星の子のレビュー・感想・評価
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アレルギー、それは水が悪いんです
映画「星の子」(大森立嗣監督)から。
「水」を「宇宙の恵み」と称して信じる人たちを
「あやしい宗教」と決めつけて展開されるストーリーに、
やや抵抗感を抱きながら、観終わった。
「アレルギー、それは水が悪いんです」
「水ですか?」「水です」と言われ、水を変えることで、
病弱だった体質が変わり、本当に元気になったとしたら、
その水に感謝することは、別に怪しいことではない。
ただ「免疫力向上、美肌、虚弱体質、不眠」
どんな病気にも効く、となるから「怪しく」なるだけだ。
実際に、塩素が多く含まれる都会の水を飲んでいた人が、
自然豊かな地に引っ越し、伏流水などの湧水を飲むことで、
アレルギーなどが治った、という話を聴くことも多い。
日本全国「名水」でまちづくり・観光をしている地域も多い。
だからこそ「水の力」を「あやしい宗教」と関連づけ、
それを信じる人々を、悪者扱いにする設定に、
なかなか入り込めなかったのかもしれない。
原作は、第157回芥川賞候補にもなった今村夏子さんの小説、
そう割り切ればいいのかもなぁ。
演者陣の演者力たるや
なべちゃん役の子、めっちゃよかった
あとその彼氏くんもかなり中学生感でてた
ダークな内容でどんどんしんどくなりそうな所
やんわりとさせてくれる、
作品と観る側のつなぎ止め役って感じ
高良健吾、黒木華もうまいな〜
かなりそんなひとち感あった。すごい
豪華な役者さんたちのなか、
芦田愛菜さん、かなり自然にちひろやった
スカートの丈とそのなぞにごつい靴!
中学生〜ふぅ〜他の生徒たちもリアルですね
泣きながら車から出るところとか
集会に出ながらも迷ってるとこ見せないような目の動きとか
ほんとに感情がみえてくるぐらいでした
いつかまーちゃんともう一度笑って会えますように🙏🏻
原作未読ですが今村夏子さんの本を
最後まで読めたことないから
やっぱり終わり方はちょっとものたりない。
信仰とは、信ずるものは救われる?
物語が過去と現在を行き来して、家の中が寂れていく過程…は宗教で貧乏になっていく過程で気持ち悪い。
高校生になった頃には古い家屋に変わっているのでお金を団体に搾り取られたと想像できる。
たまさかにアトピーか?皮膚炎か知らんが効いたと思った両親の傾倒ぶりは恐い。
謎の水を飲み、頭にタオルを置き濡らすとなんやかんやに効くらしい。
黒木華たちの子どもへの講義で「ここに居るのは自分の意思とは関係ない」「気付いた人から変わっていく」は何だか恐い言葉。
ちひろの周りにはおじさん(母親の兄)から始まって、宗教に疑問を抱く人が何人も出てくる。
宇宙ぱわあの水の中身を入れ換えた義理兄(母親の兄)と宗教にハマった家族が争った流れは、どうしようもない展開で辛い。
まぁ頭ごなしに信じてるものを否定するとああなるよね?
儀式をしてる両親を憧れの先生に見られ「何やってんだ?狂ってるな」と言われてしまうと、今まで引っ掛かりのあった自身の疑念が一気に沸き上がってくる。
水を頭に浸して治るなんてそりゃ中々信じ込めないよな。
普通に社会と接してれば常識も分かるよな。
家を飛び出した姉まーちゃんへの想いもあるが、姉ちゃんは宗教とは相容れず、出ていった先で結婚し出産、両親には報告のみ。
終盤、交流集会で、信者ではない部外者も混じっており、「ここでリンチにされた奴がいる」とか物騒な話も聞いてしまう。
集会の雰囲気はまさに新興宗教組織らしく分かりやすい。
あんな建物がドーンとある時点で「どっから金集めた?」と不審感バリバリである。
ラスト、星を見に行こうと山に連れていく両親。
見終わって不安しか残らない。
何でとか何にも説明はない。
しあわせは人それぞれ感じかたが違う。
経済的なものや環境も含めて、物質文明が優れているとも思えないがこの環境に慣れていると違う文化や環境に放り込まれるとどうなるのか?
誰もが幸せを探して求めて手に入れるとしたら、この先、ちひろはどんなしあわせを求めるんだろう?まだ高校生だから親と離れる不安は当たり前と言えるが、すでに疑念をもっているちひろを心配してしまう。
芦田愛菜の成長は見てとれるがそれだけでこの作品が飛び抜けて良くはならない。
宗教に属していると、こんな感じなんだろうなぁという場面が出て来て、...
