すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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不寛容な現代社会の生きづらさとホームドラマ
1 刑務所から13年ぶりに一般社会に復帰した男が、人との係わりの中で社会に溶け込み自己再生を図ろうとする話。
2 男の性格やこれまでの人生は、出所後の暮らしの描写やある協力を求められたマスコミの青年が行うインタビューを通じ、次第に明らかになってくる。前半のいくつかのシ−ンでは、ヤクザと刑務所の狭い世界のみで生きてきた男と一般社会との不適合ぶりが時にはユ−モラスに感じ、短絡で狂気じみた行動には恐怖を感じた。
3 中盤から後半にかけて、男が社会のレ−ルに乗れるのかそれとも外れてしまうのか紙一重の中で進んでいく。養護施設辺りの幸福感に満ちたシ−ンや介護施設でのギクッとするショットが折り重なる中、嵐の夜に・・・。
4 西川の演出は丁寧な作りで緩める所と締める所が適宜あったが、いくつかの点で不満を感じた。劇中、不寛容な現代社会の生きづらさは、前半のいくつかのシ−ンで見せ、また身元保証人夫妻やケースワーカに語らせた。そこは説得力があった。主人公に力を貸した人々が、中盤ごろ、心無い言葉で罵倒されても見捨てることなく見守った姿には一時の救いを感じた。その一方、「現実社会ではそうはならないだろう」とも思った。ましてや、就職祝いで集まって自転車を贈るというほのぼのしたホ−ムドラマのようなシ−ンには違和感を感じた。リアリズムに徹するとセミドキュメンタリとなってしまうが、後半の展開には、西川の願いかもしれないが、甘さが感じられた。また、映画の終わり方としては、嵐の夜に帰宅した所でエンドにしても良かった。翌朝のシ−ンまで引っ張らなくても良かったと思う。九州の親分さんの女将さんの対応にも都合が良すぎるように感じた。
5 主人公の役所は善悪幅広く演じて安定していた。力を貸した人々、スーパー店主・六角の善良さやケースワーカ・北村の実直、TV制作マン・仲野の一途、身元保証人・橋爪と梶の親身な対応は、見ていてウルッときた。
6 また、テレビ局の傲慢な番組作りや外国人労働者、介護の現場での実相、身分帳なるものの存在に小出しながら光を当てていた。
津乃田は必要だったのか
吉澤の扱いが中途半端に感じた。津乃田との考え方の違いが描かれるのかと思いきや、後半はほとんど登場せず、どういう役割だったのかいまいちわからない。
そもそも津乃田というキャラクターも必要があったのか疑問。津乃田自身の物語は薄いし、三上と社会とのかかわりを描くにあたって、かかわり方が異質で異物感がある。こういう作り手の目線に近いキャラクターを出すことなしに、観客を津乃田の目線に置く必要があったのではないだろうか。
三上の物語も、格別丁寧に描かれているとは思わなかった。津乃田の立ち位置が異質なので、津乃田と三上が言い争ってもそれはエピソードにはならず、単に台詞で説明している感じがする。喧嘩の場面の嘘くささも気になった。
本編の"長澤まさみ的な人間"への問題提起。
女性監督と聞いて驚きを隠せない極めて男性的な社会派映画である。
はじめに、ここ数年見た邦画の中で間違いなくトップクラスの質量と品質だったと述べさせて頂きたい。ただ蛇足を感じたので本評価とした。
普段生活していて気付く方は気付く違和感をクローズアップしたドキュメンタリーだ。
役所の生き方を追うものであるが、その周りの関係者が私達身の回りの社会をリアルに表現できている。
特にディレクター(長澤まさみ)だ。彼女の振る舞いに問題を感じるか感じないかでこの作品への想いは変わってくるだろう。あなたは長澤的な振る舞いをしていないだろうか。
是非、本編をご覧になられた後、心を澄ませ自分の社会における立ち位置をご確認頂きたいものだ。
役所広司をはじめ、出演された方々全ての演技力には脱帽する。
(アイドルや無駄な演出を加えたがる邦画の残念な部分を取り除けたことにも)
男性的な映画と云うのは一般的に男性に好まれるとされる演出が多いためである。
一部内容を覆うとはいえ、濡れ場シーンで述べられた内容は本テーマから逸れ導入した理由に混乱する。
導入といった観点から
「アクション、笑い、泣き、濡れ場、社会問題」
と詰め込み過ぎが若干感じられた。
最後も実に蛇足を感じた。
批判的な意見を全面に述べたい訳でもなく、実に素晴らしい社会派の作品だとお伝えしたい。
短気は損気
子どもが大人になるまでの成長の話
