「今の社会に足りない何かがそこにあった。」プリズン・サークル TKひっちさんの映画レビュー(感想・評価)
今の社会に足りない何かがそこにあった。
ブレイディみかこさんの著書「他人の靴を履く 〜アナーキック・エンパシーのすすめ〜」で取り上げられていた映画。
舞台は島根あさひ社会復帰促進センター。受刑者が車座となった場で、社会復帰調整官を始めとする福祉専門員が伴走しながら、各々の幼少期や犯行時の心境を振り返る作業が繰り広げられる。
その時の自分の感情を言語化したり、他の受刑者が演じる自らの犯罪の被害者を心境を言語化することで、自己の感情に向き合う作業。他者の心境を知り、自己の感情を知ることで自己を獲得することに成功した事例が生々しく紹介されていた。
この映画とは別に、以前別の少年院で他者視点取得を狙ったVLFというワークが行われていて、それでも同様の効果が現れていた。言葉を紡ぐのに急かさない、ゆっくりと進行する心理的安全性が高い場だからこそ、素直な気持ちで表現できているのだろう。
出演した受刑者は(受刑者の中でも)言語表現能力が高いように思える。また既に判決が出ている受刑者だからこそ真摯に内省できたのではないか、とも思える。しかし審判的にならない対話の力を改めて感じたことは確かだった。
全国に受刑者は約4万人いて、このプログラムの定員は40名。数で比較するとプログラムの定員が圧倒的に少なく感じるが、受講できる割合はそんなに高くないだろう。受刑者の受講機会を高めることも大事だが、実は、このプログラムが相応しい人は触法者に限らないと思っている。
大なり小なり幼少期の環境、特に親の厳しい態度が自分自身に傷を残していて、それが本人も自覚しない心理的外傷(本当の意味のトラウマ)として残ることもあるだろう。さらにその生育歴で他者の感情に従ってばかり(他人の靴を履いてばかり)で、自己を獲得できない(自分の靴を履けない)こともあるだろう。そうして望まない形で今の自己(自分の嫌いな性格)を形成していることも多いと思う。
そういう意味では、こうした(車座でゆっくりと言葉を紡ぐ)場はもっとあっても良い。触法の有無どころか障害の有無も年齢も問わない。他者を知り、自己を知る場が社会に足りない、と感じた。