宗教に属していると、こんな感じなんだろうなぁという場面が出て来て、僕のように何事にも疑り深くなるタイプの人間にはどれも異様に見えてしまっていた。
主人公はそこから脱出するチャンスが何回か訪れるが、結局は家族を見捨てられずに拒んでしまう。大丈夫か、この子は。将来そのままでいいのかと途中から僕も親戚であるかのように心配になってしまった。
結局、彼女はどうなってしまうのか――。
その答えは提示されず、ラストシーンは「そこで終わりかよ!」という肩すかしを食らったまま終わった。
いや、それだけ主人公の未来が気になって仕方なくなっていたのだろう。お願いだ、その先を見せてくれ。失踪した姉のその後も気になるよ。てっきり後半で再会するだろうと期待していたのに……ああ、なんてことだ。
個人的にはそのような消化不良はあるものの、もっと先の展開を観たいと渇望していたことからも結構ハマッて観ていたのは確かである。
それだけ役者たちの演技が素晴らしかったし、すっかり作品の世界観に入り込めていた。
でも、個人的には、もうちょっと観ていたかったなぁー……。
信じるものを信じる
3才の時にデビューした芦田愛菜。
その後多くのTVドラマに出演して日本中を虜にし、可愛らしいルックスと確かな演技力で天才子役と言われた。
が、自分的にはこの頃の芦田愛菜は勿論演技力は素晴らしいものの、ワンパターンの泣きの演技ばかり。TVドラマは全く見た事無く、出た映画数本だけ。唯一良かったのは、毒舌大阪女の子を快演した2014年の『円卓』だけ。
なので、小さい頃はそんなに好きではなかった。
そうこうしてたら、学業専念であまり見掛けなくなった。天才子役もこのままフェードアウト…?
…しかし!学業が落ち着いたのか、数年前からまた頻繁に見掛けるようになったら、あらまあ、びっくり!!
あの芦田愛菜がとっても大きくなって! しかも、人によっては可愛い、人によってはキレイ、少女と大人の女性の狭間、イイ感じに成長しちゃって!
さらに、平成天皇即位30年式典で名スピーチするほどの頭の良さ。
最近お気に入りのTVバラエティーではサンドイッチマン相手にMC初挑戦。
一旦見掛けなくなって復帰してから、無双状態。何をやっても敵ナシ!
そして、『円卓』以来6年ぶりの主演となる映画作品は、まさに才女である彼女だからこそ出来る難役を見事、演じ切った。
ちひろは中学3年生。
成績はまあ平凡、友達とは仲良く、新しく赴任して来たイケメン教師に胸ときめく、至って普通の女の子。
が、両親が…。
両親は“ひかりの星”という宗教団体に傾倒している。
何故…?
ちひろは産まれた時、病弱だった。身体中に湿疹が。
それを治してくれたのが、この宗教。湿疹も不思議な“水”で。
以来、両親はこの宗教と水の力を信じ切っている。
この宗教の儀式。
頭にタオルを乗せ、それを水で濡らす。
自分の命を救ってくれた聖なる水なので、小さい頃は何の疑いも無くやっていた。
今も継続している。ペットボトルで水を飲んでいる。
…でも、成長するにつれ、信じる一方、疑いも持つ。
また、この宗教が原因で、家族や親族に揉め事が。
おじさんと両親が喧嘩。
嫌気が差した姉のまーちゃんが家出…。
それでも、まだ…。
しかし、ある日…
下校が遅くなり、憧れのイケメン先生が車で送ってってくれる!
公園を通り掛かった時、儀式をする両親の姿が。
先生の口から、信じられない言葉が…。
変質者、ああいう連中が居るからおかしくなる、蔑み、罵り…。
…え?
私たちっておかしいの…?
ヘンなの…?
じゃあ、何が正しいの…?
分からない、分からないよ、もう…。
何を信じていいか…。
ちょっと脱線して、宗教への私個人の体験と意見になるが…、
私は宗教やそれ関連はあまり好きではない。
と言うのも、亡き母の事が絡む。
母はいつの頃からか、“エホバの証人”という宗教に入った。かなり熱心に。
裁縫が得意で、それまで近所から頼まれた直しなんかして小遣い稼ぎしてたのに、それすらやらなくなるほど。
小説などほとんど読んだ事も無い母が聖書を開き、勉強し、週に2~3回くらいある集会にも出席。極たまに勧誘にも。
何だか、「…」な気持ちだった。
そんなある日、母にガンが。
かなり進行しているが、手術すれば、その時は50/50の確率で助かる。
しかし、母は手術を拒否。何故かと言うと…
エホバの教えで、手術をする事、つまり、身体を切り刻むと天に召されなくなるんだと。
それを聞いた時、ショックだった。手術して成功して、私たち子供たちとこれからも過ごすより、そんな下らない理由で死にたいのか。宗教をクソ憎んだ。
ガンは末期で、手術はせず抗生物質だけでは勿論ガンの進行は抑えられず、ガンの発見から僅か1年で母は死去。
その後の葬式などもエホバが絡みややこしくなり…長くなるので、ここまで!
なので、時々思う。エホバなんかに入らず、手術を受けていたら、母はまだ生きていたのかな…? それとも、ガンの進行が悪過ぎだったのかな…?
