すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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私たちの身近にも・・・
出所者は、私たちが気づかないだけで、身近にいるかもしれない。
私たちが思っている以上に、生きづらさを抱えているかもしれない。
すばらしき世界って本当は、、、
2021年、初の映画館での鑑賞作品。
お見事!ナイスチョイスわたし!と大満足。
原作は30年も前の実際に存在した男をモデルにした
小説だそうで。うまく現代に置き換えて作品は作ら
れており、最初から最後まで飽きることなく鑑賞。
主人公の三上を演じた役所広司さんは、たくさんの
作品に出演している日本を代表する役者だが、まだ
まだこんなにも観客を満足させてくれるのかと、そ
の存在感と演技力に驚かされる。
主人公に関わる、周りの役者もとても素敵で、仲野
太賀さんは、名演。私的には、三上の昔の繋がりの
あるヤクザの兄貴(白竜)の奥さん役のキムラ緑子さんがこれまた最高。
彼女が三上に伝えた言葉、
「シャバは我慢の連続。我慢したって大して良いこ
とはないけれど、空は広いって聞くよ」
この言葉がとても印象的だった。
我慢の連続である世の中だが、広い世界の中で生き
ていれば、いろんな可能性と出逢えるのだと。
三上の周りに少しずつ人と人の繋がりができていく
前のシーンだった。
就職先が決まった三上を、みんながお祝いするシー
ンは気持ち悪いと感じたが、それが今自分が暮らし
ている社会のあるあるだなと。正直者が馬鹿を見る。
そんな気がして、とても悲しい気持ちになった。
三上のように、実直で正義感にあふれた人間にとっ
てこの世の中は生きにくい。彼がもう少し当たり前
の愛情をかけて育ててもらっていれば、生き方は違っ
たのかもしれない。
もう一つ印象に残ったシーン。
福岡の昔の仲間に連絡した後、風俗嬢のリリーさん
とベットで横になって話をする。
三上がリリーさんの子供の話を聞いて「お母さんや
ね」と声をかけるシーン。その表情があまりにも穏
やかで優しくて。
三上にとって母親という存在がどれほど大切な存在
かその表情から伝わり、心が締め付けられた。
タイトルの「すばらしき」がわざわざひらがなであ
ることが気になり、「すばらしい」の語源を調べて
みた。
「素晴らしい」は、漢字を見ると、「晴れやかな気
分にさせられる」といった意味が浮かぶが、これは
後世の当て字だそうだ。「すばらしい」は、縮んで
小さくなるという意の「窄む(すぼむ)」や、「み
すぼらしい」などと使う、すぼまって狭いという意
の「窄し(すぼし)」と同源であり、もとは「あき
れた」とか「ひどい」という意味で使われていたの
だという。
↑ネットで検索。
これを見て、納得。
西川監督の意図はこれにひっかけているのかどうか
はよく知らないけれど、タイトルは皮肉のように使
われていて、現代社会に生きる私達に問いかけてい
るのでは?と感じた。
我慢の連続。それでもこの世はすばらしき世界な
のか?
三上の最後のシーンが答えなのか。
とにかくまた面白い映画に出会えてよかった。
どれだけ世界とつながっていられるか
前半は少しコミカルなタッチで、しかし後半にかけてどんどん引き込まれるシーンの連続だった。介護施設でのシーン、介護士の服部と障害を持っているであろう阿部のやり取りを、主人公三上が見つめる。そのあとのシーンも含めて最高のシークエンスだと感じた。