すばらしい作品でした。
反社会的勢力にいた男が刑務所から出ても真っ当な人生を歩むのは難しい。
いくら反省して罪を償ったとしても、社会が受け入れてくれない。
仕事につくこと生活保護からの脱却、レールに沿った生き方をするのがいかに困難か切実に訴えていましたね。
前半は少しコメディ風でこのまま続いたら駄作になるだろうと思いましたが、中盤からしっかりとトーンを落としてシリアスになり、作品の伝えたいメッセージがズシズシと心に響きました。
中野太賀の正論ばかりの意気地なし野郎
北村有起哉の頭の固い役所職員
六角精児の意地悪そうな店長
どれもむかつきました、そして上手でした。
何より味方になってくれてからはめちゃくちゃいい人達、演技の使い分けか脚本の技か豹変するのではなく自然に打ち解ける感じがよかったです。
人は見かけによらないのですね、深く知りもしないのに互いに嫌なレッテルを張り合っている。
自分もそうなってはいないかとハッとさせられた。偏見はよくないですね。
よくぞ入れたと思ったシーン
終盤の介護施設でのモノマネシーン、あれは今の映画じゃなかなか見れないと思う。
そして主人公の「似てますね」の作り笑い。
耐える事を覚え大人になったと共に元の率直さや正直な少年の心を殺した瞬間でとても心を揺さぶられました。
「そんな生き方するくらいな、死んでけっこう」とまで言った男の成長と落胆、とってもいい表情と場面です。
この作品を通して、日本はレールから外れた人に厳しいが救いを一応用意している。
もし自分がレールから逸れてしまっても希望があるのだと教えてもらえました。
「ヤクザと家族」でもいかに社会復帰が大変か、生き方を変えるのが辛いかを映し出していたが本作も負けず劣らず厳しさと救いがあるいい映画でした。
主人公と役所職員のやりとりを見ていてなんか既視感があるなと思っていたのだが
想田和弘監督のドキュメンタリー「精神」か「精神0」のどちらかのラストに出てくるスクーターのおっちゃんだ。
全然似てないのだけれど、多分あのおっちゃんはこの物語の主人公と似た立場なのではないかと勝手に想像してしまった。
気になる方は「精神」「精神0」をご覧ください、とっても興味深く楽しい作品です。
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劇中セリフより
「空が広いらしいですよ」
広い空を見るために私たちは窮屈なルールに縛られている。
でもその空を見る価値は確かに有る。
うーーん
娑婆は我慢の連続ですよ。でも、空は広いち言います。
原作既読。予告編はややキャッチ―すぎる印象があった。しかし本編は、硬派で無味乾燥気味のあの小説から、主人公の人物像をみごとに立ちあげている。前半、監督の得意とする"感情を振り回す"技が弱いな、と感じていた。いや、案じていた。これじゃ物足りない、と。
しかし。後半、みごとにやられますよ、いつものように。それも、怒鳴ったり、泣きじゃくったりとかのシーンじゃなく、三上の人が変わったような優しいまなざしを目の前にした瞬間に、ぼろっと。人は変われるのだ、と。いや、そもそも思い込みで人を仕分けしちゃいかんのだ、と。もともと真っすぐな人だったじゃないか、ただ筋を曲げることが嫌だっただけだ、と。そして、そんな三上がようやくそのコツをつかんだ矢先・・・。そう原作でもそうだったわ、忘れていた。そうか、津乃田は佐木隆三か。ある意味、この映画は佐木隆三へのレクイエムだ。
愚痴をこぼすのは簡単。世の中、温かい人はちゃんといるよ。だけど、相変わらず冷たい人だってどこにでもいるよ。大事なのは、自分自身の態度次第。それで自分の周りをどうにだってできるよ、世知辛い世間にだって、"すばらしき世界"にだって。
普通とはなにか
ハッピーではないがバッドエンドではない。
役所広司の演じる主人公は決して良い人とは言えない。短気で粗暴で喧嘩っ早く、キレると見境がない。しかし出所後、周りの人に助けられて真面目に生き始める。そこで死んで映画は終わる。悲しい終わり方だけれども主人公が真っ当な人間になってから亡くなるのはバッドエンドではないと思った。中途半端に描かれた線だけの刺青は主人公の辛い半生(親に捨てられヤクザになるしかなかった)を象徴しているようだ。
印象的なシーンが多い。「孤児院で園歌をおばあさんと一緒に口ずさむ」「孤児院でサッカーをして子どもにすがって泣く」「雨に濡れ続けるランニングシャツと風になびくカーテン」
