ヒノマルソウル 舞台裏の英雄たちのレビュー・感想・評価
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今だから 感じる事がある
1998年 長野冬季オリンピック
忘れもしない!最終日のジャンプ団体の金メダルと原田選手の泣き笑いの喜びの姿は リレハンメルの雪辱を果たしたという事も有って 非常にドラマチックだった!
そして
東京オリンピックが開催される約ひと月前に公開となった「ヒノマルソウル」
あの裏で、こんなドラマが有ったとは!
西方選手がテストジャンパーだったのは 同県民として、知らなくて 全く失礼した!
一言 感動した!😂
主要人物一人一人に感情移入出来る 素敵な脚本だった。
悔しさや 怖さ 人間の心の弱さ、嫉妬 醜さも共感出来た。
そして 希望や友情、親子愛、夫婦愛
不屈の精神 オリンピックに懸ける 高い志にも共感し、心揺さぶられた!
この映画はコロナの影響が見え始めた昨年2月頃撮影されたらしい。こんな事になるなんて想像もしなかっただろう。
そして、公開もコロナで二回も延期された。
今作品には
オリンピックに懸けるスポーツ選手の偽らざる本音の部分が描かれていて、何度も身につまされた。
[以下ネタバレ含みます]
オリンピック前日に合宿所で 西方選手がリレハンメルの経験を
「翔んでる間の記憶はないが、着地した後の地鳴りのような歓声と拍手が忘れられない」と語るシーンは、そこに居る全ての選手が その歓声に無常の喜びや達成感を得るのだろうなと 解る。スポーツ選手が、オリンピックに憧れるのは、自分の技を大勢の人々に観て欲しいからなんではないだろうか?それが全てではないだろうが…。
今年 あと僅かで訪れる 夏季オリンピックは もしかすると無観客になる…
オリンピックを夢見て やっと出場権を得た選手が、拍手も応援も喝采も無い中で 競技をすることになるのは仕方ないとはいえ
あまりに 切ない…と思った。
高橋の難聴を跳ね返す程の明るさ 無邪気さ「神崎の酒にウーロン茶を入れとけばいい」(笑)や、南川の ちょっと斜めな意地?の中に将来の希望を語るなど、この3人のシーンが とても好きだった。団体戦テストジャンプで 成功した時、高橋に聴こえた仲間の声…良かった!
あの頃 女子にはオリンピックでのジャンプは無かったんだ…そんな中で、懸命に飛ぼうとした小林。健気さに泣けた。ああいう先駆者が居て、今があるのだな…
原田雅彦選手 彼には彼の 大きな苦悩が有った。なんとしてでも、今度こそ金メダルを取る❗取らねばならぬ❗そして、 西方と葛西の分まで飛ぼうと 二人からアンダーシャツとグローブを借りて飛んだ!そして 見事に 大ジャンプ成功❗
「僕じゃない。みんな…みんなが」と涙で語る原田のみんなは テストジャンパー全員も含まれてたんだ…と 改めて知った。
役者は皆 本当に素晴らしかった!
原田雅彦さんを演じた濱津さんは、飄々としながらも 繊細な気持ちや思い遣りを感じさせる原田選手を 見事に演じてらして 感心した。太鳳さんの良妻ぶりも素敵だった!山田裕貴さんの お茶目で、ハンデに負けない若者像が 良かった!そして、恐怖で飛べなかった南川が、皆の為に飛ぶ 事で勇気を得た姿が かっこいい。
そして、
原田に落ちろとまで呪った西方が、自分を信じてる 全ての人の為に 最後のジャンプを成功させるまでの心の過程が、丁寧に描かれていて、本当に 感動した。田中圭さん良かった。
最後にどうしても言いたい!
オリンピック会場に 日本各地、いや 世界中からリモートで 拍手や喝采を届ける方法はないだろうか?出来るんじゃないか?
そういう方法を 早めに検討して欲しかった!!
