「頭で考える自分と心で考える自分」私の知らないわたしの素顔 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
頭で考える自分と心で考える自分
主人公クレールは大学で女性の自立や、先駆者的な女性、女性の権利のため戦った女性などを教えているフェミニストだ。
頭ではそれがいいと思っているし、自分はそういう人間だと思っていることだろう。
一方で、過去の出来事による若さに対する強い恐れと憧れを抱いてもいる。
頭で考える理想が、冒頭からクレールと対話をしている女医さんで、心で考える理想がクレールがクララとして使った若く魅力的な姪カティアなのだ。
女医さんは自分でキャリアを積み今の仕事をしている。カティアには若さがある。その両方を手に入れることは不可能ではないが、若くしてキャリアを積むことは非常に困難だ。
頭で考える女医さんへの道を心が阻害する。本当の私がなりたいものは孤独な自立した女性ではなく愛されたい女性なのだと。
それが本作の内容であり、原題と英題は違うが邦題の「私の知らないわたしの素顔」ということになる。
物語前半こそアレックスとの関係が上手くいき活力がみなぎってくるクレールの姿に応援する気持ちが芽生えるものの、中盤以降はのめり込み過ぎるクレールに恐怖に近いものを感じ始める。
精神科のカウンセリングを受けていることも不穏な影を落とす。
シリアスなラブロマンスからサスペンスへ、そして、スリラーに近いものにまで姿を変えていく展開はなかなか面白かった。
一瞬とはいえ陽気なジュリエット・ビノシュというのも初めて見たかもしれない。なんかいつもじめっとした陰湿なキャラクターが多いからね。
外見こそジュリエット・ビノシュだが、頭がお花畑化している面倒臭い女学生のようなクララになっているシーンは見所だ。
それだけでもなんかちょっと斬新でいいもの見た気がした。
本作の女医さんのような自立した女性こそ素晴らしい。そうなるべきと訴える多くのアメリカ映画と違い、女医さんもいいけどカティアのようでもいいじゃないの?と。なんならどちらにもなれていないクレールだっていいじゃないというフランスはちょっと進んでるなと感じた。
女医さんとカティアの間で揺れるクレールという題材は、女医さんのポジションがまだまだ少ない日本では少々早すぎるニッチなテーマなわけだが。
