シャドウプレイ 完全版のレビュー・感想・評価
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富豪の夢を叶え、新しい家を創る
兎に角、タイパの激しい、タイトな作劇である どんどん速く進む、そして何人もの登場人物達の過去の時間軸も始まり、唐突に現代に戻る(戻り方は今風のカメラパンで同じ背景の儘、刑事が移る等、最近ではパク・チャヌク監督 別れる決心)その時間軸の疾走感で、印象シーンや匂わせ的シークエンスはほぼほぼオープニングでの川の霧のみである 約2時間といえば、火スペに代表されるテレビサスペンス劇場と同じ時間だが、今作は詰め込み過ぎな内容で、2倍速で丁寧に描くという、時間と内容のアンバランスさを、しかも当局の検閲との闘いも差し挟みながら、よく映画として仕上げたと感心すら覚える
しかし、日本人の殆どは現在及び、バブル時期だった中国を知らない 勿論自分も なのでどうしても日本のその時期の狂乱さとの比較の中でスクリーン内で繰広げられる出来事を解釈するしかないのだが、これも又政治的配慮故、描写の甘さが否めない だったら、そこをバッサリ切って、もっと人間のドロドロな性質をクローズアップすればとおもうのだが、これも又検閲で照明を落とさざるを得ない 本来、監督が描きたかったクオリティがこんな形でしか発表できない事への忸怩たる思いを映像化した作品としての最新版なのだろうということを改めて思い知らされた
これを一言で言えば『諦めない』 多分、何一つ消さない、結果として歪であってもそのくじけない姿勢が映像作家としての監督からメッセージを込めての今作の"妙"なのだと気付かされる作劇である
今作のレビューに対して否定的批評の人は、作品の背景も又、作品に内封されるということを理解して欲しいと願う
中盤まで、誰の何の話かわからなかったが・・・
あまり刑事に見えない若い男ヤンが、開発主任の変死について捜査していることはわかるものの、果たしてこの映画が誰の何の話なのか判然としないままに、激しいカッティングの波に飲まれ続ける。
かつて刑事であったヤンの父が、失踪したアユンの捜査中に事故にあい身体障害を負ったことが明かされたところで、ヤンの捜査に対する不可解なほどの執着が、父を抜け殻のようにしてしまった敵=開発会社社長ジャンに対する復讐心であることが判明する。
そして中盤で唐突にヤンとの肉体関係を取り結んだタンとリンの娘・ヌオについても、そのグロテスクな出自と家族関係が明かされることで、この話がヤンとヌオという若い世代の二人による親世代への復讐譚であることがようやく理解される。
前後の脈絡なくヤンとヌオが互いを求めあう展開に戸惑ったが、これは二人がジャン、リン、タンの共犯者らに対する復讐という責務を担っていたがためのものだったのだ。
(にも拘わらずラストでヤンはあっさりヌオを捕まえる。あれれ・・・)
説話上のサスペンスについて述べてきたが、それよりも観る者を驚かせる細部が本作にはしばしば発生する。
なぜ致命傷を負ったはずのユアンは、ガソリンで引火されたところでふいに立ち上がらなければならなかったのか。説話的な必然性が欠如しているからこそ、そのふいうちに思わず目を見開く。
タンの付き人が撮っていたユアンに似た人物が暗闇の中でこちらに視線を向けた不鮮明な画像。そのおぞましさは黒沢清を彷彿とする。
刑事ヤンが幾度となく発揮する、他人から撮られ、見られてしまうという特性の滑稽さ。
そして、大抵の作品で好ましい使われ方をされないドローンによる空撮が、全く嫌みのないやり方で多用されていることに、驚きと共に首肯せざるを得ない。
ここでのドローンは、ドローンで撮っているだけで新しい画が撮れていると錯覚しているあの間抜けな“ドローンの空撮”という使い方ではなく、ドローンという手段を用いた“より機動性の高いトラッキングカメラ”という認識で使われているのだ。
だからハンディカメラによるブレの画面が続くのに疲れる中で、滑らかに被写体をフォローし、接近するドローン・トラッキングショットに安心すら覚えるし、あくまで一つのトラッキングショットとして模範的にモンタージュされるショットのつなぎも実に心地よい。
果たして本作を超えるアクション映画が今年他に登場するだろうか。
ノワールの残虐性を思い知る
なかなか面白かった
ひとときも目の離せない展開が続くし、
いろんな意味でドキドキさせられる。
しかし、出てくる人間がほとんどクズ。
びっくりするくらいクズ。
みんな愛よりも肉欲で動いている気がして
あー人間だーって感じでした
ただし、気に食わない点がある。
最後、ヌルは捕まる必要あったんか??
