「自分を愛し培ってくれた人への感謝を忘れないための、1万ワードのものがたり」幸せへのまわり道 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
自分を愛し培ってくれた人への感謝を忘れないための、1万ワードのものがたり
1968年から30年以上の長きに渡りピッツバーグのローカル子供番組『Mister Rogers' Neighborhood』の司会を務め、国民的ヒーローとしてアメリカテレビ史に名を残すフレッド・ロジャース(1928~2003)を扱った、大人のための優しい教育映画。虎や王様(フライデー13世のネーミングが一寸辛口)のパペットを操り、ジオラマ模型を駆使した子供向けの番組でも、死や戦争、そして離婚などのシリアスなテーマも扱い、自作の親しみ易い歌で語り、広い世代のアメリカ人に支持され敬愛されていたようです。フレッドの経歴に、ピッツバーグ神学校で学びアメリカ合衆国長老派教会というところから聖職者に任命されたとあることから、番組の好感度の高さにはキリスト教の神父(牧師)の諭しという要素もあったのではないかと思われます。この聖人のようなフレッドの紹介記事を上司から無理やり依頼された雑誌記者ロイド・ヴォーゲルとの出会いを描いたストーリーは、1998年の雑誌エスクァイヤに掲載されたトム・ジュノー著『Can You Say...Hero?』を原作として、家族を棄てた父との確執から抜け出せず人や自分を傷つけてしまう、父親になりたての男性の成長変化を分かり易く描いています。当初は400ワードに収める取材一回で済むものが、父親が倒れ余命幾ばくも無いとなってから再度フレッドのいるピッツバーグに向かう展開で急転する彼の心理変化は、結果的にロイドの人生観を変えた私的でこころ温かい1万ワードの記事になって、広くアメリカの人たちに受け入れられました。それによって、妻ジョアンから見たフレッド・ロジャースの実像、“聖人と見られるのは努力と訓練の賜物で、完璧な人間でもなく短気な性格”であり、“怒りを抑える道を選んでいる”ことが紹介され、そのために“聖書を読む、泳ぐ、人の為に祈る、たくさん手紙を書く”ことが語られています。
雑誌記者ロイドに対するフレッドの見立ても語られて、“信念を持って、正しさと間違いの区別を付けられる人、父との関係がそれを培っている。父親の影響で今の君がある”と言い切っているところが鋭いですね。劇中で描かれるナショナル・マガジン・アワーズ受賞の名誉を得る優秀な記者でありながら、ロイドの上司エレンは批判もあることに気に掛けています。フレッドは、ロイドの記事を読んで人情が無い人と断言しながら、そんなロイドが好きと懐の深さを見せます。物語が進むにつれて、病身の母から去り家庭を省みなかった父へ対する怒りが彼の正義感の源泉であり、父への復讐が彼を仕事人間にさせていたことが分かってきます。改めて考えると、喜怒哀楽の中で一番複雑で厄介なのが、怒りです。この怒りをコントロールできることが、人生を豊かにする近道なのかも知れません。
雑誌記事から生まれたこの脚本はシンプルで分かり易い反面、奇麗ごとに終始する語りに物足りなさがあるのも事実です。しかし、主人公ロイドが次第にフレッドの人間的な魅力に引き寄せられ、ある意味取り憑かれて行くところが丁寧に、映像としても面白く表現されていて好感を持ちました。場面変化をジオラマで説明する遊びの演出も、番組へのオマージュが感じられて良いですね。アメリカのテレビの英雄フレッドを演じるに相応しい、アメリカ映画の最も模範的な俳優トム・ハンクスの終始落ち着いた演技の深さと何とも言えない優しさが、素晴らしいと思います。仕事に邁進しながら何時も不満気で人に冷たく当たるロイドを演じるマシュー・リスも堅実な演技でハンクスと対峙して好印象を持ちました。ロイドの妻アンドレアのスーザン・ケレチ・ワトソン、フレッドの妻ジョアンのメアリーアン・ブランケット、ロイドの父ジュリーの後妻ドロシーのウェンディ・マッケイ、ロイドの上司エレンのクリスティーン・ラーティと、女優陣の安定した演技にも不足がありません。しかしこの脇役の中で最も個性を生かしたのが、父ジュリーを演じたクリス・クーパーでした。自分勝手な生き方をしてきて、孫が産まれて漸くどう生きるべきか分かって来たとロイドに謝罪する男の愚かさや狡さが、作品にあった重さで絶妙に表現されていました。役と俳優の個性が生むキャスティングの妙と言えます。
充実した演技のハーモニーを演出した女性監督マリエル・ヘラーには特に不満も無く、そつなくこなしています。その中で際立って興味深かったのは、ロイドが押し掛けてフレッドの家に一泊した朝の、レストランでの食事シーンです。人生の答えを求めて来たロイドにフレッドが語ります。(自分を愛し培ってくれた人々を思い浮かべてごらん)。ここでロイドに向けたフレッドの視線がカメラに向けられ、しばらくの時間、俳優トム・ハンクスが観客を見詰める演出を施したことが、そのままこの映画のメッセージであり、ヘラー監督の制作意図であるのでしょう。このカットの慈愛に満ちたトム・ハンクスの表情を観るだけでも価値があります。