本作は宗教を否定も肯定もしていない。
それでいいと思う。(上記のはあくまで私個人の意見)
信じるものは、人それぞれ。
何を信じるか。
信じるものを信じる。
ちひろが信じたもの。それは、
両親の愛だろう。
例えおじさんや周りから怪しい宗教にハマった家族と言われても、ずっと変わらぬ愛情を注いでくれた。
だからこそちひろは、自分で悩み、選び、成長出来る子になった。
それは両親も同じではなかろうか。
端から見れば怪しい宗教にハマった両親。
でも、その根本に居たのは…いや、これからもずっと、ちひろ。
ちひろだけじゃない。今は離れているけど、もう一人の娘。
最後に一言だけ掛かってきたという電話。
両親は子供たちを信じ、愛してるから。
子供たちも両親を信じ、愛してるから。
シリアスな作品が多い大森立嗣監督作。本作もテーマは複雑だが、作品自体は見終わった後心優しくなる。
両親役、永瀬正敏と原田知世が愛情たっぷりに好演。
宗教を扱った作品にはトゲのある存在も必要。イイ先生から徐々に、岡田将生が性格悪く。
ちひろの友達も好印象。なべちゃんに、おバカだけどナイスな新村くん。結婚しちゃいな!(笑)
そして、言わずもながな、芦田愛菜。
宗教にハマった両親を持つ思春期の少女の悩み、葛藤、心の機微を演じられるのは、同世代の中でも彼女だけではなかろうか。
それくらいの名演。
演技は久々に見たが、天才的な演技力は変わらず。…いや、ますます!
女優・芦田愛菜の第2の躍進として、素晴らし過ぎるスタートを切った。
今後はどんな女優活動を?
本作のようなシリアス役こそ本領発揮。
サンドイッチマンに鍛えられ(?)、コメディなんかも見てみたい。
それから、せっかく可愛く成長したんだから、少女漫画の映画化/恋愛小説の映画化のヒロイン役も見てみたい。
本当に未知なる“才能の子”。
愛菜ちゃんなら信じられる!
予想ができない映画
少ししか出番のない、
豪華キャストの豪華な使い方
高良健吾さん、黒木華さん、岡田将生さん
物語に深く関わるのかと
思いきや、本当にそのシーンだけ。
なんと豪華な使い方。
岡田将生さんの教師役、パンチが効いていました。
そして大友康平さん演じる、雄三おじさん
金星のめぐみの水を公園の水と差し替えて
ペットボトルの裏にサインしたという
告白をしたシーン、笑いました。
それでも洗脳の解けない両親
協力した長女も家族の形が崩れるのを
恐れたのか、雄三おじさんにナイフを向けた。
最後の星空を家族3人で寄り添い眺めるシーン、
なかなか、旅行中に両親と会えないシーンが
手前にあったため、ソワソワしながら観てました。
後ろから誰かに殺されるオチで
終わるのかと予想してました。
寒い中、星空を見上げる3人親子
行方不明中の長女から電話があって、
赤ちゃんが産まれたと。
電話は、その一言で切れたと
父は話した。
両親が、いつもと雰囲気が違うように感じた。
長女の朗報で、心に少しの変化が訪れたのか。
父は、くしゃみをし
風邪引くよって娘に言われた
父親は、水を飲まずに、ティッシュで
鼻をかんだ。
水を飲んでいるから、風邪を引かない
というセリフを予想していたが
その台詞は、なかった。
宗教をやめるつもりでいたのか、
このまま信仰を続けるのか
未来は、視聴者の想像力に任せる形で結末を迎えました。
消化しきれずに終わったため、
わたしは、その日夢を見ました。
宗教を辞めると言ったら
幹部の人に、拷問される夢を。
ハッピーエンド、バッドエンドのない映画
で、逆に良かった。
『2001年宇宙の旅』、『新世紀エヴァンゲリオン』、『コンタクト』に繋がる傑作!!
新所沢レッツシネパークで『星の子』を観ました。
私にはメチャクチャ刺さりました!!
私が少し前から考えている事に、凄く符合しまくりました。原作も読んでみたい。
新興宗教がモチーフにはなっているけど、普遍的に人類の事が描かれていたと思います。
人間は、自分が信じたい事しか信じられない。
それを外側から、論理的に説明されても、自分達にも屁理屈にしても理屈がある。
そもそも、自分が理解できない理屈は理解できる訳はないし、理解したくない事であれば当然理解しない(聞く耳を持たない)。
大友康平さん演じる、ちひろの叔父さんの一連のエピソードです。
そして厄介なのが、この屁理屈がある場面では機能してしまう事がある。
精神的に追い詰められていたり、極端に弱っている時には、心の拠り所が必要になる。
それが正しい(本当)か正しくない(嘘)かは二の次です。
「溺れる者は藁をも掴む」ですネ。
本作でのちひろの両親は、この状態だった訳です。
そもそも、嘘や嘘を信じる事が悪なのか?
