劇場公開日 2021年4月16日

「観客に甘えている映画(原作全話把握済)」名探偵コナン 緋色の弾丸 コムラさんの映画レビュー(感想・評価)

1.0観客に甘えている映画(原作全話把握済)

2021年4月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

全て"表"になっているトランプで神経衰弱をしている家族を観るような映画だと思いました。

観た方はこ存じでしょう、観てない方もお察しでしょう。
この映画は赤井及び赤井家の設定を把握していないと内容の理解が難しいです。
メイン部分が"そこ"だからです。
それを一概に悪いとは言いません。
ですがその設定がフックになって映画が楽しめませんでした。

まず赤井家の情報共有。
赤井は家族を組織の事件に巻き込まないように家族に自分の死を隠しているが、秀吉とはほとんど情報を共有しており、メアリーが組織の事件に巻き込まれ幼児化している事を察している。
なるほど、分かりません。
赤井家が情報共有をする・しないの条件がさっぱり分かりません。
そもそも情報共有をしたとしてなんだというのでしょうか。
ルールの分からないゲームを見てる気分です。
最初に言ったように全て"表"になっているトランプで神経衰弱をしている家族を見せられているようです。
どういう基準で札を取る時と取らない時があるのが、なぜ見えている札を取られて深刻そうにしてるのかサッパリ分かりません。

次にFBIの違法捜査。
上司の許可を得て犯人を射殺しようとしていましたが普通に殺人です。
これが無罪ならジンは前科のない男になります。
要は犯罪なのですが、それ自体はどうでも良いのです。
問題はそこに何のドラマもツッコミもない事です。
そこまでFBIが犯人を追う信念や因縁があるわけでもありません。
FBIがやっている事は犯人と同じなのだという皮肉が(少なくともはっきり観客に伝わるように)込められているわでもありません。
ただただ設定だけが宙ぶらりんになっています。
アニメだからそこは気にしないでくれというのなら、それこそアニメなのですから、映画では許可を得て捜査しているといった設定にしても良かったのではないしょうでか。

別に名探偵コナンに綿密な設定を求めているわけではありません。
設定の矛盾は映画の問題ではなく、そもそも原作が抱えている問題でしょう。
映画の問題は、それを話のメイン・主軸にした事です。
メイン要素として前提知識を観客に求めておきながら、そこが粗雑であるという矛盾です。
全体的に「この設定は作品を観る上で必要だからしっかり覚えてくれ」「しかし設定の粗は気にしないで盛り上がってくれ」という観客への甘えが引っかかります。

与えられた材料からは最良のものを組み立てたのだろうと思います。
しかし原作に気を遣うことに終始していて映画としては退屈です。
設定に振り回されて事件など、赤井家以外の部分が雑です。
もう少しやりようはなかったのでしょうか。
楽しんでいるのも、気を遣われているのも観客ではなくスクリーンの向こう側の人間。
そんな置いてけぼり感を覚えました。

コムラ