15 再延期を経て
再延期を経て、やっと公開しました。
1998年の長野オリンピックの実話であり、
結果の分かっていたお話ですが、とても泣けてくる
作品でした。
色々な人が、色々な思いを抱えて、集まりひとつ事を
成し得る事に感動しました😭
最高でした。
日向坂の小坂菜緒さん素晴らしい演技でした
これかを期待しています。
【ふと考えたこと/考えて欲しいこと】
僕は、長野オリンピックのノルディック複合のジャンプを、あの会場に観に行っている。
荻原兄弟の出場した競技だ。
リレハンメルとは異なり、荻原健司さんはメダルに届かなかったけれど、足先、お腹、腰にホッカイロを貼り、極限までトイレを我慢して応援していたことを思い出した。
このジャンプ団体は、テレビで録画したものを観たが、それでも興奮したことを覚えている。
原田選手の失敗ジャンプは、度々取り上げられていて、まあ言い方は良くないかもしれないが、ライブで観戦していた人達は、1回目で、またかと思ったというより、怒りに近いものを感じたと話していた。
そして、原田の2回目の「予想を裏切る」超絶大ジャンプ!
吹き上げる風が、原田をスキーごと持ち上げ、平なところまで運んで、危険な着地になるんじゃないかと心配したのと、転倒しないようにと祈るような気持ちになったとライブで観ていた友人が話していた。
僕は東北の山間部の町で生まれ育って、大学までスキージャンプ競技を続けた友人もいて、この競技は興味を持ってずっと見ていたので、西方さんのことは良く覚えている。
リレハンメルの活躍もそうだが、長野で代表から外れたことは話題だった。
オリンピック期間に入ってから、葛西さんが団体メンバーから外されたことで、話題はそっちに行ってしまったけど、西方さんは身長も高く、その後、背の高い北欧の選手が有利になるような規定変更があって、それにも対応できる可能性が高い日本人ジャンパーと期待されていた。
いまや、高梨さんや伊藤さんなど世界で活躍する女性のオリンピックジャンパーは当たり前になって、パラリンピアンの競技種目拡大は既定路線のように思える。
葛西さんは今でも現役を続け、次の北京冬季オリンピックは難しいかもしれないが、世界から尊敬を集めジャンプ界のレジェンドと呼ばれるようになって久しい。
どんなスポーツでも、競技に身を投じた人達が、その競技の発展に貢献し、華やかなステージに立つのは一握りであっても、こうした人達が研鑽を重ね、場合によっては直接縁の下の力持ちになって競技を支えていることは語り継がれるべきことだし、それは、教育の現場でも、忘れてはならないこととして伝えることだと思う。
ただ、もし同じ状況が、今あれば、中止はやむを得ないと強く思う。
僕は、ノーマルヒルのアプローチを上から覗かせてもらったとこがあるが、あれは尋常な恐怖ではない。
高所恐怖症じゃなくてもビビる。ラージヒルだったら尚更だ。
あの風、あの雪。
この飛行隊の勇気は讃えられるものだけれども、このコロナ禍のなか開催されようとしているオリンピックを考えると、スポーツとは一体何なのか、立ち止まって考えたくなる。
スポーツマンシップには、より正しく決断するという勇気も含まれていると、僕は強くて信じる。
スコアは考える機会になればと加点しました。
いい意味で王道じゃない映画
予告では、ニッポンバンザイ映画なんだろうなと伝わる内容だったが、実際観てみると、主人公が王道じゃない。かなり人間臭くて、え…ってなるジーンが多々。それがリアルで、見応えに繋がっている。
観るたびに、テストジャンパーそれぞれの人に気持ちを馳せることができるので、何度も観たくなる。
飯を食うことしか脳にねぇのか、アァ!?
ワンデーフリーパスポート。またまた利用です。
またもやこの幸せな時間がやってきた。
映画ファンにとってこれ以上ない幸せです。
ということで、1本目は本作です。
特にこれといった理由もなく、強いて言うなら監督が「ステップ」の監督なので。この手の映画は正直期待出来ない。なんとなく展開が読めるからね。
うん。まあ、期待通りでした。
期待通りというか、想像通りかな?
