すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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西川組に結集した最高峰の役者たち
障害者の同僚の優しさに涙が溢れそうになり帰宅する三上(役所広司)に、元嫁から電話がかかってくるところで終われたら清々しかったなぁ。
それでも、彼の死を心から嘆いた人たちがいたことに、僅かながら救いがある。
西川監督は、人物を多面的に描き、社会を鋭い目で見つめながらも、どこか優しさがある。
仲野太賀がこの映画の良心だ。『ダークナイト・ライジング』のジョゼフ=ゴードン・レヴィットのように。
嫌味な人物に見えながら、父親の同郷人に対して過剰なまでの優しさを見せるスーパー店長の六角精児。これまたお役所仕事に見えながら、彼なりに助けてくれようとする真っ直ぐな職員の北村有起哉の二人が光ってたなぁ。
役所広司の凄さは計り知れない。毎回どの作品でもホームランをかっ飛ばす。寡黙な正義の人でありながら、キレると何をしでかすかわからない狂気が宿る。でも実在の人物のように見える。今1番好きな日本俳優。
サントラの民族やJAZZYな雰囲気も、独特でよかったな。
これ、好きだな
メンタル面に問題アリの家内に、朝っぱらから、5年位前の出来事を蒸し返され、涙と怒声と人格否定、いわゆる罵詈雑言の雨あられ。こういうときはひたすら堪えるしかないのですが、今日は僕のメンタルまでやられそうで、「これまずいぞ、何とかしないと」という時に思いついたのがこの映画鑑賞でした。結論から言えば大正解。また、妻と向き合いやり直そうという気になれました。いい映画でした。タイトルにある"すばらしい"は皮肉でも何でもなくて、プラスもマイナスもひっくるめた世の中のこと。"嵐が来る前に、刈り取られたコスモス"を心優しき人に手渡されるまで、僕は家族と共に、この生を謳歌しよう。
(原作未読で映画単体の感想です) ■フジテレビ「ザ・ノンフィクショ...
(原作未読で映画単体の感想です)
■フジテレビ「ザ・ノンフィクション」への強烈な皮肉。
■役所と仲野が素晴らしい。長澤まさみは浮いている。浮いてる存在として描かれているのはわかるが、TVマンとしては綺麗すぎる(笑)
■母親に結局会えなかったのは良かった。現実はそんなもの。
■施設の出来事に対し自分の感情を押し殺した、その直後に命を失ってしまうという切なさ。
■最後のアパート、まさかチンピラ達に待ち伏せされて刺されるようなありがちな結末なのか…と嫌ーな予感がしたけど、違ってましたね
ままならないのが人間
どうしようもなく真っ直ぐな人間を描いていたな。
太賀の演技が良かった。
約束を守るために、生きるために自分を殺して、そして死んじゃう。
自分たちはどうなんだろうかね。
自分を殺してないんだろうか。
空は広いはずなのに、独房で生きてるんじゃなかろうか。
生きるって、大変だね。
88/100
空は広い。
三上が出所したところから始まる。
何となく想像できる範囲だった。塀から外の生きずらい世の中でまっとうに生きたい主人公の三上。何かにカッとする気持ちを抑えられない。元やくざということで働くこともままならないし偏見を持たれる。
でも、偏見はやくざだけではなくて映画に出てきた障害を持った人とか。色々な所で偏見はあるし、それらを乗り越えながら皆生きている。それができる人と出来ない人。がいる。
三上は上手く順応出来ないほうの人間で多分やくざの世界のほうが生きやすかったのかも。でも、やくざの世界もだんだんと肩身が狭くなって生きづらい。見て見ないふりして生きていくことが辛くそれがストレス(心労)になっていった……。三上にとっては生きづらい塀の外(世界)だったのかもしれない。
三上にとっての広い空はあったのか。
生きづらい世界から解き放たれた瞬間。
それこそがすばらしき世界だったのかもしれません。
運転免許を取る場面では可笑しくて笑っちゃいました。役所広司は魅力がありますね。
役所映画。映画好きなら必見。
少しコミカルなところと、凄みのある部分のギャップが
素晴らしい。
三度目の殺人では、三隅だったっけ?
