地獄の黙示録 ファイナル・カットのレビュー・感想・評価
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お尻が痛かった。。。
ようやく通しで観ることができた。 なるほどこういう映画だったのか。
いろんな狂った人が出てきます。ボートに同乗した若い兵隊達も結構イッテると思ったが
・カーボーイハットでサーフィン命の「将軍」
・主人公のウィラード「少尉」
・ラスボスのカーツ「大佐」
これら偉い人たちの狂い様はその比じゃなかったな。
「人を殺すということ」 「いつでも殺されかねないこと」
この極限の状況下では確かに狂わないとやっていけないのであろうことがよく分かる。
「DolbyCinema」で観る。
後半はすっかり慣れてしまったが、前半のヘリの編隊飛行のところはさすがの迫力。度肝を抜かれた。
「プラトーン」「ランボー」などベトナム戦争の悲惨さを描いた後発作品を多々知っているだけに、正直なところ目新しさはなかった。 でも、これらの映画の土台となったのがこの「地獄の黙示録」なんだよな。リアルタイムで観た人はさぞ衝撃であっただろうと思う。
(リアルタイムで観たかった。当時7歳だったけど。。)
映画オタクがおっさん、になって25ぶりに本作を観たよ
往年の名作を4KやIMAXで観ることができ、その映像や音響を楽しむのにもってこいの作品が登場。
ただし、本作を名作と言っているのは俺ではない。
高校生の時のVHS鑑賞が初見。ベトナム戦争映画ブームのやや走り。当然のことながら、ベトナム戦争映画にハマっていた青臭い高校生にとっては、前半最高。後半最低。
25年ぶりの鑑賞にて、ただのおっさんの、本作への評価は変わったのか?
「地獄の黙示録 ファイナル・カット」
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結論からいうと、変わってない。
おっさんになって思ったのは、これは「特別なもの」ではない、ということ。ただ後半はやはり撮りたいものが撮れなく、こうなってしまった感のほうが強い。奥に行けば行くほど、狂気に近づいていく、という風には見えない。
キルゴアだってしっかりイカレているからね。カーツもキルゴアも二人とも狂っているが、タイプはまるで違う。
カーツはきっとキルゴアのことが嫌いだろう。キルゴアもドロップアウトして引きこもったカーツを気持ち悪がるだろう。カーツは「考えすぎのめんどくさいじじい」。ウィラードは、キルゴアにはついていけないが、カーツには憧れた。ウィラードもやはりめんどくさい奴だ。
キルゴアはブラック企業のなかで、舌の根の乾かぬ内に行動を変えて立ち回る。それでも陽気なキルゴアに部下はついていくだろう。
銃弾にも爆撃にも当たらない、恵まれた星に生まれた男だ。カーツはこうはいかないだろう。
カーツは出世したものの、望むべきものが上にはなく、兵士たるもの、といき勇んで現場に戻ったら、居場所がなくなり、こんなはずじゃなかったと、引きこもった、というだけだ。ただし、元来優秀なその彼のうんちくは、同類には響く。ゆえの王国。そして、それゆえの破滅願望。
キルゴアはその「願望はない」。銃弾が避けていくだけだ。
ゲーム感覚の殺戮と生首ゴロゴロの生々しい殺戮。どっちも同じことだが、サーフィンできるなら、焼き払え、というほうが生きやすいかもしれない。
だが、そんな「アメリカ」は願い下げだ、という気持ちも当然ある。
そんな世界で、若い「フィッシュバーン」クリーンが「めんどくさい奴ら」に振り回されつつ、生き残るほうが意義はあったと思う。
CGない時代の映像にお金をかけまくり、とんでもない迫力と音響はほかにはないものであることは紛れもない事実だが、面白いか、傑作か、と言われるとそうでもない、といったところ。
追記
ラストのエンドクレジットは、通常版は確か王国を焼き払う映像で終わっていたはずだが、そうでなくなったのは、カーツが悪、という結論付けをしたくなかったからだろうか。ただ、あの映像自体はとっても印象深いものだった。
国家と戦争と欺瞞・・・
2022年9月20日のBSプレミアムでの放送録画をようやく鑑賞した。
様々考察させられる映画。特に欺瞞という言葉が印象的だった。ベトナム戦争には欺瞞があふれている。それが、直接的にも間接的にも語られていた。国家による欺瞞から戦争の最前線での欺瞞。あの民間カメラマンもマスコミの欺瞞の象徴だったのかも。すぐに連想したのは、太平洋戦争での日本軍や国家の欺瞞。・・・そうか、アメリカだって同じようなことを経験したんだな・・・と思った。が、日本やアメリカに限らず、そもそも戦争というものに純粋な大義や正義はなく、欺瞞に満ちていくものだ、ということに思い至った。始める時は大義があっても、続けるうちにいろんな思惑でねじ曲がったり、局所的に見ると倫理に反する行動にあふれたりしてくるのは、これまでの戦争でよく見聞きしたこと。戦争を始めたら最後、欺瞞に満ちた国家と化す。国民はそれに翻弄されて地獄を見る。カーツの最期の 「恐怖・・・恐怖・・・」とは一体何のことか明確ではないが、そんなことなのではないかと思った。あらためて、戦争は絶対に始めてはいけないと強く思った。