可もなく不可もなく。平凡な映画かなって感じ。
スキージャンパーの西方(田中圭)は、リレハンメルオリンピックで後一歩のところで惜しくも金メダルを逃してしまい、必ず4年後は金メダルを取ると決めたのだが長野オリンピックでは代表に選出されなかった。
やっぱりこの映画見て感じるのは田中圭の演技力。
「哀愁しんでれら」でも土屋太鳳と夫婦役だったが、今回は闇も無いし金持ちでもない。「飯を食うことしか脳にねぇのか、アァ!?」とも言いません。
あれはあれで狂気に満ちており良かったが、やっぱりこっちの田中圭の方が好き。自分の意見をハッキリ言い、誰よりもスキージャンプに思いが強い西方という役を輝かしく演じていた。実在する人物を演じるのは本物がいる訳なので、すごく難しいと思うが彼は見事にその壁を乗り越えていた。
ステップの飯塚健監督ということもあり、大雪なのに凄く温かみを感じてその上居心地がいい。
ステップでもそうだったが、この映画はどんなに挫折しても、どんなに苦しんでも、いつでも希望という光が見えている。彼らはその光に遠回りをしながらも近づいている。監督は常にこのことを伝えたいんだろうな。
登場人物の描き方もよく出来ている。
主要メンバーは7人。
主人公の西方とその妻(土屋太鳳)。
共に戦ってきた仲間の原田(濱津孝之)。
西方と同じく代表に選ばれなかった南川(眞栄田郷敦)。
テストジャンパーで知り合った高橋(山田孝之)と小林(小坂菜緒)。監督の神崎(古田新太)
全員個性豊かで、過去に何があったのか、どんな思いを抱えているのがしっかり描けている。
まぁ、ただ日本人が好きそうなお涙頂戴ストーリーにはちょっと退屈だしシラケる。
はいここで泣いてくださいね〜と言ってるような感じがして冷める。演出や音楽に問題があると思うが、どうもこんなんだと泣くどころか感動すらしない。
分かっていたけどなんの捻りもない展開。
こう持っていくんだろうな〜というのが安易に予想できるし、しょうがないけど結果が見える。その後をテロップと画像で紹介するのもベタだね〜笑
そして、少し演技が気になる。
山田裕貴は難聴の役をたまに声がする方に振り返ったり、普通の声を出していたりしていたが、上手く演じていた。東京リベンジャーズとのギャップがヤバい笑
気になったのは元・乃木坂の小坂菜緒。
初演技なのでしょうがないっちゃしょうがないんだけど、感情が籠っておらずすごく薄っぺらかった。声の出し方に問題があるのかな。
それでも、期待はずれって訳ではなかったので良しです。総理の夫も楽しみにしてます!笑
当時観客席にいました
五輪直前という事で企画が持ち上がったであろう今作
結構楽しみにしていたのですがそれもそのはず
この長野五輪団体ジャンプは当時現地で観戦
していたからです
感想としては
当時の空気感の際限度も高く
「今だから」こう作れるというほどの
各選手の葛藤や本音をぶつけ合い
原田雅彦選手の鋼のメンタルに救われたのかも
しれないと思いました
五輪競技は突然国家的ムードが盛り上がり
代表選手はメダルを取るための有り球かのように
連日持ち上げられ失敗すれば批判されメダルを取れば
時の人という報道が繰り返されます
個人的にはウンザリなのですが今度の東京五輪は
コロナ禍ムードでの開催にメディアが開催の危険視を
煽りたてる異常なムードになっています
スポンサーをしているにも関わらずですから
やり始めたらやり始めたで手のひら返して
いつものように報道し始めるんでしょうけど
自分たちでそれだけ冷めさせておいて
よくそんなマヌケな事が出来るものですね
この映画では選手たちの葛藤と報道の無責任さ
そして観客の無頓着さが交わることがなく
話が進んでいくのが印象的でした
テストジャンパーが全員飛ばないと協議が続行できない
という事情を観客は知らずもう寒いから中止にしろと
言った声が聞こえてくるシーンなど本当にリアルでした
現場は確かにそんな感じでした
あのドット表示の電光掲示板も良く再現してありました
リレハンメルで失速ジャンプをして日本中から叩かれた
原田雅彦選手も脅迫電話や嫌がらせを受けつつ
長野での金を目指して再起していましたが
団体のほかのメンバーは金メダリストになり損ね
長野では代表も外されてしまった西方仁也の本音
も作中に盛り込まれており
今だからこう描写できるといった部分も多かったです
確か西方選手はスキー板を身長に応じて長くする
ルールに変わったことも不利に働いたのも
影響したんだった記憶があります
五輪は競技全体の活性化にもつながる一大目標で
その名誉に予算や身の振りもついてくるのはわかるし
