「つまらない映画だが、面白い」ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像 Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
つまらない映画だが、面白い
邦題に偽りはないものの、映画の内容を表しているとは必ずしも言えない。
(なお、原題(仮称)「Tumma Kristus」を、Google翻訳で訳すと「Dark Christ」。原題「Tuntematon mestari」は、「Unknown master」で「未詳の巨匠」くらいだろうか。)
普通なら、「名画発見。証明資料の発見。そして落札!」というオークション成功物語で終わるはずで、それなら邦題の通りだ。
だが、本作品は、そこからが不必要に長い。金の工面など、大したことない話が続く。
「娘親子の“思わぬ”過去を知る。」と言えるような面白い話でもない。絵の“目利き”も、家族の気持ちには“目利き”ではなかっただけ。
“第一部 落札”と“第二部 娘親子”という、本来は無関係な話が一体化されている変なストーリーだ。
“間一髪の危機”が2回出てくるが、なぜか全く盛り上がらない(笑)。
わざとさりげなくしているのかもしれないが、それならば本筋には不要な脱線を差し挟む理由が分からない。
買ったは良いが、売る苦労。
しかし、盗品ではあるまいし、レーピンの「キリスト」なら、12万ユーロで買う者はいくらでもいるはず。
フィンランド国内に残す希望はないのだから(スウェーデンの金持ちに売り込んでいる)、ロシアの美術関係者に声をかければ済むことだ。
古い写真付き専門書もあるし、美術館のお墨付きさえ得ているにも係わらず、町のオークション会社に贋作呼ばわりされただけで、なぜ売れないのだろうか?
自分には全く分からなかった。
しかし本作品の一番の“つまらなさ”は、オラヴィ老人の動機である。
画商であっても、これは、と惚れた絵は手放し難いものだろう。
題材と緻密な筆致を見て、レーピン作だと確信する。
しかし、老人からは、この絵に対する愛情が伝わってこない。
単に、「ラスト・ディール」だから大博打を打ちたかった、というだけでは寂しい。
最終的に、孫の手に残ったのは売れなかったからであり、また孫との思い出の品物だからだろう。絵そのものに対する思い入れではない。
にもかかわらず、面白い点が3つあった。
一つは、オラヴィ老人と孫のオットーが、ネガとポジのように、正反対のキャラクターであること。
孫は、老人が持っていない、あるいは失ってしまったものを提供する。
行動力、はったりや嘘、ネット情報収集力。
老人は、“貧すれば鈍する”とばかりに、いつからか、ビジネス能力を失っていたのだ。
もう一つは、“署名がない”という謎に、しっかりと“オチ”を付けたことだ。
美術館は、「聖画なので、画家は署名をしなかったのです」という判断だ。
とはいえ、そもそも美術館が“レーピンの「キリスト」”と断定した根拠は、謎のままだが・・・。
また、勝手にいろいろと空想してみるのも楽しい。
大きな絵が切り取られた感じで、肖像画にしては変な構図だ。
レーピンにしては“薄味”な印象の絵だし、親密な視線をこちらに向ける男には“イコン”的な雰囲気はなく、キリスト像と考られなかった理由がうなずける。
レーピンに限らず、キリスト単独の肖像画は珍しいはずで、「きっとレーピンが売買を企図せず、自分のために描いた絵なのかもしれない」という、背景のストーリーまで考えてしまう。
もちろん、レーピンの真作ではないのだが・・・。