花束みたいな恋をしたのレビュー・感想・評価
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余韻の残る映画
淡々と若い二人の出会い、別れまでを綴った映画(記録?)
本当に最初は微笑ましい出会い、やりとり、思わずニヤけるほど。
でも、なんとなく「あ、別れるかも?」と思うあたりから自分のことのように心が暗くなってきて。
とにかく、終わった後の余韻がすごい。涙は出てこなかったけど、本当に素敵でもう一度みたいと思うような映画でした。
でも、あんなに綺麗に別れられるのは、素敵な恋をしたというより、ほんとうにお互い一切恋愛感情がなくなったんだな…と感じました。
カップルでみるのはオススメできないです、
主演2人の演技力の凄まじさ
良きでした。
こんな素敵なのだと思わなかった。
リアルリアルリアル。
リアルの中にも恋愛映画の非現実的なところも上手く入ってる。
好きになったばかりって、ちょっとした共通点も全て運命だと思っちゃうんだよなーー。
その人が世界の中心になっちゃうと、学校も仕事もなんでも良くなっちゃうのよーーー。
何故かこの人と一緒にいれば絶対大丈夫だなんて将来すら明るく見えたり。
そして、俗に言う男脳と女脳の違いもあってすれ違う。
別れた後にも相手の幸せを願う。
...なんていう最後の理想までもリアルなの!!
別れ方綺麗かよ!!
こんな別れ方出来てたらみんな人を恨まないでしょーよ!素敵だな!
私は別れた大半の男を良くは思っていないので笑 最後だけは男の理想っぽさを感じた。
好きなセリフは
『電車に乗ってと言わないで、電車に揺られてと言った』みたいなところ。詩的。本をたくさん読む人ってこうゆう事なのかなって。すごく素敵だった。そうゆうところに気づく女の子も素敵。
すまん。主演2人を褒めるのを忘れた。
控えめにいって、サイコーか。
追記)他の方のレビュー見て知りましたが、これほとんど順撮りなの?なるほど。なるほど。いや、これは映画今後なるべく順撮りで撮った方がいいよ!(無理を承知で言ってます。)2人の時間の流れ方がかなりリアルなのよ!納得!順撮りねー!納得!(しつこい)
あと、絹ちゃんが押井守を発見した時の表情がかなり好き。
さらに追記)映画好きで映画観ているっていう人があげる例がショーシャンク!!あるある!!絶妙なチョイスでハマり過ぎてる!!
そう、この映画、人物名とか固有名詞とかめっちゃ出てくるけど、本当に気にならない。よく他のドラマとか映画観てて現実にある名前を聞くとちょっと引っかかっるところがあるんだけど、それが全くなかった。
終わった恋愛って、なんか悪い想い出も良い想い出も全て額縁に入ってる絵画みたいな。スクリーンの中の映画みたいな。美化されるけど、この2人にとってはそれが花束みたいな感覚だったのかな?
菅田将暉×有村架純
文化系男子はみちゃダメ
恋愛映画を期待すると死ぬ。
本当に丸一本恋愛を見せられる。
2015-6年あたりに大学生をしていようものなら
リアルな作品やコンテンツが絡んできてさらに
エモいえぬ感情にさせられる。
あれ、これ自分が付き合ってる感じじゃね?
そして、、、
好きなことが同じもの同士
育った環境が違うからこそ
社会と仕事の捉え方が決定的にすれ違っている
ことに気づけず楽しい恋の時間を過ごせたと
少しやるせない気持ちになった。
いい映画で、恋愛映画のリアルさとしては
流石の一言だけれど
文化系男子はみちゃダメ。
終わらせるにはもったいない二人
こんなにも感性の似た人と、こんな風に恋が始まったら楽しいだろうなと言う始まり。そして、何となく感情がすれ違いになり、浮気のような変なドロドロもなく、仲が悪いというわけでもなく、終わりを迎える二人。2時間の尺を長すぎると感じることもなく、見させてくれたのは坂本裕二氏の脚本のおかげかな。
アラカンおじさんの私から見ると別れるのは実にもったいないなあと思いました。これから人生、山あり谷あり。まだまだ色んなことが待ち受けているのになあ。それを諦めるのは実にもったいないことだと思う。
麦君が一生懸命に仕事をして絹ちゃんと感情的にすれ違っていくことが主要因だろうと思うのですが、女だって子供が生まれたらもうゲームだなんだと悠長に言ってられないときはある。それを思うと絹ちゃん、もうちょっとだけ何とかならんかったのかなと思います。
私は見て損したとは思わなかったけど、全然面白くないという人も結構いるだろうと思える映画でした。
かさぶた映画
なぜ?