必ずしもそうでは無いですよネ。昔から、嘘も方便などと言ったりします。
学校の教科書にも載っている「一切れのパン」が、一番の良い例だと思います。
ちひろの両親にとって、一切れのパンが「金星のめぐみ」奇跡の水であった訳です。
それが木片であろうが、水道水であろうが関係ない。信じて生き続ける事が大事だったんです。
「鰯の頭も信心から」ですネ。
私は、これが宗教の本質だと思っています。
では、論理的な思考や科学的な見地、理屈が万能かと言えばそれは違います。
何故なら、科学は日々進歩する。それは分からない事がまだまだ沢山あると言うです。
そう、科学は万能ではないのです。
科学自体も、解明されている事しか解らない。
逆に言えば、現時点の科学が万能ではないから宗教が必要とも言えます。
科学的である事の弊害は、唯物論的になり心の事が置き去りにされがちになる事。
科学や正しい理屈の象徴がちひろが授業で受ける数学であり、科学万能主義の象徴が岡田将生さん演じる南先生(数学教師)なのだと思います。
これらの事は、人類が進化の過程で、知恵と心を持ってしまったからなのだと私は思います。
中途半端に知恵を持ってしまった人類は、自分に降り掛かる災難を避けようとして、それを解ろうとする。
自分の愛する人を苦しみから救ってあげたい。なにより自分が救われたいと、何かせずにはいられない。
だから、屁理屈をこねたり、何か理由が必要になる。
ただ、宗教も科学も、妄信してしまえばどちらも一緒なのだとも思います。
今のコロナ禍に、これらの事が象徴されていると思います。
コロナ禍に於ける一番の問題は、新型コロナウイルスではなく人間としての有り様や心なのだと思います。
人は一人では生きていけない。
人は、群れたいし社会に身を委ねたい。
人は、誰かを信じたいし家族や仲間を作りたい。
だから、人は人間になる。
南先生の噂話、「ひかりの星」の海路さんや昇子さんの噂話は、人間の下世話な部分の象徴だと思います。
それは、一般的な社会であろうが、新興宗教であろうが変わらない。
何故なら、それらを構成しているのは人間だからです。
新興宗教は悪や詐欺だと決めつけている方が多い。
現実にはオウムの事件もあったので、ステレオタイプ的に決めつけるのは仕方ないのですが…
本作中の教団「ひかりの星」は、本当に悪なのでしょうか?
効能などない只の水を、効果があると謳って販売するのは当然犯罪です。
ただ、神社やお寺で売っているお守りってどうなんでしょう?
初詣に出掛けたり、神社にお祈りしにいった時、お賽銭を入れたりしますよネ?
一方的に騙している詐欺商法などと違って、「ひかりの星」は心の平安や安心を提供しています。
只の水としては法外な価格かもしれませんが、その価値が水ではなく精神のケアにあるのであればどうなんでしょう?
他の方のレビューを読むと、新興宗教を特別視している方が多いですが、普通の宗教も同じだし、社会だったり国家だったりも同様なのだと思います。
未だに男女の差別があるし、先の大戦前の日本、封建時代の日本は今から思えば信じられない事が普通に行われていた。
世界では、魔女裁判や天動説などが常識だった訳です。
社会的な価値観は、時代的なスケールで見れば更新されていきます。
今、様々な意見が交わされているLGBT問題、遅くとも1世紀後には解決していると思います。
自分が所属している社会やそこでの価値観は、正常だと思うし、正しいとバイアスが掛かります。
科学の発達だったり、時代背景などはあると思いますが、私は本質的には変わらないと思います。
消費税が段階的に引き上げられ、大企業や富裕層が優遇されている社会は、悪徳新興宗教と何が違うのでしょうか?
民主主義(普通選挙)の限界も見えてきたし、資本主義が最強の社会システムでない事も解ってきました。
本作、本当に素晴らしいシーンばかりなのですが、上手く一連の話しとして纏められないので、個別に書きます。(^^;
◆ちひろの面食いについて
あのアイドルが、タレントが、俳優が、「格好いい」「キレイ」「可愛いって」って普通に言いますよネ。
実際、私も女優さんは、目が大きくて顔が小さい方が好きです。
(勿論、それだけではありませんが… (^^;)
特に幼い頃は、無邪気にそれを前面に押し出してきます。
でもコレって、善悪にも人間性にも全く関係ない。
でもソレを、美しい→好き→信じる→正しいと勘違いして(同化させて)しまう。
大好きな南先生に、否定・拒絶されたちひろは可哀想でしたよネ。
でもコレって、ちひろの一方的な想い(込み)が原因な訳です。
(私は、南先生が悪い人だとは思っていません。)
世間でも美醜に言及しがちで、根拠を伴わない勝手なイメージや先入観がもたらす問題の象徴だったとも思いました。
コレは、新興宗教→悪にも繋がっているとも思います。
―《後から追記①》――――――――――――――――――――――
ラストシーンについて書きながら気が付いた、ちひろの嘘にも関係あるのかも?
面食いを公言する事の是非は置いておいて、ちひろは嘘がつけなかったのかもしれない。
自分が好きなモノ、美しいと思う気持ちに正直だっただけなのかも?
それは、人間として未熟である事の象徴だったのかも。
他者の気持ちを想像できる、想いやれる事が足りない。
(「◆評価が分かれるラストシーンについて」に続く)
『2001年宇宙の旅』で、HALがボーマン船長達の殺害を企てる切っ掛けも、木製探査の本当の目的を隠す為(嘘)だと私は思っています。
人類の進化と嘘の関係を描いていて、『星の子』にも繋がっている様に感じます。
――――――――――――――――――――――――――――――
◆評価が分かれるアニメーションパートについて
私は大好きです。
世界観と言うか時空間が一気に広がった感じがしました。
オーラスやクライマックスに持っていっても良い素材だと思いました。
(ストーリー的に陳腐になるとは思いますが…)
だからこそ、この映像が予告編で公にされていた事に怒りを覚えます。
このシーンを初めて映画館で観たら、もっともっと気持ちが高まったと思います。
本当に残念です。(怒!!)
