ミッドナイトスワンのレビュー・感想・評価
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特筆すべきは新人服部樹咲
草なぎの演技のうまさは、いきてるね。
内容は、僕好みではないね。僕は、ハッピーエンド派やからね。しかし服部樹咲は、少女のもつ危うさ、したたかさを兼ね備えてる。ラストでは、美しい!
そして上野鈴華も可愛い。エロい!
キンキーブーツやブラックスワン、真夜中のカーボーイを思い出したよ。
ハチミツしょうが焼ソテーはお母さんの味
1.終わりかたがいい。
2.エンドクレジットのあとの最後のワンショットがいい。まあ、途中で帰る人もいないと思うけど。
3.服部樹咲(新人)が素晴らし過ぎて、もうどうしようもない。彼女の持ち味を活かすことができたこんないい映画でデビューできたことを祝ってあげたい。イチカって、ずっと呼んじゃいそうです。
4.リン役の上野鈴華も良かった。かわいそうだったけど。タバコふかしてあぐらかくと、あんな美少女がオヤジ顔になるところも感心した。
5.田口トモロヲがでてたかわからない。それほど、どの役者でも、メイクさんたちの努力、力量が素晴らしい。
6.草薙剛の凪沙の痛々しさが半端ない。究極の母性愛&自己犠牲と目が見えなくなるほどの栄養失調。ハエの羽音。金魚。新宿裏通りのアパートのリアル感。新宿の夜景の美しさとの対比。風俗営業やタイでの手術場面のリアリティー。
7.バレエ練習場面での真飛聖のリアリティー。これは宝塚の強み。それに、彼女が凪沙を色眼鏡で見ないところ。「わたし、今、お母さんって言いました?ごめんなさい。ごめんなさい。」の場面での凪沙の嬉し恥ずかしアクション。
8.伊豆七島の見える下田の海岸の美しさ。
9.ハニーシロップジンジャーポークソテー 一果は二枚 わたしは 一枚
10.健二と剣太郎の友情
まだまだありますけど
飛べないスワンたちの物語
出演のふたりだけが白鳥のように捉えている方が多い気がしましたが、私は登場する人物全部が飛べない白鳥じゃないかと思っています。
凪沙も一果の母親も傷つきながら必死に羽ばたこうとしているように見えました。
草彅さんのインタビューでそれぞれのシーンは順撮りしたと言っていましたが、変化して行く一果の顔つきがとても印象に残っています。
ただ、時間経過や起こる事柄に対して細かい説明がないのでモヤモヤや疑問を感じる方もいるかも知れません。
監督にツッコミを入れるとすれば、一果が自傷行為を続けているのに色素沈着すらないのはどうなんでしょう…
内田監督が美しく残酷なバレエを描きたかったと言っていたけれどラストのバレエシーンは本当に美しかった。
エンドロールが終わってもどうか最後まで席を立たないで!
【追記】9/27 原作本読了
本を読むと映画で省略された部分も補完できた。
時間経過がわかりにくかったのも説明が書かれている部分をカットしたからだと思います。
カットしたのは観客の想像力に任せたのか、予算上そうしたのかは分からないですが気になる人は読んでみると疑問点がスッキリするかも。
凪沙がスイートピーで働く前のストーリーや瑞貴との関係も出来れば本編に加えて欲しかったかな。
2人の女性を取り巻く、純粋さが美しい
予告編を見て、公開初日に行ってきました。
草彅剛の演技力はもちろん、真飛聖のバレエの先生としての真っ直ぐな眼差し、りん役の子の最期の大きなジャンプの衝撃、一果の自傷に走ってしまう純粋さなどは本当に見応えがありました。
ただ、時間に収まりきらなかったのか、凪沙の病状の急展開についていけず、でも一果目線なら突然でも仕方がない描写なのか、なぜ引越しをしてるのか、失明に至るまでのほんの小さな描写でも欲しかったところです。
広島での卒業式の時の一果の友人関係も良好すぎて東京の時とのギャップが出ていたので、そこももう少し描写して欲しかったです。
一果の、りんと凪沙の死の乗り越え方も気になってしまうのがこの映画の見る人の想像力を掻き立てるところなのでしょう。
それがまた美しさを孕んでいる感じがします。
身もふたもないことを言ってしまうと一果が東京に来なければ、りんも凪沙も死なずに済んだのでは、と思ってしまった。愛の代償か、言葉にしない幼さからの罪深さを感じてしまった。
『37セカンズ』を観たあとでは、すべてが足らないように見えてしまいました。