どっちも訳ありの殺人犯。
短気で、攻撃的な、暴力的な性格は、
遺伝子なのか、生活環境なのか?
ただ、同じ環境でも全員ヤクザになるわけでは無い。
つづく
流石の役所広司
役所広司の演技に終始見入ってしまった
刑務所出所後の厳しい現実が突きつけられてもちょっとした小さな幸せを見つけて生きていくハッピーエンドかと思っていたら最後で衝撃を受けた
三上が自殺した後、出所して手に入れたはずの自由な青空に「すばらしき世界」このラストは最高だった
2021/3/4
前科持ちに対して不寛容な社会に対して、『すばらしき世界』という皮肉的なタイトル。考えさせられる映画ではあったのだけれど、その世界の理不尽さを表現するためにラストに持ってきた出来事が短絡的すぎて、シャバイ脚本だなぁと思ってしまった。
純粋で生きるのが下手な三上の人柄に助けたくなる気持ちもわかるけれど、それにしたって周りの人たちが他人に寄り添えるいい人ばっかりなのも気になってしまったし、そんな周りに支えられ社会になじむために障がい者を笑う同僚に同調するのがめちゃくちゃ気持ちが悪かった。
あそこで三上が気付くべきなのは、障がい者の同僚をリンチしたのは「仕事をさぼった事に対して怒った」という理由があったことを知って、自分自身の暴力も理由があったって事と照らし合わせることと、どんな理由があれ暴力はダメだということじゃないのかな…。
後味は「うーむ」って感じにはなってしまったのだけれど、役所広司さん演じる三上の純粋かつ瞬間湯沸かし器的な性格故の緊張感ある感じと、キムラ緑子さんと安田成美さんの凛とした女性感とか、役者さんたちの演技はとっても良かったです。
階層
最後に流れるタイトルコール
「すばらしき世界」
皮肉めいた終幕で、全編通して愚痴のような印象を持った。
「身分帳」という原作から着想を得たらしい。
服役する囚人の経歴をこと細かに記したものだそうな。犯罪を犯した者は区分けされ、その生態を記される。まぁ…それはいい。そういうシステムだ。
異常な事とは思わない。
異常な事をした人なので、本人の為にも周囲の為にも必要なのだろう。
問題なのは「世界」のあり様だ。
鑑賞後、凄く具体的に個人の数だけ世界は存在すると思えた。世界は1つだけれど1つではない。
俺にも、電車で居眠りしてる眼鏡をかけたおじさんにも当たり前のように存在する。
同じ世界に生きてはいるが、同じ世界を見てはいない。
そんな感想を持ったのも、想像だにしない三上の世界に衝撃を受けたからだろう。
役者陣は皆様熱演だった。
役所さんは方言を話しているだけなのに、役所広司ではなく三上に見える程だった。
恫喝する眼差しや、台詞の扱い方…ちょっと今まで見てた役所広司ではないように思える。
素晴らしかった。
彼は出所後、更生の道を模索する。
だが生来の気質がそれを正しいと判断してくれない。メディアにほだされ、その気質を解放した時は水を得た魚のようだった。まさに自分が生きてきた世界に帰ったのであろう。
カメラマンの不在が分かった後は、自分が負かしたチンピラに「おう、立てるかー?飯でも食いにいこやー」と天真爛漫に声をかけてそうだ。
カメラマンは逃げ出す。
違う世界の住人と関わる事を拒絶したのだろうか?
彼を追うディレクター。
彼女にも彼女の住む世界があり、その世界から彼は拒絶されたようにも見えた。
紆余曲折を経て、三上は更生の道を歩き出す。
彼が選んだ世界は、自分を殺す事から始まるようだった。周囲の人間は三上を諭す。
「我慢するのよ」「今までみたいな事しちゃ駄目よ」
至極真っ当な正論である。
だがそれは、ありのままの自分を否定する事と同義で、それを誤魔化す為に「成長」なんて言葉に変換されたりもする。
彼は従い、自らを変革していく。
彼の世界は一変する。
世界自体は変わらない。彼の世界だけが変わるのだ。
そして、遂には自分を殺した。
そうしなければ、三上の選んだ世界は三上を受け入れてはくれないのだ。
同僚に相対し涙したのは、悔しさだろうか?それとも謝罪だろうか?