パンフレットに付属する脚本には上記シーンで「社会に適応するために、人間性を、捻じ曲げた」と書かれている。それまでの三上は自分の目から見た世界、主観的な世界だけを世界と認識して生きてきたのだと思う。彼の正義は一方通行で、ある意味身勝手なものである。「お前らみたいな卑怯な連中に混じるくらいなら死んで結構たい。」三上の言葉にはなぜ「お前ら」が「卑怯な」行動をとるのかに対する思慮がない。それは「お前ら(=我々)」が「弱い」からであるが、「強い」人間である三上はその弱さに対する配慮がない。彼は強くなるために、生きるために、弱い人間、つまり過去の自分を否定し続けなければならなかった。彼が歩んできた人生が、彼の視野をより狭く、より強固にしてしまったことが、一つ一つのカットから読み取れる。三上を「強くならざるを得ない存在」に育て、かつ、「弱い者」への配慮を徹底的に欠く存在に仕立てたのは、まぎれもなく彼の幼少期の環境だろう。津乃田の目に映る、母を求めて泣き叫ぶしかない男の子はまさに三上自身だった。男の子は母親によって見つけられたが、三上は母に迎えに来てもらえなかった。そんな男の子が、三上のような強く悲しい男にるしかなかった人生を想像させる、秀逸なカットだった。
原作のタイトルである『身分帳』も、我々、つまり三上にとっての世界が一方的に彼を見たものの象徴である。彼がなぜそうなったか、なぜそのような行動をとるのかへの思慮はない。表面的に切り取られた殺人犯三上という人間がそこには描かれている。それは一方的で、身勝手な見方である。観客の目線を代表する津乃田も、始めはその見方しかできない。彼もまた三上を一方的に切り取り、はじめはその存在に恐怖し逃げ出す。しかし「あんたみたいなのがいっちばん何にも救わないのよ」と言われながらも、結局は逃げずに三上に寄り添う。それは彼が「何も救えない弱い人間」だからであり、だからこそ三上の弱さに寄り添えたのだろう。三上は津乃田という「弱い人間」に寄り添われて、自身の弱さと向き合っていく。彼がシュートを決めた男の子を抱きしめ嗚咽するシーンは「弱さを受けいれる」シーンだと、私は解釈した。
そして介護施設でのあのシーン彼の人間性は、イメージの中で服部を殴りつけたように変わっていない部分もある。だから「人間性を捻じ曲げる」という表現は正しい。しかし私にはあのシーンは、人の弱さに気づき、本当に強い人間となった三上の、弱い人間たちへの配慮のように見えた。服部もまた弱く、阿部もまた弱い。障害を持つ阿部を嘲笑する服部の「似てるでしょ」に、「……似てますかね」と頬を震わせながらひきつった笑顔を見せる。一方的に身勝手に押し付けるのではなく、相手に問いかける。真に強い人間の態度だと感じた。
登場する登場人物が、どれも強さと弱さを抱えたキャラクターとして描かれている。その人々作り出す良いも悪いもないまぜになったこの現実こそ「すばらしき世界」なのだろう。このすばらしき世界で私も懸命に生きなければならない。
西川監督もおっしゃっていたが、切り札役所広司のあまりのジョーカーっぷりにマイナス0.5させていただきます。
すばらしきまま彼は旅立つ
緊急事態宣言で20時で終わる映画館は
やっぱり行きづらいもんでなかなか時間作れませんでしたが
やっと観賞
殺人罪で13年服役して社会に放り出された元ヤクザ
三上正夫が自分の立場から娑婆の生きづらさに
直面しながらも生きる意味や生きる誇りを
探しながら覚悟を見つけていく物語
まず役所広司の手のうちに入れた演技が絶妙
シナリオ自体はそんなにややこしくなく
序盤から描写される三上の異常な高血圧と
いった描写からああ最後は死ぬんだなと
想像できますが三上のそれなりに社交性もあり
整理整頓や細かな仕事も刑務所で身に着けては
いるものの曲がったことが嫌いで
短気な性格とどこか暴力に対する意識が
希薄なままのキャラクターがすぐ
理解できるので移入度はなかなかのもの
そんな彼の周りには最初は色眼鏡で見たりした
ものの徐々に三上の屈託のなさに絆されて
彼を支援していく人々が増えていく様子が
さながらファンタジーに見えてしまいますが
娑婆の我々も見ている世界がそんなに奇麗なわけでは
ないことに気が付きます
そんな三上に目を付けたテレビマンが
しがない小説家志望の津乃田に彼の生い立ちを
記した身分帳の写しを送り付け取材させ
ドキュメントに仕立てようとします
しかし津乃田はその書類から三上に興味を持ち
その性格の問題点にも触れていき
三上を糾弾してしまいます
…この津乃田のキャラクターがちょっと弱い?
