春江水暖 しゅんこうすいだんのレビュー・感想・評価
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良質な、渡る世間は鬼ばかり
ある家族話。どこにでもある悩み、不幸、幸福を見事に映画に落とし込んでいる。テレビの見慣れた、見やすいカット割りではなく、映画こそできる観客を集中させて、考えさせる構成が素晴らしい。
近年テレビの延長のような映画が多い中、さすがカンヌ映画祭出品の作品。
第一巻終わりとはまだ続く?やはり渡鬼。
長回しが意味をなしている、しかも気持ちいい長回し。
あぁ、ずぅぅぅぅっと観ていられる映像絵巻。
いやはや、すげー映画でした。
見初めは、「ふむ、ありがちな家族ドラマなのかな?」なんて気持ちで観ていましたが、
ありがち?とんでもない。
どうもすみませんでした。
その演出に、映像に、一家族を通して描かれる壮大なテーマに、どんどん引き込まれていきました。
お話は3代の家族の話。母と四人の息子、そして彼らの家族を含めた一族にある出来事が起きて、それをきっかけとしてそれぞれの家族の日常を描くもの。
ストーリー自体は移りゆく家族の形、世代の価値観、一族がどうなっていくか?を描いていますが、それらは中国という大きな国の今昔、そして未来を見るための媒体となっています。
「家族」という名の望遠鏡を覗いてみると、その先に中国が見えてくる・・・そんな作り方なのです。
いや、なんか違うな(笑)
家族の絵を見ていて、離れたところから見たらそれは点描で描かれた中国と言う絵の一点だった、、これもなんか違うな(笑)。。。けど、、察してください!(笑)^_^
「今」が中国が変わりゆく「狭間」の期間故に、この微妙かつ見事な描き方ができるのもしれません。
人間の生活・・・衣食住・・・さらに仕事、恋愛、家族の成り立ち方などなど、一人の人間におけるそれらが変わると、、?いうことは、人間の集合体の最小である家族、その集合体である国も変わっていきます。以上の点は様々なエピソードとして丁寧にストーリーの中で展開し見る側に訴え、その映像の背景には雄大かつ、昔とは異なり始めている中国の風景があります。
「新」の中に「昔」があり、「昔」の中に「新」がある。
境目がなく時に対比、時に移ろい、時に反発し、融合していく。
風景も、文化も、人もそのように時代に呼応していくのです。それが見事に切り取られているのです。
そしてそれらが素晴らしい映像、演出で魅せてくレます。
最初、なんだか長回し、1カットにこだわってるなぁ・・・なぁんて軽ーい気持ちでみていたら、度肝が底をつくくらいにバンバン抜かれていきました・・・。
嘘だろって言いたくなる1カット長回し。パンの多様。右から左、左から右、奥から手前、手前から奥・・・・。こんなの観たことない。(言っておきますが・・・半端ないです)
そこにある自然の風景(人物込み)すらセットの一部として機能しています。
そして、計算され尽くされている「タイミング」
完成した映像はまさに「動く絵巻」です。どんどん巻物を広げて物語を読んでいるような感覚に襲われます。それは本当にこのパン映像ひとつでも物語があるのです。また、会話の広い方が面白く、同じパン映像の中でカット割りせずに場面を入れ替える工夫をしてます。これも面白いです。
左から、右からパンしていくんだが、巻物を徐々にひろげていくかのように展開されていくんです。
ワンカットのイメージの斜め上を突き抜けてます。
全編、ゆったり大河の如くストーリーが紡がれ絵巻がどんどん開かれていきます。
また、演者さんたちにもビックです。エンドロール見てびっくりです。プロと素人さんがいりまじってたんです。わからなかった。。。。演者同士の化学反応バンバン発生です。なんだか、リアルなのか、演じてるのか、わっからなくなります。よくもまぁ・・・すごいなぁ。
足掛け三年かな?の四季の移ろいと家族の移ろい、民族の移ろいを古から現代にゆっくり筆を進め、色をの入れていく感じの作品でした。
親は子を想い、子は親を想う。・・・これが脈々と流れる本作品の源流です。
変わらぬ想いは昔も今も同じ。しかし、同じではいられないことも多数。今まで感じたことがないジレンマ、葛藤でモヤモヤしながら中国は発展を続けていくのでしょうね。
数年後のこの家族にまた会いたいです。
続編が待ち遠しいです。傑作です。
自然が眺める人間の営み
杭州上流の歴史ある地域。三国志の孫権が都を拓いたという富春江の両岸に、急峻な山に迫られながらある街。古くは水彩画の題材にされる風光明媚な土地も、再開発で高層ビルが立ち並ぶ近代都市へ脱皮しようとしている。そんな土地に、伝来の風習と共に住む大家族を静かに眺める物語。
この作品の視点が素晴らしいのは、川や山の主観で描かれるところ。孫娘が恋に目覚めつつ彼氏と川沿いを歩く二人を、川の側から延々ワンカットで表現していく。あたかも、永久の人間の営みを何百世代も、川はこのように暖かく穏やかに見つめていたんだ、というように。クライマックスの、山の主観(見届けている)的な長いカットもそうだ。この変わらぬ自然へのナチュラルな畏怖は、穿って見れば現体制への、静かなる批判も隠されているとも思える。
杭州まで30分で行けること、店内を明るく照らし続けられること、また...