性同一性障害、LBGTともに知識としては、かなり一般化してきましたが、そのような方と直接知り合ったり話をした経験がありません(相手の方が隠していて気が付かなかっただけかもしれませんが)。どんな人であれ、ひとりひとり考え方も個性も違うのが当たり前だし、ましてや個々の内面については何も知りません。それなのに、何かの折に『そのような人たち』となんの悪気もないまま、一括りにして語ってしまうことがあります。
社会やメディアにおいて構成人数が少ないカテゴリーに属する人たちについて、〝◯◯の世界の人たち〟と括ってしまうことが少なからずありますが、それは個々人の立場や背景を理解する労力に比べれば、一緒くたにした方が楽だからだと思います。
今年の2月に公開された映画『37セカンズ』はそんな楽をする思考法で凝り固まった私の脳ミソを破壊するほどに、ひとくくりにできない〝個人〟を描いていました。
主役は障害のある女性でしたが、終始『障害のある方達』という括り方とは無縁で、あくまでも(たまたま障害がある)ユマという個人の物語でした。
それでいて観賞後は、健常者の誰もが普段から持っているであろう『障害を持つ方々への潜在的な〝後ろめたさ〟のようなもの』があぶり出され、その向き合い方について、さりげなく、それでいて深く考えさせられたのでした。
『37セカンズ』と比べてしまうと、次のような点が不十分に見えてしまうのです。
•この映画は性同一性障害の方の中でも、かなり限定的な世界に生きる人たち、という描かれ方をしているために、大多数の鑑賞者にとって〝自分とは縁のない世界の物語〟という印象を与えかねない。
•あの手術をあれほどハイリスクなものとして描いてしまったゆえに、親が性同一性障害の子どもの心を理解してあげること(偏見との闘い)、子どもの身の安全を願うこと(親が子を思う気持ち)の狭間で親が葛藤する、というテーマが吹き飛んでしまう。
•女性=母性を強調したかったのだと思いますが、被虐待児である一果にとっての『安全基地』になるという意味では、性転換手術をしなくとも〝母〟的な存在としてとっくに寄り添えていました。なので、あの手術は、あのラストを迎えるために無理やりに入れた不自然な印象が残りました。
水川あさみさん演じる母親の立ち直り振り(少なくとも一果が自傷行為もかなりの程度まで治まり、バレエを続ける環境は守ることができた)もまったく触れられていないのは不可解でした。彼女も彼女なりに一果が中学を卒業するまでは、バレエ留学の奨学金を得られるほど支えてきた〝母親〟だったのに。
草彅剛さん始め、役者さんたちの奮闘は素晴らしいのに、人間性を掘り下げるテーマについて、少し雑に描いている印象が残りました。
【”何故、私だけが・・”と言う思いを抱えて生きている二人の”女性”が出会い、関係性を深めていく美しくも切ない物語。】
ー性同一障害に幼き頃から悩みながら生きてきた凪沙(草彅剛)と、酒浸りの母親(水川あさみ)のネグレクトの環境下、必死に生きてきた少女一果(服部樹咲)がある理由から一緒に暮らし始める所から物語は始まる。
◆このレビューでは、凪沙を”彼女”と表現します。-
■印象的なシーン
・”新宿駅東口”の近くで、初めて会った凪沙と一果のそっけない遣り取り。そして、その状態は凪沙が一果を家に連れて行く時も、家についてからも続く・・。
”あたしは子供が嫌いなの・・”
”風呂はあたしがいない間に使う事”
”部屋を綺麗にしておきなさい・・”
一言も発せず聞き流す一果の姿。
ー 二人とも、辛い生き方を続けてきたため、気持ちが荒んでいることが分かる。が、凪沙はストレスが限界を超えると自分の腕を噛む一果の姿を見て、そして一果は酒に酔い”何で私だけが・・”と涙を流す凪沙の姿を見て、お互いの境遇を知り、徐々に距離を縮めて行く過程が自然に描かれる。とても、印象的な序盤で作品への期待が膨らむ・・。-
・東広島から越して来た一果は、学校に東京の学校に転入するが、中々馴染めない。ある日、ふと覗いたバレー教室で踊る少女の姿をこっそり見つめる一果。その少女りん(上野鈴華)は有名なバレリーナの子供で裕福な家庭で育っていたが、いつの間にか仲良くなる。
ーその理由は、りんの家庭が裕福ではあるが、父親に二人の愛人がいたり、その反動で母親がりんに過度にバレリーナとして大成することを期待するという歪んだ家庭にある事が、上手く語られるし、二人がバレー教室の費用を稼ぐために”アルバイト”を行う理由も良くわかる。
そして、屋上での二人の唇が触れ合うかどうかの震えるキスシーン。心寂しき二人の少女の姿が良く表れているシーンである。-
・一果の想いを知った凪沙が彼女のバレリーナとして体力をつけるために作った”ハニージンジャーソテー”を美味しそうに食べる一果の姿。
”野菜も食べなさい”
”いただきますは?”
