劇場公開日 2024年4月12日

「不安や強迫観念に取り憑かれる現代社会。「生きる意味」に囚われすぎ、苦しむ人の心を解放してくれる作品。」ソウルフル・ワールド 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5不安や強迫観念に取り憑かれる現代社会。「生きる意味」に囚われすぎ、苦しむ人の心を解放してくれる作品。

2024年4月24日
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鑑賞方法:映画館

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ピクサーの長編映画としては、同年に上映する『2分の1の魔法』に次ぎ1995年公開の『トイ・ストーリー』から数えて23作目。元々アメリカでは2020年6月9日に、日本では2020年夏に劇場公開される予定でした。しかし、新型コロナウイルスの影響で延期となった末、2020年10月8日劇場公開を断念。2020年12月25日にディズニープラスにて公開という形に変更されました。

本作は、人間が生まれる前に「どんな自分になるか」を決めるソウルの世界を舞台に、そこへ落下したジョー・ガードナーとソウルの世界に住む22番の2人を主人公に据え、ジョーが地上へと戻るために2人が繰り広げる冒険を軸に、人生の素晴らしさや煌めきなどといったことが深く描かれています。

●ストーリー
 ジャズ・ピアニストを夢見る中学校の音楽教師ジョー・ガードナー( 声:浜野謙太)は、ある日ニューヨークで1番有名なジャズ・ミュージシャンドロシア・ウィリアムズのジャズ・クラブで演奏するチャンスを手に入れるが、浮かれ気分で街を歩いている最中にマンホールへ落下してしまいます。

 ジョーが目を覚ますと、人間が生まれる前に「どんな自分になるか」を決めるソウルの世界におり、彼自身もソウルの姿となっていたのです。この世界にいるカウンセラー・ジェリー(声:北西純子のほか複数)に話を聞いたジョーは「人生の煌めき」を見つけ、通行証を手に入れれば地球に戻れることを知ります。そこでジョーは人間嫌いで何百年もの間地上に行くことを嫌がっていたソウル22番(声:川栄李奈)をメンターとして相棒にし、奔走します。

 手始めに2人は22番の知り合いのムーンウィンド(声:福田転球)というソウルを頼ります。彼は迷子になったソウルたちを救済する活動をしていました。地球の病院で昏睡状態になっている自分の体を見て焦ったジョーは、過誤により傍にいた猫・ミスター・ミトンズの体に入り、逆に22番がジョーの体に入ってしまいます。
 地上にいる人間のムーンウィンドを探すべく病院から逃げ出した2人でしたが、初めての現実世界に22番は怯え混乱します。なんとかムーンウィンドを見つけましたが、ジョーを地上に帰すことができるのはその日の6時半であり、それまでに準備を整えることにします。地上での生活を経験していく22番は、この世界での「煌めき」を感じていくのでした。
 そんな中、約束の6時半になるも地上をすっかり気に入りソウルの世界に戻りたくない22番はジョーの体に入ったまま逃げ出してしまうのです。しかし、ジョーを探していたソウルの計算係・テリー(声:宮本崇弘)に見つかってしまい、ジョーと22番はソウルの世界へ連れ戻されてしまいます。
 果たして、ジョーは現実世界に戻れることができるのでしょうか?

●人は永遠の旅人である
 かつて盛岡へ行ったとき、知人から宮澤賢治の生家を紹介されて、立ち寄ったところ、その日はなんとまだ存命中だった賢治の弟の清六さんがお元気で、お話しをお聞きすることができたのです。清六さんが語るには兄はいつも農業学校の教壇で、「人は永遠の旅人である》ということを繰り返し語りかけていたそうなのです。人の死が終わりではなく、また地上に生まれては、経験を積み、その経験を元に次の人生の旅の支度をするのだということでした。
 こういう転生輪廻の考え方の大事なところは、人間は偶然に地上に生まれてくるのではないことと、死が終わりではないことの2点です。こういう考え方があればこそ、青年は熱く大志を抱いて挑戦を繰り返し、老いてもなお希望を捨てずに生き抜いていける源泉となるものです。その点唯物論者が晩年にさしかかったときの、絶望感と死への恐怖感はなんと痛ましいものでしょうか。
 その点本作は宗教臭くなく、日常宗教に縁がない人でも、親しみやすく魂が転生することを語りかけてくれます。しかも凄惨なシーンは皆無のファミリーアニメなので、ご家族での鑑賞にピッタリです。本作をお子さんと一緒にご覧になれば、お子さんが反抗期に入って「産んでくれなんて頼んだことはないぞ!」と言いはじめる前に、親子の縁は偶然ではないことを伝えておく予防線となることでしょう。

●「人生のきらめき」を見つけること
 本作の大ききなテーマは、「人生のきらめき」を見つけること。それは一瞬一瞬の連続した日常生活での輝きのことです。人生や日常における楽しみや喜びのことです。主人公のジョーもこの冒険の中で、日々の普遍的な生活こそが自分の人生の「きらめき」であったと気づくのです。宗教的に表現すると、過去・現在・未来を一括する「久遠の今を生きる」ということになります。
 人生とは一生の問題集であるという考え方もありますが、あまりに「生きる意味」に囚われすぎると「人生で何か夢を見つけなければ意味がない」という思いはいつしか強迫観念になり、自分らしく生きることの大切さを見失うかもしれません。
 「生きる意味」を考えることは大事なことですが、時に囚われて焦る心を落ち着けるため、日常における楽しみや喜びに目を向けてみることも大事なことではないでしょうか。 きっとそうすることで、坂本龍馬のような幕末を揺るがす大きな心の疼きに気がついたりするものです。

●全編にジャズ
 主人公がジャズ・ピアニストを夢見る中学校の音楽教師であり、ニューヨークで1番有名なジャズ・クラブで演奏するチャンスを手に入れる設定から、全編でバックにジャズが溢れる作品になっています。冒頭の中学校の音楽室で主人公が教える生徒たちによるビックバンドでの演奏の下手っぴぶりが傑作でした。プロがあれくらいヘタっぽく演奏するのは、逆に難しかったのかもしれません。
 ところでそのニューヨークで1番有名なジャズ・クラブの看板をはっていたのが、ドロシア・ウィリアムズ・カルテットです。4人目のピアノ・メンバーは欠員状態となってしまい、主人公のジョーにチャンスが訪れることになりますが、そのカルテットの演奏シーンが、まるで実写の演奏と見まがうくらいリアルでした。
 特にリーダーのドロシアがサックスを演奏するシーンでは、サックスの質感や指運びの描き方が、まるで実写かと思うくらいのディテールでした。

流山の小地蔵