彼が身分帳から三上の複雑な生い立ちに
興味を持った感じはわかりますが
津乃田自身の生い立ちなどと
どう相関があるのかという描写が
ないため突然三上に協力的になったように
見えるご都合的展開にも感じる部分がありました
印象的だったのは一時的に頼った福岡の
旧友ヤクザの姐さん
もうヤクザではやっていけないことや
三上のもう堅気になる道を選ぶよう進めて
警察沙汰から逃がす場面は涙を誘います
こんな優しい人たちが本当にいるのかは
わかりませんが他人でもより良い内面を知る
機会があればこれくらい優しくすることは
出来るのかもしれませんね
なかなか他人の内面をそこまで理解する
機会やスキルが失われている現実が
あまり関わろうとしない社会を生んでいる
のかもしれません
少しでもいいことをしようとする人がいると
偽善問う言葉が口を突いて出てきてしまう人
けっこういますよね
友人にも生活保護課の公務員やってる人が
いますがなんでも申請を断りたいわけではなく
今は仕方がないが仕事に復帰したいという意欲を
持った人が来ると全力で応援してあげる気持ちは
持っている(けどなかなかそういう人がいない)
と言っていました
結局自分の持っているやさしさを食い物にされる
のが怖いという部分もありますよね
でもそういう気持ちを前面に出せたら
この映画のような人々がすばらしき世界を
作ることができるかもしれません
三上は幸せの最高潮で逝きましたがそれが
幸せなのかかわいそうだったのか
観る人で色々と変化のある映画だったと思います
観てよかったです
地味だけど、味のある作品
殺人→13年の刑期を終えて出所→その後社会にどう馴染んでいくかをテーマにした作品。
元ヤクザだけにいい意味だと曲がったことは許せないし、気に入らないとケンカ張りに対応してしまい後悔することもありながら、元受刑者への世間の冷たさを痛感していく。
そこに興味半分で近づいてきたTV製作者がさらに怒りを買うような対応をしていく。
ヤクザに戻ってしまうのか、なんとか周りの応援によって社会復帰できるのか、という地味な内容とも言えるが、これはセリフの微妙な心境の変化を見ていく、感じていく作品である。
・13年も刑務所にいて刑務所での規律・ヤクザの喧嘩っ早い様子
・公衆電話しか連絡方法がないし、就活しても出所者には冷たい現実を知る様子
・スーパーや老人ホームで理不尽な状況に出くわしてもグッと呑み込んで不器用な笑いでやり過ごす
・スーパー店長がだんだん真っすぐな正夫に魅かれていく
・フリーのディレクターが商業ベースで行方不明の母親を探し、更生していく様子を撮っていこうとするも、次第に正夫の真っすぐな人間性に魅かれ、小説家として人間としての正夫を題材にして書こうと決意し、人間同士の心の通った交流をしていく
・役所の生活保護の課の人が適当にあしらっていたのが熱心に質問しに来たりそれと同じ熱量で資格取得しようとする姿に親身になっていく
ざっと挙げたが、それぞれの登場人物の発していく言葉のちょっとした変化や語尾で、心境の変化を読み取っていく作品で、地味だと思われるがとても奥が深い。説明臭くなく、説明を会話や表情で読み取っていくのは疲れる作業でもあるが、その疲れが涙となって洗い落としてくれる。
ラストのシーンが何よりも正夫に関わった人たちの本心があらわれている。
ヤクザには生きにくい世の中なんですね。
本を読まずに鑑賞。
三上さんの真っ直ぐなところ、切れやすいところ、バカ正直で言葉に引っかかり自爆するところ、そのくせ妙に文章をきっちり読んで理解力が高かったり、自分の身分帳を開示請求かけて写筆したり、差が激しい。ひょっとして障害があるのかぁと感じました。劇中でも似たような事を示唆する場面がありました。
ストーリーは、明るく、軽く進んでいきます。重いシーンもあぁ…と思いながらも受け入れることが出来ました。いろいろ考えること・思うことが多い作品、脚色があるにしても実話を元にしているだけあって共感を得やすかったです。比べると、ヤクザと家族はエンタメ性が高かったですね。
ラストはグッときました。
泣いてくれる人、駆けつけてくれる人が出来てよかったね、三上さん。
役所広司はやっぱり凄い。
受刑者が刑期を終えてから社会に戻る話です。
役所広司さんの演技が本当に凄いです。
役所さんの演技に共演者の皆さんが引っ張られていっています。
登場人物のそれぞれの立場がリアルに描かれており、都合よく奇跡のようなことは起きません。
そのリアルさがこの映画の良さを際立たせています。
126分の上映時間はあっという間に過ぎました。
