「恐ろしいほどの駄作」名探偵コナン 緋色の弾丸 おかでんさんの映画レビュー(感想・評価)
恐ろしいほどの駄作
正直この映画に星1以上の評価つけてる人はセンス0です。恥じた方がいい。……と強く言いたくなってしまうほどに酷い。もちろん観てどう楽しむかは人それぞれなので、視聴者のセンスが0なんてことはないのでご安心を。
ただ、監督と脚本家は自分たちのセンスが0どあること、才能が皆無であることを自覚するべき。こんなお粗末なものに金を払わせてわざわざ観に来させて恥ずかしくないのか?と。プロとしてありえない、とさえ思う。
まず、監督の永岡智佳は同作の紺青の拳の監督だけど、紺青の拳も散々言われた「これミステリーじゃなくてアクションじゃん」という根底からコナンというものを理解していない作風が問題。ド派手作画でド派手なアクション! 演出はとにかく派手に! リアルさなんてどうでもいいからまるでドラゴンボールのように、ワンピースのように、ド派手にやれ! というのがおそらく彼女の作風。圧倒的にコナンに向いていない。いや、"近年のコナン"においてはおそらく最も適任であるから興行収入を伸ばしている、という見方も出来る。まるでクレしんのムトウユージで興行収入が伸びた時のような不快感と同じである。
どんな絵コンテを書いてるのか本当に不可解。あのデブの犯人の車が飛ぶところとか、あんな空中に舞って柱に激突して……どう考えても人間が生きているわけが無い。そのあとの爆発で数メートル吹っ飛ばされて大回転してたけど、なんで生きてんの?マジで。この人の脳内ではあんなことあっても生きてるほど人間は強い生き物だと思ってる感じ? いや、ワンピースの登場人物ならあんくらいじゃ死なんよ。そこを履き違えてんだよね。あくまでコナンであって欲しい。
もちろん、変な薬で幼児化するファンタジーからしてリアルさの欠片もないだろう。けれど優れたファンタジーというのは、往々にして緻密なまでのリアリティがあるものだ。おごそかな日常の演出があってはじめて、過激なアクションが映えるというものだ。その辺りの"アニメの美学""映像の美学"というものがすっぽ抜けている。皮肉なことに、そんな美学(笑)なんてものがすっぽ抜けた作品ほど大衆受けするようである。だから、興行収入だけを考えるのであればこのスタンスが正解だろう。子供騙しのすーぱーあくしょん映画、を作っていくべきである。
まずリニアがあんなに大破して人間は生きていられません、絶対に。ああなったら人間は死にます。資料をちゃんと集めましたか? 列車事故等の詳細な資料を見ましたか?
クレしんの戦国大合戦では、歴史の解釈違いがないように膨大な量の資料を参考にしてリアリティを大事に作られました。歴史マニアも唸るほどに。
そんなクレしんなんていう子供向けアニメでもやっている"リアリティと向き合う"ことを疎かにして、「リニア大破して大事故起きたけどまぁ生きててええやろw かすり傷でおk」ってなノリではい生還〜!とかされても何の感動もないですから。いや、大衆はこんなんでも感動できちゃうほど感動へのハードルが低いですからね、わざわざ労力かけてまでいいもの作らなくたって金儲けだけなら出来ちゃいますよ、ええ。
いや、死んでるだろ……が多すぎるんですよこの監督は。それが悪い訳では無いんです、そういう演出が活きる作品というものはあります。圧倒的に作風がコナンに向いてないんですよ。興行収入的には圧倒的に向いてますけど。それでも作品に合わせた作り方が出来ない作家は二流だと思いますよ。
あの犯人のデブは2回死んでるし、コナンも世良も犯人の女もなんかFBIのおっさんもみんな死んでます。説明できない神の奇跡によってなんか助かりましたが。そこは科学と根拠のある論理で"助かる理由"を見つけて謎を解くのがコナンの醍醐味なんじゃないんですか?デウス・エクス・マキナなんてコナンに求めてませんけど。いや、大衆はどうか知らんけど。なんかワーキャーすげー!ってのしてれば多分満足なんだろうけど。
あと更によくなかったのが脚本家です。櫻井武晴とかいう方。この人もかなり稚拙な脚本作りしますよね。黒鉄の魚影が星5ではなく星4で最高傑作になれなかった理由の全てが脚本ですから。この人の脚本はなんというか、脚本学びたての高校生か大学生あたりの作品って感じ。これでプロ名乗るのはさすがに恥ずかしい。