日本ではこんな映画がヒットするんだ。
内容は超地味で、ありふれた、なんの捻りもない話。スクリーンで観る必要性は無い。
この話はオタクのダサい男子とパットしない女子の話。よく駅の改札でイチャイチャしている需要と供給カップル(否定している訳ではない、幸せならOK)が似合う内容。原作者絶対カッコよくないし、モテなかったはず。ちょっと執着質な束縛男が書きそうな。トイレットペーパー持って電車にの乗る様な女子がする恋愛。自分の思い出に投影してる人が多いけど、過去なんて思い出す?でもそういう人がmajorityだから良い感想が多いいのね。出演者が人気のある俳優だから映画になっちゃうだけ……あっ、観てなかった映画。予告だけで判断しちゃた。
失礼致しました。
ちゃんと働いてくれる良い彼
当初は、若い俳優さん達のキラキラした恋愛映画なんだろうな、と思って見る予定はありませんでしたが、
レビューが高評価なので見てみました。
彼が夢を追えなくなっていったことや、土日も出張で一緒に過ごせなくなったり、ということは昔から比べると寂しい面も感じられますが、
仕事を全然してくれなくて、彼女の収入だけに頼っている人より私にはよほど頼りになる男の人に見えました。
多分学生時代に出会ってそのまま社会人になっても続くカップルの場合、それこそ新しい生活パターンに同時に、せーの!で移行出来ないと、
社会人と学生(フリーター)だと趣味に使える時間の取れるタイミングとかが合わなくなるので、うまく2人同時にパターンを移行出来なかった彼らは残念だったな、と思いました。
でも私は別れたら後にグーグルマップで写真が残ってたら、うわー、とマイナスな気持ちになるので、
別れてもふとグーグルで元彼女との姿を見つけて懐かしく笑って振り返られるのは、羨ましいほど良い別れ方したな、と思いました。
結婚していないのに、まるで結婚してるような同棲生活をあまりにも長くしていたから、中途半端な状態になってしまったのかな?とも思いました。
いくつか新しい出会いを重ねて、もしかしたら10年後くらいに復活婚しそうな2人で、キラキラしていて彼女も可愛いし、脚本としてはそれなりに良かったです。本当は、ハッピーエンドが好きなので★4からマイナス0.5にしました。
成長して、さらに大人になってね、と2人にエールを贈りたくなりました。
日本版500日のサマー
主人公たちはこの映画をどう評価するのだろう?
隙間をついた作品
5年の生活が花の一輪。花束はドライフラワーにして胸の内に
beatsのイヤホンてそんな壊れにくいもんですか?これはbeatsのプロモーションを含んでるのでは?
冗談はさておき。
バター猫のパラドクスから始まるこの映画。後に登場する黒猫にはバロンと名付ける。「別れる男にひとつ花の名前を教えなさい」と説くのは元は川端康成。キノコ帝国のクロノスタシス。わたしの中の“サブカル”とも被っていたから面白かった。わたしはガスタンクではなく、店先のソフトクリームランプの写真を撮りためていたことがある。
否。サブカル、、というより自分の触れた好きなものを上手く醸成している2人のように見えた。興味のあるものに手を触れる時間と気力という特権は学生のものであるのは確か。重なる偶然を運命だと信じ切れるのも学生の特権だろうな。川の近くにアパート借りたいな。
ラーメンのレビューブログはもう何年も更新されていないだろう。互いの環境や立場が変わり、緩やかに枯れていく恋。ふたりでいるために就職したのに、それがきっかけですれ違っていく姿は辛かった。きっと言葉が足りなかった。言葉をかける時間もなかった。それぞれ互いを思っての生活なのに、互いを見つめているはずなのに、視線が交差しなくなっていく。5年という月日は、出会った頃のお揃いの靴を履くファミレスのふたりが変わってしまうには十分すぎた。ファミレスのあの席はもう空かない。
恋愛感情はなまもの。愛へと昇華できればいいが、大切なものがスッポリ抜けてしまえばそれはただの情。それに気づいた絹は揺れなかった。でも、最後の3ヶ月には確かにふたりの愛はあったよね?