なぜ「すばらしき世界」この名前にしたのか、分かりませんでした。
もう一度みて確認してみようと思います。
皆さんもぜひ見てください。
素晴らしい映画でした。
真に素晴らしき映画(ヤクザと家族のネタバレも有り)
【はじめに】
以下すばらしき世界の最初から最後の結末までネタバレされています。
元ヤクザの男が社会に復帰する様子を追うこの作品は「ヤクザと家族“第二部”」と扱うテーマが酷似している。
この2つの作品がほとんど同時期に公開されたのは運命の悪戯というべきかなんというべきか。
しかし、この二つの作品には当然ながら違う対立している部分もある。
そこを比較しながら書いていきたいのでヤクザと家族のレビューもぜひ参考にして欲しい。
まず、大きく違うのは主人公である。
ヤクザと家族ではヤクザの世界に入るきっかけから描かれていて、主人公に感情移入するように作られている。
そのため、我々観客はなぜ賢坊が社会復帰出来ないのかと周りの社会にヤキモキする。
一方で、すばらしき世界は、刑務所を出所してからの話で基本は三上目線で進むものの途中で取材が入る。津乃田の目線である。なぜかわからないが僕はこの津乃田の目線で物語を見た。
つまり、なぜ三上が更生して社会復帰しないのかと思った。三上に対してやきもきした。
これはなぜだろうか。
一つは冒頭の刑務所のシーンにあると思う。
僕は三上が刑務所で反省して社会復帰するまでの物語なのだろうと観る前は思っていた。
だから、冒頭の刑務所で刑務官に対して三上が「判決を今でも不当だと思っている」という言葉、さらにはお世話になった刑務官への言動の端々から「あ、三上は反省してないんだな」と感じたのだ。
だからこそ、三上がキレるとなんでそうなるんだよと三上に対して思うのだ。
そして、次に違うのは周囲の人々である。
ヤクザと家族では、賢坊は組を抜けても社会の人々から徹底的に煙たがられる。
誰からも手を差し伸べてもらえない。
仲良くしてくれる人もヤクザ時代からの馴染みの面々ばかりである。
対して、すばらしき世界には三上に対して救いの手を差し伸べてくれる人達がいる。
身元引き受け人の夫婦、生活保護を支給している役所の窓口の人、近所の行きつけのスーパーの店長、そして、津乃田。
途中まではこの世界はすばらしい世界だった。
元ヤクザでも関係なく仲良くして、親身になってくれる。
なのに、肝心の三上が聞き入れない。
引き受け人の夫婦や役所の人には甘えて、店長や津乃田の意見で自分の都合の悪いことには耳を貸さない。
これも相まって三上にやきもきするのだ。
考えてみれば不思議な話である。
ヤクザと家族の賢坊は組の抗争でアニキの罪を被ったとはいえ、刑務所に入所し、出所した後もそのままヤクザ稼業を続けようとしていた。
そして、経営が立ち行かなくなり組を抜けて社会に溶け込もうとした。
いわば、自分の意思ではなく周りの状況によって社会に出るのだ。
三上は、妻を庇って突入してきたヤクザものを刀で斬りつけた。元々の事件も三上の方が襲われているのである。
そして、刑期を満了して出てきて今度こそは堅気になろうと社会に出ようとする。
いわば、自分の意思で社会に出ようとしている。
しかし、僕は賢坊を応援して、三上に対して怒りに似た感情を覚える。
見せ方ひとつでここまで変わるとは、映画とは面白いものである。
話を元に戻そう。
兎にも角にも自分達に手を差し伸べてくれる人と衝突を繰り返した三上は福岡のヤクザの兄貴分に連絡してしまう。
ここがターニングポイントだった。
到着した福岡で女将さんから組の実情を知らされて、さらには警察による下稲葉組の検挙、女将さんの諌めもあって完全にヤクザに戻る前になんとか逃げる。
そして、自分が入っていた施設に津乃田と共に行き自分のルーツを探る。
この施設で自分のルーツを探ったことによって完全に更生(というと言い方が多少傲慢だが、ようは堅気になろうという本気度が上がった。)
ここから物語は明るい方へと向かっていく。
就職が決まるのだ。
これによって社会に一歩踏み出すのだ。
その壮行会ともいうべきお祝いの席にて三上は大事なことを教わる。
「辛抱が大事だ。人が辛い目に遭っていても自分のことを第一に考えて逃げろ。逃げる事は悪い事じゃない“勇気ある撤退”とも言える」(要約)
と。
ここまでは真にすばらしい世界だった。
三上が見上げる空は希望に満ち溢れていた。
ここで終われば後味の良い更生することの難しさを描いた作品になっていたのだろう。
実際ここまでは僕も“更生”がテーマだと思っていた。
このすばらしい世界で更生するむずかしさを問うたのだろう。
