フォトグラフ あなたが私を見つけた日のレビュー・感想・評価
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奥ゆかしい静かな恋物語
街中で記念撮影のカメラマンをしている男性が、女性に一目惚れするお話。
2人の距離感や、お互い惹かれてはいるようだけどオーバーにリアクションしない様子が映画っぽくなくて新鮮だった。
おばあちゃんがいかにも昔からいるちょっと頭の固い村の人って感じでリアル。
親の友人の子どもである男性と会おうとしているヒロインに、メイドさんが何を忠告するのかと思ったら、昔は太ってたらしいという情報が笑えた。
普通女遊びが激しいとか金遣いが荒いなどを予想するけど、肥満は生活習慣そのものだという視点が面白い。
クルフィとキャンパ・コーラーー男の幻想を隈無く描く
『ランチ・ボックス』(「めぐり逢わせのお弁当」)の変奏曲。生まれも育ちも違う、そして歳も違う男と女。それぞれが自分の人生にある種の倦怠を抱いているが、何か別の道を追い求める勇気をついには持ちえない二人。それはつまりわたしたちでもある。二人が結ばれることはないが、この巡り逢いは生きていることの奇跡でもあって、そのことを映画は巧みに描き出す。一つ一つのシーン、一人一人の登場人物を、かくもおざなりにせずに愛情を持って丁寧に描ける監督はあんまりいないんじゃないかな。小津や是枝と似たテーマを扱いながらもまったく違った肯定感を感じさせられる。母や祖母、叔母さんや近所の女たちに可愛がられ、また彼女たちの自分の生を優先し得ない境遇を共感をもって見て育った男の省察ある視点ーーラティシュ・バトラ監督の佳作。
この後どうなるの?!…いや、これでいいのだ。
なかなかテンポよく進まない映画ではありましたが、
何となくいい感じになって、その味わいが心地良くなった頃、
突然のエンドロールに「エッ?!…ここでおしまい?」。
しばらくは納得がいかず、頭の中で「?」が渦巻いておりました。
しかし、しばらくの間考えて、導き出した答えが以下のとおり。
「この後のストーリーは自分で作ればいいのだ。材料は沢山ある。
例えば、一番ハッピーなのは、キャンパコーラの工場を受け継いで、立派な青年実業家となった彼が、可愛い彼女と結ばれる、とか…」
それにしても、予定調和のくだらない映画が山ほどある中、この映画には大事なことをいくつか気づかせてもらいました。
とても面白い。
追伸
彼のバーチャン、何となくうざかったけど最後はビシッとかっこいいです。
すごく美しい話
余韻を味わう
後からじわっとくる優しさ
『巡り合わせのお弁当』以来のインド映画、と思ったら、同じリテーシュ・バトラ監督の作品だった。人の心が静かに波立つ様を描くのが本当に上手い監督だ。
父の遺した借金の返済のために、記念写真のカメラマンをしながら糊口を凌いでいるラフィ。早くに両親を亡くした彼の幸せを願う祖母を安心させるために、ふとした偶然から出会った会計士の卵ミラニーに恋人を装ってもらうよう頼み込む。
偽装カップルの二人が、少しずつその距離を縮めていくのだが、そのプロセスがもどかしくも初々しい。
中盤、初めて別れ難さを感じたラフィがミラニーをチャイに誘い、更には映画に誘う。
ついに祖母抜きで、はじめて二人で映画を観ることができた。
ところが、足元のネズミに動揺する。中盤で描かれたのは、ネズミに動揺したミラニーに、ラフィが「もう大丈夫」と声を掛けるところまでだった。
その後、ミラニーが中座して以降の場面は、ラストではじめて明かされる。
ミラニーに対し、ラフィはどうせ映画のあらすじはいつもと同じ、身分を越えた道ならぬ恋愛だと喝破する。
そして、近くに美味しいものがある、食べに行こうと、映画などどうでもよかったかのような冷静さで、ミラニーをフォローし、映画館を去るところでぷっつりと映画は終わる。
こんな、ラストまでもったいぶるほどの場面ではないところが、なぜラストシーンだったのか。
おそらく、この瞬間こそが、ミラニーがラフィーに好ましい感情を抱いた最初だったからではないだろうか。
ラフィは、決して自分の考えを押し付けることなく、ミラニーファーストの姿勢で彼女に寄り添っている。その姿は、決してミラニーの前だけでなく、祖母や親戚、仲間たち全員に対して常に一貫している。
唯一ラフィーが強く出て譲らなかったのは、おしゃべりでよそ見がちな同郷だというタクシー運転手に対してである。それも理由は明白だ。事故でミラニーに怪我をさせ、迷惑を掛けるつもりがないからだ。
全てが、自分の大切な人への優しさと思いやりを規準とした言動で一貫しているのだ。
静かで何も起きないラストシーンであったが、実は静かで何も起きないことが最良の出来事だったのだ。
そのじんわりとあとからくる優しさがいい。そういう映画だった。
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