劇場公開日 2020年7月17日

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「映画の持つ力」ステップ R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5映画の持つ力

2024年5月27日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

知的

ハンディキャップを題材にするズルい型であり、散々使い古されたものでもあるが、実際には2つとない物語でもある。
そしてこれはどこの家庭でもあり得ることで、しかしそれはどんなにシミュレーションしても経験しなければわかりようのないことでもある。
つまり、誰にとってもそれは絶対したくない初体験として捉えなければならないのだ。
恵まれた環境という設定が割と変哲のない感じを与えるが、この環境設定に余計なハンディキャップを加えると物語がぶれてしまうのだろう。
加えて聞き分けのいい女の子という設定もこの作品がどこを向いているのか明確にしている。
この作品はトモコが亡くなった。ただそれだけのことに的を絞っている。
冒頭に表示されるタイトルのステップのテロップは、あの坂道に沿って、その坂道が主役でもあるかのようにひっそりと遠慮がちに映し出される。
そして思い浮かぶのが、「道のり」とかそのまま「坂道を上る」とか、父娘二人のこれからの歩みを暗示している。
やがて物語の中盤に語られる「ステップ」とは、ステップファーザー、マザーという血のつながっていない関係を指す英単語として再登場し、もう一歩的が絞られる。
この作品のなかに健一の両親は登場しない。その代わり妻側の両親や息子夫婦が多数登場する。
彼らは真摯に健一親子の力になろうとするし、彼の再婚の後押しまで演出してくれる。
そして再婚相手はもちろん美紀と血のつながりはない。
この作品が訴えているのがこの「ステップ」、血のつながりがなくても強い信頼性を築くことができるということだろう。
そしてその境界線を勝手に引いているのは、自分自身だということへの気づきだ。
小学校で母の日に描く母の顔。担任はそのことで健一に相談するが、健一は娘が嘘をついているとは思えず、担任の考え方がどうしても受け入れられない。
意外なほどトモコに似ているコーヒーショップの店員にお願いして美紀と遊んでもらう。
健一は担任からの手紙をそのままコーヒーショップに置いたままにしたが、どうしても文句が言いたくて連絡先を知るためにそれを取りに行ったが、たまたま手紙を店員が読んでいたことでそのようにお願いしたことで、よけいな文句も言わずに済んだ。
そのことさえも、関係ない人からいただいた貴重な援助だ。
トモコが亡くなってからまだ日も浅いとき、健一は義父母から気を使われることにどうしてもなじめず、「何か引っかかる」と繰り返し呟いていた。それがいつか、他人行儀にしていたのは自分自身だったと気づくのだ。
上司からのたびたびの誘いと営業部復帰の打診も、彼の周囲の支えを群像表現している。
その自分で勝手に引いた境界線が、「関係」のあるなしを決めているのだと、この作品は伝えているのだろう。
保育園のケロ先生も二人の家庭事情を深く鑑みお世話していたことは、健一にも重々伝わっていた。そういう良き人たちに支えられて自分たち親子が立っていられるということを、異動で営業に戻り、「家庭」というものが一体どういう場所なのかを仲間でブレインストーミングしている機会に、健一の意見によってよく表れている。
やがてトモコの死から10年が経ち、心の余裕からか健一にも気になる人ができた。
そのナナエを母としてどう受け入れればいいのかという美紀の問題が始まるが、賢く聞き分けのいい美紀は彼女なりに思案を繰り返しながら受け入れていく。
美紀も自分でその境界線を引いていたことに気づいたのだろう。
健一のセリフに「悲しみも寂しさも消えない。でも乗り越えていくべきものでもない。付き合っていくべきものだと僕たちが生きてきた日々が教えてくれた」というのがあるが、この健一の言葉こそが作品が訴えていることだろう。この言葉のためだけにこの作品があるのだろう。
使い古された型ではあるが、個々人からは永遠のテーマだろう。勝手に境界線を引いて何もかも一人で抱え込む必要はないし、誰かが手を差し伸べてくれる時にはお世話になっていい。これは未だに日本人が苦手なことであり、これからの日本人が受け入れていく必要のあることなのだと感じた。
シミュレーションなどできないからこそ、映画の力があると思う。
良い作品だと思う。

R41