支援者から就職祝いに貰った自転車をこぐ三上の目はとても穏やかだ。だけど生命力は皆無であった。
かつての溢れんばかりに漲っていた命の荒々しさは、その眼差しに宿る事はない。
そこにかつて愛した女性からの電話。
ささやかな、ホントにささやかな幸せを目前に、三上は死ぬ。
「これからじゃん…三上さん、これからじゃんかよ?」
と、支援者達の声が聞こえてきそうだ。
その直後にタイトルコール
「すばらしき世界」
…絶句。
前科者のヤクザって設定だから、振り幅は多いものの…三上に限った話じゃない。
この世界は、ありのままの自分では生きられないように形成されているのだ。
我慢を根底に、ルールを覚え調和に細心の注意を払う。自分の世界とは、違う世界と折り合いを模索しながら生きていかなくてはならない。
いや、自分の世界を違う世界の価値観に変換し続けなけば生きていけないのだ。
最後に彼は死ぬ。
安堵したような目が印象的だった。
「これでようやく生きていかなくて済む」とか「良かった。死んだようにではなく、ちゃんと死ねる」だろうか?
解き放たれたかのように映し出される空。
三上のようにはなりたくないと思うだろうか?
俺は違うと胸を撫で下ろすのだろうか?
不安に思う事はない。
もう既に、三上の状態にはなってる。
知らず知らずの内に。
自覚が伴わない分だけ幸せなんじゃなかろうか?
これが「すばらしき世界」の詳細なわけだ。
映画館を後にし、個人を鮮明に意識した。
この人にも、あの人にも世界がある。
素晴らしいかどうかは分からないのだけれど、素晴らしいと思いたい世界は、俺と同じような尺度であるんだと考えられた事が、何よりの収穫だった。
この世界は生きづらくあたたかい
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映画『すばらしき世界』
役所広司の演技が好きなので観てきました。
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刑期を終えた主人公が、久しぶりに社会に戻って今度こそはと堅気に生きようとするが、そこは偏見や差別に満ちた世の中で…
誠実で不器用ながらも真っ直ぐに生きる主人公の物語。
「社会で生きること=我慢の連続だ」というセリフがあったように、理不尽や間違っていることに対して、目を背けたり自分に嘘をついたり、逆らうことを諦めたり、休憩時間の誰かの悪口にも同調しないと生き残っていけない。
でも大概の人がそうやって我慢して何かを押し殺しながら生きている。それがいわゆる"普通の人"。そんな世界は、本当にすばらしき世界なのか...。
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物語のラストで、やっと見つけた自分の居場所で起こった障害者に対するいじめ。しかし、自分を押し殺して見て見ぬふりをする主人公。その後、いじめられていた子から貰ったコスモスの花束を握りしめ、そして…
なんか思い出すだけで泣けてくる...
