ミッドナイトスワンのレビュー・感想・評価
全678件中、21~40件目を表示
草彅剛と服部樹咲ちゃんに拍手
トランスジェンダー映画NO1
最初は「女装した草彅剛」なのにいつの間にか「なぎさ」に見えてくる
なんなら今ビストロスマップとか見ると「草彅剛」じゃなくて「男装したなぎさ」に見えてしまう
トランスジェンダーはじめ性の問題って今まで僕らが彼らを理解すればそれでみんなハッピー!多様性!って思ってたけどそれはあくまで第三者側を中心とした視点でみる問題だったかもしれない。外にいる僕らがいくら当事者の気持ちに寄り添ったところで、大前提の本人の肉体的な苦痛や金銭的な負担っていう生々しい問題は解決しないんだってホルモン注射のシーンや手術後のシーンを見て思った。
女でいる努力をしないと女でい続けることができない状況って僕たちの理解とかどうこうでは無いよな
理解したから、ハイ幸せでしょ?っていうのは暴力的な考えだったかも
子役もよかった
いちかはストレスをためると腕を噛む癖があるから最初は巨人化するのかと思った
友達の自殺シーンもなかなか衝撃。あんな快晴の中、晴れやかな顔で軽快にバレエを踊りながら飛び降りるなんて勘弁してよ。新郎新婦は勘弁してよどころじゃ無いけどね
地獄でみつけた父性という光
守りたかったのはきれいなもの
最後まで引き込まれた!!
何となく観始めましたが、洋画の「チョコレートドーナツ」(2014)に近いテーマでもあり、退屈せずに最後まで観てしまう魅力がありました。中盤までは、現代の生きづらさを一点突破するヒントのようなものを感じました。終盤、主人公の具合が悪くなるのは唐突な気がしましたが、ストーリーをまとめる都合上、仕方ないのかなと思ってしまいました。渚にて、凪沙の「きれい…きれい…」が特に印象的でした。
☆☆☆☆(嵌れば) ☆☆☆(嵌らなければ) (2020年)10/6...
☆☆☆☆(嵌れば)
☆☆☆(嵌らなければ)
(2020年)10/6少しだけ加筆しました。(別のサイトの話ですが)
『ベニスに死す』
終盤、草彅剛が『海が見たい!』と言った瞬間に、この先の展開は『ベニスに死す』だとピンと来た。
浜辺には若い女の子。差し出す手は届きそうで届かない。その若さの輝きと憧れは、人生にリセットは効かない為に、どんなに望んでも最早手に入れる事は出来ない。
そしてこの作品は《母親》の物語でもある。
舞台に上がり娘を抱きしめる母親。
どんなに虚飾で着飾って女を演じてみたところで、本物の母親には敵わない。
だからこそ〝 彼女 〟は、本物の母親となるべく大きな決断をする。
一果を取り返すべく対決をする場面は。思わず『エイリアン2』での、シガニー・ウィーバーがマザーエイリアンとの対決場面を、ほんの少しだけ思い出した…と言ったら笑わせてしまうだろうか💦
シガニー・ウィーバーが小首を傾げ「ふっ!そんな程度なの!」…とばかりに「私こそが本物の母親なのよ!」と言った。強い意志によってもたらされた名場面の再現を、もしも狙っての演出だったならば…と。
作劇的な面を言うと、4人の白鳥が。やいのやいの言いながら始まるオープニングが、ラスト少し前に上手く繋げられなかったのは残念。
同じシチュエーションを2度繰り返す事で、前と後では状況が変わっているのは、良く用いられる演出で。この作品だと、映画が始まって直ぐに一果に会う場面。
後半では同じ場所・構図ながら〝 新しい母親 〟はその場面には居ない為に、《何かが起きた》のを観客に不安感を与え。
警察が登場する場面は2度起こり。共にお金に関するこの事件が、それぞれ弱い立場にある2人の苦悩を感じさせる。
椅子を投げるのも2度あり。最初はクラスの男の子の差別的発言に対して。2度目は、男の性の対象として見られた女の子が、1人の女として変化する瞬間を。
コンクール場面での2人の少女の立場ご入れ替わり、悲劇が起こる描写は。秀逸な場面ながら、人によってはやり過ぎに感じる人も居るかも知れない。