4年に一度という性質から
実力者であっても縁がなかったりします
これが一年延び商業的なリターンも期待できず
東京五輪がこんな状況に陥っているのは
関係者には気の毒でしかありませんが
どうにか開催を成し遂げてほしいものです
みんな主人公レベル
それぞれの人生があり、それぞれが主人公要素ばかりで素敵だと思った。
例えば難聴の役山田裕貴さんが演じた高橋さんは、25人の中で1番の成績(131m)を叩き出したそうだ。
南川が「最後は一番飛べる西方さん」と言っていたが、西方の記録がぼかされたまま(というか「飛べた」ということに重点を置いていた)映画が終了したため少し疑問に思って調べたのだが、なるほど。『西方が主人公の』映画としては記録のことを触れると感動が薄れるからその辺りは描かなかったのか。
高橋さんはその後難聴の選手として注目されプレッシャーで成績が伸び悩んだそうだが、数年後復帰している。
どの要素を切り取っても主人公である。
女性のテストジャンパー小林さんのモデルになった吉泉賀子さん(旧姓葛西のため紀明さんとかぶるから名前を変えたと思われる)はその後も選手を続け、日常生活も危うい骨折をしたが選手を続けたくてリハビリを頑張り、なんと1年で復帰。2013-14年に引退したそうだ。そして引退した2014年のオリンピックから女子の種目が追加された。
吉泉さんのような人達が道を作ってきたからこそ、今があるのだと思った。オリンピック選手として出場できなかったのは悔しさもあるかもしれないが、吉泉さんのような選手がいたことは誤解を恐れずに書くと、「女の」そして日本の誇りである。
この人たちで映画一本作れる。
さて本編についてだが、唐揚げで言うパセリ。くらいの扱いだった葛西紀明選手はかなり端折られた挙句美化されたが(本来は悔しくてすぐに帰った)長野オリンピックを題材にするのだから触れないわけにはいかない、という感じで出演させたのだろうか、なんか消化不良だった。
というかこの映画自体が、美化されているところもかなりあるんだろうなと観ながら思った。(西方はギリギリまでくすぶっていたのでリアル感はあったが)
小林さんを演じた日向坂46の子。
気になったのが、オリンピックでのテストジャンパーが成功しないと〜と揉めている大事なシーンで、
前髪が広がっている次のカットではピチッとなっていたところ。そして次のカットはまたバラけていた。角度とかの問題ではない。
あー、カットしてヘアメイクささっと直して撮り直したんだろうな。
眞栄田郷敦は軽い役があまり合っていない。
土屋太鳳はいつも同じような役回り。
合成シーンは合成だとすぐにわかる。田中圭が緑の背景バックに叫んでいるの想像したら俳優ってすごいなと思う。
歌詞付きの音楽が流れるタイミング!!ちょっと笑う。歌詞のない壮大な音楽でもよかった気がする。
烏龍茶のくだりは笑った
全体的によかったし涙腺にきたところもあった。
今回スポットライトを浴びた西方さんだけでなく当然原田さんや他のメンバー、葛西さんやテストジャンパー25人それぞれ、もちろん他の競技の一人一人も…
それぞれにドラマがあり語り尽くせないほどの経験をしてきたのだと思う。
様々な思いが交錯するオリンピック。
コロナが無い世界線で、この映画をオリンピック期間に見たらきっとまた違った目で競技を観戦出来たんだろうな。
ここまで頑張ってきているオリンピック選手、そして舞台裏の英雄たち、また日本を沸かせてください。
あの時の感動が倍増して戻ってきた
今でも思い出す長野オリンピックの団体ジャンプの奇跡の逆転劇。その裏側でもっと熱くなる事が起きていたなんて。
予告編で特徴のある喋り方をしていたテストジャンパーがとても気になっていたが、この選手は聴覚障害を持っていながらも、とんでもなく熱いハートを持っていた。この高橋竜二と女子高校生ジャンパーの小林賀子を演じた山田裕貴と小坂菜緒がとてもいい。高橋、山田とも飛ぶ事が大好きでテストジャンパーとしてオリンピックに参加できることを誇りに思っている。その想いがスクリーンを通してこちらに伝わってくる。
古田新太もよかった。演じる神崎コーチは、現役時代に代表選手になれなかったからこそ、テストジャンパー達の気持ちがわかる。厳しいけど憎めない。
高橋が仕込んだウーロン茶事件には、吹き出してしまった。
それにしても原田役の濱津隆之は、似てたよね。泣いているんだか笑っているんだかわからない原田の情けない顔がそのまんまだった。
できれば、NHKの実況で再現して欲しかったな。
「立て、立て、立て、立ってくれー(絶叫)」
応援してる自分も正にこの気持ちだった。
泣いた!