この先、麦と絹は焼きそばパンをスーパーで見た時や、イヤホンのRとLを確認した時や、ゼルダの新作が出た時やファミレスのドリンクバーを薄く感じる度に相手のことを思い出すのだろう。毎年同じ場所で咲く花を見て、花の名前とかつての恋人を思い出すように。
花束みたいな恋だった。5年の中の出来事はひとつひとつが一輪の花で、それで繕った大きな花束。花もなまもの。枯らすのではなく、ミイラでもなくてドライフラワーにしてそっと胸の内に閉まって置く。
あ、賛否両論ありますが、わたしは恋人と観に行きました。良かったね、を皮切りにふたりのこと、今までのことを色々話しました。出会いは、教会。互いのTSUTAYAカードが某映画スタジオの名前を冠した期間限定デザインで運命だと思った。ふたり共まだ学生だったから、この出会いは神様の思し召だと信じた。あれから4年。すれ違い離れても、また手を取り合った過去がある。楽しいことも辛いこともあった。未来が不安になることもある。これからもきっとそう。わたし達にどんな未来と別れが待っていようとも、今ふたりでいることを選び続けている。それだけで十分ではないでしょうか。
背伸びしていない素朴な作品。ラブストーリーに求める期待を持たずに観るのが良いです。
【キャスト】
主演の有村架純さん、菅田将暉さんは、普通のカップルを好演されていました。
本作のお二人の演技ですごく惹かれた、という印象は薄いのですが、主演のお二人の存在感が華やかすぎないことで、本作の凡庸な印象を表現することができたのかもしれません。
【ストーリー】
この話のメインとなる麦と絹は、いわゆるサブカルに分類されるような音楽、映画、作家などが好きです。
学生の時に趣味が似ていて惹かれ合い、就職や社会人としての成長を通して趣味を中心に楽しみを重ねていた2人の生活から、これからも2人で暮らしていくために仕事を頑張る生活へと変化していきます。
彼に好きなことをやってほしいと願う彼女と、一方で好きなことで生計を立てることの難しさを実感し、不本意な始まりではあったが、地に足をつけて仕事をして彼女を支えたいと思う彼氏。
この思いやりのすれ違いが丁寧に表現されている作品でした。
それにしても、坂本監督のつける役名は独特でおもしろいですね。
個人的には、(終電がなくなったら知らない人たちと朝まで時間潰しすることがあるだろうか?)(彼氏が白スキニー履いたら別れるとか軽っ)とか小さなツッコミどころが多々ありましたが。
【技術】
いつくかブラックアウトが入ることがあり、急な挿入のために観ていて感情移入の切り替えが追いつかないことがありました。
全体的にじんわりとした印象が続くので、フェードアウトのほうがこの作品の調子に合っていたかもしれません。
全体的には、起承転結を通した物語の起伏が大きくないので、物足りなく感じる方もいるかもしれません。飾り気がない作品なのに大々的に宣伝してしまったからかもしれないです。
大きな感動を求めるでなく、人生で一度は経験するであろう若者の恋愛経験を描いた作品です。
どんな選択となった恋愛であっても、良い悪いをつけるものではない人生の豊かな経験の一つだと思える作品です。
見るつもりはなかったけど..
