「宮沢賢治は視える人だったのだろう。」サクリファイス Naokisky2さんの映画レビュー(感想・評価)
宮沢賢治は視える人だったのだろう。
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【sacrifice/名詞:犠牲、他動詞:〜を犠牲にする】
この映画の犠牲にされたものたちとは何か?それは猫たちではなく、本当の犠牲者は主人公たちなのだろう。
ストーリーは学生の周りで起きている猟奇事件を中心に展開される。この事件は一件解決したような進展があるのだが、瞠目すべき点は、単純で明快な結論、観客が安堵する終着点を用意していないことだ。主人公たち、犯人にまで慈悲を与えている、もしくは、再び突き放しているようにも思える話の流れには驚いた。彼らの暗澹たる日常が続いていくことが示唆されて映画は終わりを迎える。
主人公たちを犠牲者とたらしめた本当の元凶はなんだったのだろうか。それは明確にはこの映画では描かれていない。形を変えた宗教団体、それに固執する狂信者、遠方に立つ白い煙突、うねり続ける海原。やはり決定的な出来事は2011年3月11日の震災だ。そして解決を見せない原発施設だ。しかし、放射線を私たちは計測することはできても直接観察することができない。新型コロナウイルスも同じように人間の眼では見ることができない。自然災害なのか人災なのか原因の追及が有耶無耶にされたまま10年が経過しようとしている。
主人公たちの鬱屈した日常は観客である私たちの生活に酷似している。不安を抱えながら生きていくという現実にこの映画は共感という慰めを私たちに与えてくれる。
舞台挨拶が良かった。壷井濯監督の言葉のこだわりが分かったことで、あの台詞回しを理解することができた。ティム・バートンがヘレナ・ボナム・カーターとジョニー・デップと出会ったように、監督は五味未知子さん、藤田晃輔さんに遭遇したのだろう。
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