ヤクザと家族がヤクザの社会復帰に対する問題提起だとしたら、この映画は一つのモデルケースを描いて見せたのではないか。
さて、社会復帰を誓った三上だが、早速試練が訪れる。
職場で暴力が振るわれてる現場を目撃するのだ。
以前の三上ならば、焼肉屋の帰り道のように襲いかかって暴力を振るったかもしれない。
しかし、三上は踏みとどまる。
そばにあったモップを手に取ったが、踏みとどまる。
こういう時に逃げること、見て見ぬ振りをすることが社会復帰への道だと信じて、耐える、カッとなって上がってくる血圧を抑えながら、苦しみながら、血圧を下げる薬を飲みながら、耐える。ひたすらに耐える。
三上は、耐えた。
しかし、そんな三上に第二の試練が襲いかかる。
中で縫い物をしていると先程いじめていた職員が戻ってきていじめられていた人の悪口を言い始めるのだ。
そして、いじめられていた人をおちょくるようなモノマネをして三上に聞くのだ
「似てますよね??」
なんという試練か。(無論職員には試練を与えている意思はないが)
三上は裁ち鋏が目に入りながらグッと堪えて笑顔でこう言う。
「似てますね」
三上は社会に入った。
しかし、その後いじめられていた職員の優しさに触れる。
そして、その嵐の晩だろうか、三上は死ぬ。
自殺か病死か死因は明確には示されない。
三上の死に場所に駆けつけた津乃田達がアパートの前で悲嘆に暮れる中空が映し出されて子供の笑い声が聞こえる。
なるほど、真に“素晴らしき”世界である。
この余韻がとてつもない。
ラスト30分足らずでのタイトルの意味のどんでん返しがとてつもない。
よく邦画の宣伝文句で「ラスト〇〇分のどんでん返しを見逃すな!」というのがあるが、この映画の前ではどんなどんでん返しも霞むのではなかろうかと感じた。
更に宣伝でも上手だなと思うのは、予告編では出所した三上を吉澤と津乃田が取材するという筋のみを出していてメインを三上、吉澤、津乃田、の三人だと思わせていた事。
実際には吉澤はこの話にはほとんど関わらない。
津乃田と三上を出会わせるくらいしか役割がない。
実はこの話の主人公は三上とその周囲の手を差し伸べる人々だったのだ。
その上で、役者陣の演技がとてつもない。
役所広司さんは、まさに人間国宝級。
生まれつき短気な人物を前半で演じきったからこそ、施設でのシーンが映えるし、就職先でじっと耐える姿が胸にくる。
そして、津乃田を演じた太賀さんが役所広司さんと比べても見劣りのしない出来で、最後の最後のシーンは太賀さんの演技で泣いた。
橋爪さん、六角さん、北村さんと周りも手揃い。
特に北村さんはヤクザと家族では若頭を演じながらこちらでは元ヤクザに手を差し伸べる役所の人役を演じていて、その演じ分けの綺麗さ、見事。
ぜひ映画館で見て欲しい傑作だった。
何で人を判断するのか。その判断軸を持っていない自分に気付かされる。
目の前にいるその人は、いかなる人間なのか。
いい人とは? 悪い人とは?
そんなことの判断軸も、自分が持ち合わせていないことを、まざまざと痛感させられる作品だった。
いい、悪いで判断することが、そもそも違うのか。
三上さんを前にして、その過去を知った時、自分はどう振る舞うのか。そんなことを考え続けている。
素晴らしき世界にたどり着く難しさ😱
「満期で出所した者の50%は刑務所に戻ってくる。」ラストの仲野太賀の言葉。
今度こそ、シャバで生きていくと覚悟をするが、すぐにキレる性格が止められない三上(役所)。
ある意味真っ直ぐな三上は、すぐに喧嘩を売り暴力を振るいます。この時点で逮捕されててもおかしくなかった。(また刑務所送り)
多くの人に心配、支えられるが、
我慢が限界に達してヤクザの世界に戻ろうとする三上を止める組の姉さん(キムラ緑子)の言葉。
「空は広いんだよ!」これが素晴らしき世界に繋がってるのかなと思いました。
身元引受け人の弁護士(橋爪功)
「逃げることも自分を守るのに必要!」という言葉も三上の心に刺さったし、自分にも刺さりました。
就職も決まり、教習所にも行けるようになった三上が再出発の歯車が回り出した時に見る夕暮れの広い空に一番星が素晴らしき世界への正に入口だったのかな。
やっと素晴らしき世界の入口が見えてきたところでラストになります。そのラストシーンが複雑な気持ちなりました。これからだったのに。
是非観て欲しいです。役所広司さんの九州弁は見事でした。(長崎出身)
三上にとって素晴らしき世界とは…。
今度こそカタギになるとゆう強い信念の元、不器用だけど真っ直ぐな心が回りを動かしていく。
