「改めるべき現実に対して創作物が持つ力」スキャンダル omoroさんの映画レビュー(感想・評価)
改めるべき現実に対して創作物が持つ力
これは「米国のセクハラ問題」という個別具体の話ではない。
セクシャルハラスメントはパワーハラスメントつまり「優位性を利用し便宜を強要する又は苦痛を与える」に包含される事をこの映画は明示する。
どちらも耐えてやり過ごす事が多いが立ち向かう人もいる。
それがどういう事かについての普遍的な物語である。
この映画の何がすごいって、演技も含めたルックの構築が素晴らしい。
ルックの構築には実在の人物に似てるかどうかは本質的には関係なく、どれだけ外部に対して人物造形・キャラクターに関する情報を発信できているかが重要である。
見た目を似せるというのは、手段ないしは只の結果であり目的ではない。
シャーリーズセロンの完成された強さと合わせて完成する前の佇まいも素晴らしいし、同等の貫禄を出せるにも関わらずどこか垢抜けきらない役を演じきるニコールキッドマンも秀逸。
そして行く行くは前述の2人と同格になる可能性を感じさせ、2人が通ってきた道を現在進行形で見せるマーゴットロビーも役割を全うしている。
人間は皆弱い。
常に立場は相対的で、常に誰もがパワーの差を利用した加害者になり得るし被害者にもなり得る。
それは双方自覚的ではない場合もある。
この映画の中で象徴的なのは、セクハラで訴えている側が他方では忠誠心を強要しようとする場面だ。
作り手側は間違いなく意図的にやっている。
人間本来の弱さでなく、男か女かどんな人種かどんな属性かという話にして、属人的な物語にしまっては対立を繰り返すだけだ。
必要なのは勇気を持って声を上げ続ける事、加害者の人格だけでなくシステムを攻撃すべく声を上げ続ける事である。
人間は弱さと同時に強さも持っているのだから。
それぞれ守るべきものがあり声を上げる事は本当に難しいが、同時に守るべきものの為に強くもなれる。
どんな時に我々が奮い立つのかをこの映画は短いが2度同じ表現を使って明確に意思表示している。
改めるべき現実に対して創作物が持つ力、果たすべき役割を信じさせてくれる作品だった。