また、このコンクールでは。母親が登場し、娘を抱きしめながら涙を流す。
思い起こせばその前に、一果がバレエを続けられる様に、安定したお金を稼ぐ為に化粧を落とす。
昼間の仕事に出掛ける時に、一果から抱きしめて、やはり涙を流す。
(他にも色々と有った筈ですが、今は思い出せないので。思い出したら加筆・改訂するかも知れません)
最初に嵌れば星4つと記した様に。この作品が好きになった人には、この上もなく愛しい作品になるだろうし。それとは反対に。作劇的な面で、この監督の過去の作品を観ると分かる様に。
(資質に関わって来るのかも知れませんが)
トコトン下衆な人間で有ったり、暴力的な人間を、魅力的に撮る術に長けて居るとも言えるだけに。合わない人には、やはりトコトン合わないのでは?と思えて来る。
個人的にも、社会から隔絶されて生きて来た人生から見えた来る、純粋で天使の顔、、、と言った面が、的確に表現されていたのか?は、ちょっと微妙な感覚は持ちました。
俳優陣の中では草彅剛が絶賛されています。
確かに良かった事は良かったのですが、個人的には大絶賛するところまでは行かず…と言ったところ。
但し、映画本編での。一方的に押し付けられた女の子に対して、突然目覚める《母性》には。正直に言って仕舞えば、この映画には(個人的な意見として)それ程な演出に於ける説得力は伺えなかった。
でも、それを成立させていたのは。ひとえに草彅剛の演技だったなあ〜と言うのも、また明白だったと思う。
元々は、「面倒くさい子を押し付けられてしまって参ったわね〜!」との思いが強かったのに。
一果がバレエに興味を持っているのを知り。それまでの〝 厄介な子 〟との思いは一変する。
自分のやっているバレエは、他人から見ると一体どう映るのか?
余りにも遊びとおふざけが過ぎてはいないか?
男に生まれて来た事を呪っていた人生!
だからこそ、今を逃してはいけない!
そんな気持ちを抱いたとしてもおかしくは無いのだろう…と。
それを感じさせてくれたのは、間違い無く草彅剛の存在感だった。
その後に厚い化粧を落とし自らの虚飾を剥がし落とす。そんな前後の顔の演技で、観客を納得させる力があった。
一果役の服部樹咲ちゃんの不貞腐れた顔は終始なかなかのもの。
本来バレエは上手い筈なのに、バレエを始めた時の動きが、きっちりとバレエ素人の動きになっている。
一果のバレエ友達りん役の上野鈴華ちゃんのヤサグレ感は、その後の笑顔を浮かべながらの〝 悲劇的序曲 〟 と併せて忘れ難い。
そして、『喜劇 愛妻物語』も素晴らしかった水川あさみは、この作品での超絶下衆な母親役も絶品でした。
2020年10月4日 TOHOシネマズ錦糸町楽天地/スクリーン10
生まれ変わったら…
映画の予告編で流れていた音楽がとても良かったので観た。
母が昔トランスジェンダーの知り合いについての話をしていたことを思い出した。昔でいう「オカマ」のその人は地域の集まりによく顔を出していて良い人だったからみんなも普通に接していたと。
けどある時何人かでお茶に行った時ふといつになく真剣に「私は来世は絶対女がいい。生まれ変わったら女になれるように、今世で必死に祈って良いことをすると決めている」とこぼしたって。
ナギサさんに不快感を感じなかった。草彅剛の在り方がそうさせていた部分もあるだろうけど、自分の体を憎みながら、女性になりたいと切実に願う人達は確かにいる。
作中での描かれ方は当事者の方々にどう映ったんだろう…。
心の動きを描写。
真夜中の白鳥
評価が高いことは知っていたが、近年の邦画の中で映画らしい映画だと感じました。
なおかつ一果役の服部樹咲さんの演技、大人になってからのシーンはともかく、13歳、14歳で演技経験がないにも関わらず、余白の演技が素晴らしい。
元々、バレーはやっていたみたいなのでそこの経験値があったのも、素に近い状態でいられたのかも(あくまで主観)