ー実の母親にしっかりと育てられてこなかった一果を、実の母以上の愛情を込めて一果の想いを叶えようとする凪沙の姿が、心に沁みる・・。彼女には、矢張り強い”母性”があるのだ・・。-
・一果のバレリーナの素質を見抜いたバレー教室の先生(真飛聖)は一果を期待を込めて厳しく指導する・・。一方、りんにはある足の不具合が見つかり・・。
ーそれでも、りんは一果を応援し彼女に自分の果たせなかった夢を託しながら、自らも愚かしき両親の前で”新たな世界”へ飛翔する・・。実に、実に切ない・・。ー
・大舞台で結果を出せない一果の前に”改心した”母親(水川あさみ:他の作品でも出演されているが、良い女優さんである・・。何か大きな転機があったのだろう・・。)が現れ、一果を観衆の前で強く抱きしめる。その姿を見て凪沙はある重大な決意をする・・。
ータイは性転換手術の先進国であるが、衛生状態は大丈夫だったのだろうか・・-
・高校を卒業した一果は凪沙と再び暮らし始めるが、凪沙の手術が上手く行かなかった事が描かれる。そして、凪沙は一果に海に連れて行ってくれと頼む。
ーこの一番大切なラストに向かう辺りから、物語の進行がやや粗くなってしまう・・。実に勿体ない・・。-
<草彅さんの演技は勿論凄いのだが、りんを演じた上野鈴華さんと、何と言っても一果を演じた服部樹咲さんの姿には、驚いた。本当に新人さんなんですか? 新たな素晴らしき若手女優誕生ではないだろうか?
物語としては、序盤から中盤はとても良かったが、終盤がやや勿体ないなあ、と思った作品。
けれど、心の傷ついていた三人の女性たちの”魂の再生”の物語としては、秀逸な作品である。>
演技はとてつもなく素晴らしい。が...
初めて予告を観たときには、正直不安しかなかった。どんなに良作であっても、これまでに彼らの作品が忖度や故意のネガキャンによって埋もれてしまうことも多く、題材自体がコントと嘲笑される危険性を持っていたからでもある。
しかし、無意識に植え付けられてきた先入観、その全てを、草彅剛はほんの数分で消し去ってしまった。これまでも草彅の映像作品はいくつも観てきたはずだし、女装コントも沢山見てきたはずなのに、である。
そこには「凪沙」がいた。
草彅だけでなく、他の俳優陣の演技も、まるでドキュメンタリーを見ているかのようにリアリティがあり、自らを取り巻く世界のすぐ隣に、この世界が実在していることに改めて気づかせてくれる。
絶賛レビューはたくさんあがっているし、どれも嘘偽りなく、ほぼ同感である。
しかし残念で仕方がないのは、特に後半、時系列と、それに伴う登場人物の感情の変化が、全くつかめないことだ。
最終的にやむを得ずカットしたのか、元々撮っていないのかは不明だが、あと数分伸ばしてでも、映像として入れるべきだった。
それでも撮影後に書かれたであろうノベライズを手に取れば、映像で明らかに不足している部分を補完でき、凪沙と一果、その他の登場人物達への思い入れは、なおのこと強くなる。
だが、草彅が優しく素直に表現していた部分が、ノベライズでは少し下品なト書になっていたりもして、書き手が潜在的に持っている偏見も垣間見えてしまう残念な部分も。
公開に際し監督自身が何度も自虐的に「不安」を語るのは、脚本の荒さを自ら理解しているからなのか、それとも演者を信用していないからなのか......
