「希望を捨てた青年」失くした体 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
希望を捨てた青年
原作は『アメリ』の脚本家ギヨーム・ロランが書いた小説『Happy Hand』。事故で切断した主人公の手が持ち主を探し求めて、パリのうす汚い街中をさまよう一種のロードムービーなのだが、アダムス・ファミリーの“ハンド”を連想させる不気味の谷を埋めるために、映画化にあたってはアニメーションという手法がとられている。全編を通じて暗―いムードが漂っているので、ファミリー観賞にはむいていない大人(特に若い人)向けの映画となっている。
裕福な家庭で育ったモロッコ移民であるナウフェルの夢は宇宙飛行士とピアニストになること。音楽家の母親が奏でるチェロや、家族の楽しい会話、ドライブ中風の音をマイクで集音してカセット・テープレコーダーに録音するという一風変わった趣味を持っているナウフェル。そんな一家がドライブ旅行中交通事故にあい両親が即死、生き残りのナウフェルは施設に引き取られる。青年に成長したナウフェルの仕事は先の見えないピザ配達員だった…
人体パーツが保管された施設から脱出したナウフェルの右手、触覚のみならずちゃんと五感が備わっており、失った身体にくっついていた時の記憶まで持ち主と共有しているという設定だ。“外敵”や“餌”と勘違いされた右手は、屋根の鳩には突き落とされそうになるわ、地下鉄のネズミにはかじられるわで、盲導犬にくわえられピアニストの部屋にたどり着いたもののネズミと間違われあわや…そんなナウフェルの右手が(運命を変えようと行動をおこす度に)道中出くわすさまざまな困難を描きながら、幸福だった幼少期の記憶と、図書館司書ガブリエルへの淡い恋がカットバックで挿入される。
このアニメーションにはまた、ナウフェルの運命が暗転する直前に必ず悪魔の使者“ハエ”を登場させている。旅行中交通事故の原因となった山羊の角にとまるハエ、そしてガブリエルにふられ二日酔いの状態で命じられた木工作業をしている時にもナウフェルの目前に現れる。まるでナウフェルを導くかのような動きを見せるハエをやっとこさ捕まえた時ある悲劇がナウフェルを襲うのだ。『君僕』に比べるととても分かりやすいベルゼブブとして描かれる。
主人公の方から“何か”を探し求めアクションを起こすのが普通の映画だとすれば、本作はあえてその探し求めれている“何か”を擬人化し主人公にした演出が実に効いているのだ。「何か異常なことをしたら、運命を変えられるかも」とガブリエルに語ったナウフェル。ビルの屋上からクレーン車に飛び移った瞬間何か憑き物が落ちたように笑いだすナウフェルは、はたして自らの運命を変えることができたのだろうか。両親、恋人…そして仕事までも失いそうなナウフェルが捨て去ったもの…それは右手という“希望”だったのかもしれない。
“希望”などというきれい事に踊らされてるうちは人生なんて切り開けっこない。すべての“希望”をすて目の前の現実に向き合ってこそ、未知なる運命へと一歩前に踏み出すことができる、そんな人生の真理をこの映画は我々に語りかけているのではないか。