 医師としてジャーナリストとして 父として母として子供を抱え生きていく このウクライナ紛争の今だから見た こんなことが実際、世界のどこかで起きてしまっているのに どうすることもできないのか、、
武装勢力の拠点を理由としても民間人が生活している場所に爆弾が落ち続...
武装勢力の拠点を理由としても民間人が生活している場所に爆弾が落ち続けている状況が長々と続きその期間の記録が失われずに残ったこと事態が貴重。 偶然テレビ放送で見出してしまったけれど、携帯のカメラが写す加工のない映像の生の力にどうしても目が離せなかった。
100分が永遠に感じられる。
僕の弟は中東へ、 爆撃をやめさせるための「人間の盾」になるために、戦地に行っていた事があるのです。 医薬品を届けに。 「人間の盾」の積もりだったのに日本人がいても攻撃はお構い無しだったそうですが(笑) 機関銃をよけるために猛スピードで走らせるトラックが道路真ん中の爆撃の穴に落ちて大破。薬瓶も全損。 そうしたら、しばらくの静寂のあと、無人としか思えなかった瓦礫の街から、一体どこに隠れていたのか、人が出てきて土にまみれた錠剤を 「よく来てくれた」「悪かったね、ありがとう」と言いながら、彼らは泣きながら一粒一粒、薬を拾ってくれたのだと。 あまり多くは語らなかったけど、弟は かの地の人々を忘れないために髭を伸ばしています。 弟のためにも僕もこの映画を観ることが出来て、良かったと思います。 ・・・・・・・・・・・・ 【女子大生の自撮りからスタート】 家族の記録として撮られた個人的なビデオが、 あとから振り返ってみれば爆撃に追い詰められていく市民の「戦火のドキュメンタリー」(という位置付け)になったのですね。 【報道に中立性はあるか?】 現場が現場だけに、シリア内戦の原因や、進攻の顛末への客観的な分析、そして報道の中立性などというものは、あそこで20代の娘ワアドに期待するほうが土台無理な話です。 「私の街アレッポ・・」の呟きは開始間もなく飛び出します。 この一言で、撮影の前提・コンセプトが最初に宣言されているものと言えます。 (外から取材に入った外国人のジャーナリストなのではなく、ワアドはあくまでもその街の住民・若妻・母として、“一人称”でこれを撮って いる)。 【「敵」は誰か】 だから今まさにワアド一家の上に爆弾を落としている戦闘機が「敵」。背後の政権と、武器供与のスポンサー国が「敵」。即ちワアド一家にとっての現実のそれらが今の「敵」なのであり、かつ倒すべき「悪」なのであると、 ・・彼女は守るべき「娘」を抱えながらその母性本能でそう判断し、ナレーションをなす。そのことは間違っていることではないと思います。 あくまでもふるさとを撮った私的な家族の記録なのですから。 仮にもしも、 逆にロシアの戦闘機がワアドたちを救い、アサドの兵が夫ハムザの病院を他の勢力から守った結果になっていたのなら、ロシアとアサドはワアド一家の「味方=正義=justice」 になるでしょう。 ・・と、解釈はしてみましたが、 でも 鑑賞中ずっと僕は 畜生 畜生 畜生 畜生 畜生 畜生 畜生 畜生 畜生チクショーぉー! と声が出て呻くばかりでした。 特にコンクリートの粉塵で顔から頭から真っ白になった兄弟が、小さな弟のむくろを病院に運びこんだところ。 わなわな体が震えて、嗚咽がどうにも抑えられませんでした。僕にも弟たちがいるもんで。耐えられなかった。 ・・・・・・・・・・・・ 医師である夫ハムザは、職務への責任から命を冒して戦場に戻ったのでしょう。その夫について行った妻は、ほぼすでに救命病院のスタッフです。 脱出先のトルコから戦地アレッポへのまさかの帰還、あれは使命感と極限状況の異常心理で、アドレナリンが出てハイになっていたとも。 【標的にされた者が着弾地で撮る意味】 とにかく、特異な記録映画です。 狙撃され、爆弾の標的とされ、だんだんと近づいてくる着弾の爆発音をひとつ、ふたつと計って数えながらの撮影。 と、裏の建物に被弾。もうもうたる煙が吹き込んで壁一枚で たまたま辛うじて生き延びる。 その日その日の爆死を免れていた「殺られる側からの」撮影映像ですから。 僕の父が言っていたんですよ、沖縄戦の記録映画を見ながら、彼はこう言いました (そのフイルムはアメリカの国立公文書館に保管されていた膨大な記録映像を沖縄県がコピーして買い取ったものです) ・・曰く 「本当の戦争の映像ってもんは、余裕ある勝者側からの、=従軍カメラマンによる撮影=ではなく、あの火炎放射機の炎を浴びせかけられている人間がその瞬間最期に見た光景だ」。 その意味ではアレッポの病院での映像は、「それ」なのだと思いました。 ワアドの撮影は、本当なら、親バカのママが撮る、子供の誕生日やらハイハイやら、我が子のありふれた微笑ましい、そして見せられる側からすればまったく迷惑なホームビデオになるはずのものだったのです。 ・・・・・・・・・・・・ 原油が出ないから二束三文の土地だけど、“死の陣取り合戦”はきょうも続く。 人の罪の記録。
権力の牙