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見終わってから虚無感でしばらく呆然。。
普通って何だろう、正義って、正しさって何だろう。
まっすぐな人間ほど生きづらい世界って何なのか。
タイトルの「すばらしい」の語源を辿ると「みずぼらしい、肩身が狭い」という意味らしい。
このタイトルがこの映画の全てを物語っている。
なんか今の自分に共感できる所が多くて、良い映画だった。
全ての概念を捨て去った先に「多様性」は存在する
いきなり自分語りになってしまうが、私は物心ついた頃には既に「変わり者」と呼ばれていた。20年以上前の話である。個性を肯定する風潮などなく、その言葉は主に嘲りの意味で用いられた。
抑圧されることが日常であり、その経験から「ただ生きるのではなく善く生きる」ことを高校の倫理の授業で教わったその日から己の信条としている。
だから、鑑賞直後はタイトルの意味がわからなかった。
主人公の三上は強い信念を持つ男で、それははっきり「正義」と呼ぶに相応しく、本来は広く世間から賞賛されるべき人物である。しかし、彼は生まれ育った環境の影響から表現手段に乏しかった。暴力や大声以外の自己主張の方法を知らなかった。すると、善良な市民は当然彼を忌避する。三上の表面的な態度からでは彼の善良性を知るのは難しいだろうから、仕方のないことだ。
護りたいのに護れなかった人物から贈られた花を見つめながら独り静かに生涯を閉じた三上に、生への執着は感じられない。彼が求める「まともな人生」「普通の生活」は、正義感が強く情の深い彼にはあまりに理不尽が多かった。世話になった人々には絶対に迷惑をかけたくない。でも、そうするには己の信念を曲げ続けなければならない。なぜなら、穏便な表現手段を知らないから。
そんな彼の死を描いた直後によりによって「すばらしき世界」などというタイトルコールが映るのだから、こちらとしては納得がいかない。表現からしてどうやら皮肉ではないようだし、では一体誰の視点から「すばらしき」などと謳っているのだろう。しばらく考えた。
結論はこうだ。「世界には様々な人間が存在し、それぞれに受け入れ場所がある。それこそが〝すばらしい〟」。
鑑賞中は終始三上に感情移入し、彼が理不尽にぶつかっては憤りを覚えていたが、思えばそんな一見「悪」に見える者達にも彼らなりの信条は持っているはずなのだ。そして、彼らは自身を受け入れてくれる場所で身を寄せあいながら生きている。そこに三上との違いはない。
振り返れば、「居場所」の描写が多かったように思う。バカ騒ぎする若者が集うアパートの一室、極道の屋敷、チームワークを必要とする職場、後見人やかつての恋人の家庭など。素行の悪い者もいる。倫理観に欠ける行動を取る者もいる。しかし、それを「悪」と切り捨てては三上のような人間も生きやすくなる「多様性の受容」は実現しない。多様性とは「全」だからだ。
この結論に辿り着いた時、私は自身の未熟さを恥じた。そして、ただ広く青いだけの空に浮かんだタイトルコールに制作側から人間への温かな目線を感じた。同じ空の下、とはまさにこのことだ。
前述の通り三上に感情移入しまくっていたので印象深いシーンは数え切れないほどあるのだが、特筆するならば育った児童養護施設で三上がかつての職員と歌を口ずさむシーンを挙げたい。するりと幼少のみぎりに時が巻き戻る彼に、津乃田と同じく驚愕し、目を離すことができず、ただただ涙が溢れて止まらなかった。
痩せてもう若くない役所広司
役所広司
仲野太賀
長澤まさみ
安田成美
キムラ緑子
白竜
梶芽衣子
橋爪功
北村有起哉
六角精児
旭川刑務所、東京下町の安アパート、博多
物語全体では、男の一生を語り尽くそうとする気構えは感じられる。もちろんわずか二時間で全てを語りつくすことなんてできやしない。
塀の中と外では、毎日の自分の食いぶちを稼がねばならないことと、刑務所の刑務官によって全ての生活が見張られているわけではないということが異なる。
彼は、少年院から数えて計28年もの歳月を塀の中で過ごしたという設定。母親に捨てられたことが彼の性格に暗い影を落としている。それは刑務所生活で更生できない部分。
劇場で見れて良かったです。
地味ではあるけれど、暴力的な部分、コミカルな部分、ストイックな部分、正義感に火がついてしまう部分など俳優役所広司の魅力が詰まっています。
「普通」という世界の歪さ
視聴前は出所したやくざの更生物語かと思い、鑑賞した。しかし見ていく中でこれは「反社の人間から見た社会の不寛容さ」に焦点があてられたと気づいた。
