「自分を疑え」星の子 Hideaki Yamaneさんの映画レビュー(感想・評価)
自分を疑え
非常に面白いというか興味深いというか大変ユニークな作品で引き込まれて鑑賞しました。
何がユニークかというと、こういう“新興宗教”を材題にした映画や小説の大半は新興宗教そのものを、前提として如何わしく怪しげで信用できないものとして扱っていますが、本作に於いては非常にニュートラルな視点でそうした前提条件を排除した視点から描かれていました。
恐らく、日本ではオーム事件から新興宗教にそういうイメージが一般的に植え付けられ、新興宗教を扱うこと=怪しげに描かなければならないという価値基準が生まれてしまったのでしょうね。
そういう私自身、新興宗教と聞いただけでそういうイメージに捕らわれてしまってることをこの作品を観て実感させられました。現実には私の周りに新興宗教の信者の知り合いはいませんし、いたとしてもその人が信者かどうか知る術もありません。実態を全く知らないのにも関わらず、一般的メディアイメージを鵜呑みにして疑わない自分がいることに驚いていました。普段は“何事も疑え”を信条にしているつもりだったのですが、簡単に化けの皮をはがされた様な気がして恥ずかしかったですよ。
本作の宗教団体の集会も企業のセミナーと思えば何の違和感もなく、客観的に見れば怪しくも滑稽にも見えるが、宗教団体以外の一般企業でも客観視すれば同様であることがよく分かります。
恐らく、今の日本社会では(本作のちひろの伯父さん的な)私の様な人間が大多数であり、ちひろと環境が似通った子供達にとっては、本作の様な出来事が色んな場面で少なからず起きているのも知れません。
本作では“信じる”という事がテーマでしたが、この信じるという言葉は宗教用語でもないし宗教の専売特許でもなく、国家・人種・宗教・イデオロギーなどとは別に人間そのものとして、その人間を信じることが出来るかどうかの“信じる”という言葉であるように感じました。
ちひろの両親も、ただただ娘に対する愛情だけから入信した訳で、元々の宗教そのものに対する信心とは乖離する様に感じられ、はたから見ると滑稽であっても、その人間の根幹の部分でその人を信じられるかどうかの物語であったように思わます。
そういう面で、今回この作品を観て自分自身を否応なく見つめ直させられて有難かったです。
それと、芦田愛菜って天才子役と言われこれから成長してどういう役柄を演じていくか難しくなっていきそうですが、役柄に対する理解力や演技力は流石天才と呼ばれるだけあって凄いと思いましたね。