永遠が通り過ぎていくのレビュー・感想・評価
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わたくし映画(フランス映画の系譜)
「私小説(わたくししょうせつ)というものがあるように、これは私映画だ」by菊池建雄監督
「芸術はATフィールドを通り抜ける力を持っている」by戸田真琴監督
自分を語ることで、誰かの魂が救われることを祈っている、そんな映画だ。
4月7日アップリンク吉祥寺で鑑賞。
戸田真琴は、生な生(なまなせい)を丸ごとさらけ出している(と感じた)。
だからそれは、ストーリーという分かりやすい意味を持った一本の線にはならない。だって、なりようがない。
そこが、フランス映画の系譜につながる。
私はもともと戸田真琴さんの文章が好きである。
この映画の中の言葉もとてもいい。それはパンフレットに掲載されているシナリオを読んで、より一層はっきり分かった。
目で見て読む文と、耳で聞いて届く文とは、やはり異なる。そこが惜しい。
だから、☆は4でなく、3.5とする。
その点は、さすが大森靖子。彼女の声と歌い方は、耳で聞いて、むしろ、よりはっきり伝わる。作詞のMは真琴ですよね?たぶん。
映像は美しく、様々な挑戦もしている。次回作は必ず観る。
描かれている傷には覚えがないけど懐かしい
ストーリーを追うっていうよりは、眺めるように見て、音楽を聴くようにセリフを聞いて楽しむ映画かなと思った。
昔、HTMLタグを書いてホームページを作っていた頃に、フリーの写真素材サイトをたくさん訪ねては好きな雰囲気のサイトをブックマークしていたんだけど、この映画はそういうサイトをのぞいている感じがして懐かしかった。「女の子」「街」とかカテゴリーに分けてあって、微笑む女の子の鼻から下が斜めに写ってたり、電線が意味ありげに延びてたりするやつね。■が並んでてクリックすると別カラムに写真が表示される、ああいうやつ。監督が普段から撮りためている風景なども編集して使われているそうだ。
セリフで誰かが誰かに訴えかけている内容は、自分の傷を分かってよ分かってよと言ってるみたいで、そこは同じ傷があるかないかその傷が深いか浅いかでどれぐらい味わえるか変わるだろうなと思う。私はとりあえず文語調だったり詩的だったりするセリフに挑んでいる俳優さんたちの姿のほうに感銘を受けたかもしれない。
戸田真琴監督、キャストの中尾有伽さん、中尾さんの他の出演作の監督で阿部はりかさん。三人が登壇する回に行った。司会なしで女三人しゃべる。中尾さん、出役なのにまるで前に出ようとしないで優しいまなざしで監督を見ていたのが印象的。
男性客がやっぱり多かったけど、上映中も舞台挨拶中もみんな静かにしていてマナーのいい人たちだった(ペットボトルをどすんとホルダーに置く人がいて、それは嫌だったかな)。出かける前、偏見に満ちて(劇場が妙な雰囲気かもと)覚悟を内心していてすみませんでしたという気持ち。
闇堕ち
自分語りな感じバリバリ…と思ったら、本当にそうだった文筆家でAV女優の監督による3作の短編集。
アリアとマリア
フィルムカメラを持つ女性とハーブティーを飲む女性の2人が植物園でぶつかり合う話。
母親?ゴミ屋敷?他人の言葉を借りているというか、成り切っているというか、人物像がコロコロ変わって何を言っているのか…。戯曲の様でもあるけれど、基本会話劇で、映像が邪魔して内容が入ってこない。ラジオドラマの方が良かったんじゃ? ☆0.5
BlueThrough
キャンピングカーでお出かけした男と女と+1(ネコを除く)の話。
遠くへ行きたい?病んでる女?「アリアとマリア」よりはドラマがあるし、男と女になったけれど、あまり変わり映えしない様な…。☆1.0
M
監督からの手紙をもとに大森靖子が書いた楽曲に映像をつけたMV的作品。
AV女優である女性の心の関係と肉体の関係と底に至った環状線と…曲は超大森靖子という感じで嫌いじゃないw ☆1.5
ちょっとやさぐれた女性にはハマるのかな…。
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