役所広司演じる三上は13年の刑期を終え、ようやく娑婆に出た元やくざだ。そんな彼は俗にいう「浦島太郎」状態であり捕まる前の価値観でいきなり現代に放り込まれる。しかし彼自身の人間性はとてもまっすぐで純粋だ。ルールにのっとり、規則正しく、それでいて困っている人を見過ごさない。例えば劇中で不良に絡まれているおじさんがいる。手には子供にプレゼントする贈り物を持って。
その光景を見たら普通の人は見て見ぬふりをするだろう。しかしこの三上はそのおじさんを助け、代わりにそのチンピラにお灸をすえる。
また、ゴミ出しを守らない若者に怒鳴り込んだり、自身が生活保護を受けている状況を何とか切り抜けようと必死に努力する。資格を取るために教習所に通ったり家ではコツコツ勉学に励む。決して現状に甘えることなく自立しようとする彼の姿は愚直なまでに真っすぐであり、眩しい。
困っている人がいたら助ける、人には礼儀正しく接する。子供のころには当たり前に教えられてきたことが現代においてどこか他人に対して冷めた対応をすることが「正しい行動」になる。それは一種の機能不全であり正しいことが正しくないこととして求められ、他人と必要以上に接しない空気が社会を覆う。現代社会において三上の真っすぐさがもはやタブーになってしまってるのがなんとも見ていて苦い。
また、この作品は親に見捨てられた被害者としての子供の悲しみの後遺症としても同時に描いている。三上は幼少期母親に見捨てられ親がいないまま育った。そんな彼はぶっきらぼうに周りとぶつかり言葉よりも行動が目立つ。それが親に見捨てられた子供がまるで母親を求めるがごとくもがいているようにも見えるのだ。きっと彼にはそれが他人と接するときの唯一のコミュニケーションの方法なのだと思う。
そんな不器用ながらも必死にもがいていく姿を見た周りの人々は徐々に集まり、支えようと懸命になる。他人を認めて言葉を通い合わせる。面と向かい言葉をかける。それこそがどこか冷めた現代には必要なことであり、それは人と人の間にいつまでも求められるものではないか。
原作のタイトルと映画のタイトルはまるで違う。がそれは最後まで見るとその意味がようやく分かる。どこにも居場所はなかったが、徐々に周りの理解者を得た彼が最後に見た風景は何だろうか。
持病をこらえながら周りに合わせて感情をなくしていく彼を見ていくときにやはりこの最後は彼にとっては救いだったのではないだろうかと思わずにはいられない。
殺人の罪で13年間、旭川刑務所に服役してきた三上正夫(役所広司)。...
殺人の罪で13年間、旭川刑務所に服役してきた三上正夫(役所広司)。
懲役10年の判決だったが、刑務所内での問題行動により、服役期間が延びたのだった。
身元引受人は東京の弁護士の庄司(橋爪功)。
幼い頃、生き別れた母親の行方を知りたかった三上は、その捜索を助けてもらいたく、刑務所内で書き写した「身分帳」をテレビ局に送付していた。
それに目をとめたのが女性プロデューサーの吉澤(長澤まさみ)で、彼女は「身分帳」を、映像ディレクターの津乃田(仲野太賀)に渡して、三上の取材をすることを企画する。
小説家に転向を考えていた津乃田だったが、元殺人犯への取材ということで乗り気になり、三上に向けてカメラを回すことになった・・・
というところからはじまる物語で、このように書くと、なんともヘヴィな社会派映画を連想するが、映画自体から受ける印象はそれほど重くはない。
(といって、かなり重いテーマが含まれているのですが)
映画自体を重苦しさから救っているのが、役所広司演じる三上のキャラクター。
4歳で母親に捨てられ、14歳でヤクザの組に出入りするようになり、すぐさま少年院に収監。
その後、何度も塀の中で過ごし、人生の大半がムショ暮らしだった三上は、
「真っ直ぐ」で「曲がったことが嫌い」、「思いやりもある」が「癇癪持ち」、つまり、裏表のない性格。
たしかに、怖いことは怖いが、どことなく人好きのする憎めない性格でもある。
このキャラクター、かつて観たような・・・
そう、車寅次郎、寅さんだ。
そうみると、周囲の人物配置も『男はつらいよ』に似ている。
身元引受人の弁護士夫婦(妻役は梶芽衣子)は、団子屋・くるまやのオイちゃん、オバちゃん。
映像ディレクターとしての正念場のいざという時に逃げてしまう津乃田は、甥の満男(彼は、寅さんとは表裏の関係で、その内面は実はよく似ている)。
口喧嘩のような言い争いまでして親身になってくれるスーパー店長(六角精児)は、タコ社長。
役所のソーシャルワーカー(北村有起哉)は、公的立場であるので御前様。
そして結ばれることのない永遠のヒロイン妹・さくらは、別れた妻(安田成美)といった具合。
(念の入ったことに、寅さんの母親と同様、三上を棄てた母親も、元芸者!)