一方で草彅剛の演技が最初は入り切ってないのか微妙に感じた。しかし、病気になってからの演技が圧巻。この人はやはりなにかをすり減らした状態の演技が一番光る気がする。
ストーリーとしてはなにか良くも悪く丁寧に起伏を作って進んでいく感じ。しかし、音の使い方がよく、それがシーンをよりよく見せているものも多かった。
血は水よりも…
血は水よりも濃いという言葉があるが、同じくらい濃いものもあると思った。
役者はみんな頑張っているが、展開に違和感を感じたので、この評価。
・イチカが初めから踊れるのが変
・イチカと親の関係性が回復する展開が早すぎる
・イチカ、急にヤンキーになった感
・ラストの海外パートが情報少なすぎ
・リンの親が絵に描いたバカすぎる
あと、新しい地図のマネージャー飯島さんが、エグゼクティブプロデューサーなのが目についた。
凪沙の生き苦しさ
今でこそトランスジェンダーなどということは、言葉としてはポピュラーになったと言えるのかも知れませんけれども。
しかし、社会的な理解ということでは、なかなか言葉として知られ始めたことに追いついていないのかなぁ、と思います。評論子は。本作のような作品を観ると。
画面からは、何とかして自分が認識するとおりに「女」として生きようと、地べたを這い回るかのようにもがき、苦しむ凪沙の生き苦しさが伝わってくるようで、いたたまれない気持ちにもなりました。
自分の気持ちに素直に生きたいと願うことで、どうしてこんなに切ない、苦しい思いをしなければならないのか。
その「苦しさ」、現実の「厳しさ」そして「むごさ」は、筆舌に尽くし難いものがあるのだろうとも思いました。草彅剛の渾身の演技を観て。
本来は優美このうえないはずの鳥(白鳥)なのですけれども。真夜中に、ひっそりと生きづくそれらは、優美さのかけらどころか、いたたまれないような物悲しさを禁じ得ません。
本作で、凪沙が一果を引き取ることにしたのは、彼女についてくる養育費目当てということですけれども。
しかし案外、言葉では「子どもは嫌い」と言いつつも、内心、一果と良好な母娘関係を築くことがもしできれば、それは「女」(母親)としての自分の試金石になると、凪沙は考えたのではないかと思われました。評論子には。(独断の深読みのし過ぎかも知れませんけれども。)
一果を取り戻すべく押しかけた実家で、揉み合った末に、突き飛ばされ、転んでしまった拍子に露わになった凪沙の胸元を見た早織に「そんなこと(乳房の形成)までして、このバケモノが」と罵られたときの凪沙の、いわく言い難いあの表情…。
草彅剛の俳優としての、まさに鬼気迫る迫真の演技といえたと思います。
そのことが、評論子には、いちばん印象に残った作品になりました。
秀作としての評価に値する一本と思います。
幸せになってほしい
彼女はそっと彼の胸に顔を埋める。
『何?その髪型』
『これ?就職したの。』
『頼んでない!』
ふてくされる一果
『何?その態度。誰の為に仕事すると思っているの?』
つい怒ってしまう。
『頼んでない!』を繰り返す。
さて、彼は怒りを抑えて
『こっちに来て。。。』
一果も落ち着きを取り戻す。
『よし。よし』
一果の実の母親も同じセリフを映画の冒頭で吐く。しかし、この場面で、彼は『よし、よし』彼女はそっと彼の胸に顔を埋める♥
古い価値観に囚われすぎて、身を崩す男と、どんな人にも優しさがあると理解した少女の成長の話。
一点だけ不満が残るが、そこを除けば傑作だと思う。
海岸で、少女の美しさに朦朧とする。しかし、彼はもう目が見えているわけではない。彼女は外見が美しくなっただけでなく、内面が大きく育ったのだ。だから、本当に美しいのだ。
古い価値観に見放されたこの男は、最後に眠るように美しく天に召される。涙が抑えられなかった。
今回二度目だが、リトル・ダンサーと匹敵するが、最後はリトル・ダンサーと同じ終わり方を僕は好む。
全678件中、21~40件目を表示