劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のレビュー・感想・評価
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この作品面白すぎ!!!!
映画館で5回見ましたがその全てで泣きました。
劇中は序盤から終盤までアクション、感動、映像美と飽きる暇もないほどの作品です。
特に終盤煉獄さんが死んでしまうシーンは涙なしには見ることができませんでした。
漫画は完結してしまいましたが、アニメ・映画ではまだまだ続いていくと信じています!
鬼滅の刃最高!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
賛否両論ありますが…
公開された当時は自分の住む街でさえ長蛇の列が出来ていましたが、漸くそれも収まったので、先日観てきました。
多くの方がレビューされていますので簡潔に。
実は自分もそれ程この作品のファンというわけではないので、DVDになってから観ればいいかと思っていたのですが、これは劇場で観て正解だったと思います。
TV版でも定評のあった作画ですが、本当に素晴らしかったです。
自然描写は本物と見紛うほどでしたし、キャラクターの動きはアニメらしさを保ちつつ、とても迫力あるもので、見事の一言でした。
それにしても、確かにこれは煉獄さんのファンになってしまいますよね。
煉獄さん、恰好良過ぎでしたね。
今作で一番心に残ったのは、煉獄さんのお母さんの言葉。
正解な台詞は思い出せないので意訳になってしまいますが
“他人より優れた能力を持って生まれてきたのは、弱さ人を助けるため。決して私腹を肥やすような真似をしてはいけません”
日本だけではなく世界中の政治家や各方面でトップに立つ方たちにこそ聴いて欲しい言葉でした。
“全集中”などの言葉を真似してないで、少しは彼らの生き方から学んで欲しいものです。
世の子供たちには煉獄さんや炭治郎の生き様を見習って、後ろめたさの無い大人になって欲しいですね。
まだもう少し先になると思いますが、二期が待ち遠しいです。
予想以上にディープな映画体験。
正直、ハマらないだろうなと思っていた。
現代アニメーションの画そのものに苦手意識があったからだ。
目が複数ある、黒目が小さい、身体がスライム状etc.書いてみるとそんなことでという感じだが、苦手な部類の画には違いなかった。
それでも泣いた。
遠い日の母との約束は泣く。我が身を省みさせてもらった。
道半ばで倒れることをいとわない生き方、素晴らしい。それこそ精進な生き方だと思う。
そして、苦しかった。
挫折を、大きな喪失を経験したものは、みな主人公の気持ちがわかるのではないか。
観ているこちらが苦しい場面が続いた。
しかし、これだけヒットしているのは、現代の人たちがそれだけ苦しんでいるという証拠なのだと考えてよいものなのだろうか。
自分にはわからない。
ただ、映画体験としてはかなりディープなものとなったのは間違いなかった。
今年だからこそヒットしたモノがある。
漫画があれだけ流行っていて皆見ているし、内容を知っているのになぜ同じ内容の話を映画にしたのか?と見るまでは思っていました。
いざ始まると、炭治郎達の繰り出す技の一つ一つにまでこだわった映像美、漫画やテレビでは味わえない臨場感。全てに納得がいきました。
何より、煉獄さんの男気と、気迫ある闘志、包み込むような優しさと、他人を思いやる強さ。
自分よりも周りを気遣う所も、私たちに訴えかけるものがあったかと思います。
コロナ渦で思うように毎日が送れなく、悶々と手探りで日々過ごしている人の背中を強く強く押してくれる作品でした。
いつまで続くか分からない毎日に希望を灯してくれるような言葉を煉獄さんから沢山もらい、私も背中を押されました。
まさに、この年だからこそ流行った作品だなぁと心からそう思いました。
漫画やアニメを見た人も、そうでない人も楽しめる作品です!!!
煉獄さんは社会人のお手本
無限列車に乗る前までのいきさつはアニメ版で予習。
鬼滅スピリットめいたものをおさらいしてからGO TO 劇場版!
本作は煉獄杏寿郎の生き様に魂を揺さぶられた。
ちょっと風変わりな諸々の〝柱〟の中でも穏やかで同僚思いの煉獄さん。
そして竈門炭治郎はじめ後輩への思いに胸が熱くなる。
私は後輩に振り回されて大変な思いをする日々に疲れ果て心に棘が生えている。
でも煉獄さんの言葉にハッとさせられる。…柱なら後輩の楯になるのは当然だ。今度は君たちが鬼殺隊の柱となるのだ。…
煉獄さん、ごめんなさーーい!