真っ直ぐすぎるから生きづらいみたいな話があった。ずっと普通に生きている私でも生きづらさを感じるのに、三上はどれだけ窮屈か想像もできない。
梶芽衣子演じる保護観察員の奥さんが歌う《見上げてごらん夜の星を》は涙が止まらなかった。あの歌で少し救われた気がする。
カメラアングルがとても良く、特に大雨の中になびく三上のランニング(?)。あの真っ白なランニングが、暗く冷たい雨の中になびいている様は三上の人生を象徴しているかのように感じた。
最期三上は、どんな気持ちでコスモスをにぎりしめていたんだろう。三上にとって素晴らしき世界は《普通に生きれる世界》だったのかな、と。ビジュアルのコスモスは、観る前後では全く違く見えた。
役所広司は凄みとコミカルを兼ね備えている数少ない存在で、《渇き》や《弧狼の血》でのヤバい存在感を演じたら右に出る者はいないんじゃないかな。日本を代表する映画俳優に違いない。
仲野太賀には面食らった、ますます目が離せない。
しばらく
タイトルなし(ネタバレ)
役所広司が凄いのは当然なんだけどさ。視点が完全に「役所寄り」の映画、かと思いきや、このひとが出所後に一方的に迫害させて「これでいいのか現代社会」っていう話では全然ない、ったことだ。
出所後に「今度こそ、堅気ぞ」と決意した、わりには、このひとは結構やらかす。次々に起こる困難を、罵声と暴力で解決っしようとする、その衝動がなかなか抑えられない。これは、社会に受け入れられないほうが当たり前だ。そもそも彼は自分がかつて犯した殺人を全く反省していない、自分は正義だったと信じている。だから、正義の名のもとにスイッチが入ってしまう自分の衝動を抑えられない。
あれえ? これは、元殺人犯という特殊な人間の話なのか? いや違うんだ、たぶん。現代に生きる人間は、誰もが三上なんだ、たぶん。
この男が社会に受け入れられようともがく姿は「成長物語」にも見える。
この映画は(たぶん原作者の佐木隆三氏を反映したかのような)崖っぷちルポライターの仲野大賀が、もう一人の主人公である。暴力に恐怖して走って逃げる仲野大賀。取材対象との距離の置き方に悩む仲野大賀。感情移入しすぎて傷ついてしまう仲野大賀。これも他人事ではない。
役所広司を取り巻いているのが、仲野大賀と、弁護士の橋爪功、スーパー店長の六角精児、ってメンバーなのが、またいい。「すばらしき世界」というタイトルは、決して反語でも皮肉でもない、かもしれない、と思わせる瞬間が、確かにある。だからこの映画は愛おしい。
素晴らしかった
去年から今年にかけてヤクザ映画を続けて見ているのだけど、とうとう最高傑作が現れた。ヤクザではなくヤクザをやめた男の話なのだけど、本当に素晴らしかった。いい場面がたくさんあったのだけど、自分のルーツをたどって児童養護施設に行って、子どもと一緒にサッカーをしていたら感極まって子どもに抱き着いて泣き出して離れなくなって子どもが困惑するところが特に印象深い。子どもが持つ無垢な魂に触れてたまらなくなってしまったのだろう。オレは普段から子どもと接しているので抱き着いて離れなくなることはないのだけど、そうしたくなる気持ちはとってもよく分かる。
就職が決まってテンションがあがって自転車で走りながら「シャブやってるみたいだ」というのも最高だ。
いい感じで介護の仕事についてこれからというところで死んでしまう。残念だと思う一方、最高の時期に死ぬのはうらやましくもある。大抵の場合、厳しい日常に苛まれてにっちもさっち行かなくなって弱り果てて死ぬ。素晴らしい出来事があった翌朝に死んでいるのが一番だ。
世界が変わって見える
・観終えた後、景色が変わって見えた。映画を観る前より空は広く見えているのか、狭く見えているのか?見ているものは見たいように見ているだけで、勝手に決めていたんだなぁっていう感覚かな、と。
・暴力性を抑えられない事が社会性の欠落の根本として描かれていて、後半に勤めることができた介護施設で差別的な会話シーンで本心を抑えて場に合わせての笑顔で流すっていうシーンが印象的だった。このシーンが正しい行動として描かれているように感じて、それがとても複雑な気持ちになった。
・主人公の三上の入れ墨が完成していないのが初めて観て、何となくリアルだなぁと思った。
・身の回りの人たちが最後まで親切で良かった。
・福岡の知り合いのヤクザの現状の厳しさ感が何となくリアルに感じた。警察が来て三上を逃がそうとしてるシーンでキムラ緑子のセリフが印象深かった。シャバは我慢ばかりで退屈だけど空は広い(だったと思う)
・いいところで終われ!って願って観ていた。
・優しくしよう…っていう気持ちになった。
続きがみたい!