◆教団施設内で両親と会えないくだり
孤独の不安や家族の大事さを再確認するくだりだと思いました。
教団に対する悪い噂があるので、「もしかして?」的にサスペンス調の面白さも加味されていたと思います。
ちひろが、自分の家族以外の家族(だけではないけど)と出会い、様々な家族や家族の形がある事を知る。
そして、ラストへ繋がるのだと思いますし、ちひろが社会と触れる事の象徴だったとも思います。
◆評価が分かれるラストシーンについて
ちひろは、早く帰りたくて「見えた」と両親に嘘を言ったのだと思いました。
このラスト、ストーリー的には好きではないです。
結局、ちひろは家族の関係性を断ち切れない、人は人間として生きる為にその呪縛から逃れられない。
構造的に進化が行き詰まっている、人間の、人類のポテンシャルの限界が語られている様に感じました。
私には、絶望的なラストにとれました。人類の幼年期は終わらない。
あれ!? 書いていて気が付いたけど、ちひろの嘘って初めての嘘?
人間になる為には嘘も必要と言う事かも。
本作の粗を探せば、シーン・シーンが的確で雄弁過ぎるので、説明的かも? と思いました。
でも、他の方のレビューを読むと、私の懸念は老婆心だった様です。(^^;
『星の子』は、人類の進化、人間性、宗教が語られている、『2001年宇宙の旅』、『新世紀エヴァンゲリオン』(旧シリーズ)、『コンタクト』に繋がる傑作だと私は思います。
未見の方、是非、御覧ください。
今年の年テンを決める前に、観ておくべき作品です。
個人的には、「ラストラブレター」の影山祐子さんが、エキストラ出演されているのもお気に入りポイントです。(^^*
(「ひかりの星」本部で、ちひろがホール(集会会場)に入場する前のロビーのシーン。)
―《後から追記②》――――――――――――――――――――――
原作を読みました。
ストーリーの大筋自体は、基本的に同じです。
但し、原作はちひろの視点でストーリーが展開されるので、映画とはテイストが大きく違います。
特に冒頭、ちひろが生まれた後「金星のめぐみ」に辿り着くまでは、実質1ページも無くあっさりと描かれています。
勿論、原作全てが描かれている訳ではないので、残した部分の選び方が絶妙です。
原作を読むと脚色の素晴らしさも分かります。
ラストシーンのちひろの嘘については、私の勘違いでした。
原作では、ちひろは本当に流れ星を見ていました。(^^;;
小説を先に読んでいたら、「人類の~ 進化の~」なんて解釈にはなっていなかったと思います。(^^;
「現代社会に蔓延る隠された仕掛け」みたいな解釈だったかもしれません。
――――――――――――――――――――――――――――――
大きな題材が2つ
端(一般の人)から見たら不審者か頭がおかしいと思われるような家……
私自身はネグレストを受けていました。(この映画とは少し違いますが)
ちひろが世間で生きることと、家族の問題の間で苦しみ、泣きながら走るシーンがとてもリアルに感じました…でも良かったです。
ちひろは物時を自分なりに考えています。
何故、新興宗教に嵌ってから歪んで行く家から、圧倒的にちひろにとって苦しいことの方が多くそうなのに家から出ることを選ばないのか不思議でした。
病弱だったちひろに対して、両親は子として愛してて、だからちひろは、愛を信じて両親を大事にすることを選んだのですね。それに対し、お姉ちゃんがすぐに家を出て家族を突き放すことを選んだことも納得です。
もしかしたら、どちらの方が本当の意味で幸せになれるのかは分かりませんが。
両親を突き放すも愛するも、子供本人が決める生き方ですね。
芦田愛菜ちゃんの演技1つ1つが素晴らしかったです。
救われるものを信じましょう🙏🏼
マル🙆🏻♂️マルもモリ🙆🏻♀️モリも見たことはありませんでしたが、芦田愛菜女史の出演する作品なら一定以上の演技が見られるだろうと思い、また話の内容も個人的に興味深いものがあったため、良くない印象を訴える方々のレビューは華麗にスルーしてシアターインしました。
若かりし頃は脳内がファンタジー方面に好奇心旺盛で(追記: いや、今でも‥)、昔の極(飽き性なので)片時に私自身が新興宗教にハマってみた経験もあり、且つ片方の親にそういう気(ケ)のあった妻(後日談: いや、妻自身もその素質をモロ受け継いでました‥)と一緒に鑑賞したので、なかなか突き放して笑えない展開もありましたが、両方とも終わった話なので、やはりああはならなくて良かったなぁと距離を置いて楽しめました😌 (追記: でも、また今後私自身が類似品にハマる可能性は否めない🤨)
鑑賞前に幾つかチラ見していたレビューでは、尻切れトンボなラストにモヤっている?🤨?人たちがわりと多かった印象なので、私はてっきり最後になかなか見つからなかった人たちがそのまま行方不明で終わるという、ジャイアントスイングを投げっ放すかのような展開まで覚悟していたのですが、終わってみればそうでもなかったので、逆にそれくらいに投げっ放しにしてくれて、観た者の胸に思いっ切り濃いモヤを掛けて終わるのも案外アリだと極個人的には思ったりもしました🥴(←ナンダコノ顔⁉ ︎iPhone以外の人には空白!?)