どこまで残酷なんだ
「ザ・メニュー」的な感じで爽やかに終わっても良くないか?
クズの中から残された希望って感じでさ。
現実はそれを許さないのかね
ちょっとエンドロールは虚をつかれて笑ってしまった
なんだかんだいい映画でしたなーなんて思いそうになってしまったよ
あれも含めて全てが夢の中の皮肉ってことですよね
どこまでもブラックに描いておりました
タバコさえ最後まで吸えない国で
女は物語を牽引できない。女は物陰からじっと見つめていることしかできない。殴られ、待たされ、犯され、騙され、殺され、徹底的に受動態的なオブジェクトとして男に使い捨てられる。
ただ、当然ながら、女はモノではない。だから彼女たちは立ち上がろうとする。決死の抵抗を見せる。中でも喫煙は重要なモチーフだ。警察署の廊下で、自室の洗面所で、そして香港のバーの屋外で、女たちはタバコに火を点ける。そこには主体的抵抗の意志が根差している。しかし男たちは平然とそれを阻む。阻んでいることにさえ気がついていない。女たちはこんな小規模な戦いにすら力を持ち得ない。だから本当に抵抗しようと思ったら、もう自分の命を賭けるしかない。そういう破滅的なやり方でしか自分と世界の間に横たわる矛盾を解消することができない。そしてこのオブセッションが彼女たちを発狂や殺人に至らしめる。
ジャン一味の汚職を調査するヤン刑事は、ジャンやタンとは違って優しさがある。ゆえに物語の「良き語り手」であるかのように思われるのだが、次第にマッチョな本性を露出させ、遂には復讐と暴力の鬼へと変貌していく。彼への信用によって一応は「サスペンス」として成り立っていた物語は、その信用が失墜したことで中空へと投げ出される。女のものでも男のものでもなくなった物語は、字幕による説明という飛び道具によって半ば強引に幕を閉じられる。このあたりのせせこましい演出はコスタ・ガヴラス『Z』のラストシーンを彷彿とさせる。思えば『Z』も本作と同様の射程を持った社会派コメディだった。
本作は明らかに40〜50年代のフィルム・ノワールの系譜をなぞっているものの、もはやそこには「謎めいた美女」も「理性ある捜索者」も存在しない。徹底的な簒奪によって生きるよすがを失った亡霊と、カネと暴力の自家中毒でおかしくなったジャンキーが画面の上をうつらうつらと漂うばかりだ。かつてフィルム・ノワールの異色作と評されたニコラス・レイ『孤独な場所で』のあらゆる者を突き放したような結末が、本作においては至極真っ当な帰結として提示されている。
加速の果てに正気を失う男たちと、それに振り回され、摩耗していく女たち。一体何が彼らをこんな結末に追い込んでしまったのか?「それは男性優位社会に他なりません」と結論づけることは簡単だし、実際そうではあるのだが、ロウ・イエが目指す地平はもう少し遠方にある。エンドロールでは劇中で使用されたカットやそのオフショットと混じって古びた幾枚かの写真や動画が映し出される。それらは明らかに中国共産党最大のタブー、天安門事件を示唆している。現代中国に瀰漫するさまざまな歪みの原因は、他ならぬそこにあったのではないかと、ロウ・イエは自らの作家生命も顧みずに強く主張する。
こうしたセンシティブさゆえ、本作が中国で公開されるまでに実に2年もの歳月がかかったという。ロウ・イエと中国当局との攻防については彼の妻が記録した『夢の裏側』というドキュメンタリー映画があるというので、そちらも是非観てみたい。
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