いい映画で前向きになれました。
役所さんが主演だから映画がリアル感満載で厚みが出たし、重い面もあるのにユーモアもあるし見終わるまであっという間、楽しめました。ただラストがあっけなかったので、もう1、2エピソード入れてほしかったな。
脇役の北村有起哉さんがほんとにいてそうな公務員、キムラ緑子さんが絶対いてそうな極道の妻で秀逸。もちろん仲野太賀さんもよかった、この役やれてよかったよかった!!
すこしアレ?と思ったのが長澤まさみちゃん。大好きだから余計に思ったのが、どうしてこの配役?きれいすぎて浮いてる、もっと無名の人のほうがよかったと思いました。
(´ω`)コスモスの禅問答
良かった、、、、。最初、役所演じる刑務所を行き来する三上に苛立ちさえ感じましたが流石にそれだけではありませんでした。
コスモスの禅問答。あの場面がこの映画の核なんでしょうね。きっとそうです。
あそこの場面を視聴者がどう感じるか?なのでしょうね。
三上が娑婆でやっとみつかった仕事が介護職。同じ職場でいじめられていた精神遅滞の青年が台風が来るというのでコスモスを摘んできてしまい三上にあげる場面があります。
三上が台風が来ると言う理由で摘まれたコスモス自体に自分を重ね合わせたのか?
コスモスを摘んだ精神遅滞の青年にシンパシーを感じたのか?
コスモスは果たして摘まれるべきだったか否か?
コスモスを摘んだ青年の行動は素晴らしかったのだろうか?
もしかしたらコスモスは台風に耐えられるかもしれません。逆に摘まれたコスモスはわずかではあるが安全な花瓶で生きながらえることができますがいずれは枯れて死んでしまうでしょう。この青年の無償で粗雑で一直線の愛は素晴らしいものなのか否か。??
精神遅滞の青年は三上と同じ社会の異分子として描かれてます。
捉え方で見方も随分変わります。
三上は素晴らしき世界にたどり着けたのだろうか?
それすらも分かりません。皆さんのレビューを参考にさせていただければと思います。
三上を取材していたライターの青年、とてもいい演技でした。もらい泣きです。
誰も見上げる事のない広い空
何でまた、こんなにも近接するかなぁ。似た様なネタがw あちらは「やたらと画力の高い成人誌の漫画」でイマイチ乗りきれずに終わりましたが、こちらは「一見無責任なオチの小説」的だったけど、こっちの方が好き。
にしてもですよ。予告詐欺です。長澤まさみはチョイ役のチョイ悪役。役所広司と仲野大賀の映画と言いたいところですが、物語はほぼ全編役所広司で埋め尽くされてます。独り舞台と言った方がしっくり来ます。
生まれながらのヤクザはいない。人を暴力に走らすのは人。人が暴力に走るのは人との関わりを忘れてしまう時。的な性善説に帰着するかと思いきや。ヌーベルバーグ的バッドエンドの後に、「雲ひとつ浮かんでいない広い空」に「すばらしき世界」と描いて終わる映画。
西川美和さん、このラストショットを撮りたかったんだろうなぁ、なんて思いつつ。で、んで、ででで。それって、どーゆーこと?