水を売る男に妻の叔父がモロ重なる😓
黒木華(はる)さん演ずるお姉さんが、過去に私が関わった人と雰囲気が超似てる〜😳
岡田将生くんは確かに顔面 整ってんね~🧐
田村飛呂人くん演ずる友達DKみたいな何でもすぐビックリする人 イルイル〜👈🏼😙
新音(にのん)ちゃん演ずる友達JKのシニカルな返しがめっちゃ笑える〜 (そこは⭐️4)
教室で叱責された後の涙目の愛菜ちゃんと交わしていた3人の会話のオモシロさに、ワタシ肩を揺すってウケてました🤣ウッウッウッ
そんな感じで楽しめました。
私は今は特に何かの宗教に属することなく、調子の良い時は毎朝自宅で神棚に(あ、神社神道か‥)今生かされていることへの感謝のお詣りと、そして御先祖には無宗派的な線香♨︎供養をし、日々、今生で暮らせる貴重さを噛み締めつつ‥そのわりに😑…な自らの至らなさを見つめつつ生きております🙏🏼
追記:ちなみに昔に北海道は函館の鉄山町という山間の夜道を歩いていた時に、見上げれば満点の星空の中🌌、流れ星が15秒に1回ほどの頻度で スッ↙︎ スッ↙︎ スッ↙︎ と見られましたの🤩イヤ~一生分観たワ~
人間って感じ。
誰しも弱って、縋りたくなるときに少しでも、その希望が見えるとそれを信じてしまうし、もしもそれで(たまたまであっても)改善したら、成功体験が一生付きまとってしまうのだなと感じた。主人公・ちひろは赤ちゃんの時からお父さんお母さんと共に当たり前にある「金星の水」(宗教を象徴してるような水)をまぁ当たり前のものだと思っていたのは、それは仕方ないことだとは思う。最後に行くにつれてちひろの宗教(と言っていいのか?)への熱意は、それ自体ではなくほとんど親への愛であったように感じられた。
新興宗教的なものはそうでない人から見たらとても奇妙に映ったり異常に思えるけど、当人たちは《それ》以外はごくありふれた人間なのだと言うことを伝えるような映画でもあった。ちひろいい友達に巡り会えたね〜。先生とかおじさんはん〜…まぁしょうがないけど、人の信じるものを真っ向から否定しても何も生まないというのは一つの考えとして持つべきだと感じた。
両親も宗教を疑い始めているのか?
ラスト3人で星を見ている時、水のおかげで風邪をひかないと常々言っていた父親がくしゃみをし、母親が水ではなく普通にティッシュを渡しているシーンがある。
これは親ふたりも、宗教を信じる気持ちが揺れている表現ではないか?
ちひろが宗教を怪しみ始めた時、それまでひかなかったはずの風邪をひいている。
両親の気持ちがブレた原因は、家出をした長女からの電話だろう。
流れ星は実際に見えたのではなく、見えたと「信じている」だと思う。
あの短い時間に3回も本当に流れ星が流れるとは思えない。
親とちひろでみえたタイミングがズレているのは、世界の見え方がズレ始めているという事だと思うけど、それでも3人で見ようと努力している。
私はこの後ちひろは、親とも宗教とも距離をとると思ったが、全く逆の解釈もあった。
個人的には、私はあれを家族愛だと思いたくない。
育ち盛りのちひろのご飯もままならない程、教壇に入れ込んでる。
ちひろが働くようになっても搾取されるのでは…。
ちひろの自力、独り立ちの足も大きく引っ張ると思う。
リアル だけどそれだけ
あまりに観客に投げすぎて、何も語っていない印象です。複雑な状況をリアルに描くのは成功していますが、それはドキュメントでも良いですよね。観客の心に一石を投じたい、この映画をみて観客が何かを考えると良い、と思っているのでしょうか?しかし監督の伝えたいことがそこになければ、それはただの映像に過ぎないのでは?娯楽的な要素の少ない映画を志向したのは理解できますが、何も語らなければ何も伝わってきません。もちろん、この映画を観て監督の意思を感じ得ない自分の鑑賞者としての実力不足は言わずもながであります。
ま、それはストーリーや主題の話であり、演技や演出はとても高度で見応えのある物でした。最初に少し説明せず時系列をいじったところなどは複雑ではありますが、ウォーミングアップ的に引き込まれました。長回しや不自然な間の長さも、素晴らしい演技を存分に楽しめます。また、街や学校や最後の合宿などのシーンも本当に素晴らしく丁寧なリアルを感じました。黒木華さんをはじめとする宗教に光をみた人の演技が凄かったです。
信仰に生きる人の難しさを感じました。どっちに進むも地獄です。まだ社会生活を成り立たせているだけマシかなとも感じます。信仰を突き詰めて神に仕える喜びの中に破滅する人は大変多いですので。宗教二世については、また別の問題があります。当然、生活する内に自ら信仰に目覚めるならば全く問題ないですが、大部分の仏教徒のように、なんとなくで信仰してしまうとかなり大きな葛藤を抱くことになると思います。本当に宗教に惚れ込んでしまったら、自分の子供に布教しないのは完全に欺瞞であり自らの信仰にウソつく行為なので、子供のうちはある程度染まってしまうのでしょう。そこから疑問抱き、自分で決断することが重要だと考えます。
この映画では明らかに異常な宗教なので、周囲も自分の態度を決めやすいですが、これが表に出ないような宗教なら問題はさらに深刻になっていたでしょう。そういう意味ではかなり分かりやすい宗教でした。
いろんな側面からの描写が芸達者な役者さんで支えらているが、、