考えてみれば脳卒中(おそらく)で死ぬことは映画の初めから予想できるように伏線がある。物語の中で何度も発作(?)が起こり、病状が悪くなっていることが分かる。最後、花を握ったまま死ぬというのはこの映画のテーマを表しているように思う。役所広司の演技は素晴らしい。実際の三上さんはどんな人だっただろう、役所広司の演じた三上と似ているだろうか。
隣の席のおじさんが声をあげて泣いていた。僕も少し泣いた。エンドロールが終わり、照明が点いてもしばらく誰も立ち上がらなかった。
今日、思い出してまた泣いた。
社会に溶け込む事の意味
二回目の鑑賞
この原作の映像化、その心境が分かる気でいる。反社でも半グレでも無い人間も、“彼は私だ”との思いで、心握りしめられたカットが幾多あるだろう。その切り取る視点のセンスに惚れ込んで以来、西川美和監督の新作を待ち侘びながら日々を過ごしているとは、決して過言では無い思いだ。時代に即した、社会の片隅で人知れず耐える生活者の心理を投影した、「映画だから問いかけられる人の葛藤と温もり」を、絶えず根底に宿した仕事に共感を重ねてきたからだ。今作でも、都市に内在する新旧の価値観と普遍性、淘汰する事だけで正常は測れない社会の真相。意図的に差込まれるスカイツリーと東京タワーの対比には、その様な心理も掻き立てられる。外の“空は広い”と言う…重ねる辛抱こそ堅気の条件とも人は言う。彼は、最後に耐え抜き、触れた優しさに涙し、希望を抱いた。社会への順応と約束を胸に、嵐を楽しむ筈だった。やがて、心身は耐え切れず八切れとなり嵐は去った… この一連の描写に、社会の一端が濃く注ぎ込まれていると受け止めた。あぁそれでも…無頼で愚直な人生の最期の幕切れには、側で悲しみ俯く人間達が囲んでいた。
介護士の芝居がリアルすぎて…
いつの時代もマイノリティの援護や擁護をする映画があり、それは映画の一つの役割だと思う。LGBTや障害者に焦点を当てた映画も数多く作られてきた。この映画の三上という男もマイノリティには違いないが、彼の場合、殺人という罪を犯しており、手放しで擁護していい相手とは言えない。
それなら劇中で三上が社会から妻弾かれる様は、全て自己責任で妥当であると片付けていいのかというと、、、
社会で生きていくには、矛盾に気付かないフリをするような小器用さが必要で、三上はそれに抗う。三上が小器用な人間に向ける軽蔑の目は、自分たち観客の心をえぐってくる。
でも、小器用に生きることは悪いことじゃない。ただ、その大多数の小器用な人間の枠から外れた人はどこで幸せになれば良いのだろう。
映画を値段以上に楽しむコツは、120分を終えた後も、頭と心で吟味し尽くすことにあると思います。
役所広司、最高でした。。
【希望のある世界】
この作品は、佐木隆三さんの「身分帳」が原作で、三上正夫の人物像など原作のイメージ通りだが、ストーリーは結構異なるし、補遺の「行路病死人」の要素も加えた物語となっている。
そして、この身分帳には実際のモデルがいる。
西川美和さんが、この文庫「身分帳」の復刊にあたり寄稿を寄せ、このモデルの方が存命の頃、ドラマ化の話が出たことがあって、佐木さんが、俳優は誰がいいかと聞いたら、高倉健さんと答えたらしいと、そのエピソードを紹介していた。
そして、今回の映画化で、高倉健さんも既に亡くなっているが、西川美和さんは、役所広司さんという随一のキャスティングをしたと胸を張っていた。
今回の作品は、西川美和さんの「ゆれる」や「永い言い訳」が、僕の心の闇や弱さを、キュッとつまみ出すような感覚を覚えたのに対して、アウトサイダーに対して社会がどう向き合うのかを考えさせられる。
(以下、ネタバレ)
物語は、出所後の三上正夫が、自分の置かれた生活保護を受けているという惨めな気持ちや、なかなか入り込めない社会システム・好奇の目に対する怒り、弱者に寄り添おうとする正義から生まれる暴力で解決しようとする衝動と向き合いながら、周囲の協力を徐々に取り付け、社会に溶け込んでいく様が描かれる。
ヤクザ稼業の衰退を目の当たりにし、自分の選択肢が如何に少ないのかを感じ取ったり、幼少期の辛い思い出に触れ泣き崩れたりする様子も、内面の微妙な変化をよく伝えていると思うし、ライターの津乃田と、スーパー店長の松本、ケースワーカー井口との交流が三上正夫の背中を押す様は、胸が熱くなる。
そして、介護施設で疎外されたり、イジメにあっている同僚が、忍耐強く、前を向こうとする姿勢は、三上正夫の生きる最大のヒントになったはずだ。
コスモスの花束。
久美子からの電話。
三上正夫は確信したはずだ。
自分もやっていけると。
帰路、雨の中、一生懸命漕ぐ自転車のペダル。
エンディングは悲しい。
だが、三上が未来を見ながら、こときれたのだとしたら、それは救いだ。