私は間違えていました。
後輩の盾になるのを嫌がってました。
次世代育成に身を捧げる覚悟を煉獄さんに学びました。
エンドロールに流れる〝炎〟ほむら…は後輩たちからの返歌。
歌詞に涙が出てきます。
街で流れる炎を聴いて煉獄さんを思い出してまた泣いてる。
炎柱・煉獄杏寿郎は社会人のお手本。
貴方の生き方を私は忘れない。
あまりアニメは見ないのだが「君の名は」に匹敵する映像感と物語の疾走...
あまりアニメは見ないのだが「君の名は」に匹敵する映像感と物語の疾走感は素晴らしい作品。原作を読んでからよりもアニメで直前まで見てから観賞する方が楽しめたかも、、
非科学の隙間に埋め込まれたエセ科学
前半は列車の中で刀を振りまわす場面が中心であり、狭い車内でそれは無理だろうと思うから気になって画面に没入できない。
炭治郎が「いい人」すぎるように造形されているのも、作者に何か過剰なものを感じる。「無限列車編」もそうだが、最終巻でも自己啓発風のポエムが炸裂。読み流しているが、ベタに受け取る人がいるのではないか。
「鬼滅の刃」は非科学的な内容のうちにもエセ科学に近づくところがある。「無限列車編」では特殊な呼吸法で破れた血管を止血する。「呼吸を極めれば様々なことができるようになる」と言う。「何でもできるわけではないが」と留保付きではあるが、信じる人が出そうだ。血管の壁は平滑筋であり不随意筋なので自分の意思でどうこうできるものではない。できたら困る。
「鬼滅の刃」論で、かつて「ドラゴンボール」のような漫画はダントツに強い一人が全てを背負って敵に立ち向うものだったが、最近の漫画は仲間と助け合って敵を倒すものが目立つ、鬼滅もそうだという(朝日新聞12/6)。確かに鬼滅の主人公はラスボス相手にそれほど活躍せず拍子抜けする。むしろ自身が敵になってしまう。
「ドラゴンボール」では、主人公は自分一人では限界があるとわかっており元気玉というのはみんなのパワー(気)を分けてもらっているので共闘していることになるのではないか。それとも、これは気を搾取している(主人公に捧げている)とみなされてしまうのか。
「ドラゴンボール」では「気」をコントロールすることが次の強さに至るステップとして重要であり、「鬼滅の刃」では「呼吸」がそうである。気も呼吸も東洋的なあやしさに満ちている。
「仮面ライダー」では「共闘」が当たり前になっている。個人の図抜けた強さよりも、仲間との円滑なコミュニケーションが重要である。こうなったのは、男性学的にどうこうよりも、玩具を売るためにキャラクターをたくさん出したいだけのように思える。
ufotableのプロフェッショナリズム、まさに命を削った作画に泣いた。
作品内容のレビューは他の方にお任せするとして…
アニメーション制作に少なからず縁があるものとして、あのレベルの作画を全編に渡って維持することの並々ならぬ苦労がわかるので、ラストの煉獄さんVSアカザのくだりの怒濤のアクションには、二重の意味で涙しました。
あのテンションを維持するには根性だけではダメ。
やっぱり、作り手達の原作への深いリスペクトと愛がないとなし得ない。
それがないと、リテイク(描き直し)の嵐には耐えられない。
「鬼滅の刃」という作品は本当に愛にあふれていて、幸福なコンテンツだとつくづく思った次第。
※この「無限列車」含めた一連の「鬼滅現象」、私のブログで詳しくまとめているので是非ご一読ください。あまり語られなかったビジネスモデル、マーケティングの観点で書いてみました。
映画ならではのスケール感
普段は洋画しか観ないのでとても新鮮だった。スクリーンだと風景も美しく戦いのシーンも迫力があった。コミックでの名場面が声優さんの演技や音楽もあいまって素晴らしく表現され、映画に没頭して、終わったあともなかなか席を立てなかった。この作品をきっかけに声優さんてすごいなぁといろいろ調べたりしている。コミックが終わってさみしいけど、アニメ作品を楽しみに。。鬼滅を愛する想いは不滅です!