杭州まで30分で行けること、店内を明るく照らし続けられること、また古い家族観から抜け出し自由恋愛で結婚することなど、全て「発展」の一面であり、人々が望んでいる方向である。でも、その場面ではいつもお金の話が展開され、人の表情に柔らかさはない。
「家族からは解放されたけど、今度は会社に縛られている」という言葉は彼らだけではなく、いま世界中の多くの人の実感であろう。
富春河を泳ぐシーンが良かった。呼吸の音、水をかく音、泳ぐことのスピード。それらをカメラが丁寧に映していて、心地よかった。
「発展」することと人が心地よく生きること、単純化してどちらか一方のみを評価することはできないのだから、この泳ぐシーンと富陽の美しい景色を覚えておこうと思った。
瑞々しい普遍性
願暁剛監督の長編デビュー作。
杭州市富陽を舞台に今当たり前のように移りかわろうとしている風景を若い監督が2年以上に及ぶ時間を費やし、堂々とした長回しで捉えた傑作。富春江という河が流れ、その町には三世代に渡って連帯してきた大家族がいる。その共同体における物語性も普遍的なもので、決して真新しくは無い。しかし、この場所を舞台に設定し、長い年月をかけて細部の変化を映り込ませることによって唯一無二の映画に仕上がっている。
最近の「ロング・デイズ・ジャーニー この夜の果てへ」を見た時も感じたが、長回しの映像でここまでの映画的な魅力を引き出すのはあの国の若い監督の瑞々しく堂々とした感性があの国そのものの風景と相性がいいからなのでしょう。
川と孫権
壮大な自然と共に描かれる東京物語
3世紀の人を富陽の人々は歌い次いでいるんですね。
川に沿った文明がこれほど美しく残っているとは、羨ましく思う。
親と子の葛藤と季節の移ろいが限りなく溶け合っていく。
人の世も自然の一部であるような、間違いなく取捨選択して作られているはずの映像に全てが詰まっているような感動がありました。
ふとした瞬間、「ああ、この映画の中のこの人物はこの瞬間を一生忘れないだろうな」というシーンが何度か訪れます。自分が生きている理由とか、実はそんなちっぽけなことの積み重ねなんだろうなと思わせるような。
パンフレットも買うべきでしょう。
キャストの頁を見て驚くこと間違いなしです。
変わることのない自然と束の間を生きる人々
これは文字通りの傑作。今年の外国映画のベストワン候補に一番乗りした。
悠々と流れる富春江、そして雄大な山々。美しい自然を山水画の如き構図で切りとった映像に目を奪われる。
そこには再開発が進み変わりゆく街・富陽があった。古い住居が取り壊され高層マンションの建築が進む。そこで暮らす四兄弟とその母、そして子供たちの生活をリアルにとらえた。
長男は飲食店を営むがやり繰りは厳しく、漁師の次男への支払いが滞っていた。
次男は結婚前の息子に家を買うため住む家を売り、妻と船上で暮らしていた。
ダウン症の息子を男手ひとつで育てる三男は、医療費を手に入れるため借金を重ねイカサマ賭博に手を染めた。
多くを語られることのない四男は所帯を持たず気ままに暮らしていた。
認知症が進む母親は長男が介護するしかなかった。
長男の一人娘には留学から帰り教師となった彼氏がいたが、両親は家を持たず収入が少ない彼との交際に反対した。
変わりゆく中国の地方都市。決して豊かではなかった。厳しい社会だった。だが決して悲劇だけではなくポジティブな空気を感じた。彼らはそこで生きていた。
何千年、何万年と変わることのない自然と束の間を生きる人間の対比。実にちっぽけで滑稽な生き様ながら負けていなかったなぁ。十分魅力的で素晴らしい人間賛歌となった。
長回しの富陽の風景だけでも観る価値がある
2021年2月21日@テアトルシネマ梅田