三上正夫の見たのが、「すばらしき世界」だったことを願わずにはいられない。
このモデルになった方も、故郷の福岡に帰ったものの、アパートで病死している。
自然死、孤独死だった。
欧州の一部の国では、再犯を防ぐ目的もあって、収監中の服役者を、完全に塀の中に閉じ込めるのではなく、日中は、受け入れてくれる施設や会社で働く機会を予め与え、社会復帰をスムーズにすることと、社会の側にも出所した人間を受け入れやすくさせるという試みがポピュラーになってきているという話を聞いたことがある。
日本でも小規模だが試みられているはずだ。
暴対法の適用が厳格になったことを考えると、アウトサイダーの更生の方法にも柔軟性や多様性が確保されるべきだと思うし、行政の側が出所後の生活が成り立つようにより積極的に関わる必要性があるのではないかと考える。
そして、それこそ再犯の減少に繋がるのではないか。
アウトサイダーの社会復帰が容易になるのではないのかと思ったりする。
西川美和さんは、「身分帳」で「山川一」だった主人公を「三上正夫」とした動機も語っていた。
もし、興味のある人は、復刊した原作も読んでみて下さい。
六角精児の凄さについて考えてみた
高倉健に見えました。
愛すべき存在、三上正夫
本作は今の社会を炙り出した傑作。
三上正夫、彼は幸せなのか、不幸なのか。。
三上の生い立ちは不幸である。結局母にも会えぬままだった。人生のほとんどを刑務所の中で過ごし、まともに社会で生きたことがない人がやっと、やっとまともに生活できそうになったところのラスト。
ーーシャバは我慢の連続よ
社会は不条理で溢れている。長澤まさみ演じるテレビ局社員、介護施設の職員、あぁいう嫌な奴いるいる、あるある。
劇中の言葉通り、シャバは我慢の連続である。
そしてレールに乗って生きている人もたいして幸せでわない。だから皆んな適当に流して、そこそこ適当に生きているのだ。
私生児として生まれ母親とは生き別れ、施設で育ったという三上。本作では「愛着障害」についても触れられている。
三上正夫は優しくて真っ直ぐでいい奴。なのに暴力性、カッとなっるとすぐに手が出るなどの性質の二面性を持ち合わせている。
この悪い部分は幼い頃の環境が要因であるようなことが劇中でも出てくる。
三上も「愛着障害」によって社会にうまく適応できなかった一人であるのだ。
この世は三上のような男には生きづらすぎる、むしろ刑務所の中の生活の方が性に合っていたのかもしれない。
だけど、世の中悪いことばかりでもなく三上の人懐っこさや憎めない性格に周りの人は気付き、手を差し伸べる。
社会の不条理と矛盾とほんの少しの人々の優しさで成り立っているということを描いた作品である。
それにしてもキャスト陣が実力派ばかりだ。役所広司はもちろんのこと、伊藤太賀の演技が素晴らしかった。お風呂のシーン、あれは泣ける。
そして現在公開中の『ヤクザと家族』にヤクザとして出演中の北村有起哉、今回は反社を拒絶する役所の職員として演じていることにちょっと笑ってしまった。
劇中曲が不要
西川美和版「時計じかけのオレンジ」
福井コロナシネマワールドにて観賞。 今回、まさかの映画館一人占めで...
福井コロナシネマワールドにて観賞。
今回、まさかの映画館一人占めで大変贅沢な思いをしたのですが。
ここは、シネコンながら、儲からなそうな良作も上映してくれて、本当にありがたい。
福井に自称映画好きが何人いるか知らんが、何しとんねん。
西川監督ってだけで、とりあえず観に行けよ!
あとはネタばれ含みます。
主人公が周りの助けを受けて更正していく流れに、こいつは絶対裏切る(映画的にも)、とスキャンダラスな展開を期待している自分がいた。結局、私の凡庸な期待は裏切られるのだが。
最後、きっと彼は幸せを感じて…と思ったとき、歎異抄の「善人なおもて~」が頭に浮かんだ。
そして彼の社会復帰を手伝った人たちもまた、自分の中の悪や弱さを知っている人たちなのではと。
これは映画の中の世界で、現実は…と思ってしまうが、その現実を作っているのは、私を含めた一人一人なんだと。
同時期に上映中の「ヤクザと家族」と、多くの共通点がありながら、これほど観後感が違うとは。
監督の一作一作にかける情熱、力量を感じた。
私の場合、期待して観に行くと、たいてい失敗するのだけれど、西川監督の作品に期待するなと言うのが無理な話で、なおかつ、いつも期待を裏切らない。
次も楽しみだが、何年後か…
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