タイトルなし(ネタバレ)
エモが詰まった花束みたいな映画だった
一つ一つの気持ちやエピソードがものすごく身近でリアルで、あるあるって思いながら気づいたら自分のことのように思えて
なんでこの世は恋愛物語ばっかなのだろうと思うけど、人の共感できる最大公約数が恋愛なのだとちゃんと心で理解できた気がする
恋の始まり
出会って気が合いすぎてテンションが上がって
うっかり浮ついた言葉を口走って意識して
でもお互いの気持ちの距離を小さく確かめ合いながら距離をつめて
女の子の影に少し冷めてだけどタイミングを逃すまいと追いかけて
大学生らしく勢いで相手の家にコロンと上がって
わかれたあとにニヤニヤが自然とこぼれて
帰って来た時に余韻から冷めたくなくて
まぶしくてエモくて胸がくるしくなった
夜食が焼きおにぎりなのも、同席した男女の挙動おかしくない?って笑うのも、小説を交換するのも、映画中寝ちゃうのも、濡れた髪を乾かしてもらうのにドキドキするのも、何もかもがまぶしかった
絹が「電車に揺られる」って言い方するんだなって小さな挙動にときめく一方、麦が「麦の描く絵が好き」って言われたことだけ何度も反芻するとこが男女の違いがうまく出ててよかった…
同じ生活をしてれば同じ価値観でいれるけど、やっぱり環境が変われば考え方は変わる
変わった方は「いつまで相手は変わらないんだ」といらつくし、変わらない方は「これまで二人で大事にしてきたものを無下にされていく」と感じる
どちらも悪くない、この中で磨り合わせてくしかない、でもそれができなくなって別れていくカップルが山ほどいる
それを坂元さんはものすごく緻密に丁寧に描くから刺さりまくる
ずっとベッドでうだうだする休日も、思い出なパン屋や映画も、共通の具体的ものが思い出が増えるほど大切になっていく
だからこそ、そこが閉店したり、好きな作家が死んだりすることで小さく心に水をかけられたような気持ちになる
それを坂元さんは知っている
別れるまでのくだりがとてもとてもリアルだった
すれ違う中で、小さなことだけど共有できなくなって、共通の大切なものが減っていって、それはお互いそれぞれに辛さがあるけど自分のことしか見えなくて汲み取れなくて、そうして無感情になっていく
うわって思ったのが、絹が転職することでケンカした時うっかり最低なプロポーズして、これまじでやばいケンカじゃんって内容なのに、「ごめん言い過ぎた」ってすぐ何事もなく仲直りしたこと
二人は関係が長すぎてもはやケンカにもならないし、ケンカした後の空気な戻し方を知っているんだ
だけどそれはさみしい方の慣れだった
お互い同じタイミングで別れようと思ったのに、淡々と事務的な話をする女の絹と、結婚式の後楽しく過ごせたからまたやり直そう結婚しようって言う男の麦の対比もわかりみ深い…
そうそう男はまたやり直せるんじゃとか思っちゃうんだよ…
でもファミレスで思い出の席に座れない時点で二人の運命はもう決まっていて、
結婚ならお互い空気みたいに恋愛感情なくなっても(って言い切っちゃうのがまた切ない)いられるんじゃ?嫌なとこ目つむって関係続けてる夫婦たくさんいるじゃん?って提案した後
自分達の座れなかった席に、かつての自分達みたいな恋のはじまりを体験しているカップルが現れて、それのまたまぶしいこと…!
その二人がまぶしくて尊いほど、二人がそれを失ったことを思い知る、その二度と手に入れられないものはあんなに大事だったんだと思い知る、それを惰性でこのまま関係を続けることで壊したくないっていう想いが二人に芽生えて抱きしめ合って別れる
言葉がなくてもわかる
二人は思えばずっと同じで、同じタイミングで付き合いたいとかどうでもよくなったとか別れたいとか思ってたね
同じだから恋ができて、同じすぎたから続けられなかったのかもしれないね
でも同じで大切だったから、終わり方もとても大切に広げた布を畳むように丁寧に静かにほどよく仲良く、これまで言えなかった答え合わせもできながら別れられた
その関係性もエモかった…
たぶん大切な恋すぎたから、大事にとっておきたかったんだ
そのままなあなあに、なんだったんだろうあの恋はって後で思わないように、綺麗なまま終わらせた
相手のいない日常の中にも、自分のなかにも、相手の影はあって、髪を乾かすとき、イヤホンをつけるとき、相手を思いだす
これが恋なんだと全力で思わされるとても素敵な作品だった…
今村夏子の『ピクニック』を読んでも…