三上をとりまくひとびとは親身になって、彼が堅気になることを願っている。
しかしながら、世間はそれほどやさしくない。
元ヤクザ、元殺人犯を簡単に認め、赦すようにはできていない。
まさに、三上はつらいよ、である。
そんな優しいひとびとがいても、生きづらい三上は、世間から逃げ出してしまう。
もと居た世界、兄弟分(白竜)を頼って九州へ逃げてしまう。
(とらやで喧嘩した寅さんが、旅の空へ戻っていくのと似ている)
けれども、元の世界はもっと生きづらい。
姐さん(キムラ緑子)が言う台詞が、この映画の肝だろう。
「世間で生きていくのは我慢の連続だ。けど、空は広く見えるっていうよ。それを、ふいにするのかい」と。
ここで、三上は、生きづらい世間へ戻っていく。
我慢の連続、逃げるのも恥ずかしいことじゃない、自分のいちばん大事なところだけを曲げなければいいんだ、と諭されて。
介護施設でのパートタイム仕事を得た三上は、その現場で嫌なものをみてしまう。
施設で働く知的障がいの若者を、施設の正職員が詰っているのを。
若者に非はあるが、若者の行為をなじるのではなく、彼の存在を哂う世間を・・・
その哂いの底では、自分と同じ立場の者をわらっているのを知りながら、黙ってこらえ、自分自身を欺いてしまう・・・
自分を欺いてまで、この世間で生きているのだろうか?
自分を欺て生きているこの世界は、「すばらしき世界」なのだろうか?
その言葉を掲げるように、映画は「広く見える空」を写して出して終わります。
「すばらしき世界」、映画のタイトルは願いなのだろう、と感じました。
”普通”って何だろう?と考えさせられました
映画らしい映画だと思いました。こういう作品をもっと見たいな〜って。
僕は歌にせよ絵画にせよ映画にせよ、芸術とかアートとかに分類されるものは社会批判や政治批判、問題提起などと親和性が高いと思っています。
ジョン・レノンは国境のない世界を歌いましたし、パブロ・ピカソは戦争の悲惨さを描きました。映画でも、アメリカン・ニューシネマは“ベトナム戦争に邁進する政治に対する(中略)反体制的な人間の心情を綴った映画作品群、およびその反戦ムーブメント”(Wikipediaより抜粋)で、『真夜中のカーボーイ』『ダーティハリー』『時計仕掛けのオレンジ』などたくさんの名作が生まれました。日本なら大島渚監督などが作品を通して社会や政治を痛烈に批判しました。
僕はこれらの作品が好きなので、何らかの思想や問題提起のある映画こそ映画らしいと感じます。写真とか絵画とかでもそうなんですが、美しいものを美しいと描くのではなく、美しさの中にある狂気を描くとか、ドブネズミのもつ美しさを見出すとか、そういう気づきがもらえたり考えさせられたりするような作品が大好物です。
で、この『すばらしき世界』は、前科者が社会復帰をすることやヤクザが足を洗うことの難しさや、“普通”の人の正義への疑問が、批判的な目で描かれています。こういう映画がちゃんと作られて(制作費がついて)もっとたくさんの人に観られ評価されるようになると良いですね。
この物語の主人公は、元ヤクザの三上という男です。殺人による13年の刑期を終えて塀の外に出てきます。彼の望みはカタギになること。普通の仕事をして普通の生活がしたい。ただそれだけです。
ですが社会はそれを許してはくれません。
まず仕事が見つかりません。健康状態が悪い上に、刑務所で習った剣道の防具を作る技術は需要がありません。そこで運転手の仕事をしようとしますが、13年の間に免許証は失効しており、ブランクが長いので運転免許試験に合格することもできません。