新興宗教に対する信者内の和気あいあい感が良く出ていたし、それに対する叔父や教師に代表される世間の敬遠感も感じたし、芦田愛菜演じるちひろの心の揺れも、ちひろの周りにいる友人たちのそれはそれとして友達だし感も良く伝わる、芸達者な役者さんの演技が良かった。
だが、明らかに家が経済的に貧しくなっている設定に対し、ちひろの制服に感じる新品っぽさや良質な素材を思わせる私服、そして背筋が伸びている芦田愛菜、、、ここら辺のリアリティがなく、どこかこの話自体があくまでフィクションで客が飲み込まれ過ぎないようにしているのが気になった。テーマが宗教だからかもしれないが。
子は親を選べない。でもいつかは自我が芽生え親から自立していく、けど親と子の縁が切れることはない。ラストシーンはそんなことを感じた。
とても良い映画
「まーちゃんに子どもが産まれた…」という両親の言葉に、芦田愛菜と一緒に泣いた…不覚にも(笑)
それって、"嘘"なのに…(たぶん、もうこの世にいない…)。
人の心とは、かくも弱いもの…誰かに支えられているだけでなく、また誰かを支えているからこそ、強くもなれるし生きている実感が湧くんでしょう…
(姉と会えなくても、"コーヒー1杯"で妹の心は姉と繋がっているし、たとえ両親の事を疑い出したとしても、"姉"が心の支えになっているから、親の愛を無理に否定しようとせず、同居して行くことが出来るのでしょう)。
しかし、結局のところ、娘を2人とも失ってしまう事になるであろうこの親たちも、また哀れです。
(かつて未熟児で生まれ皮膚病に苦しむ我が娘を、藁にもすがる気持ちで救おうとした両親の気持ちは、あまりにも尊いですが…)
*芦田愛菜の両親を「かっぱみたい」と言って、教室で同級生たちと笑うシーンが、ほのぼのとして良かった(笑)…逆に、こういうシーンがあるからこそ、主人公の気持ちの揺れや変化をリアルに感じることが出来ました。
流れ星が見えたということは
そこには国民的子役から成長し、すっかり国民的女優となっていた芦田愛菜ちゃんがいた。
正直に言って子役時代はあまり好きではなかった…(ファンの方すみません)
やっと身体が中身に追いつき、また外見も大和撫子でそして演技も相まってまさに"国民的“。
個人的には清原果耶ちゃんと雰囲気が似ていると思っており、朝ドラヒロインを演じるのはいつだろうと期待しています 笑
病弱だった自分を治してくれた宗教の信者となった両親。
世間一般から見たら変だと言うことはわかりつつ、芦田愛菜ちゃん演じるちひろは自分はどうしていけばいいか迷っています。
日本は国民自身の自覚からして無宗教者が多い国。
劇中での信仰宗教が絶妙なラインで描かれています。
大友康平さん演じる伯父に水がインチキ商品であることを立証されますが、それ以外は全く無害なんですよね。
ちひろが生まれてから15年間、商品を買う資金作りのためか小さな平屋に引っ越してはいたが家族3人は幸せそうで。
観ているこっちもいい意味で個人の価値観でしか善悪を決めることができなかった…
伯父さん以外でちひろ家族を否定した唯一の人物が、岡田将生さん演じる片思いの先生なのだから残酷すぎるではないか…
同級生の中学生たちでさえイジメるでもなく、そっとしておいたのにも関わらず…
宗教の集会で当選者が壇上で宣言をする場面。
当選者の中にはるちゃんの彼氏いたよね⁉︎笑
何を宣言したんだろう…
最後3人で星を眺めるシーン。
ちひろは2人とは別のタイミングで流れ星を見つけますが、僕はあれは嘘だと思っています。
これは宗教を信じていないことを表しているのではないでしょうか。
そして嘘をついた理由は、"宗教は信じないが父と母2人は見捨てない“というのがちひろが出した答えだということでまとめます。
グロテスク
まなちゃんが愛らしいので家族愛のお話かと思ってしまいますが、その真横にあるもっといびつなものがテーマなのかと思います。
お姉ちゃんの行動が全て。外からの手助けにすがりつつ、土壇場で刃物をむけてしまう。おそらくそんな自分にぞっとして家を出る。
妹はそんな姉の気持ちを理解しているのにもかかわらず家に残ることを選ぶ。
おかしい事、ずれている事に気づきながらも見ないふりをして過ごす人達に違和感を持っている上で、同じようにそこにいようとする。
それは家族愛とかではない。
姉妹で出した結果は違うけど、生きるための立ち位置を模索しているのだと思います。
三人で見上げる星空、両親と同じ流れ星を目撃できなかった事、これはこの先見るもの目指すものが違っていることのたとえじゃないかと思いました。
救いは…お父さんが高校の事を、遠いな…と漏らしてその後の言葉が本当はあったかもしれない瞬間。おじさんの家から通う選択肢が、僅かだけ提示されていたのかと。
でもじつはもっと怖いのは、それらを超越してあの団体は動いているのかもと思わせる不気味さ。
合宿先でなかなか両親と会えなかったこと、催眠術を駆使するという女性に揺らぐ心を言い当てられること、それらは仕組まれていたのかも。会えない時間に両親から娘の相談を受けていて、さも心を見透かしたように投げかける言葉…こういう手口はよく聞きますよね…怖。
ところであの素敵なバランス感覚のお友達なべちゃん、まく子ちゃん演ってた美人さんですよね!途中で気づいて嬉しくなりました。
お姉ちゃん役のあじゅちゃんも応援してます!