満足感の高さが、映画としての欠損を覆い隠している
動く列車を舞台とした活劇というのは、カメラの置き所が難しいものです。
カメラを車内に据えれば、ただ室内で戦っているに過ぎなくなりますし、
車外での描写に終始すれば、列車である必然性が希薄になってしまう。
本作では車外に据えたカメラから車内を想起させるという演出が取られていて、走る列車から伊之助が顔を出すシーンや、禰豆子の危機に駆けつける善逸の描写など、「外から見た『車内』の想起」という手法に工夫が見られました。特に後者、原作では善逸が禰豆子の前にカットインしてくるだけのシーンを、アニメオリジナルの演出で膨らませている。電瞬の速さで車内を移動しているであろう善逸の迸る雷光が列車の窓を次々と震わせる・・観客は車外からの視点で列車のスピード感を感じつつも、それ以上の速度で疾駆する善逸を同時に想起し、より強いドライブ感を得るわけです。この辺はさすがufotableですね。
で、今更ですが本作は原作のエピソードを劇場版としてそのまま扱うという、アニメ映画としては極めて異例な(TVだけ見てる人には話に穴があいてしまう)体裁を取っています。そしてそれゆえに映画としての(脚本的)完成度は低いです。
杏寿郎vs猗窩座(あかざ)こそが本作のメインであり、観客はそのごちそうの期待感があるからこそ、やや平板な前半戦を行儀よく見る、という作法を守れる訳ですね。
さてその猗窩座と杏寿郎の戦闘は・・これはまあ、多くを語るのも野暮というもの。
「俺は俺の責務を全うする!!」
今、リアルでこのセリフを言える人がどれだけいるでしょうか。おふざけではなく、命をかけて、という意味で。「鬼滅の刃」は美麗な作画や壮大な楽曲に目がいきがちですが、原作からの「言葉のチョイス」が実は極めて巧みなんです。
本作の構図は、初の柱との共同ミッションでいきなりその柱が死ぬという、「鬼滅隊の柱<上弦の鬼」の力関係を語るものとなっており、そこだけを抜き出せば杏寿郎はやられ役の業を背負わされている。にもかかわらず、見て分かる通り、その「やられ役」という印象が綺麗に消えているんです。
誰も杏寿郎を出落ちのやられキャラとは思わない。凡百の作品なら、そう思われても仕方がない構図なのに、それがそうはなっていない。杏寿郎の覚悟の言葉の数々、炭治郎の逃げる猗窩座へむけた心の叫び、回想に現れる杏寿郎の母親の台詞・・これらを丁寧に積み重ねる事で全ての意味が逆転し、「柱の精神>上弦の鬼」という印象づけに成功している。
少なくとも、読後感はそうなっている。
これはちょっと凄い事ですよ。そうそう他の作品ではみられない。
個人的な見解を言ってしまえば、ストーリーの骨格やバトル描写だけならば、「鬼滅の刃」はそこまで突出した作品とは思えないのですが、それがここまで商業的成功をする・・その要因として、原作者の吾峠さんが紡ぐ言葉の力、スクリプトの魔力とでも言うものが少なからずあるのかもしれない。そんな事を考えさせられる劇場版でした。
最後に、大画面で見る「奥義 煉獄」。眼福でした。
あと吾峠さんの描くお母さんキャラってずるくないですか?
あんなお母さん出てきたら普通泣きますよね。
さすが
TVアニメでもufotableさんの映像は桁違いに綺麗で躍動感があり、演出も上手だと思っていたが、映画となると更にすごい。これはもうアニメでありながらアニメの域を超えている。
映像美と躍動感がありすぎてもはや魘夢が気持ち悪いほど。
声優陣の声も良い、熱量がすごい。
特に花江さんは安定して良い。
炭治郎が猗窩座に向かって泣きながら叫ぶシーンがグッと来る。
最後のLisaさんの炎も良い。後ろで流れてる映像(絵?)も曲に合っていて良かった。
ただ、期待していた程度であって、超えてくるものはなかった。(ストーリーも決まっているし仕方ないが。)
私的には那田蜘蛛山編の方が好き。
2時間程度では物足りないな〜。
TVアニメでも映画でも早く続きを見たい。
期待外れ
世間で物凄い騒がれてたから、どんな作品かと思ったら、テンポは悪いし、某アニメ作品の劇場版の筋書きのパクリだし(その上で、こっちの方が劣る)、時間の割りに内容、ぺらっぺらで薄い。この内容なら、60分アニメで充分。効果音が大きすぎてセリフが聞こえない所も一杯あるし、キャラも叫んでる所は滑舌が悪くて、何を叫んでるか分からない所が多々あるし、作り方、全てが雑な映画。原作未読だけど、この映画を観て、原作を読もうと云う気には到底ならない。きっと原作も、この映画みたいに間延びしたつまらない漫画なんだろうな。と云う印象を映画から受けた。久々に、『金と時間を返せ』と言いたくなる映画だった。