実際の戦火の街で、街の上からではなく、街の下で起きていた事実を記録した貴重な作品。権力者は自国民であろうが、子供であろうが、割と簡単に兵器を使って殺しにかかってくるんだということが良く理解できました。 人を殺す者と人を助ける者、新しい生を受ける者。毎日の様に沢山の死が訪れ、沢山の生命を預かる。彼らが何故逃げずにアレッポに留まったかは、街の下にいた彼らにしか分からない。 街を丸ごと破壊できる数々の兵器や武器は、直接的にも間接的にも先進諸国が供給してる。そんなに利益が欲しいなら、武器商人も投資家も、人間の住んでいない場所で、兵器や武器を消費して欲しいと心底思う。戦争は絶対に嫌。 政治的な思惑と企業の思惑が重なれば、明日は日本がシリアになってるかもしれない。権力者は割と簡単に自国民を殺します。
映像の力を自分も信じたい
戦争というより一方的なジェノサイドに近いシリアの状況。 ただ自由を象徴するアレッポにい続けること、その現場を世界に発信することで勝利が待っていると信じている反体制派。 しかし状況は悪化するばかり。こんなグローバルな世界になったのに、このシリアの状況が許されているという絶望に心が痛む。 自分が、愛する人が次の瞬間にでも死にうるストレス最大の場に、それでも残り続けたいと思う理由とは… (こんな場にいると)「何も感じなくなる」という住民のセリフがあったが、明日もその次の日も普通に来ると思っている我々よりもずっと多くのものを1日1日に感じていることだろう。 生命以上に大切なものを持つものの強さ、そして脆さを同時に感じた。 この映画が世界の多くの人の目に触れれば何かが動く一歩になると信じたい。 誰もが見たがる映画ではないと思うが、ミニシアターから脱出してほしい。
シリアの現実
テレビのドキュメンタリー番組でも良かったような気もするが、現代のシリアの現状を世界に訴えたかったから映画にしたのだろうかと思う。 内容は、反政府軍サイドからの見方なので、アサドやロシアが敵となっている。 しかし、いくら反政府軍に対する攻撃とはいえ、自国民を殺し、自国の街や建物をこれだけ破壊出来るものだと思った。 病院とわかってて空爆するのはやはりいけないでしょう。 内戦終結の光が見えないのが悲しい。
全ての戦争に反対!
無情な砲撃、空襲、反体制集団が多く集まる地域という理由だけで爆撃されるアレッポ地域。被害に遭うのは善良な市民たちのみであり、手を失った子ども、血まみれの患者、病院の床は血の海と化す。ロシア軍の空爆は反体制派の住む地域を包囲するように周りを徹底的に破壊していったのだ。 政府軍よりもイスラム過激派の方が安心?そのくらい政府軍とロシア軍の非情さが恐ろしかったのだろうと想像できる。12年から16年まで続いた内戦。この作品における特徴的なものとして、戦争の原因が描かれていないこと。それだけ多くの市民が巻き込まれ、撮影したワアドさんも最初は中立の立場だったに違いない。 最近の映画としては、この戦禍から逃れようとしたシリア難民を描くものが多いけど、こうした現状じゃ逃げ出したくなるのも当然。アレッポ陥落のときに、投降すれば命だけは助けるという声もなぜか非現実的。反逆者として抹殺される可能性だってあるのだから。 戦争の虚しさ、そして爆音により臨場感もたっぷりで、家族は生きて帰れるのかという緊張感に圧倒され、涙を流す暇さえなかった。もっとも緊張したのは誕生した赤ん坊を医師たちが懸命に蘇生させるシーンでした。それにしてもご主人のハムザ医師のお茶目なところで安堵させられたなぁ・・・彼の性格がなければ正視できなかったかも・・・予想していたので、座席は隅っこを選びましたが。
平和な国に生まれて良かった、ではなく…
知らな過ぎる…と見終わった後 自分が恥ずかしくなりました。 国中どこに行ってもほとんど日本人で どこに行っても安全で安心。 それが当たり前。 でも今この時も、世界のあちこちで 理不尽な紛争があり、罪のない 子供達、市民が犠牲になっている ことを忘れてはならないと感じました。 紛争の地に、我が子を連れて 戻った両親になぜ?と思いましたが、 ほぼ1民族、ほぼ仏教徒、ほぼ1言語の 私たちに良い悪いとは、言えないのでは ないでしょうか。 彼らの思いは、もっと崇高な気高い 思いを貫いたのではないかと思いました。 うまく表現できませんが…^^; 同じ人間同士で、ここまで無残な事が できるのかと、憤慨というよりは 悲しみで胸がいっぱいになりました。 どんなに悲しくても、酷くても、 それでも、日が昇り、今日が来る。 そんな毎日を生きる術は、 家族や友人の笑顔だと感じました。 何よりのパワーになると。 悲しみ以上に、勇気ももらえた作品です。 見なくても、知らなくても 生活していけるかもしれません。 でも、こういった映画との出会いで 知ることができ、理解できる。 こんな私にでも、何かしら 寄り添う事があるはずと、 気づかされ、考えさせられました。
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