永遠が通り過ぎていく
劇場公開日:2022年4月1日
解説
文筆家としても活躍するAV女優の戸田真琴が手がけた短編3作品から成る初監督作。戸田が、自身の人生における大きな喪失のようなものをベースに、言葉と映像で語り直すことを試みた「戸田真琴実験映画集プロジェクト」として2019年に製作され、自主配給で上映された自伝的な3本の短編作品をまとめて劇場公開。植物園で互いの宿命を解析し合う少女たちを描いた「アリアとマリア」、キャンピングカーで旅に出る男女の刹那の交流を描く「Blue Through」、監督自身の送った手紙をもとに大森靖子が書き下ろした楽曲を使用し、喪失と祈りを描いた「M」の全3編で、全作品の監督、脚本、編集を戸田真琴が手がけた。
2022年製作/60分/日本
配給:para
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2022年4月10日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
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とても情報量の多い短篇集だった。鳥籠のような温室植物園での二人劇が強く印象に残った。
傷ついた皮膚を覆う瘡蓋のように日本語とフランス語の字幕が貼られていき、二人の台詞が流れてきて、音楽がそれを包み込む。幾重にも連なる表現は過度に捉えられるかもしれないが、それらの重なりから生まれた滲んでくるものに純度の高い禍々しさを感じた。
二人の関係は親子であるように見えて、友達のようでもあって、人間ではないように見えた。植物の化身のようでもあるけども、監督の想いを語る記号のような役目を担っていたのだろう。その温室内で良くも悪くも一定の保護下に置かれて育ち、やがて温室の外へ出荷されていくであろう植物たちに、監督は自分がある一定の環境の中で護られて反発しながらも今に至る自分を表現したのかもしれない。字幕、音楽、多彩な色彩が弾幕のようにスクリーンを覆い守りたかったものは、監督と親との物理的に切ることのできない記憶の糸だったのかと思った。
2022年4月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
「私小説(わたくししょうせつ)というものがあるように、これは私映画だ」by菊池建雄監督
「芸術はATフィールドを通り抜ける力を持っている」by戸田真琴監督
自分を語ることで、誰かの魂が救われることを祈っている、そんな映画だ。
4月7日アップリンク吉祥寺で鑑賞。
戸田真琴は、生な生(なまなせい)を丸ごとさらけ出している(と感じた)。
だからそれは、ストーリーという分かりやすい意味を持った一本の線にはならない。だって、なりようがない。
そこが、フランス映画の系譜につながる。
私はもともと戸田真琴さんの文章が好きである。
この映画の中の言葉もとてもいい。それはパンフレットに掲載されているシナリオを読んで、より一層はっきり分かった。
目で見て読む文と、耳で聞いて届く文とは、やはり異なる。そこが惜しい。
だから、☆は4でなく、3.5とする。
その点は、さすが大森靖子。彼女の声と歌い方は、耳で聞いて、むしろ、よりはっきり伝わる。作詞のMは真琴ですよね?たぶん。
映像は美しく、様々な挑戦もしている。次回作は必ず観る。
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ここまでひどい映画は見たことがないので
ある意味貴重な体験をしました。
色々言いたいことあるけど、一番は
「登場人物にまったく共感できない」
ある時点で登場人物の感情が高ぶっているのですが、
そこにいたるまでの過程を私達にわかるように描いていない。
画面上の登場人物がなぜこんなにも興奮してるのかがわからない。
そこの温度差がすごかったです。完全に置いてけぼりを食らいました。
あと、台詞が日常会話から浮きすぎてて
終始共感性羞恥を感じました。
最初の詩の部分はおっと思いましたがまだナレーションだからいいとして…
我慢してたら演技が始まってからもずっとあの調子なのでずっこけました。
創作する者として、表現する者として、
こんなんでいいの?!ってなりました。
生の食材とコショウ渡されてこれで
味付けして食ってね、と言わんばかりで。
これが認められるなら、今までみんながやってきたような、
材料を濾したり、味付けを測ったり、というような努力はなんだったの?って感じです
良かった点は、映像がきれいなこと。
大森靖子さんの曲もよかったかな。
ストーリーは抜きに、エモい画を撮らせたらうまい監督さんなのかな。
2022年4月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ストーリーを追うっていうよりは、眺めるように見て、音楽を聴くようにセリフを聞いて楽しむ映画かなと思った。
昔、HTMLタグを書いてホームページを作っていた頃に、フリーの写真素材サイトをたくさん訪ねては好きな雰囲気のサイトをブックマークしていたんだけど、この映画はそういうサイトをのぞいている感じがして懐かしかった。「女の子」「街」とかカテゴリーに分けてあって、微笑む女の子の鼻から下が斜めに写ってたり、電線が意味ありげに延びてたりするやつね。■が並んでてクリックすると別カラムに写真が表示される、ああいうやつ。監督が普段から撮りためている風景なども編集して使われているそうだ。
セリフで誰かが誰かに訴えかけている内容は、自分の傷を分かってよ分かってよと言ってるみたいで、そこは同じ傷があるかないかその傷が深いか浅いかでどれぐらい味わえるか変わるだろうなと思う。私はとりあえず文語調だったり詩的だったりするセリフに挑んでいる俳優さんたちの姿のほうに感銘を受けたかもしれない。
戸田真琴監督、キャストの中尾有伽さん、中尾さんの他の出演作の監督で阿部はりかさん。三人が登壇する回に行った。司会なしで女三人しゃべる。中尾さん、出役なのにまるで前に出ようとしないで優しいまなざしで監督を見ていたのが印象的。
男性客がやっぱり多かったけど、上映中も舞台挨拶中もみんな静かにしていてマナーのいい人たちだった(ペットボトルをどすんとホルダーに置く人がいて、それは嫌だったかな)。出かける前、偏見に満ちて(劇場が妙な雰囲気かもと)覚悟を内心していてすみませんでしたという気持ち。