この作品を愛し、草彅が「草彅剛の代表作」と言うほどのクオリティにまで引き上げたいと思っている方は、鑑賞後に是非、ノベライズを読んで欲しい。
そしてできればもう一度、映画館で鑑賞し、その細やかな表現を確認して欲しい。
(本来は、ノベライズ無しでも完結されるべき作品でなければと思うのだが。)
いずれにせよ、俳優陣の素晴らしい演技が脚本の稚拙さを遥かに超えているので、鑑賞後の満足度は高い。
草彅剛本人は全く気にしていないと思うが、ぜひこの素晴らしい演技が正しく評価される日本映画界であってほしいと願う。
#75 一見似た者同士に見えるけど
社会から認められない方は沈んで行き、才能がある方は白鳥として羽ばたくお話。
何故男の身体で生まれたのか苦悩する姿は無条件に泣けた。
観客のほとんどが草なぎ剛目当てだったみたいだけど、社会派映画が好きな人に特におすすめ。
特技はバレエ。そして椅子投げ
痛くて悲しくて、そして優しい映画でした。単にトランスジェンダーものだと割り切れない、心の奥から声が響いてくるような気がしました。親の愛を知らずに生きてきた一果と、性同一性障害を親にも言えずに新宿のショーパブで踊る渚沙。言ってみれば二人とも刹那的な生き方で孤独を舐めあうような形の共同生活の始まりだったが、一果のバレエの才能のために自分をも投げ出すことになった渚沙。
もちろん性転換して女性になるという人生目的はあった渚沙だけど、人の痛みがわかる優しさをも持っていたため、金もなかなか貯まらない。一方の一果も自分の将来を探っていて、時には暴力をも振るってしまう悲しさもある。そして、いつしか母親の気持ちもわかるようになり、バレエの先生(真飛聖)の言葉によって喜びを禁じえなかった。
ハニージンジャーソテーと生姜焼き。夜の白鳥と昼の白鳥。貧富の差も描きながら、親と子の関係をも丁寧に対比されていました。自分が足の故障でバレエ人生を絶たれてしまったりんちゃんの儚さも苦しかったし、彼女の一果に対する心の変化も絶妙でした。
今では日本国内でも可能な性別適合手術。万全な態勢であれば、悲劇も起こらなかっただろうか。血まみれ、介護、痛々しい様子を見ると、息苦しささえ覚えてしまいます。そして、ラストのバレエシーンはぞくぞくさせられた。彼女を天国で応援してくれてる人の分まで頑張らなきゃいけない。みんな一果の才能を見守ってくれてるよ・・・
【ネタバレ追記】
コミック「らんま1/2」を読んでるところはトランスジェンダーの憧れの部分かな。などと思いつつ、本物の女性に生まれ変わる決断をした渚沙。適合手術の術後が上手くいかず、多量の出血と失明までしてしまった(いくらか見えてたにせよ)。もう一果のバレエも目にすることはできない。海辺で幼い頃の自分の幻も見るが、そっと眠るように息を引き取った(と思う)。
一果の友だちとなったりんはバレエを諦め、一果に自分のバレエの夢を託す。両親の友人の結婚式では、コンクールで羽ばたく一果とシンクロするかのように同じ演目を踊るが、テーブルからテーブルへとジャンプして、最後は飛び降り自殺のような形となった。このシーンは夢にも出てきそうですが、美しく儚く命を絶った彼女が観客席に見えてしまった一果。全てを悟り呆然自失・・・
エンドロール後のワンカットは死んだ渚沙に見せたかった一果の晴れ姿。2人とも白鳥になった一瞬でもあり、心が一つになった証し。死んだのかどうかは本編ではわからなかったけど、ここで怒涛の涙腺決壊・・・となりました。
それにしても『喜劇愛妻物語』でも見せてくれた水川あさみの回心の演技はこの映画でも炸裂していた。一果よりも実母の将来の方が不安だ・・・
すぐには立ち上がれないほどの衝撃
圧倒されました。凄かった。これは映画館でこそ観る価値のある作品です。しかもできるだけ前情報は入れずに観た方が良いと思います。終わってもしばらく立ち上がれなくなります。
(以下は個人の感想文なのでお読みにならなくて結構です)
凪沙が号泣する場面からはもう映画だということを忘れて、のめりこんでいました。
体の性と心の性が一致しないためにこれほど苦しい思いをして理不尽な扱いに耐えなければいけないとは思いもよらなかったです。テレビで見かける、明るいものまねオネエや毒舌タレントの裏にもこんな葛藤があるんだろうか、私も知らないうちに誰かを傷つけていないだろうかと怖くなりました。