映像美、音響美、映画の哲学と思想
数年前に池袋グランドシネマのIMAXレーザーGTテクノロジー、26×19メートルの壁というかビルの塊のような大きさのスクリーンで観て以来。
新文芸坐の音響でまた観れて、うれしい。
本バージョンは、コッポラがIMAX上映用に編集し直し、4Kで、音響もかなりリマスターされている。
スクリーン越しにナパーム弾のガソリンの臭いまで漂う、くらいのリアル撮影ならではの生々しさがある。
公開当時の日本では、この作品の音響を実現できる映画館が無く、唯一日比谷の有楽座?だったっけかな、そこでしかヘリコプターの廻旋音を出せないとかで、そういう話題性もあった、らしい。
YouTubeで町山智浩、地獄の黙示録で検索するとそういう裏話が出てくる。
マーティン・シーンが実質的な主役だが、お世辞にも演技があまり上手くはない。
しかしそれが今となっては作品の緊張感というか風格?を保っていることに貢献している、と思う。
デニーロとかホアキン・フェニックスのような性格俳優的な、観る側の役に対する没入感が希薄なため、目立たなくて良い。
また当時、リアルタイムでゴッドファーザーも観ている人にとっては、マーロン・ブランドは何か神格化されるぐらいの存在だったらしい。
カリスマの権化がカーツ大佐と被ることもあり、マーティン・シーンの20分の1にも満たない出演時間、ほぼ演技もしておらず顔のアップの一部しか写っていないにもかかわらず、主役としてエンドロール筆頭で出てくる(ゴリ押しらしいが)。
このIMAXバージョンは、他の方も書かれているがかなり見やすいというか、初見の方にも見やすく編集されていて、オリジナル版やマニア向けとも言える完全なんとか版よりもかなりスッキリした印象を受ける。
音響美と映像美が融合しシンクロし、映画の哲学と思想まで包在した奇跡の作品。
コッポラの執念。
興奮して文章が支離滅裂になっているが、自分としては地獄の黙示録が史上ベストワンだと思っている。
20240106 新文芸坐
狂気の今と未来の狂気
わたし今アラ還を迎えた。
この作品、過去に何度か観ては途中で眠ったりぼんやりと鑑賞。
この年になって、ようやく。
この作品が描く狂気が感じることができた。
サーフィンしたいからナパーム弾で村を焼き討ち。
一般人を無差別殺戮し、生き残りを殺害。
米国はアジア人をナメているのに勝てないジレンマ。
ベトナムより機械化が進んでいた日本に勝ったんだからという奢り
まあ、日本は機械化を自滅したが。
ヨーロッパの敗戦国ドイツのワグナーの音楽を流しながら爆撃する。
我らが世界一だという奢り。
それがまともな世界からあちら側の狂気へ向かっている。
後半、大佐の作り上げた世界。
そこまではわたしの心が追いつかなかった。
戦争による狂気
マーティンシーン扮するウイラード大尉は、マーロンブランド扮する常軌を逸したウォルターEカーツ大佐の暗殺を秘密裡に行う様命じられた。
しかしベトコンとの交戦時にサーフィンをやろうなんて隊長命令もあったなんてね。はたまた隊長のボードを盗むやつもいた。
タイトルからしてもっと戦場物と思っていたがイメージとは異なっていたな。戦争による狂気を示したかったのかな。長かったよ。
改めて見直したい
サイゴンの将校も現場の指揮官も兵隊も、誰も意味を見いだせない戦争。上から下に、強者から弱者に自分の都合が押し付けられていく。
錯乱した兵隊たちの戦場をテンポの良い映像、音楽で一気にみせる前半。他の映画と全く異なる凄い映画だと圧倒される。
川の上流に進むにつれ、精神的に追い詰められ麻薬で正気を失っていく船のクルーたち。同時に主人公の内省的な話が増え、暗殺対象との問答などは理解の範囲を超えてしまった。
この映画において「apocalypse」の意味することと「heart of the darkness」に関する考察
①欧米の批評家の何人かが言っている様に、この映画は前半と後半とがゴロッと違う。前半の、ドアーズの「The End」が流れる中、ジャングルから一瞬にしてオレンジの炎が噴き上がるシーン、ワーグナーの「ワルキューレ(戦死者を選ぶ者の意)の騎行」に載って米軍のヘリ戦隊がベトコンの拠点を攻撃するシーンと、戦争映画の絵としては見事なものである。(中身は無いが。) 特に後者はロバート・デュバルの好演もあってアメリカ軍の傲慢さに胸くそ悪くなるが。②一転、後半は、カーツ殺害を命じられたマーティン・シーンがひたすら川を遡りカーツ殺害に成功するまでを描くが全く前半とは別物のような映画となる。マーロン・ブランド扮するカーツが何故あのような行動に出たのか説明する筈の殺される前の台詞の数々の意味がマーロン・ブランドの台詞回しもあってよく分からない。最後の台詞である『The horror ! The horror !』はその最たるものである。「戦争の狂気」という言葉は何の説明にもなっていない。反則ではあるが、この下りを理解するためにこの後半の元ネタであるジョセフ・コンラッドの『闇の奥』も読んでみた。