「「失敗もある、それが人生」」失くした体 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「失敗もある、それが人生」
このところのフランスアニメの質の高さには本当に脱帽である。決して派手さはないし、あからさまなデフォルメや異次元設定は余り無いが、きちんと丁寧に文学的に制作されていて、見応えが沢山ある。今作も又、ファンタジーではあるがしかしほろ苦いメランコリックさとノスタルジー、しかし未来を信じる前向きさみたいなものをしっかりとメッセージを届けている。そして作品に通底するフランス精神である“セ・ラヴィ【C'est la vie】”。この精神を日本にいてどれだけしっかり認識出来るのか、自分には分らない。なにせ、根っからのペシミストであるから、この、「これが人生さ」という達観はデフォルトで使用しているのだが、今作品のテーマは多分自分の意味合いやニュアンスではない筈だとは良く理解出来る。ハッキリと前向きとも違う、かといって後ろ向きでは決して無い。ベクトルで言うならば斜めなのだが、それが上下ではないもしかしたら四次元の空間に向いているのかもしれない。そんなデタラメまで考えてしまう程、魅惑的な不可思議概念なのである。
文学的なストーリータッチである今作は、構成として3つの時間空間軸が交互に場面展開してゆく。元々オープニングの手が動き回るというシーンはそのホラー感を誘う不気味な画風やBGM、脱出劇として独特のアイデア演出が巧みである。その後の鳩との闘いやその後続く数々の“手”というかなりユニークな物体が小動物の如く運動する様と、しかしピンチにはしっかり本来の手の動作を発揮しながら、途方もない目的地へ旅をしていく、ロードムービー的側面が一つ。そして手の本来の持ち主であった主人公の失った原因を探るパート、そして物語を形作る上で非常に密接する幼い頃の想い出シーンのパートで3つ目である。この3つの軸がまるで相互補完をするように絡み合いながら収束されていく。その構成の妙もさることながら今作の賛否両論的な部分は、ミスリードをきっちりストーリーに織込んで観客を飽きさせない作りなのである。観る人によっては、結局関係性がなかったという“裏切り”が今作そのものの評価にダイレクトに結びつけてしまうのではと危惧するのだが、自分としてはその弄ばれ感も又映画の醍醐味なのではと好意的に捉えているのだ。具体的には、そもそも手を切り落としてしまう直接の原因が、最近まで一緒に住んでいた親戚?の男(パンフには載っているのだろうが不明)が絡んでいるのだろうと思いきや全く関係無く、不安感、不穏を煽りまくっての、実は幼い頃の、蠅を掴むという遊びを木工作業中にやって、グラインダーでそぎ落としてしまったという自分の不注意というあっけない原因なのだ。或る意味驚愕であり、その落差に愕然とする。手が自分勝手に動くというかなり攻めたファンタジーを、リアルに起こり得る通常の自損事故由来にしてしまう顛末は、もし邦画だったらかなりのバッシングかもしれない。しかしそれをフレンチなスパイスで仕上げると又違った見え方になってしまうから不思議である。両親との死別やその後の過酷な極貧生活への天国と地獄的環境転換、恋愛話を折込ながらも、しかしそこでハッピーエンドに安易に着地させず、サプライズを逆に捉えられてしまった失恋と事故。そこで主人公がまるでコインの裏表のゲームをするかのように、自分の運命を託すゲームをするかのようにビルから隣のクレーン塔へ飛び乗るサスペンス感。若さ故の無鉄砲さと自意識の過剰さを表現しながら危険なシーンへと流れ込む作りは、アニメならではの表現方法としては秀逸であると感心した。伏線回収を彼方此方に散りばめながら、しかし全てを拾わず肩透かしを喰らわせる演出も憎いw。
敢えて言うなら、折角テープレコーダーをセットしていたのだから、飛び移りの成功のシーンは直接的に描かなくても良かったのではと思う。周りの風景や、部分的な写し方でのカットで、よりエモーショナルを駆り立てたほうが効果的かと思ったのだが・・・。
結局、持ち主へ辿り付いた手は又離ればなれになってしまうのだが、あの手は一体これからどうなるのだろうかと心配になってしまうのも又、興味深い。もしかしたら続編有り?という下衆な考えが頭をもたげてしまうのも一興である。作中に“ガープの世界”が登場するのだが、それも又“セ・ラヴィ”、そして“ケ・セラ・セラ”の達観を紹介しているのかもしれない。自分にまつわる全てを受容れてそして生きていく、過剰に喜ばず過剰に悲しまない。その人生の妙を俯瞰で見ながら淡々と感慨に耽る。そんな人生観溢れる作品である。