私の知っているつよぽんはどこにもいなくて最初から最後まで凪沙さんでした。行ったことないけど、歌舞伎町に実在するトランスジェンダーの女性でした。
幸せになって欲しかった。今思い出しても悔しいです。
りんちゃん役の上野鈴華さんも素晴らしかったです。一果が好きで、でも才能が妬ましくもあり、バレエを奪われたことで生きるのがどうでもよくなってしまった、でも踊りたくて、踊りながら死を選んでしまった。衝撃でした。壁を飛び越える前に抱きとめてあげたかった。楽しいことはこれからもあるよと教えてあげたかった。まさに母の気持ちでした。
一果役の服部樹咲さんは一果にしか見えませんでした。凪沙さんの分もりんちゃんの分も、強く生きて欲しい、幸せになって欲しいと祈る思いで見守っていました。バレエの知識はないのですが素晴らしい演技だったと思います。
瑞貴も洋子ママもバレエの先生の真飛さんも素晴らしかったです。
辛いけど理解できなかったところもあるのでもう一度か二度は観なければ。
あと音楽も最高でした。ピアノのテーマが流れるたびに鳥肌が立ちました。サントラも欲しいけれどうちにはCDプレーヤーがないので配信を待ちます。
本当に凄い映画を観てしまったと思いました。
ラブストーリーとしての根底が揺らいでいる
先行上映にて鑑賞。
草彅剛、服部樹咲、水川あさみらを筆頭とする出演陣の”確かに私たちと同じ社会のどこかに根差して生きている”と思わせる人物造形は素晴らしかった。
とくに草彅剛と水川あさみ。これはドキュメンタリーなのではないかとすら思わせると同時にきっと彼女たちの幼少期はこんな感じで、こんなことで傷ついて、きっとこんな成り行きで早織は一果をもうけるも父親に逃げられて、昼職にトライはするも上手く収入を得られなくて等、しっかり想像をさし挟める奥行きがあった。この奥行きによってこの映画がドキュメンタリーではないことを思い出された。
LGBTQの方が置かれているリアルについての考証もしっかりなされている。それだけでなくLGBTQの方をとりまく社会のありようへの眼差しも感じた。主人公が一般の会社面接に行くシーンがとみに昨今のLGBTQ側に置かれていない、いわゆる”普通のひと”という強者の状況を表している(講習を受けて学んだつもりだが慮ろうとしていない)(普通の自分とは違うナニカであってひとりの人間として見ていない)
色の対比も良かった。生まれながらの女であり一果の実母である早織は主に青(水色)の寒色、生まれながらの女であるも肉体が男という不一致を孕んでいるオンナである凪沙は鮮血のような赤が目についた。
凪沙が劇中で(恐らく)一度だけ水色のセーターを着ているのは一果との食事で彼女がいただきますを言わないのを窘め躾けるシーンとそれに続く夜の公園のシーンだったと思う。あの時点から一果の本当の母になりたい、生まれながらの母になりたいと切望し始めたのかと感じた。
凪沙は冒頭で赤いマニキュアを塗るのに始まりことごとく赤を身にまとっている。適合手術を終え帰国した彼女は全身赤に身を包んでいた。赤は凪沙にとって”女性であることの証明”なのかもしれない。
それと同時に赤は彼女にとって”闘いの証”に違いないのだ。適合手術の最中も凪沙の赤に(鮮血に)塗れた下肢は効果的に映りこみ、術後適切なケアを怠り恥部が壊死し機能不全を起こした彼女のオムツを染め上げるのもまた鮮烈な赤だった。
男性的な肉体、自分を女だと認めない社会、無理解無配慮なセクハラ客、自分をジロジロとみる大衆、まだ封建的保守的な自分の田舎、生まれながらの女であり母である早織、戸惑い病院にいってくれと泣き叫ぶ自分の母。
凪沙が本当の自分を手に入れるための闘いの色が赤なのだと感じた。それゆえに終盤、成長した一果がNYにてバレエオーディションに臨むとき履いていたハイヒールの赤が感慨深かった。彼女もまた凪沙と同じように闘いに挑むときは赤を身に纏うのだと。
全出演陣の非凡なる演技、LGBTQのリアルへの肉薄感、色の対比は素晴らしい。名作だと思う。