然し、『闇の奥』自体が難解な小説であることもあり、やはりもうひとつ分からない。ただ「horror」という言葉には「fear(恐れ)」という意味以外に「dismay」「disgust」「loathing」という意味もあるから、単に戦争の表面的な怖さだけでなく優秀な軍人であったのに自分の内なる権力欲・支配欲を暴走させてしまった自戒を含んでいたのかも知れない。何となく本人も死にたいと思っていたようだし。ただ『闇の奥』でカーツ大佐にあたるクルツは病気にかかった結果死んだだけで本人は死ぬ気はなかったから、この当たりはコッポラ独自の解釈かも知れない。③「apocalypse」とは神が黙して語らなかったことを預言者が代わりに語り記録したことを意味する。『Apocalypse Now』とは、この映画の場合「神」が誰を指すのかを解釈するのが難解だが、ベトナム戦争が米国始まって以来の負け戦であったこと、大義のない戦争であったこと、その後米国社会を変質させてしまったこと等当時既に指摘されつつあったことではあるが、コッポラなりにそれを記録しておこうという意志があったのであろうか。④しばらく『闇の奥』のクルツ、この映画のカーツの最後の言葉である「horror, horror」について考えていて自分なりに辿り着いた結論。
オリジナル版を超えるコッポラ監督の芸術家としての情念は感じられず…
最近、1979年の153分劇場版と共に、
こちらも観た記憶のあった
2019年ファイナルカット182分版が
改めてTV放映されたので再鑑賞
(2001年の特別完全版は未鑑賞)。
引き続き1979年版と同じ印象で、
戦場においては人間の神経が
こうも破壊されてしまうかを、
莫大な資金を投じたと思われる戦場シーンで
延々と描いていることに改めて驚愕した。
違いはカンボジアのフランス人入植者との
交流エピソードが加わって
反戦イメージが増した位だったろうか、
それ以外は1979年版とほぼ同じ印象だった。
しかし、既に、散々に戦争の狂気を
見せつけられているので、
このファイナルカット版の追加シーンの
必要性は余り感じ取れなかった。
それにしても映画の世界は厳しい。
ここまで力を入れて撮っていたシーンを
当初の上映時には
バッサリとカットしていたのだから。
このシーンの関係のスタッフと
ここだけにしか登場しないキャストの
気持ちを察するには余りあるが、
逆に言うと、その彼らの救済のための
特別完全版だったりファイナルカット版
なのだとしたら、
それはそれで問題がありそうだ。
昨今、ディレクターズカット版や、
ファイナルカット版と称する作品が
多く見受けられるが、
この作品の場合のその是非はどうだろうか。
私としてはほぼワンエピソードを加えただけ
のこの作品には、
興行上の理由と
スタッフ・キャストに対する配慮にしか
想像出来ず、
コッポラ監督の芸術家としての情念は
感じ取れなかった。
多分、未見の特別完全版でも
同じ印象を持つのではないだろうか。
因みに、
やはりファイナルカット版が話題となった
「ブレード・ランナー」については、
私はオリジナル版が好きだ。
何故なら、
そもそもが主人公もレプリカントかも、
との思わせは大きなテーマからは
蛇足にしか思えず、
私がこの作品で好きなのは、
命の限りあるレプリカントが
己の死の直前に、あえて
死に直面させたまだ寿命のある人間を
助ける、正に、原作の
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
の表題通りに
レプリカントが優しい人間に近づいた瞬間を
感じるからだ。
初鑑賞、マーロンブランドはさすが。
超有名作品だが、初鑑賞。何かに似てるなと感じてたら、以前読んだ「闇の奥」。
調べたらコッポラが参考にしたらしい。
どちらも、超エリートが、魔界の狂気に触れ、次第にそこで崇められる存在になっていた
ところは似てる。そして神秘的で刹那的なところも。
映画では結局ベトナム戦争の狂気を描きたかったんだろうが、小説の舞台は、
コンゴの奥地。そこの野蛮さ、魔界的な恐ろしさを描いていたように思う。
映画では、カーツ大佐の優秀さが強調されてたが、なぜ、現地人の長となったかを
もっとクローズアップした方がよかったように思う。
それにしても、歴史に残る大作であることは感じた。再鑑賞して見たいと思う。
カーツとキルゴアの違い
特別完全版より20分短く、バニーガールのエピソードが削られている。
カーツ役のマーロン・ブランドが帰ってしまったため、最後はどうしようもない。
キルゴア(ロバート・デュバル)の異常性が際立っており、戦争は狂気そのもの、というのがよく分かる。
最初から2時間は、こんな面白い映画はない、という感じだが、最後の1時間はちょっと退屈。
美しく暗い瞳。
ファイナルカット。
最凶最強上官ギルゴアのヘリ急襲をIMAXで見る悦び。その後の甘美な緩慢に耐える初の本作劇場体験。
ウィラードとカーツの美しく暗い瞳。
仏農園の件りは台詞過多で退屈。
「1917命をかけた伝令」の何と小粒なことか。
先進国とそれ以外の差があったらしきあの時代。
饅頭、いやカイユース怖い!
