劇場公開日 2020年1月25日

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「二つの椅子。」プリズン・サークル bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5二つの椅子。

2020年3月5日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

拭えない違和感の理由は、はっきりしている。

「償い」や「処罰」と言う社会の期待事項に対する回答の「薄さ」。これが一つ目。二つ目は「掛かるコスト」。

刑務所は矯正施設。その役割は「社外の安全を脅かす存在から、驚異を取り除く事」と言う見方も出来ます。矯正とは「間違った状態にあるものに外力を加えて正しい状態に戻すこと」ですが、その手順は、受刑者に罪と向き合わせ、悔悛させ、被害者や遺族に対する償いの気持ちを喚起させ、二度と過ちを犯してはならないと思わせる事。これが矯正。

TC(Therapeutic Community)とは「対話」による集団治療です。刑務所の中に閉じ込められる事で移動や行動の自由を奪われることが「処罰」だとしても、「償い」に当たるものは何なのか。

TCの終盤、自分と向き合い、自分と言う他人を眺めて問いかけ、問い詰める事で、自分の罪、すなわち自分が傷つけた人々の気持ちを理解し、悔悛の念を抱き始める受刑者。悲しいかな、彼の口から出て来た「償い」の内容は、余りにも「自分の事」の比重が高すぎる。

ドキュメンタリーもTCも、彼らの生育環境や、家族との関係に、なぜ彼らが「罪を犯してしまったのか」の答えを求め過ぎようとしているきらいがある。同じ境遇で育った者の中には、犯罪に走ることなく「間違った」生き方をしていない者もいると言うのに。確かに。社会には罪がある。けれど、暴力の連鎖は社会だけの責任ではない。

島根旭は、そもそも犯罪傾向が進行していない受刑者を受け入れる刑務所。再犯率の統計比較はフェアじゃない上、40人のTCに掛かる費用には一切触れられていません。

平成23年の「再犯率」(出所した者が再び罪を犯して検挙される率)は38.8%(5年以内)。TCを受けたものは、その1/2との事なので概ね20%とすると。40人の内、8人は再び何らかの罪を犯している事になります。8人の再犯者を減らすために、運営を民間に委託し、心理の専門家数人をTCに派遣していると言う言い方もできる訳で。犯罪による損失と更生にかかる費用の天秤は、刑務所運営を経営的視点で見る時の指標。率直な印象では、現時点では経営的視点からは「成り立っていない」し、今後もコストに見合う成果が得られる見込みは、無いと考えます。

ここで私も「座る椅子」を変えてみます。

暴力の連鎖を止めたい。

少なくとも、このフィルムを見終えて思う。「暴力の連鎖は止められるのではないのか、その一部ではあっても。」見る人の中に、そう考え始める人は少なくないのでは。少年法の改正をはじめとして、近年、法定刑は厳罰化の方向へ向かっています。現代の社会通念や犯罪傾向、また、少年法については「軽い処罰であることを逆手に取る重大犯罪の発生」と言う事態を鑑み、個人的には支持しています。

一方で。

ジャーナリズムを自ら打ち捨てたマスメディアによる報道被害や、ネットによる「私刑」が拡がっている日本社会は、病んでいるとしか言いようが無く、それこそ「矯正が必要」だとも思われる訳です。

「犯罪者は悪くない。悪いのは社会。」は、某新聞社の伝統芸。昭和時代に出版された数々の「犯罪者本」にはウンザリですが、それでも今、私たちは、犯罪者の人間像と「誰かが彼らを犯罪者にしたのか。彼らは自ら犯罪者のなったのか」を知る必要があるのだ、と言うのがこのドキュメンタリーの趣旨だと理解します。彼等の生育環境に焦点を当てた(過度に情緒に走り過ぎるのは鼻につきますが)構成は、暴力と無慈悲は連鎖するのだと言う事を伝えてくれます。犯した罪、犯罪を犯したものの生活環境と生育環境は、マスコミが無駄にリアルな演出付きで伝えてくれますが、その人物像と思考について報道される事は、稀にでも、無い。

そういう意味では、価値のある、見るべきドキュメンタリーであったと思います。しかしながら、TCによる更生法は、社会心理学的アプローチの実証実験の一つであり、拡大していく事に関しては、否定的な思いを捨てるには至りませんでした。

bloodtrail