それに彼には大きな欠点があります。本当は優しい男なのですが、曲がったことが嫌いで放っておけず、すぐにケンカを始めてしまいます。彼にできることはケンカだけなのです。しかも一度スイッチが入ると自分で歯止めがかけられず、やりすぎてしまいます。
そのため徐々に打ち手がなくなっていき、ついには応援してくれている人たちとも口論になったりして、孤立してしまいます。
そして追い詰められた三上は、とうとう九州の兄弟分に連絡をします。やはり元ヤクザはヤクザに戻るしかないのでしょうか。
しかし九州に行って目にしたのはヤクザの現実です。本当はカタギになりたいと思っているのになれなくて、仕方なくヤクザをやっている人間が、たくさんいるのだと分かります。
兄弟分のピンチに駆けつけようとしたところを、兄弟分の妻に止められ、何とかヤクザに戻らずに済んで、三上は東京に戻ります。
東京に戻ると、ケースワーカーが介護施設の仕事を紹介してくれます。パートタイムですが、ようやく働き口が見つかり、友人たちがパーティーで祝福してくれます。
その場で三上は揉め事を起こさないことを誓うのですが、友人たちのアドバイスが「私たちもっといい加減に生きてるのよ」「逃げることは敗北ではない」「逃げてこそ、また次に挑めるんだ」といったものです。
そして三上が働きだした介護施設で、健常者の職員が障害を持つ職員を差別している現場に居合わせますが、三上は怒りを抑えて何とかこらえます。
果たして三上がこらえたのは正しかったのでしょうか。”普通”の人たちが三上にした「逃げろ」「いい加減になれ」というアドバイスは正しいのでしょうか。
それが正しいのだとしたら、何か嫌だなと僕は思いました。
最後は、仕事も見つかり、友人たちには祝ってもらえて、元妻からも連絡があり──三上は世の中捨てたもんじゃないと実感することができたことでしょう。多くの観客たちもそう思ったと思います。「だから『すばらしき世界』っていうタイトルなんだ」って。
しかし何か嫌だなという気持ちも残っています。「世の中捨てたもんじゃない」と思える一面もありながら、同時に「世の中これでいいのか?」と思ってしまう二面性があるのがこの映画の魅力じゃないかと思います。
人生の免許試験は一発勝負。
議論そのものの映画でした。
原作は古いみたいだけど今時こそ映画として蘇る意味があると感じた...色々考えさせられた、監督に感謝。
最初は、単純に刑期を終えた男が社会のマイノリティとして受け入れられない話だと思ったが、
それ以上だった。
色んな人が男に手を差し伸べた。
その中、焦点はテレビ関係者の人に当てられた。
長澤まさみの演じる吉澤さんは言った。
今の社会は生きづらい。
レールから外れた人はもちろん、レールの上にいる人も同じだ。
...
と。
彼女は結局は「口だけが上手い」と後ほど分かったが、
彼女の口によって出された課題は嘘ではない。
むしろもう一人の、津野田くんの行為がモノを言う。
彼はあの血まみれの決闘場から逃げた。
これこそレールにいる人間の正しい反応かもしれない。
三上の就職祝いの時も、レールの上の人たちが、「我慢」、「逃げる」ことはレールを踏み外さない生き方だと三上に伝授したのだ。
だが、この映画はここまで止まらなくて良かった。
これで終わったら単純な平凡作だとさえ思った。
レールから外れないよう、よく我慢できたが、
三上は死んだ。
彼は介護施設の虐められた男の子を助けなかった。
我慢我慢の挙句、彼は男の子からもらったコスモスを手に、嵐の夜で死んだ。
この悲劇をもって作者は最大の議題を観客に投げたのだ。
三上のような、素直で感情にムレがある人間はどうやって生きていけばよかっただろう。
どうすればレールから外れることなく、幸せに生きていけるだろう。
そもそも、吉澤の言ってたレールは一体何?