中国のひとつの地方を舞台に、再開発で変わりゆく街並みと、時代の波に揺れる家族観を描いた作品。
ストーリーは目新しいものではなく、よくあるテイストのなので、少し退屈でした。
ですが、富陽の四季の風景の美しさはスクリーン越しでも伝わりました。
杭州には旅行で訪れたことがあるのですが、富陽はなかったので、劇中の風景だけで、旅行した気分になれました笑
映画の風景を映す場面では、長回しが特徴的でした。
特に、ジャン先生が川を泳ぐシーンはとても芸術的で綺麗でした。泳いでいる人間の息遣いまで聞こえてきて、こちらも息をのみました。
テアトルシネマの小さなシアターで鑑賞したため、大きなスクリーンで観たら、富陽の風景はもっと迫力があったろうなぁと思いました。
大家族は大変だ、、、、、
三部作の第一作目、長編だけど楽しめる美しい風景に魅せられる
長編映画は観る前に悩みます。
でも本作は観てよかった。
よくありがちな家族、親族のさまざまな問題や出来事を、春夏秋冬の美しい風景とともに映し出す山水絵巻のような作品。
評価すべき部分は、圧倒的な映像美!なんせ風景が美しい。
長々と続く河のシーン、水泳のシーン10分間ありますが、これも美しい絵を眺めているようで、全く飽きない。
中国は結婚などに関しては保守的、昔ながらの価値観なんですね。文化や価値観に関しても新たな気づきや発見があってそういった文化の違いを知るには面白かったです。
しっかり者の長男夫婦、世渡り上手な次男、
ダウン症の子供を持つ三男は一番優しくて情に厚いが、まともなお金の稼ぎ方をしていない。
そうそう、母にとって末っ子って本当に可愛いんです。これは世界共通なのでしょうか。
この地にいつか訪れてみたい。そんな気持ちにさせてくれる作品でした。
私が観た日時、劇場はほぼ満員でしかも7割がシニア。なぜだ?
才能が撮った映画は観ていて心地がいい。
この作品を撮った願暁剛(グー・シャオガン)監督は、まだ若い31歳でこれが長編デビュー作ということだが、撮影した作品は成熟した監督が撮ったかのようなショットに溢れていて風格すら漂う。まさにこの作品は才能が撮った映画で、カメラが少したゆとう長まわしのシーンと流れる会話が心地いい。この心地よさは尋常ではない。しかも四季折々の風景を撮るために少なくとも二年以上の歳月をかけていることが、エンドロールから分かった。
再開発が進む中国・杭州市富陽が舞台で、その町は富春江という河が流れている。その町に暮らす三世代の大家族の姿が描かれている。老母ユーフォンは未亡人であるが、四人の息子がいる。そのうちレストランを経営している長男ヨウフーがユーフォンの面倒をみることになる。長男の一人娘グーシーは幼稚園の先生で、結婚を誓う教員ジャンいるが、グーシーの母フォンジュエンは経済力の問題から結婚に反対する。しかし、老母ユーフォンは孫に自分の好きな人と結婚することを勧める。映画にはよくある話なのだけれど、ここに他の三人の男兄弟の家族もからんでいく。
様々なシーンで長まわしや河辺の風景が挿入されるけれど、何といっても圧巻は、グーシーとジャンの河辺でのデートの長い長いシーンだ。カメラは横にスクロールするだけで、河を泳ぐジャンをとらえ、先に向こう側で待っていたグーシーと一緒に歩くシーンを、超長廻しでとらえる。他にも長廻しのシーンはたくさんあるが、カメラワークが自然で、観ていて心地がいい。
中国にはもう一人32歳の天安門事件の日に生まれた天才監督、毕赣(ビー・ガン)がいて、彼もまた「ロング・デイズ・ジャーニー この夜の果てへ」などの作品で、長廻し撮影、長大なワン・シーン・ワッ・ショットの映像を見せて、才能を発揮しているのだけれど、彼らの長廻しは全然ねらいが違う。作り込んだ映像で一つの世界をつくりあげるビー・ガンに対して、水墨画のタッチで景色をとけこませるグー・シャオガンといったところかな。いずれもすごい才能なので、今後が楽しみである。