鬼との闘い
映画一回目。
鬼という不条理の、それも突然の強大な暴力によって愛すべき家族を一夜にして失ってしまった炭治郎という少年の選択(一介の炭焼きから訓練を経て超人少年剣士へ)をまず理解する必要はある。コミック版、もしくはAmazonプライムやFODなどのTVアニメ全エピソードを見てから観るのがベストな選択なのだろうが、見てなくともある程度は楽しめると思われる。私はアニメ第一話のみ見ただけで映画版を鑑賞しました。(映画版をいきなり見たけど何が面白いのかわからなくて私に聞いてきた人もいます)
夢を見ることの価値をちゃんと描いている一方で、夢に逃げ込んでいるだけでは自分さえも守れないことを示した秀作になっている。漫画の世界ではあるけれど、目覚めろ炭治郎、ほかのだれかひとりでも!と呼びかけたくなる展開なのだ。
よく言われる様に本編は、TVアニメの続きだ。列車に飛び乗ってほぼ列車の近辺だけで完結する。
この作品は、単純な鬼退治の話ではないと思う。
当たり前だが、桃太郎、新撰組などの日本的な古典はベースにあると思われる。嫌いな人には、暴力的表現が多いので暴力を増長するのではないかとの懸念もあるだろうが、きちんと生死のありがたみ、悲しみ、痛みを描いていると私は感じた。
とことん漫画的なキャラクターであるさまざまな種類の鬼がでてくる。主人公の炭治郎、半鬼の禰󠄀豆子、文盲であるが超人的身体能力をもつ伊之助、気弱でバカすぎる善逸などの特殊な能力と性格に思わず笑ってしまう。
多分、コロナ禍のこの時代に必要とされるのは、漫画的なエネルギーなのだろう。昔否定してしまった自分を肯定できる映画にようやく巡り合った気もする。(もちろん三密を避けるとかマスクを忘れないとか医療従事者につねに感謝するとかを守りながらなんとかやってゆくしかない)
漫画、アニメという表現の自由さによって、そしてコロナの時代に生まれたことによってこの作品は稀有な力を得たようにおもう。
原作の最終回をあっさり終わらせてしまったことも好感は持てる。
私は遅ればせながら、この「鬼滅の-」世界を知りどこか懐かしさをも感じさせるストーリー展開やキャラクターたちに自己投影や現実投影をしている自分を見た。
全体的に血なまぐさく、漫画的な動きや展開が多い。一部、野暮ったい心理描写(心の声)やストーリー進行を感じるものの、徐々に面白さにハマってゆく。
匂いと音に敏感になり、炭治郎に同化し、顔が猪の猪之助にさえ応援してしまう自分がいる。
映画版には、鬼の血液を採取して、鬼と対抗しようとする美人医者と少年の鬼コンビはでてこなかったが、やはり、原作コミックかTVアニメは一通り一回は見るべきだと思う。いいエピソードがたくさんある。
私はまだTVアニメシリーズを見始めたばかりなので、時間はかかるが生きる気力を思い出してゆくだろう。アニメを全て見終わったら映画版をまた観ることになるだろう。
●二回目を2020.2.10に見る。IMAXにて。
Amazonプライムで、全てのアニメシリーズを見終わって、しばらくたってからの、IMAX。
なんと二子玉川は、まだまだお客さんが入っておられました。
IMAXは、なんといっても迫力があり、ここで見て良かったと本当に思いました。
アニメシリーズを全てみて、映画二回目の私には、映画単体としては比較的単純な話だと思う。
しかし、四人の剣士が夢から目覚め、乗客の命を守りながら走っている列車そのものと闘うまでの展開などよくできている。とにかく迫力がある。
汽車がめちゃくちゃになり、全て終わったはずのもうすぐ夜明けの時間。
どーんと怒涛の第二部が始まってしまう。
初めての上弦の鬼で、しかも参で、徒手空拳のみの闘いというあまりにもストレートな鬼。
これとアニキが闘うのは、たしかにハマる。
二度三度見る人がいるのもわかります。改めてIMAXで見て、映像表現のクオリティはかなり高いし、声優陣も力が入っているのもわかるし、いわゆる弛んでいるところがほぼない。
私は鬼滅のコアなファンではないが、できたら、もう一度見たい。
人生でなかなか出会えない作品です
この先、こんな作品に出会える日がくるのだろうかと思う映画でした。
観終わったあと、湧き上がる感情が抑えられず言葉にならなくなるなんて、想像もしていませんでした。
物語の最後、とてつもなく悲しい事が起こります。でもだからこそ伝わることがあり、命懸けで受け継がれる事とはどう言うことなのか知ることができました。
煉獄杏寿郎が実在の人物であったかのような錯覚をするほど、映画を観たあとでも悲しみが押し寄せる瞬間がありますが、その悲しみ以上に煉獄さんの志しに胸打たれて熱くなります。