土曜日、『花束みたいな恋をした』を観てからというもの、麦と絹が僕の頭のなかに住み着いてしまっていた。それも、2人とも、前を向いているのではなく、未練を引きずった状態で住んでいた。望まなくして2人と生活を共にすることになった僕であったが、2人を見るたびに否応なくあの頃を思い出してしまう。思い出して、苦しくて、悲しくて、どうしようも無くなっていたので、木曜日、もう一度観て、レビューを書いて、2人には申し訳ないが僕の頭の中から出ていってもらおうかと思う。
この映画を観て1番悲しかったのは何かと聞かれれば、それはやはり麦が社会に揉まれていく様を見せつけられたことである。麦が読む本は小説からビジネス書になり、食べるものは手作りのパスタからコンビニのうどんになる。人間というのは、小学生から中学生、高校生と成長するにつれて、体内に取り込む食べ物や本などは自然と変化していく。それは、生きていくうえで、色々なことを経験し、知っていくことで視野が広まった結果であって、それは全く問題ない。何故なら、そこには感受性というセンサーが働くからである。そのセンサーが体内に取り込むものを自動的に取捨選択してくれる。今回、ポップカルチャーの好みが驚くほど同じであることが2人を繋いだ。それは、いってしまえば2人の体を構成する要素が同じであることとイコールである。遺伝子レベルでの繋がりを感じることができた2人は、俗な言い方をすれば「運命の人」であると互いを認識できたのだろう。
しかし、社会に出た麦には、果たしてセンサーが作動していたのだろうか。本屋で前田裕二の『人生の勝算』を手にさせたのは、スマホにパズドラをダウンロードさせたのは、近所のパン屋が潰れてしまったという絹のLINEに「駅前のパン屋で買えばいいじゃん」と返信させたのは、本当に麦のセンサーだったのだろうか。おそらく、「社会」に埋もれていった麦のセンサーは機能不全に陥ってしまったのだろう。機能不全に陥ったセンサーは、イラスト用の道具を机の端に追いやり、絹が麦に薦めた本を無造作に積み上げていく。かつて絹に圧迫面接をした面接官に対して、麦が言った「その人はきっと今村夏子の『ピクニック』読んでも何も感じない人なんだと思うよ」という台詞。時が経ち、麦の取引先のおじさんに対して、同じ台詞を絹が言ったときに、麦が「俺ももう感じないかもしれない」と口にしたのはあまりにも悲しい。
絹は、麦に本を薦めたり映画に無理やり連れていったりして麦のセンサーが正常に作動してくれるのを望んだ。しかし、その望みは虚しく打ち破られてしまう。本を薦めても麦は仕事の車の中にその本を放り投げてしまうし、映画を観させても麦は何だか退屈そうだ(映画を観終わった日の夜、麦は絹に「映画面白かったね」と、およそ機械的に言う。昔だったら、観た映画について何時間も語り合っていたはずだったのに…。ここも、僕が悲しいと感じたポイントの一つだ)。何をしてもセンサーはもとに戻らない。それが分かってしまったため、絹は麦と別れることを決意したのかもしれない。
麦のセンサーが壊れたまま2人が別れ、映画は終わってしまったのであれば、その映画を観た僕たちモラトリアム人間は、おそらく誰一人として「社会人」になることを望まないだろう。何故なら、彼らは観たあと、「社会人」になるということは、自分たちの精神の拠り所であったセンサーを壊すことである、とそれとなく理解するからである。しかし、そうでは無いのがこの映画の面白いところだ。別れることを決めた絹と麦は、「最後くらい楽しく」ということで、それはそれはまるで付き合いたて2人のように、楽しく、カラオケをし、缶ビールを飲みながら歩き、別れたあとは映画も観た。時間の経過もそれを助けたのだろうが、別れることを決めたことで、麦のセンサーが復旧したのである(このことは、最後のシーンで、麦が沢山の本が詰まった本棚の前で手作りパスタを食べ、ストリートビューをしていたことからも分かる)。これを理解できたのは2回目に観たときであったが、このとき初めて、僕の胸のなかにあったもやもやが、すーっと消えていくのを感じた。そうか、別れることで幸せになれたのか、と腑に落ちることができた。
長々と書いてきたが、今ふと頭の中を覗くと、そこに二人の姿は、無かった。…良かった。これで僕は生きていける。そんなことを思いながら、僕も絹のような女性と出会うことを夢見て、きのこ帝国の『クロノスタシス』を再生しつつ、映画の半券を挟んでおいた文庫本のページをめくるのであった。
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