予告を観て想像できる内容のまんまでしたが、全く裏切られませんでした。
とにかく泣きました。
良い話だなぁ。
誰にも見られていない裏方たちの演出も、むしろ信念を感じさせてくれて感動しました。
賞賛されることを目的にしていない西方さんの生き方も、原田さん、葛西さんの生き方もカッコいいです。
また、濱津隆之さんの味のある演技、良かったです!
原田さんそっくり(^^)
五輪という名の怪物
話は感動的で中高年には共感できる内容になっていた、それはそれで映画としての価値は十二分にあり評価できると思う。
が、考えてみたら、五輪って一体何者なんだ?
貴様は何様なんだ?
危険を冒してまでするような価値のあるものなのか?
そういうリスクに値するようなものなのか?
一所懸命に頑張り、力及ばず破れた敗者への嫌がらせや批難は言うに及ばず、銀じゃだめなんだ、金じゃなきゃだめなんだと言わしめるような存在はどうなんだろうか?
経済的な事情も絡み、まさに五輪は拝金主義の象徴であり怪物である。
五輪の存在意義や在り方も問われて然るべき時期にきてると改めて思います。
ハンカチ足りない
長野オリンピックを何故今さら?
第一印象はまさにそれだった。
確かに原田選手の大ジャンプは、それまでの二回の失敗から感動を覚えたのは、若かりし自分でも記憶がある。
でもそれだけではなかった。
あの悪天候を金のために、ライバルでもあり友のために、飛ぶ裏方達の物語だ。
西方さんを主人公にしているが、女子ジャンプがオリンピック競技でなかった時代の女子選手にもスポットがあたっており、涙なしには見られなかった。
あの時を思い出す!
やはり、華やかな舞台ほど、裏方が存在する事を再認識しました。
私の仕事もどちらかといえば裏方なんで・・
昔、テレビで見ていたオリンピック!
原田選手が失敗ジャンプをしてしまったのも見ていて、思い出しました。
あの後にこんな物語があったことを初めて知りました。
内容的には面白かったのですが、どうも実話といいながらも、ちょっと泣かそう泣かそうと言うシーンが見え隠れして、ちょっと誇張しすぎかなと思いました。
ま〜まんまと全部のシーンで涙してしまってたんですけどね!