塀の中に居た三上にとって「広い空」は「すばらしき世界」だったのか?それは三上自身が否定します。
「こんな肩身の狭い思いをするくらいなら塀の中の方がマシ」
三上を食い物にしようとする者もいるけれど、三上の身を案じ親身になってくれる者も居る世界は「素晴らしき世界」なのか?そんな単純なもんじゃ無いよね。
「誰もが自分も認めて欲しいし、褒めて欲しい」は、津乃田の言葉。母親に捨てられた事実を認めたくない三上も、自己承認欲求からヤクザの道へと入りますが、徐々に、その暴力性だけが人格を支配して行く。最早、塀の中に戻らなくても良いのなら、衝動を抑える事さえ不要との思考に陥っている。
故郷の施設で母親への想いを吹っ切り、職に就き、衝動を抑える事を覚え、元"内縁"の妻と会う約束をし、「台風から守るために切り取ったコスモス」を自転車の前かごに乗せて、自宅に戻ったところで心臓の発作に倒れる。切り取ったコスモスの命は短い。台風から護るために花を短命化する事は正しいのか。
たった一つの答えの無い世界で、堂々巡りする問いと答え。
「すばらしき世界」は広い空に描かれた文字。誰も見上げる者の無い、広い空。すばらしき世界なんて、どこにも無い。それは、それを見上げる者の心の中にだけ存在し得る、のかも知れない。的な。
逆説的タイトルなのか、問いかけなのか。
この分からなさ具合が、結構好きです。
良かった。かなり好き。
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2/16追記
やっぱり、「すばらしき」の解釈やいかに、になりますよね、この映画w
「ライフ・イズ・ビューティフル」の意味は「どんな状況下でも人生は生きるに値するほど美しい」。これと同じだと思うんです。
「どんな境遇にあっても。どんな生き方をしていても。"世界はすばらしい"と人が感じた時、それは"すばらしき世界"になる」的な。
西川美和さんは、その意図を自分自身で語るなんて野暮なことはしないよねぇ、恐らくはw
最後は青空に吸い込まれるように旅立ちたい
役所広司さんの魅力が存分に引き出された作品です。
脇を固める六角さん、橋爪さんの存在が、最後に「すばらしき世界」と思える作品だと思います。
人生の最後は、あっけなくも最高の人生だと思える生き方は、自分だけでは存在しないんですね。
何なのか、表現は難しいですが、コスモスを抱いて青空に吸い込まれていく、満足した人生の最後だったんだと、念じています。
家庭用血圧計は絶対に必要!
藤井道人監督の『ヤクザと家族』を先に観たためか、ヤクザの世界や幼き頃から孤独だった主人公三上(役所広司)のインパクトが薄く感じてしまった。むしろ、ヤクザの世界よりも生活保護制度の基礎知識(携帯は持っていいとかローンを組めないとか)や刑務所内で医者の診断を受けてなかったこと、運転免許も更新できることなど、色んな裏事情を勉強させてもらった気分。特に“肩身の狭い思い”や“プライド”などによって生活保護を受けたくないという気持ちは現在のコロナ禍にも通ずる問題だ。
「身分帳」なる存在も驚くべきものだったし、考えてみれば三上の一生分の手記でもあるわけだと、死後に残すものとしては貴重な生きざま経歴書でもあるのだ。反社との関わりを断ち切って自立しようとすることの難しさ。資格や経験を生かそうと思っても、そんな仕事すら少ない事実。実際の刑務所内作業を考えてみても、やはり印刷工というのが最も現実的なんだと思う。
映画ではさらに外国人労働者の姿やそれに巣くう半グレの存在、前科者に対する周囲の目なども描き、内なる暴力性、すぐキレる性格はヤクザ世界に共通なのだとあらためて認識させられる。西川監督の繊細さやコメディ調の部分もさりげなく取り入れたり、タイトルの「すばらしい世界」の広い空をエンディングでぶつけてくる大胆さにも脱帽。もちろん役所広司の演技も凄いし、仲野太賀がケンカを目撃して逃げる滑稽さも彼らしさを醸し出していた。ただ、長澤まさみはちょっと似合ってなかったのが残念なところか。
三上は幸せを感じたのだろうか?母親は見つからなかったものの、介護施設の知的障がいを持つアベちゃんから貰ったコスモスの花や「デートしましょ」と電話をくれた元妻の存在。さらには就職祝いに集まってくれた人たちの優しさを味わったんだし、人生の半分以上を刑務所で暮していても一瞬ではあるが幸福感に満ち溢れていたに違いない。これじゃ一般的な孤独死には感じられない。悲しいけど、三上の存在を周囲に知らせ、記憶に残るのだから・・・
〈追記〉
色んな方のレビューの中にタイトルは皮肉なのか?というコメントが散見されます。ここで思い出したのがベトナム戦争を題材にした『グッドモーニング、ベトナム』(1987)。この映画で流れるサッチモの「この素晴らしき世界」は完全に皮肉であります。西川監督も見ているはずだから、ここからとったのかな?
タイトルなし(ネタバレ)
本人が怒りっぽく、降りかかる災難は自業自得かと思わせつつも、その原因は施設など、育ってきた環境のせいもあるのを感じ、現代の色々な問題が感じ取れた作品。最後をああやって締めるのはちょっとつまらなかったな。
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