とにかく"ご都合主義"。この一言に尽きます。あらゆるキャラクターの行動が"脚本の為に動かされてる"ものでしかない。キャラクターたちの意思ではなく、脚本の都合によって動かされている。これは本当に二流、いや三流の脚本家の作り方です。なんでわざわざ赤井がライフルで撃つ必要あるん? わざわざ銀の弾丸(笑)とかいうものを作って科学的に不可能なスナイプを見せ場にしたかったんだろうけど、車内で解決できる方法探せよ。
その場にコナンが誘導した、とかいうけどああいう状況にならない可能性だって想像できるだろ。犯人が隠れて立て篭もってる場合だってある。そんなifがたくさんある中で「まぁこんな状況になるだろうからそこ先読みしてライフル撃っとくわw」とか、ありえなさ過ぎて興ざめ。まさに脚本の為の行動。赤井が本当に頭いいなら、そのもしもに備えて万全の体制を取ってから確証得られる行動のみ選択するはずだろ。多分いけるやろ(笑)でしか撃ってないアホやん。それも全部超遠距離射撃とかいう見せ場の為だけにそのあたりの正当性を無視した矛盾だらけの活躍。あぁ、まさに三流の脚本。
秀吉の将棋に見立てたカーチェイスもまさにそうだよね。秀吉の頭の良さをアピールしたいだけの三流の展開。こんな中学生でも思いつくような展開よくプロット段階で「さすがにキツいか」ってならんかったなって。
黒鉄の魚影もそうだった。以下サブマリンのネタバレあるので気をつけて。
博士の発明品の水中移動機みたいな奴で灰原がコナンを助けにいったけど、"普段の哀ちゃんというキャラクターなら"あそこは助けに向かわず、無事を祈って待ってるはず。もしそれでも助けに向かわなければいけない理由があるとしたら"コナンがピンチであることを知っている"場合のみ。もちろん、危険であることは知ってただろうけど、酸素がなくなる状況まで読めるはずがない。
だったら、最初に灰原を助けた際に発明品が損傷を負っていて、コナンがそれに気づかず使ってそれを知っていた灰原がコナンを助ける為に勇気を振り絞って向かった、みたいな動機づけはいくらでも作れたはずである。もちろん黒の組織から助けてもらったコナンを助けたい気持ちが芽生えているはずの灰原からしたら、無事かどうかなんてどうでもいいから助けに行く! ってなったかもしれないけど、それは"灰原というキャラクター性"を無視している、とすら思う。
灰原がああまでして助けに行かなければならなかった理由づけを、キャラクターの性格に沿って課題を置けなかった脚本があまりにも稚拙。あの発明品は子供にしか操作できないから、本当は蘭が助けに行こうとしたけど灰原が蘭の代わりを買って出て助けに行った、とかの方がよほど灰原というキャラクター性を活かせたと思わないか? そして、唇を奪った贖罪という蘭に対する葛藤として十分な動機づけにならないか? 全部が大味なんだよこの脚本家。
という訳で、緋色の弾丸にしろ黒鉄の魚影にしろとにかく脚本が稚拙。才能のある中学生に作らせた方がまだマシじゃない?
黒鉄の魚影もコナンと灰原がキスするシーンを作りたかったからああいう展開にしたという脚本ありきの作品だ。キャラクターたちの意思で動いて、キャラクターたちが紡いだ物語ではない。だから本当に勿体ないと思った。
いい作品というのは、キャラクターが勝手に動いて勝手に紡いでくれるものだと思っている。物語の舞台や設定はあったとしても、このキャラクターはこうする、というものが逸脱してはいけないのだ。この脚本家はおそらく頭がよくないだろうから、赤井やコナンまで頭の悪いキャラとして写ってしまってるのが本当に惜しい。自分より頭のいいキャラを作ることが出来ないのは作家にとって決して越えられぬ運命である。これからは頭のいい脚本家に脚本を書いてもらって欲しい。
こんな展開やこんな場面が書きたいから、このキャラをこうやって動かそう、みたいなのをやっていいのは脚本をかじり立ての素人まで。プロは頭を捻って捻って、キャラクターの矛盾をなくして整合性を持たせ、そして舞台と設定に調和させていく。これが出来てプロだと言える。その点で言うならば監督も脚本も三流もいいところ。もっと素晴らしい作品を見て学んで欲しい。
まず、人間はあんな凄惨な列車事故が起きたら生きていられない、という幼稚園児でも分かる常識だけでも勉強してから作品作りに励んでもらいたいところだ。