「想像の余白を削る怒涛のモノローグ」花束みたいな恋をした ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
想像の余白を削る怒涛のモノローグ
学生から社会人になる環境の変化の中で、ありがちな恋がありがちな経緯で色褪せてゆくさまを描写した映画。
自分自身も身に覚えのある浮き足立った純情を俯瞰で見ているようで、みぞみぞする場面もあったものの…
坂元裕二脚本のドラマは「東京ラブストーリー」「カルテット」くらいしか見ていない。会話劇が秀逸な作家という評判だが、正直その会話があまり刺さったことがない。評判がよいので性懲りもなく足を運んでみたが、やはりどうもはまり切れなかった。ファンの方には本当に申し訳ないが以下は個人的嗜好に基づく率直な感想です。
麦と絹の状況やら感じたことやらが終始怒涛のモノローグで事細かに説明されてゆくので、こちらが映像から想像を巡らせるような余白が少なく、身動きを許されないような息苦しさを感じた。
びっしり詰め込まれたサブカルアイテムも情報としては多過ぎるように思えた。音楽、舞台、映画、舐めるように映される本棚、彼らの人となりの描写にあれだけ全部必要だろうか。映画なのだから必要以上の設定は縁の下に置いて説明し過ぎず、演者の表情や映像の工夫によって醸し出すに留めて、見る側が自分と重ね合わせて受け止めるための余白を作ってほしかった。
多分あのサブカル&トレンド装飾は、「この漫画読んだ」「そのテレビ番組見てた懐かしい」といった観客の共感を呼ぶための安直な装置でもあるのだろう。そういった装置が全く不要とは言わないが、アイテムに視線を奪われることがあまり多いと、心がせわしなくなってしまう。もうちょっと決め打ちしてほしい。
映像で語る自信がないのか?そんな印象を受けた。特別なレトリックで彩り、マニアックに背景を語りたいなら小説の方が向いている。
複数のモブが必然性なく死に、そのエピソードが主人公たちの気持ちを測るただの道具として使われたこと、麦の変化や彼の職場トラブルの描写からエッセンシャルワーカーがそこはかとなく敗者扱いされているように見えたこと、せっかくのオダギリジョーがただの目くらまし扱いだったことも残念だった。
平凡な恋バナと「共感度100%のラブストーリー」(映画サイトより)は表裏一体。実は難しい普通の人をキラキラと、痴話喧嘩さえ清潔感を失わず演じる主役二人の力量は十分感じた。
ニコさん、コメントありがとうございました。
余白がない・・・なるほどー。確かにそうでしたね。
会話劇にこだわり突き詰めた結果なんでしょうかね?
本作品、恋愛観の違いで受け方が変わるかもしれませんね。