当時のオリンピックを知らない世代に見てもらいたいです。
表舞台と裏舞台。そして奇跡は起きた。
地元・長野で行われ、原田選手に感動した1998年の長野オリンピック。冬季五輪はまだあまり人気が無かった状況下で、みんなボランティアやら何やらで、「オリンピックを盛り上げよう」と沸いていた。それから数年後、25人のテストジャンパーの裏方話がニュースとなり、とても感動し、詳細を知りたいと気になっていた物語。
表舞台。
それは、原田選手の活躍で金メダルを取ったジャンプ団体。ここにも大きな物語があり、4年前のリレハンメルで金メダル確実と言われた原田の最終ジャンプが「失敗ジャンプ」となり、銀メダルを取りながらも「戦犯」とみんなに言われ、強く非難された。
更に長野での1本目もまた失速し、1位から4位に後退。「また原田か!」となりながらも、”悪天候による中断”後の2本目に奇跡の大ジャンプで逆転・金メダルにつなげ、日本中に感動を巻き起こした。
裏舞台。
それは、25人のテストジャンパー。そして西方選手。
裏方にまわった人の気持ちは多くの人が共感できるところだと思うが、西方選手は特に、「地元・長野」での金メダルをみんなに期待されながら、選出さえされず、そんな状況下で誰も見ていない裏方にまわらされた悔しさたるや、想像がつかない。原田選手の1本目に「なんでお前がそっちに居るんだ。落ちろ。」と思ってしまうほどに・・・。
表舞台と裏舞台。
そんな中で、25人のテストジャンパー達は、1人でも転倒すれば競技中止になるという状況下で成功というバトンを繋ぎ続け、その想いを汲み取った西方選手の最後の大ジャンプによって、表舞台の人へ夢をつなぐ。
原田選手は、西方選手のアンダーウェアと葛西選手のグローブを身にまとい(「忘れたから貸してくれ」と言ったのは実話らしいです)、裏舞台の人たちの想いを胸に2本目へ向かう。
ちなみに、あの白馬ジャンプ競技場に5年前に行ったときは、観光施設的に見学ができるようになっていて、ジャンプのスタート位置まで上ることができた。そこは想像を絶する高さで、足が震えて、とてもここから飛ぼうというような高さではない。しかも、当日のひどい悪天候。テストジャンパー達は、”死”をも覚悟してのジャンプだったと想像される。
そうやって、奇跡は、起きた。
俺は楽しんだ。だが・・・(追伸参照)
俺は楽しんだ。たしかに。
1998年2月、冬季五輪長野大会でのスキージャンプ男子団体で日本が金メダルをとったのは観たし、その4年前1994年のリレハンメル五輪で残念にも銀メダルに終わったのも観た。リレハンメルでは、葛西、岡部、西方、原田の日本チームが、本作の主人公である西方の135mを筆頭に快調なジャンプをみせ、最後の原田がわずか105m飛べば優勝というところまできた。ところが、原田は大失敗ジャンプ。まさかの97.5m。結果は銀メダルというあまりにも残念な結果。すべての物語はここに始まり、次のオリンピックで悲願の金メダルを獲得するという経過は、まさにドラマチック。
少し横道にそれるが、俺は、プロ野球にかって存在していた "近鉄バファローズ" というチームのファンだった。1988年、最終日のダブルヘッダーに連勝すれば大逆転優勝というところまでたどり着いた近鉄は、第1試合を終盤の決勝打で劇的に勝ち、その勢いのまま第2試合もリードして迎えた8回裏、まさかの同点本塁打を浴び、規定による時間切れ引き分けに終わり、涙のうちに優勝を逃した。しかし、翌1989年、近鉄はみごとに優勝をなしとげ、俺はTVの前で歓喜の涙を流した。
長々とこの話を書いたのは、「こんな感激、二度とないだろうな」 と当時感じたからだ。しかし、上記したように、1994年から98年と2つの冬季五輪をつないで語られた本作のドラマチックな展開は、まさにこれと同じではないか! 「スポーツ観ていると、こんなすごい感動が、何度も味わえるのか」 と心から感じた。
さて、この話、一般には、金メダルを逃す大失敗ジャンプをしてしまい、周りから戦犯扱いの非難揶揄を受け続けた原田が、次のオリンピックで名誉を取り返す話として語られることが多い。しかし本作は、前述したようにリレハンメルで135mを飛んだ西方が、長野の直前でけがをして代表入りを逃し、試合前に黙々と飛び続けるテストジャンパーをこなす姿に焦点をあてている。「4年前に失敗したお前(原田)がなぜ試合に出ていて、135mを飛んだ俺(西方)がなぜテストジャンパーをしているんだ!?」という誰にもぶつけようのない欲求不満を抱えたまま、ただテストジャンプを飛び続ける西方。そして試合は始まる。
1本め、好調ジャンプを続ける日本チームの中で、原田がまさかの失敗ジャンプ。1回めを終えて、日本はまさかの4位。さらに、雪が激しくなったため1回めの結果で順位を決めるしかないかという雰囲気が出てくるという最悪の展開に。かろじて、「25名のテストジャンパーが全員飛んだら、2回目を行ってはどうか」という提案が審判団に受け入れられた。コーチは「だめだ、お前たちがケガする危険があるのに、こんな気候の下で飛ぶことを許すことはできない」 と言うが、ジャンパーたちはそれぞれの背景を抱えながら、「飛ばせてください。俺たちのオリンピックを終わらせないでください」 と訴え、飛ぶことを許される。さあ、25人は無事に飛べるかどうか。
という話で、自分はとても楽しんだ。感動も新たにできた。それはその通りなのだ。
追伸
だが・・・。
この話の "肝" は、「ケガする危険があるのに、テストジャンパーは飛びたいと言い、コーチ陣がそれを受け入れる」 点だ。ジャンパーが飛びたいと言うのは、もちろんそうだろう。では、コーチ陣はそれを受け入れてよいのか。そして、それよりも、観ている俺たちはそれを美談と感じるべきなのだろうか。
高校野球で言えば、たいへんな球数を投げ続けた投手が「腕が折れても投げます」と言い、それを聞いて「〇〇と心中します」という監督がいたとする。それを聞いて、いい話だと受け入れる俺たちがいるとしたら、それは正しいのだろうか?