できる限りたくさんの方に観ていただきたいです。
少年ジャンプ
歴代興行収入第2位(12/4時点)のお化けアニメ、見ましたよついに。
原作未読、アニメシリーズのみ予習。
なので、あんな終わり方になるなんてビックリ…
ポスタービジュアル見ても、全編通して大活躍する重要キャラクターだと思ってたもんでね。
少年たちのがっくりシーン(特に伊之助)では思いがけず涙。グッときました。
魁‼︎男塾ならきっと生き返って再登場するんだけどなあ、と思いつつテレビシリーズの続編に期待します。
コロナ禍の現下ゆえに
平安初期に書かれた「伊勢物語」では、在原業平が駆け落ち逐電した先で、女が鬼に喰われてしまい、「今昔物語集」「御伽草子」において源頼光は部下の四天王と共に、人々に災厄を撒き散らす大江山の酒呑童子=鬼を退治します。
古来、日本では、日が暮れ漆黒の闇が深まる夜になると魑魅魍魎が跳梁跋扈し、百鬼夜行が漫ろ歩いて人を喰らう、人智の及ばない妖怪変化=“鬼”が支配する恐怖の世界となっていました。
文明が開化し浸透し、人々が自然を克服し破壊し統制するようになるにつれ、鬼たちは棲み家を無くし放逐されていきました。しかし鬼たちは、新たな棲み家を見出しました。己の力を過信し驕った人の心の中に棲みつき、人の“恐怖”を操るようになって久しいのです。
時間に追われ気忙しく日々を送る現代社会、多くの人間が日常生活に埋没し、フラストレーションに晒される毎日。一方で世界がダイナミックに秒速で変化するグローバル経済の下、いつでも誰でもが心を病んで不思議ではありません。
翻って今、全世界を覆う新型コロナウィルスの猛威の中、言動を抑制させられる抑圧感、目に見えない言い知れぬ不気味な閉塞感に晒された現下で、TVバラエティ番組で笑い=ひと時の緊張の緩和による刹那的な癒しは得られても、それだけでは心の底流に蟠る遣る瀬無い不平不満は払拭されず、人々はやはり他の多くの人と共感し合い、そして没頭して心底から感動することを渇望し、飢えています。
本作は、多くの日本人が、その心に巣食う“鬼”の存在を痛感し疼いているからこそ、ソーシャル・ディスタンスで隔てられつつも、他人と同じ世界観の中に浸り、感動を共有したいがゆえに日本映画史上の最高興行収入を上げようとしているのでしょう。
本作のスジの基本的骨格は、正義の集団と悪の集団との抗争劇であり極めてシンプルな、主人公たちの冒険成長譚でもある勧善懲悪ストーリーですが、そこに構築された複雑な組織体制と規律、そして戦闘方法は独特であり、それゆえに既に完成されたこの物語の枠組みを共有することによる、不可視的な固い連帯感が強力なモチベーションとなって、皆を映画館に走らせていると思います。
代償を求めず、己の命を賭して他者の命を守る行為の、神々しいまでの高潔で崇高な死の美学がそこにはありました。また背景の緻密で写実的な描写が、いかにも漫画的なキャラクター画図を、眩いほどに印象的に引き立たせています。
但し、際立って特殊なターミノロジーに共鳴できないで観ると、今一つ感情移入がしきれず、驚ろ驚ろしく怪異で、ある意味で耽美的で猟奇的な世界観に、全く共感はしきれないと思います。
多分、人間は2種類に分けられます。一つは“鬼”がはっきり見える人間、今一つは“鬼”に棲みつかれ“鬼”が見えなくなっている人間で、今のコロナ禍では後者が圧倒的に多数を占めているのでしょう。
原作知らないからか・・?
2つの話が、関連性も無く、ぶつ切りでくっついてるような内容だと思った。何だかもったいないなぁと思ってしまった。
原作があるみたいだから、原作に口出しすることになってしまってあれだけど、1つ目の方をもっと展開に深みや広がりを出して、鬼をやっつけたと思ったら、実はまだ生きてて復活して、ハラハラドキドキという展開とか、せっかく夢の中に入るという内容なら、もっと深みや広がりを持たせられる内容になるのになと思ってしまったり、又は鬼は鬼で人の夢を作り出すのは、実は鬼の夢にも何か深い理由があったりとか、流行ってるからこその理由が何かあるのかと、期待してしまった。。。
又は1つ目の内容の中に、もう少し2つ目に続く伏線を張っておいて、2つ目の話の中で、そう来たか~っ!って思うような内容なら、つながるのにと思った。
原作知らないからなおさらだけど、残り20分~30分どうなるかなと思ったら、別の話になってしまって、何だかとても残念だった。
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