【帰魂、遊魂、富春山居図】
映画を観た後、気になったことがあって、少し調べてみて、なるほどと、そういう示唆もあったんじゃないかと、色々考えさせられる作品だった。
八卦の占い師が、確か、「帰魂」と出たから、求める人は間も無く戻ってくるし、お母さんは大丈夫だ、みたいなことを言っていた。
さすが、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の占いだけあって、占ってもらった本人は、きっとハズレもハズレだと思っていたに違いない。
八卦の占い師は、その時、帰魂に対して、「遊魂」は、まだ、戻らないという意味だというようなことも言っていた。
彷徨っているというような意味でもあるように感じた。
この作品は、富陽の家族の物語だが、老いた母を中心に、息子たちや、その家族の「遊魂」、「帰魂」のストーリーなのではないかと思う。
祖母が、孫娘のグーシーに、自分の時代には自由な結婚など考えられなかったが、今だからこそ、愛するジャンと結婚しなさいと促す。
古い建物が取り壊されて再開発の進む富陽の街にあって、若者は古いルールに囚われずに自由に生きなさいと背中を押しているようにも思えた。
グーシーの母親や叔父夫婦のように古い考え方にこだわっていても、時代も、街も、周りの建物も変わっていくのだ。
だが、それは、決して家族や故郷を捨てるということではない。
街並みは変わっても、富陽は富陽だ。
離れ離れになろうと、家族は家族なのだ。
アイデンティティは、カタチの問題ではないのだ。
映画の中で引用される「富春山居図」は、もともと乾隆帝の持ち物だったこともあり、中国にとって国宝のようなものなのだが、第二次世界大戦後の中国の国共内戦の際に、中華民国政府が大陸から台湾に持ち出した文化財の一つで、今は、台北の故宮博物院に所蔵されている。
そして、「富春山居図」は、中国にある「剰山図」と対(つい)のものとされている。
これを、どう解釈するかは、人によって様々だと思うが、僕は、中国に帰ってくるべきものだという意味で引用されたのではないと思う。
中国の風景は変わった。
既に「富春山居図」のような風景ではない。
だが、「富春山居図」は紛れもない、かつての中国の風景なのだ。
それを伝えていることが重要なのであって、「富春山居図」が、今、何処にあるかは問題ではないのだと伝えようとしているのではないのだろうか。
「帰魂」、「遊魂」は、人の居場所のことではなく、それこそ魂の居場所のことではないのか。
亡くなった祖母の魂は、家族それぞれの元に戻り、残された家族は、時に彷徨いながらも、これからもずっと生きていくのだ。
美しい風景と社会問題を両立させている作品です。
中国映画新世代監督グーシャオガンさん初作品と言う事で観賞しました。
浙江省杭州市富陽区を舞台に、飲食店を営む一家を取り巻く変化を2年に渡って撮影した映画です。
富陽江と周辺の自然風景の素晴らしさと同時に、再開発、家族の在り方、環境、高齢化、格差、医療介護等、世界中で問われている諸問題をバランス良く盛り込んでいます。
お勧めします。
世代の変化
都市開発が進む地方の街、冨陽で暮らす家族の話。
4人の息子やその家族が集まり開かれた母親の誕生日を祝う宴会中、母親が軽度の脳卒中で倒れ、命は助かったが、認知症が進み介助が必要な状態となって始まって行くストーリー。
少々の借金と娘の縁談を巡る問題を抱える長男家族。
都市開発により住居の問題を抱えるつつ息子に結婚話があがる漁師の次男家族。
19歳のダウン症候の息子をシングルで育てて来た、借金まみれのチンピラ三男親子。