立川シネマシティの「極爆サイレンス上映」とやらで何十年ぶりかに再見。映画の解釈や裏話としては諸説あるようだが(原作も難解なようだし)、はっきり言ってカーツ王国の下りはどうでもいい感じ。個人的にはコッポラは第一騎兵師団のヘリコプター強襲シーンを撮りたかっただけじゃないかとすら思えてくる。少なくともあのシーンが無ければこれほどの名作として歴史に残らなかったのは間違いない。ヒトラー御用達のワグナー(オープンリールテープスタートの瞬間音程が変わるなど芸が細かい。こんなの初演では無かったような…)を背景に編隊を組み直すときのゾクゾクする高揚感。遠くからソプラノの声が迫ってくる時の恐怖感。本当にあった話なのかは知らないが、この部分の演出は天才的だと思う。冒頭に不穏なイメージを醸し出していたヘリの影と音がここではっきり恐怖の象徴と化す。プリティーな「空飛ぶタマゴ」カイユースが悪魔の先導役に見えてこの映画以来見るのが怖くなった。爆音上映のおかげでこれからローター音にも過剰反応しそう。ロバート・デュバルのキルゴア中佐はベトナムの狂気の代表みたいに言われるが、正義のために街を破壊しまくるアベンジャーズと同一線上で、何の事はない一般のアメリカ人気質そのもののようにも見える。
そういえばマーロン・ブランドはあの程度の出演でギャラどれくらい取ったのだろうか……
IMAX版上映を見逃したのでドルビーシネマで鑑賞。 ドルビーシネマ...
IMAX版上映を見逃したのでドルビーシネマで鑑賞。
ドルビーシネマの映像美とドルビーアトモスの音響、素晴らしかった!
映画館で全編を観るのは初めてだったけど
これは映画館で観られてよかった。
ワルキューレの騎行とキルゴア中佐のあのシーン、圧倒的だわ!
あれほどの火力の映像は二度と映画には出来ないだろな。
ハリソン・フォードにびっくりしてたら
若きローレンス・フィッシュバーンに更にびっくり
欺瞞
戦争に大義名分なんて存在しない。
どちらかが正しく、どちらかが間違ってるなんて事もない。
サーフィンするために空爆、
はらわた飛び出るまで戦ったら敵兵にも水をやる、
マシンガンぶっ放して死にそうになったら手をさしのべる、
神と崇められたら人を殺した人が、新たな神として崇められる。
どれもこれも人間の愚かさが描かれている気がする。
あぽかりぷすなう
ドルビーシネマで鑑賞。
音がデカい!映像がきれい!
映画館で見られてよかったですよ
ストーリーはまあ、あれですよねw
キルゴア中佐とかカーツ大佐とか変な人が出てきます
アマプラで79年公開版、特別完全版とどこが違うのか見比べてみようかな
1980年ベストムービー!⭐️✨
この映画のテーマは、"戦争の狂気"…なんでしょうか?…なんでしょうね(笑)
しかし、この作品から直感的に感じるのは、敵を爆撃する"カタルシス"と未知の世界に放り込まれた"恐怖"…そして、"恍惚"です。
ラストへ向けてだんだんと混沌としていく様は、"危険な匂い"がぷんぷんしますね(笑)
名作です。
*梅田ブルク7"ドルビーシネマ"にて鑑賞…これ以上はないというほどの音響とスクリーンで観られて良かったです。もしこれで料金が安く観られるのなら、この映画館にはもっと通いたいんですが、6ポイント鑑賞とか、そういうサービスがほとんど無くて、つい他の劇場へと足を運びがちです(笑)
*大きなスクリーンで楽しみたい作品です。
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