この話をいい話と受け取ることは、意識していなかろうと、「危険があっても行うべき」という無言の圧力をスポーツ界にかけていると考えるべきではないだろうか。彼等の身体は、彼等のものだ。どう使おうと彼等の自由ではある。だからこそ、あの環境で「俺は飛ばないよ」と言うやつがいてもなんら否定される理由はない。この話は、たまたまそういうやつはいなかった、そして「運良く」誰もケガせずに終わった、ということだ。しかし、それを「これこそ美談、目指すべき姿だ」ともてはやしてしまっては、それは「(こうした環境下では)断るべきではない」という無言の圧力をかけていることになってしまっているのではないだろうか?
そんなわけで、自分は楽しんだのに勝手な言い方だとはわかっているが、こうした映画はこれが最後になることを願っている。
若者は、この映画を評価しないのではないだろうか。今の自分も、残念だが、評価できない気持ちだ。映画の出来はよい。だが、主題は、今、評価してはいけない内容だから。
「巨人の星」他で梶原一騎が描いてきた「チームのために、俺の腕が折れようとも、俺は投げる」という姿は、本人がそれを選ぶことは自由だが、周囲がそれを期待することは決して許されないことなのだ。さらに、そういうことがあった時にその行為を賞賛することは、今後そうした状況に出くわす選手たちに、無言の圧力をかけることにつながると、俺たち全員が自覚すべきなのだろうと、心から思う。
おまけ1
西方が飲み屋で歌う「TOKIO」。「トキオは空を飛ぶ♪」..多くのジャンパーが歌うんだろうな、やっぱ、と思ったらなんか楽しかった。
おまけ2
長野五輪のジャンプ団体戦の観客4万5千人!! けっこう入るんだね、スキー場って。驚き。
長野オリンピック
のスキージャンプはリアルタイムで見ていたのですが、裏側でこんなストーリーがあったなんて。オリンピックに出場出来る人はほんのひと握りで、それに落ちた選手、支える人達は大勢いて、各々自分の気持ちがあるだけに複雑ですよね。山田裕貴君と、息子役子役の「にしかたあ。」の演技に力を貰いました。
実話ものは難しいけど
この映画はよかったです。
始まりでは葛西とか舟木とか、似てるのかしらん?と思っていて、ときおり
「実写を出したら・・・」なんて思ってました。
※
でも、原田役の濱津 隆之さんは適役。
「似てるけど誰だろ? あっ!カメ止めの・・・。」と驚きました。 あのローカル映画史に残る作品の俳優が、こういうところで採用され、しかも適役・好演だったのはうれしかったです。
ストーリーは
「こうだろうかな、こうだろうな。」というものでした。
でも、あの感激を知っているものの一人としては、
「こういうエピソードを知りたかった。そして、世に知らしめてほしかった。」そう思い、うれしかったです。
年のせいか、あの場面を実際に見ていたせいか、それほどにはグッと来そうもない場面でもウルッときました。何回も。
これ実話なんですよね。
エンドロールに映った実際のテストジャンパーの記念写真の中に、女の子が一人いました。
「本当なんだ。 すごい。」と思いました。
観ている途中、
「この時代は女子ジャンプがなかったのか。」
「今は、あんなに華やかに行われているのに」なんて思ったり、
「この映画、せめてエンドロールだけでも実写を流してほしかった。」なんて思ったりしました。
でも、楽しかったです。
あの日の感激を思い出しました。
感動しました!