三十半ばを過ぎてのらりくらりと独り身の四男…あんまり出てこないけど。
母親の面倒を誰がみるかという話もあるし、一つの家族の話だから勿論繋がりもあるけれど、それぞれのゴタゴタした出来事を、ぬろ~っとみせて行く群像劇的という感じにもみえる。
起こった出来事が転がって行く様をみせて行く訳ではなく、話が進むと何事もなかった様に終息していたり、良くも悪くも、日本人からしたら一昔前の様な考え方の家族、人達の物語で、空気感はとても好みだけど、響く程のものはなかったかな。
山水画のような美しさ
杭州から(地下鉄が通れば)30分くらいのところにある富陽という都市が舞台。この富陽の四季折々の風景が美しく撮られていて、まるで山水画のようです。
また、孫娘の彼氏が河を泳ぐシーンは圧巻。カメラが河を泳ぐ姿を長回しで追っていき、さながら絵巻物を見てるかのようです。(もしくは横スクロールゲームのよう)
ストーリーは、おばあちゃんの四人の息子家族の話で淡々と描かれています。家族の話といっても、古いものが壊されてどんどん発展していくいまの中国を映し出していて興味深いです。ただ個人的には、少し淡々とし過ぎていて、もうちょっと起伏があってもいいかなと思いました。
未完成の絵巻
冒頭の料理店のシーンでは、モダンな中国のイメージとは対極にある、昔ながらの雰囲気が描かれる。始まってすぐに「おや?」と思った。
終映後の監督のQ&Aを聞くと、「伝統文化を現代において表現する」ことが、この映画のテーマであるという。
内容は、高齢の母、および、その4人の息子と家族の物語である。
反社会的行為に手を染めている「三男」を除いては、みな平凡な人物である。「三男」の息子はダウン症であるが、そのことは作品のテーマではない。
したがって、「三男」がらみ以外は、どこでもある話だ。
そんな“特に何も起きない”状態のまま、2時間半という長尺でストーリーが進む。
よって、描かれるのは、等身大のアクチュアルな中国の姿でしかありえない。
古い建物が取り壊され、母は認知症になり、子供の結婚でギクシャクする。
俳優には、監督の親戚や知人が起用され、ゆったりとした雰囲気を醸し出す。
舞台は、杭州の富春江という大河沿いの、とある街である。
河から河岸を眺めるシーンでは、船上から撮影したのか、横移動の長回しが延々と続く。だが、映像に“揺れ”はなく、ストーリー同様、淡々と流れていく。
では、本作品は面白いのか?
先日観た「帰れない二人」(ジャ・ジャンクー監督)でもそうだったが、面白くはないが、一つ一つのシーンが妙に心に残る映画というのが、自分の印象だ。
瑞々しい夏、雪に覆われたしっとりした冬。大河に抱かれるような街の情景。(どこか分からないが)庭園も映される。しかし、映像美というほどではない。
人物は、長尺を生かして繊細に描かれており、各人の個性が浮かび上がる。“一番ヤクザな「三男」が、一番思いやりがある”という、長男の娘の台詞にはハッとさせられる。
ただ、“現段階”では、自分にはそれだけの映画だった。
先日、「ふたりの桃源郷」という映画を観た。
この作品は、25年という撮影期間を要して、山口県の自然の中での老夫婦の老いと死、さらに、その娘夫婦の老いまで収めており、「故郷」とか“時の流れ”がテーマであった。
この「春江水暖」も、監督の意識では「第一巻 終わり」だそうで(笑)、第二巻や第三巻の制作に意欲を燃やしている。
終映後のQ&Aでは盛んに「絵巻」という言葉があったと記憶するが、まだ“未完成の絵巻”なのだ。
長い期間をかけて映し取っていくことで、個々の作品の枠を超えた、“何か”が生まれるだろう。
続編が作られ、“時空”の絵巻が完成した時に初めて、この「第一巻」の評価もできるのではないだろうか?
全38件中、21~38件目を表示