しかしながら一果の感情の揺らぎが演出としてわかりにくいと感じた。彼女は凪沙にどこまで心赦しているのか、母として受け入れているのか、実母に対するそれと凪沙に対するそれとどのような違いがあるのか。
いかがわしいバイトがバレて警察にお世話になった帰り路、泣きわめく一果を抱きかかえる凪沙。食事の世話をされ躾をされ、初めて安心して愛情を感じることが出来るようになり、一緒に夜の公園に赴きバレエレッスンをするなど二人の絆の温まりようはエピソードとして劇中に垣間見え、一果の凪沙対する感情も容易に追うことが出来る。虐待する実母には出来なかった反発もしていた。(髪を切り男性として就職した凪沙にそんなの頼んでないと暴れる)
それが行方不明になっていくのは物語中盤からだ。コンクールの舞台に立った一果は緊張のあまり固まってしまう。そんな一果のもとへ凪沙も駆け寄ろうとするも結局彼女を救済したのは実母の早織だった。しがみつくように抱き合う親子に疎外された気持ちの凪沙は静かに会場を後にし、一果はこれを契機として広島に戻ってしまう。結局一果が選んだのは実母だったのかと思わせてしまうストーリーライン。
適合手術を終えた凪沙が現れた時も一果は驚き、自分から積極的に追いすがろうとはしなかった。凪沙は尋常ではない切羽詰まった様子でこんなとこで行き詰ってないでバレエを続けに東京に帰ろうと迫ってくるし、もみ合いによって露わになってしまった凪沙の胸を見てしまった驚きに動けなくなってしまうのは当然のことだろうと思う。凪沙への感情があるのは追い返される彼女を追うように玄関から転がり出てくる様から窺い知れはする。
広島の卒業式での一果の口ぶりから、彼女が何度も凪沙に会いたいと早織に頼んでいて、早織もしぶしぶながら卒業したらねと許可を出していたことはわかる。しかしながら一果が凪沙に抱く感情の熱と実母に抱くそれとの違いを描くには弱すぎる。
物語の終盤、海辺でこと切れている凪沙を一瞥した一果は『すぐ即座に』猛然と海に入っていくがそうさせるだけの愛着・執着を一果が凪沙に持っているようには見えなかった。もしくは『死んだ凪沙を一果が視界にとらえた時に、一気にそれだけの執着・愛着が降りかかってきた』という演出がなかった。
彼女はこと切れた凪沙を確認すると『すぐ即座に』海に向かって歩き出す。
初めて愛情を感じ、反発することもでき、自分にバレエの世界への扉を開いてくれた凪沙が死んだ。凪沙が与えてくれた扉を開いてようやく自身の出自や経済環境に悩まされることなく本当の自分として生きていける第一歩を、スカラシップをとったのにそれを捨てて海に入る。
『死んだ凪沙を振り返ったと思ったら顔色を変えずすぐ海に向かって歩き出す』この演出である。彼女が凪沙の死についてどんな感慨を得たのか鑑賞者に想像させるテイクが何一つなかった。無粋な回想シーンを入れろとは決して言わないが、一果の表情を一つさし挟むだとか、振り返っていったん立ち止まり、凪沙をしばし見つめてから海に歩き出すとか彼女の入水感情を動機づける演出があってしかるべきだった。彼女を海に駆り立てる感情を映像で見せる演出の欠落。ここにラブストーリーとしての前提の揺らぎを見た。
この作品は一果と凪沙のラブストーリーであるはずだ。一果の感情を追いにくいこと、この一点のみが作品を台無しにし、根底から崩していると感じた。
(9/12ノベライズ本 読了)
(ノベライズで補完すれば確かに一果の心情の移り変わりは判るが、ノベライズが完全で、それによって映画を補完しなければならないのなら、それはつまり映画は必要ないということだ)
結論、作品の出来はあまりよくないと思う。しかしながら出演陣の演技、映画美術や音楽は正当に評価され賞を取るなどしてほしいと思う。主演の彼をとりまく芸能状況を察するに日本では正当な評価は得られなそうだが。
母性とは何だ。
人生は辛い、悲しく、惨めだ。その時間が永遠に続くかのように思われる。
でも、一果ちゃんが幸せを諦めなかったお陰で、凪沙さん、光を見ることが出来たね。
その光を、不器用だけど精一杯母として愛することが出来たね…。失敗したけど、頑張った。結果、成功したよ。
重いドキュメンタリーを観てしまったような気持ちです。
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