長野オリンピックの時、小学生くらいだった自分は金メダル獲得したのは覚えておりましたが、裏側の物語を知り感動いたしました!
また良い意味で、山田裕貴さんの演技が魅力的で主演の田中さんを脅かす内容でした!
実話ベースといっても 全体的には スポ根ものにありそうな ベタなス...
実話ベースといっても
全体的には
スポ根ものにありそうな
ベタなストーリーという印象
長野オリンピック
ジャンプ団体の金には
日本中が歓喜に沸きましたが
テストジャンパー達の
必死の頑張りがあった上での
金だったんですね
男子ジャンプで記憶に残る選手が
原田、葛西、船木、
そして、西方の4人になった
原田選手役の濱津さんは激似❗️
コーチ役の古田さんも
ハマり役ですね
わかりやすさの中にある謎
コロナで公開が延期されたが、東京オリンピックも延期されたので開催前の公開に間に合った、ということになろう。
タイトルのセンスが古くさく全体奉仕的で、あまり見たいと思わせるものではなかったが、一応長野県人だし、妻がどうしても見たいと言うので、つきあって行ったら予想外に面白かった。こんなところにドラマが隠されていたのかと驚きつつ、「感動の物語」を見て泣きたいと言う人におすすめだ。
テストジャンパー全員が上手く飛べなかったら試合は再開されないとか、原田が二度同じ失敗をするとか、事実でなければ話を盛り上げるためのご都合主義と切り捨てられてしまうところだ。こういう点で「事実に基づく物語」というふれ込みは強さを発揮する。
物語の構造はわかりやすいし、映画としてもわかりやすく加工されている。
怖いので手が震えていますとか、怒って帰ったかと思ったら残っていたとか、辞めると言ったけどやっぱりやるとか、大勢の観客の中のわかりやすい場所に家族がいるとか、とてもわかりやすくしてある。見ていてどういうことなんだろうと考える負荷はゼロだ。
女性の役割は、夫に好きなことをさせて自分は影で支える妻というジェンダー学的に批判されそうな配置なのに、その役を本来ならジャンパー役をやりそうな土屋太鳳にやらせて、その違和感を田舎の因習に抑圧されている女性の在り方の描写に用いたり(深読み)する一方、小樽から飛び出してきてテストジャンパーをやっている女子高生とそれを無理矢理連れ返そうとする無理解な父親との葛藤と和解というステレオタイプもあって、古くさい物語パターンがわかりやすさに奉仕している。ただ、紅一点のこの女子高生がやたらでしゃばってくるのは今の時代を意識しているのか。聾のジャンパーもいてそれが予想外に重要な配役で、そこら辺も時代的な配慮がなされている。
中西の物語のレイヤーだけなら失意からの立ち直りといい、妻や子の配置といい凡庸だが、中西から見た原田というレイヤーが重なることで、原田という天然なのか韜晦的なのかわからぬ不思議な人物が空虚な中心として観客の興味を引きつける。先程「考える負荷はゼロだ」と書いたが、原田という人物の謎だけは残されている。
スキージャンプという、動きの変化の小さいしかも瞬時に終わる競技をいかにスリリングに見せるかに苦労している。苦労しているというのは、その観点からは成功しているようには見えないということである。中途半端である。
ハリウッド映画なら映像がもっと派手で大袈裟なものになっただろうけど(例えば、滑走するスキー板と雪面のソリッドな感じとか、吹雪のディザスター感とか、ジャンプ台を中心としたスペクタクル感とか、選手どうしの人間関係にもっと軋轢を加えるとか)、邦画だし海外興業は考えにくい内容なので、しっかり国内で受けるような物語にしてあり、そういうものとして楽しめる。
テストジャンパーのメンバーが自己紹介をしたとき、丸顔でブサイクな男がおり、何か活躍する場面があるかと思わせぶりだったが、なかったのが残念。
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