福岡のヤクザたちは結局警察に捕まったが、その人たちが三上を逃してお金まで渡したことから、完全な悪い人間でもない。
介護施設のスタッフにいじめ事件があった。病人に優しいのに、本当は心が腐ってる男の子がいた。彼はその一面を隠しただけだ。
けど、世の中は、レールを「外れた人間」と「外れてない人間」しかいない。
刑務所、福祉課、コミュニティ、他人の救い手さえ、結局完全な「正」の味方にならない。むしろその二分法に拍車をかけたかもしれない。
それに反して、特には、三上はアイデンティティなしのヒーローに見えた。
彼は十何年も変わらず古い社会のやり方を引き継いだ。
彼はは犯罪者だったが、
正義感で暴力を振るいながら、裁縫や片付けが得意で人付き合いが不器用というギャップを持ってる。
途中の生活シーンも可愛かった。
(この辺監督がとてもうまく...
繊細な表現が人間味のある主人公を作り上げた。こんな主人公こそ、観客の目を惹きつけ、さらに大きな批判的な議題と繋いだ気がする。
免許試験場のシーンも笑えた。
彼が刑務所にいる間、免許の期限が切れた。
人生で行き詰まったため、もう一度撮ろうとした。
それで再び勉強して、暖かい友人達の見守りの下で、試験官の目の下で、何回ものの試行錯誤をへて、「ルール」を勉強し守り、ようやく合格した。
この「免許を撮る道」が最大のメタファーであれば、
私たちの勉強力、賢明に生きる力、もう最高なんじゃないか?...互いに助け合い、共に生きていくための暖かい片隅を持ち....この片隅から見上げた空がもう十分広くて素晴らしいじゃないか?
と言いつつ、最後まで見て、何故か寂しい気持ちになった。この社会に...負けたような気持ちにもなった。
人との距離感
人との関係の結び方、距離感は正解などない。みんな悩む。ましてや、一般社会に組み込まれないハンディを背負った人にとっては、普通の人間関係を作ることや社会に参加することが、越えられそうもない高い壁に見えるだろう。
社会で生きていく事の厳しさを、人と人の間に流れる優しさを、強烈に感じた映画だった。最後の方は、本当に心からこのまま静かに終わって欲しいと思いながら観ていた。
あっという間の2時間
映画の主人公。
カッとなるとみさかいつかなくなる主人公。
その人間らしさにグッときました。
主人公に心配して助言しても、キレられ。
でも、主人公は自分のためをおもって発言してくれる人の想いを吸収する素直さ。
今の世の中に、相手の言う事をきちんと理解してくれる人っているんだろうか?考えさせられる映画でした。
世の中は、無関心の人が多すぎて。生きているのも辛い毎日だったけど少しだけ希望がもてる映画だとおもいます。
ただ最後は、生きていてほしかったな。
みんな適当に生きている
当時者でもない限り気にもされない社会の問題を
三上という男を通して笑いも入れつつ温かみも感じる
素敵な作品になっていました
いや社会問題って気にされないから解決しないんですよね
みんなが本気になってくれたら問題になるまでもないんですよね
素直で真面目な人間には生きづらい世界
みんな適当に生きているというありふれた言葉が重かったです
嘘がなく不器用で生い立ちが複雑で
おまけに前科持ちの三上にとって
この世界で生きていくには圧倒的弱者になる
それでも腐らず自立するため諦めない姿に
応援してくれる温かい人間がいるのもまたこの世界
最後に施設員として働き始め、
弱きものを助けるという三上の絶対的正義を
押し殺して感情を殺して社会に順応しようとする姿に
やり場のない怒り悲しみがこみ上げてきました
世界が適当に回っているだけなのに
三上のような人間がいちいち正義をみせるから
すばらしき世界が存在するんだと思いました。
あと役所広司さんが三上でよかった、、
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