若くして子供を産む役が多いな。 笑
観賞後に考えさせられる作品
芦田愛菜が好きで久しぶりの主演映画だからという軽い気持ちで鑑賞しましたが、終わった後は良くも悪くも呆然としてしまい、色々と考えさせられました。
この映画では、普段私たちが当たり前と考えていることが通用しません。
・宗教に傾倒してしまい、娘の修学旅行代も払えないようになるまでお金を使ってしまうのはダメなこと
・宗教に傾倒している妹を目覚めさせるのはいいこと
・宗教に傾倒している子供を助けるのはいいこと
外から見ていたら当たり前だと思うことです。
しかし、主人公は生まれてから宗教に傾倒している親の元で育っているので、当たり前が当たり前ではありません。
本作ではそんな主人公が世間とのずれを認識していく姿が丁寧に描かれています。
主人公は世間とのずれを認識しても、親への愛情を捨てることができません。
特にラストシーンでは、主人公は信仰している宗教団体への不信感を感じながらも、最終的には星を見ることを選択してしまいます。
最初はこんなところで終わるの?と思いましたが、他の方のレビューで、何も見えない空に架空の星を見ることを選択していることが描かれているという解釈を見て、究極のバッドエンドだと思いました。
今後も主人公は世間とのずれに葛藤しながらも、両親を信じていくのでしょう。
宗教ではなく、両親を裏切れない、見捨てられない、ほっとけない等の理由で信じていくのでしょう。
また、宗教が悪徳宗教なのか、宗教団体の悪い噂は本当なのか、なぜ宗教団体の会合で親と会えなかったのか等は何も描かれていません。
鑑賞者の想像に任されています。ただ、明らかに生活レベルを下げて宗教団体の物品を購入しているので健全な宗教団体とは言えない気がします。
考え方によっては、レイプや監禁による金銭徴収が横行している悪徳宗教団体に、主人公が蝕まれていくという見方をすることもできます。
少しでも報われてほしいと切に願ってしまうような作品でした。
衝撃のラスト
えー!?
これで終わっちゃうの??
何にも話が進展してないじゃん。
って、衝撃を受けました。
でも、これまでになく時間がゆっくり流れる作品で
最後に大ドタバタで詰め込むのかと思ったら何も
描かれない。
芦田愛菜ちゃんの演技はとっても良かったです。
演技に吸い込まれます。
家族愛はとても感じれたの良い映画ではありました。
終盤の両親となかなか会えないのくだりは
どーいう意味だったんでしよう?
教えて欲しいです。
子供な大人と子供と大人の狭間にいる子供
作品の中身について書く時に
何処からがネタバレになるのか
見た人の受け取り次第だな と思ったので
【ネタバレ】にしました。
芦田愛菜さんの『信じること』
についてのインタビューを
動画で見て興味持って観に行きました。
観た後に感じたのは不思議だな。っていう感覚。
金星の水を学校で机の上に
常に置いていても同級生の反応は
特に過剰な感じにはならないんだなぁ
親が変な宗教に入ってるだけで
子供である主人公ちひろ
には変な拒絶反応は無いのかな。
それとも、多様性の問題で、趣味・嗜好、宗教も人それぞれ違うものだと認識出来ていて受け入れているのか。
今の子供は大人だな。
と、勝手に思って自分の中での認識のギャップから不思議な感覚に陥りました。
それに対して周りの大人。
先生は、随分と大人っぽくない子供な対応、幼い。
ちひろの両親も、無垢な子供のように宗教を信じている、信じていたいのかな。
まー、でも、
許されるならば
ずっと子供でいたいもんです‼︎
と、思うときが
自分にはあるけれど
他の人はどうなのかな。
終盤で施設に行ったところからエンディングまでの流れ
ここの展開も何だか不思議な感じだったなー。
いかにも何か良く無い事が起こりそうな雰囲気満載だったのが不思議。
最終的に、
映画の完成報告イベントでの芦田愛菜さんの『信じること』
についてのインタビューが
主人公ちひろの思考の全てを表していたんじゃないかと思える。
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